二十三 父の死とプロポーズ

 あたしが中三の秋、父が亡くなった。

「さなえ・・・。

 俺がこれから話すことを聞いても、気を悪くしないでくれ・・・」

 二階堂真介は、酒を注ぎにいったあたしにこっそり話した。真介は酒を飲める年齢にわずかに足らないが、あたしの父の葬儀後のおときの席だ。親戚同士、暗黙の了解めいたものがあり、酒を飲んでいた。

 当時、この真介が通学していたのはM県R市のM大医学部で、あたしの家の近所に下宿していた。


「なに?」

 みんながあたしとしんちゃんを見ている気がする・・・。

 あたしはまわりにいる親戚の目が気になった。

 真介はあたしの顔が曇るのを見逃さず、笑顔であたしを見つめてささやく。

「今後の話だよ。これがすんでからにしよう。なあに、気にするな」

 今後の話となら、気にするなといわれても気になる。

 あたしは中三、真介はM大医学部進学課程の二年だ。


 お斎が終り、二階の会場から葬儀の参列者が去っていった。

「しんちゃん。さっきの話、何?」

 一階ロビーであたしはラウンジのソファーに真介を座らせて尋ねた。

 すると、真介がささやくようにいう。

「おじさんが亡くなって大変だろうが、高校はもちろん、大学も行けよ。

 さなえは成績がいいから、高校も大学も推薦で行けるだろう。

 二階堂の家系は頭脳だけは優秀だからな。

 あと五年たてば俺は働ける。そのとき、さなえは大学三年になる。

 俺がさなえとおばさんの支えになるようにする・・・」


 真介にそういわれると、あたしはなんとなく安心した。

「うん・・・」

 あたしは小顔で童顔。身長が百六十センチ以上ある。真介はあたしより頭一つ分は背が高い。真介は母方の遠縁だ。好青年。二階堂の一族は背が高い。


 身体が弱かった父に代り、いつも真介はあたしを見守るように傍にいた。病院生活が長かった父が亡くなっても、真介がいるから、あたしは父を亡くした悲しみに耐えられた。

 でも母から、

「父さんには悪いけど、これで父さんの入院費の負担がなくなった」

 すまなそうに話すのを聞いている。父さんの両親、祖父母も近所に住んでいる。母は祖父母とともに不動産関連の仕事をしている。経済的にはなんとかなるはずだ。



「では約束どおり、将来、俺の嫁さんになるということで交渉成立だね」

 真介はあたしを見て笑っている。

「ええっ?あたしがしんちゃんのお嫁さんになるんか?」

 あたしはうつむいた。顔がほてってぽっと赤くなるのがわかった。

 しんちゃんのことは大好きだ。だいすきなお兄ちゃんだ。だけど父の葬儀の日に話すことだろうか・・・。ああ、あたしが将来のことを考えて落ちこまないように、お兄ちゃんはあたしをなぐさめてるんだ・・・。


「嫌か?」

 真介があたしを見てささやいた。

「嫌じゃないよ。子どもの時の約束、忘れてた・・・」

 あたしは顔を上げた。小さいときから、あたしは、なにかにつけて大きくなったら真介兄ちゃんのお嫁さんになると話していた。

「そしたら考えてくれ。交換条件でおまえとおばさんのことを考えてるんじゃないよ。

 俺、お前が好きだ。こんなこと、おおっぴらにいったら、捕まっちゃうな」

 真介はうつむきながら苦笑した。


 お兄ちゃん、無理してる・・・。

 あたしは吹き出すように笑いながらいう。

「むむむ?未成年者ナントカか?」

 思わず真介は声をひそめた。

「オイ、まだ、何もしてないぞっ」

「そんなことないよ。手も握ったし、おんぶも、ダッコもしたし・・・」

 そういいながら、あたしはいたずらっぽく真介の反応を見ている。

「それは、子どものころのことだろう?」

 思わず真介はまわりを見た。ラウンジにいるのはあたしと真介だけだ。


「こどもでも・・・」

 子どもでも、うれしかったなあ・・・。あの頃のしんちゃんは、足長おじさんじゃなくって、胴長お兄ちゃんだった・・・。

 父が母の実家で倒れて地元の病院に入院し、父の病室を訪ねたあと、眠くなってしんちゃんにおんぶされたときのことは忘れない。

 父を訪ねたあとは、いつも眠くなってしんちゃんにおんぶされた・・・。


「さあ、帰ろう。家まで送る。

 おばさんに、さなえを家まで送ると話しといた」

 真介はソファーから立ちあがってあたしの手を引いた。

 あたしは手を引かれてソファーから立った。



 ラウンジから玄関へ歩きながら真介がいう。

「ついでに、さなえを嫁さんにほしいと話しといた」

「うん・・・。ええっ?ほんとなの?」

 あたしは真介を見つめた。真介があたしを見つめかえす。

「嫌か?」


 この目、しんちゃんは本気だぞ・・・。

「嫌じゃないよ。お母さん、なんといってた?」

「本人が承知したら、まかせるといってた」

「ほんとに!信じていいんだね!」

「本当だ」

「うん。信じる。これで、恋人を探す必要がなくなった。いっきに奧さんだ。うふふっ・・・」

 真介の言葉を聞いて、あたしは安心した。父が亡くなって、真介も大学に行ったまま会えなくなったら、こんなに寂しいことはない。でもこれで、真介は今までよりもっと身近な存在になった。あたしはうれしかった。父が真介を導いたような気がした。


「そう来たか。そのほうが、さなえらしいな」

 あたしの言葉に真介がほっとしているのがわかる。葬儀の日にこんな話をしたら、いったいどうなるだろうと思っていたらしい。話して良かったと真介は思っているらしかった。



 車があたしの家に着いた。玄関に入ると奥から母が出てきた。

「しんちゃん。あがってね。咲恵さんもきてるわよ。ゆっくりしてってね。

 今日はもう誰も訪ねてこないと思うわ」

 咲恵は真介の母だ。

「はい・・・」と真介。


 あたしは一足先に上り框にあがり、真介の前にスリッパを置いて真介を待った。真介がスリッパを履くと、真介の靴を自分の靴とそろえておいた。

 あたしを見て母が笑顔でうなずいている。

「ありがとう。しんちゃん。よろしくね・・・」

「はい。よろしくお願いします」

 真介は母に深々とおじぎしている。


 仏間の襖が開け放たれた座敷に親戚の皆が座った。あたしは真介の隣りに座った。それだけで、ふたりのあいだでどういう約束が成されたのか、その場に居る者たちは納得して、よけいな事は話さずにいた。

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