十六 ヘビオはメグに夢中

 帰宅後、鮭を焼いて肉と野菜を炒め、味噌汁を作りながら卵を茹でる。

 トラはリビングのソファーでパソコンを見ている。ディスプレイに現れているのは、もちろんシークレットチェンジャーを使ってメグのスマホが捕えた画像だ。今のところ、メグの部屋の天井しか見えない。静かだ。


「静かだ。静かすぎる・・・。晩飯の時間じゃな。飯にするか・・・・」

 トラはしばらくディスプレイを見ていたが、あきらめてダイニングキッチンに来て、ヒラリとキッチンテーブルに舞いあがった。

「ねえ、トラ。外を歩きまわったんだから、足を洗ってきてね・・・」

 あたしはトラに猫マンマを用意しながら浴室を見た。トラがいつでも足を洗えるように浴室のドアは開いている。


「オオ、すまぬな。帰ってから足を洗っておらぬな。

 リュックに入っておったから、忘れておったぞ・・・」

 トラはキッチンテーブルから降りて浴室で何やらいっている。

 外出したら、いつも、きちんと足を洗う習慣をつけてあげたトラなのに、今日はなんか変だ。トラも歳を食ったのかな?

 トラは「猫ノ歳デ六歳ダカラ、人間ナラ四十ダ」といってた。歳を食ったと呼ぶのは早すぎか?

「トラ!どうしたん?」

 ダイニングキッチンから浴室のトラに声をかけるが返事がない。

「ご飯ができたよ・・・」

 あたしは浴室へ行った。

 トラは・・・、洗い桶に水を入れ、風呂に入るように浸かっていた。


「トラ。水風呂は寒いだろう?風邪をひくぞ」

「なあに、湯を入れだぞ。コックをチョンチョンと押してな・・・。

 昔は、身体が濡れるのはキライじゃったが、最近、足を洗っておったら、洗ったところが気持ちいいのに気づいてな・・・。

 身体も洗ってみたわけじゃ・・・」

 浴室も洗面も水回りのコックはレバー式になっている。水とお湯のコックがあり、下げれば水やお湯が出て、上げれば止まる。


「そしたら、タオルだしておくから、上がったら呼んでな。拭いてやるから」

「ドライヤーはしなくていいぞ。アレをすると、毛が静電気でパチパチしてたまらん!」

「わかったよ。タオルで拭くだけにするよ」

 まったく何だよ。猫だと思ってたら、完全にオッサンだな。それにしても何でトラが猫賢者になったんだろう・・・。

「上がったよ。すまんが背中を拭いてもらえんか?」

「は~い」

 あたしは浴室へ行った。



「なあ、トラ」

「何だ?」

「夏目漱石みたいに頬杖つけたんだから、背中もタオルで拭けるだろう。

 こうやって襷掛たすきがけするみたいにタオルを肩から背中へ動かして・・・」

 あたしはトラの背中を拭いているタオルを背中で袈裟懸けにして、両端をトラの左右の手に持たせた。

「オオッ!おおっ!そうじゃったな!いつまでも以前のままだと思っとったぞ!」

 トラはタオルの両端を動かし、背中にまわっているタオルで背中を拭いた。

「これで、背中を拭けるようになったから、いつでも風呂に入れるね!」

「いやあ、サナには感謝じゃよ!ありがとうな!」

「あたし、ご飯を温めてくるよ。トラのは人肌くらいにしとく・・・」

「おお、頼むぞ、サナ!」

 トラは鼻歌まじりで背中を拭いている。


これでトラの世話がひとつ減った。小さいときからのしつけで、トラは排せつをトイレでし、出歩いて帰ると自分で足を洗う。今までも手はかかっていないが、なんだかあたしの手を離れたような気がする。そうはいっても、ご飯とブラッシングはさすがのトラも無理だろう・・・。

 そんなことを思いながらご飯を温めなおした。

「トラ、ご飯だよ・・・」

 浴室から出てきたトラにあたしは声をかけた。


「ちょっと待ってくれ。なんか、気になってのお・・・」

 トラは急いでリビングへ行った。

「サナ!はよう来い!はじまったぞ!」

 いよいよメグとヘビオの決戦がはじまったと思い、あたしは高みの見物を決めこみ、トラとあたしのご飯をトレイにのせてリビングへ運んだ。



 トラはソファーに乗ったまま、ソファーテーブルのパソコンに釘付けだ。

「ついに決戦か?!」

 あたしはソファーテーブルにトレイを置いた。


「ウン?なんだ!これ?」

 あたしは驚いた。てっきり決戦だと思っていたが、ベッド上の開戦!ニャンニャンの闘いが今まさにはじまっていた。

「決戦はどうなったん?」

「メグの心を見るんじゃ」

 あたしは映っているメグに、あたしの気持ちを同調させた。


『浮気心があっても、まだ浮気したわけじゃない。

 いずれ、浮気されるんなら、今のうちに、うんと楽しまなくっちゃ・・・。

 もっといろいろ要求しちゃおう!

 あんっ!ジンジンしてる!ピクピクしてるっ!

 そこじゃ無い!感じるところ、知ってるくせに!

 もう!じれったいなあ!あたしから押しつけちゃうぞ!

 そうよ!そこよ!もっと!もっとだよ!

 ああん・・・、メグ、燃えちゃう・・・』

「メグ!メグ!だいじょうぶか?」

「ああん・・・」

「メグ・・・」

『メグ!大好きだ!やっぱ、メグが一番だ・・・』

 

 何だ、これ?

 あたしはあきれた。どう考えても、あたしはコイツらを理解できない・・・。

「ええんじゃ。それでええんじゃ」

「どうしていいの?」

 あたしはソファーテーブルにあたしのご飯を置いて、ソファーの脚元にトラの猫マンマンの小鉢と、肉入り野菜炒めと三分の一のゆで玉子が入ったボウルがのったトレイを置いた。

「わしは飯をこぼさんぞ。サナこそ、味噌汁をこぼさんようにな。

 パソコンが濡れたら、だいなしぞよ・・・」

「わかったよ。お盆を持ってくるよ・・・・」

 あたしはダイニングキッチンから、大きめのお盆を持ってきて、ソファーテーブルのあたしのご飯の茶碗とゆで玉子と焼き鮭と肉入り野菜炒めの皿と味噌汁のお碗をお盆にのせた。


「それで、どうしてメグたちはこれでいいの?」

 あたしはトラに尋ねながら焼き鮭の身をほぐし、ご飯にのせて口へ運んだ。今日の夕飯は焼き鮭のほかにゆで玉子と、小松菜のブタ肉入り野菜炒めだ。野菜炒めにはモヤシや人参や油揚げも入っている。

 トラの猫マンマにも、ゆで玉子と野菜炒めをそえてある。


「すまぬなあ。サナと同じ夕飯になってしもたな・・・」

「うまいか?」

「うまいぞ」

「今度から、あたしと同じご飯にするよ」

「量を少なめにしてくれ」

「わかりました・・・。

 それで、メグたちは、どうしてそれでいいの?」

 トラは猫マンマを飲みこんでいう。

「それでじゃな。身体は心の入れ物じゃ。

 片方だけが良いというのは、ながつづきせんのじゃよ」

「どういうこと?」

「ほれ、見てみい。ヘビオはメグに優しいじゃろう。

 寝技が終っても、これじゃよ。コイツ、おもしろい男よのう・・・」

 ニャンニャンが終っても、ヘビオはメグを優しく愛でている。


 あたしはヘビオとメグに、あたしの気持ちを同調させた。


『メグ以上の女はいないだろうな・・・』

 今、ヘビオはメグに夢中だ。体型やニャンニャンの感覚だけでメグを見てはいない。メグの全てがかわいい。メグに対するこんな思いを、ヘビオは今まで持っていただろうか?


「ヘビオとメグの気持ちが変化しとる気がするぞ。

 何かが妙じゃな・・・」

 あたしの気持ちを察してトラもふしぎそうだ。

 とはいっても、トラは小鉢とボウルに顔を突っこみ、猫マンマンと野菜炒めを食っている。ときたま顔を上げてパソコンを見るが、口の横からモヤシをのぞかせたまま、野菜炒めなんか食っているからふしぎだ。

「うっ?なんだ?野菜炒めはうまいぞ!

 メグの野菜炒めも食ってみたいものじゃのう」

 奇妙なトラの仕草に見入っているあたしを、トラが見た。どう見たってトラの表情は猫とは思えない。

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