十三 ヘビオの目移り

 水曜の四限。音楽史。

 大講義室は大きな階段教室だ、十人掛けの椅子の列が縦方向に二十脚並び、それら椅子の列が左から右まで五列ある。


 教壇を見る方向の階段教室左側後部の机に、左からあたし、メグ、ヘビオが座っている。あたしたちの前の席は一列空いて、その前のにアキとエッちゃんとママが座り、その前にアキとエッちゃんとママたちと親しい、三人の女子学生が座っている。ヘビオのまわりは八人の女子学生たちだけだ。


「サナ。ヘビオはどこ見てる?ヘビオを監視しろ」

 左側に置いたリュックから、トラが顔を出して、あたしにささやいた。

 あたしとメグがじゃまして、トラにヘビオの顔は見えない。メグの影になっているヘビオは、あたしにも見えない。

「わかってる・・・」

 あたしは背中を反らせ、顔を右へ向けて、メグの背中越しにヘビオを見た。


 ヘビオは講義を聴くふりして、アキとエッちゃんとママを見て、その前の席にいる三人の女子学生を見ている。顔は教壇にむいているが、目はじっと前の席にいる女たちを見たままだ。

 その様子にメグは気づいていないらしいが、あたしにはヘビオの目の動きがはっきりわかるからふしぎだ。

 何度か女たちを見たヘビオの目が止まった。ヘビオが見ているのはエッちゃんだ。


 メグは、ヘビオが隣りにいるから、どこへも行かないと安心しきっている。

 確かに、ヘビオはどこにも行けない。それはヘビオの身体だけだ。ヘビオの意識も心も、今、ここにあらず。さっきまでは、六人の女たちのまわりを徘徊していたが、今はエッちゃんのそばにしっかり居座っている。メグはそんなヘビオの思いを知らない。ヘビオがいつまでも、『メグ様、命』だと思っている。


 あたしは、ヘビオとメグから感じたことをトラにささやこうとした。すると、トラが、

「シッー。サナが感じたことを、わしは理解しとる。監視をつづけるのじゃ」

 とささやいてメグの方を目配せした。メグを見ると、メグの中から何かが現れようとしていた。

 ウワッ!なんだ、コレ!

 メグはヘビオとのイチャイチャとニャンニャンを思い、その思いが幸せホルモンを身体に放出し、気持ちが高揚してラブラブだ。身体が芯から熱くなりはじめてる。バカバカ!こんなとこでそんなことを考えちゃダメ!


 そんなメグの思いをよそに、ヘビオはエッちゃんとのニャンニャンを思って興奮しはじめてる。こういうことは想像力の巧みなヘビオだ。

 これだけの想像力を勉学に活かせば、それなりの成果は得られるのに、勉学にいそしまないヘビオの成績は芳しくないとメグから聞いている。

 ヘビオの所属は理工学部の建築科だ。ヘビオの顔からは、建築設計で使う材料力学に必要な、高等数学や物理学ができるとは思えない。ヘビオがなりたいと思っている中華の料理人も、メグの実家が中華料理店を経営しているからであり、メグの実家が建築会社なら建築の勉学に励むのではなかろうか・・・。


 そう思っていたら、ヘビオはエッちゃんの実家が何をしてるか、勝手に想像しはじめた。そして、実家が商売してるなら、エッちゃんとラブラブになって、実家の商売に合わせてそれなりのことをしようとである。


 なんだ!コイツ、みさかいなく発情して、エッちゃんの実家に居座ろうとしてるぞ!

 ヘビオがメグにベタボレだと思ってたけど、トラがメグを心配したとおりだった!

『トラ!このバカをなんとかトッチメル方法はないか?』

 あたしは声にださずに、トラに思いを馳せた。

『サナ。そんなことより、サナの感性はまさにボイスチェンジャーじゃな。

 わしの感性も、サナと同じみたいじゃ。いったいどうしたものか・・・』

 そうあたしに思いを伝えたトラが、ボイスチェンジャーから受けた、トラとあたしの感性の変化を確認してる。


 トラはいろいろ考えながら、新たに備わった能力を説明した。

『どうやら、わしらの脳に、ボイスチェンジャーが組み込まれたっちゅうことぞ。

 悪いことでないぞ。アプリを使うときのように、機能選択ができるみたいぞね。

 今のところ使えるのは、サナとわしのあいだの双方向ホイスチェンジと、第三者の相手方ボイスチェンジだけのようじゃ・・・」


『メグに、ヘビオの思いをそのまま伝えられたらいいのになあ・・・』

『サナ。今、サナが行なったのは、相手方ボイスチェンジじゃぞ!』

『そうだよ・・・』

『相手方ボイスチェンジでヘビオをスマホで映し、それをわしに見せたのと同じっちゅうことぞ!』

『そうだよ・・・』

 そう答えたものの、トラの説明をあたしは理解してなかった。


『そしたら、ヘビオの心の変化をメグに伝えられるぞ!』

『何で?どうしてそんなことができるん?』

『わしらの脳に、ボイスチェンジャーが組み込まれた、と教えただろうに!』

 トラがあたしに、イラッとしているのがわかる。だけど、トラが何をいいたいのかわからない・・・。

『だから、どういうことなん?』

『アホか!オマエ!わしらがボイスチェンジャーその物になっとる!』


 トラがキレタぞ!イヤ、これは見せかけだ。トラの説明が悪い。もっと早くあたしらがアプリそのものといえばいいのに・・・。

『アアアッ!そういうことか・・・・』

 そうはわかっても、スマホで相手方ボイスチェンジし、ヘビオの思いを知ることはできるが、その思いをどうやってメグに伝えていいかわからない・・・。


『何をいっとるんだ?サナはわしに、ヘビオの思いを伝えおったぞ!

 メグにも、同じことをしてやれ!さすれば、メグは、ヘビオの思いをライブで聞くぞね!』

 オオ、そういうことか!

『わかった!すぐやる!即やる!』

 あたしはもう一度ヘビオを見て、エッちゃんへのヘビオの思いを確かめて記憶し、メグの全身に、あたしの気持ちをむけて、ヘビオの思いを解き放った。

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