ヒトトナリ 〜2つの兵器が人に成るまで〜

@magnet_ns

第1話 とある兵器

『先日大規模な爆発を起こした軍需工場では今も消火活動が続いており、発火の原因を現在調査中とのことで……』



煌々と光る大型ビジョンに写るのは台本を読む女性のアナウンサーである。



「そう言えば聞いたか?あの工場で作ってたモンのこと!」


「なんだそれ?普通に銃とかじゃねぇのか?」


「それが違うんだとよ!噂じゃあな……人造人間だとよ!ヤバくねぇか!?」



暗闇に包まれた路地裏がガタッと物音を立てた。それに気づかない鈍感な中年の男たちは居酒屋の外で話を続ける。



「あーここんとこ話題になってるやつか、漫画に出てるみたいなどんな兵器より強いってやつ。でもあれって将来作れるかもってだけだろ?」


「あくまで噂だけどよ、仮にそうなら日本すごくね?どの国よりも進んでんじゃね?」


「ナイナイ、100パーない。陰謀論なら他所で言え」


「はぁ〜?もしかしたらそいつが逃げてるかもしれないとか考えたらこっちは夜も寝れねぇんだぞ?」



ひとしきり聞き終え、蹲っていた路地裏の影は立ち上がる。地面を踏みしめる2本の足はお世辞にも健康的とは言えないほどに細く、それは腕も同様だった。靴は履いておらず、見える脚は傷だらけである。


着ている服はところどころ茶色に変色してちぎれているが、かろうじて白衣としての自覚を保っている。その切れ目から見える肌は薄汚れて痩せこけている。


虚ろな赤い目をしており、焦点は合わず、生気はない。身長は中学生程度。いつから切っていないのか、肩まで黒い髪が伸びてしまい、中性的な顔立ちも相まって少女のようにも見える。


目を背けたくなるほどに傷ついているが、その姿形は、ヒト・・と何も変わらない。




厚い雲が空を覆って月の光を遮る。それでも地上がこのように色鮮やかに彩られているのは信号機だけではなくネオンや大型ビジョン、ビルの窓から漏れ出る無機質な電灯のおかげだろう。タバコの吸い殻すら目についてしまうほどである。


その光に吸い寄せられた羽虫はバチバチと音を鳴らして命を散らす。それに目もくれずヒトは酒に呑まれて思い思いに言葉を吐き、それに一喜一憂しては終いに笑い合う。何も変わらない日常を送る。


たったひとつ・・・を除いて。


少年は暗闇の中を歩きだした。いや、その動きは『歩く』というより『這いずる』に近かった。動かぬ足を精一杯引きずり、倒れそうになると手を壁や地面につき体を支えていた。そうする度にまた手のひらの傷は増えていった。


そんな少年の腕を、誰かがつかんだ。



「ねえ君、ちょっといいかな」


「…………」



少年は力の入らない腕で一生懸命に腕を振りほどこうとするがそれは叶わず、むしろ腕をつかむ者の反感を買うだけだった。淡々と話をする途中で、力尽き役目を終えたはずの街灯が突如として閃光を放ち、路地を照らした。


それが力尽きるまでの刹那、その瞬間は暗がりにいた彼らの姿が互いの目に写るには充分であった。


腕をつかんでいたヒトの正体は、小太りの警察官であった。



「君今何時か分かる?夜12時過ぎてるんだよ?普通は出歩いちゃだめだし……え……何その服!?大丈夫!?」



その問いに少年は答えず、ただ腕を振りほどこうと必死になるだけだった。



「ねえ君!落ち着いて!ご家族は!?どうしてここに!?とりあえず一緒に……」


「……離せ!離せ!」



少年は声を振り絞るが、その声は掠れて警官の耳には届かず、ただ闇に飲まれて消えた。踏ん張っていた足はぬかるんだ地面にその力を奪われ、腕は痛みに耐えかねて次第に気力を失わせた。


数分の抵抗の後、とうとう彼は力尽き、警官に引きずられる形で大通りにつれていかれることとなった。


しかし、その目にはまだ、反抗の意が残っていた。


足首をビルの角やパイプにかけて少しでも足取りを遅らせ、体を脱力して全体重をかけて警官の妨害に努めた。



「まずは一回交番に来て、ね?そうしたらいろいろ話聞くから!お願いだから素直に従いなさい!いい加減にしろ!おい!」



少年は警官の腕を睨んだ。怒りを覚えた猛獣のような、獲物を狙う鷹のような目つき。今にも標的の命を奪わんとする、狩人の目つき。


その直後、力尽きたはずの少年の両目が、毒々しいほどに赤く・・輝いた。


その直後に、彼らの視界はその目と同じ、深紅に染まった。



「……え?あ?……ああああああああああああああああああ!!!!」



一拍遅れて警官が自身の身に起きた異常を理解する。


少年の腕を掴んでいた左腕の肩から先が宙を舞い、胴体から切り離されて・・・・・・いたのだ。その断面からは赤黒い血が噴き出し、少年の白衣を染めていた。警官の顔は対照的に青ざめ、ただ声にならない叫び声をあげ続けるだけだった。


腕の切断と同時に地面にたたきつけられた少年だったが、残る力を振り絞って立ち上がり後方に走る姿勢をとる。しかし、それを警官は許さなかった。



『パァァン!』



喧騒から解放された路地裏に乾いた轟音が鳴り響く。少年の右腕に鋭い痛みが走り、傷口から緋色の血がゆっくりと流れる。鈍い痛みが少年を襲う。それは少年の力を奪うのには充分であった。ゴミ袋を投げ捨てたような音が響く。


少年は振り返って警官を見る。その目からは怒りと同時に、恐怖も読み取れた。食いしばった歯の間からは涎が醜く垂れ、体全体が蛇に睨まれたように小刻みに震えている。


しかし、腕章の無い残された右腕には拳銃が握られており、その銃口は少年のほうを向いている。



「ばっ……化け物っ!」



再度警官の右手に力が籠められる。しかし彼の人差し指が引き金を引くことは終ぞ無かった。


少年の目は赤く光っていた。赤信号よりもなお赤い、危険で、毒々しく、そして目を奪われるほどに美しい、ルビーのような赤。


その目には敵意は無く、代わりに後悔と自責の念が籠められているような、今にも泣きだしそうな目をしていた。


目線の先には、苦悶の表情を浮かべた警官の顔だったものが転がっていた。


影の黒に染まったはずの地面や壁でさえ、その赤を隠すことは叶わなかった。


少年の口から吐瀉物があふれ出した。何も口にしていないのか、吐き出されたのはただの胃液であり、あらゆる固形物はそこになかった。故に色はなく、それもすぐに闇に溶けて見えなくなった。



化け物・・・……か……」



少年は力なく呟いた。


ほどなくして空はすべてを洗い流すように激しい雨を下界に降らせた。立ち込める鉄の匂いも、白衣の汚れも、影の黒も、血の赤も、色のない涙も。それはまるで、少年の心模様を表しているようで。




少年はひたすらに歩いていた。疲れも、痛みも、とうに消え失せたかのような、流れ落ちたかのような足取りで。しかし、依然として表情は暗いままだった。雨の音の中でカン、カン、といった一定のリズムで音が響くのは、少年が錆び付いた階段を上っているからである。10階建ての廃ビルの屋上へ向かう階段をただ上っていた。


雨は続いて足元は滑りやすくなっているが、少年はそれに構わず歩を進める。足元を見ず、ただ一点、屋上を目指して進んでいた。何かにとり憑かれたように。




上った先には何もない空間が広がっていた。中から外へ通ずる扉と貯水タンク、そして簡素な錆び付いた低い鉄格子。上ってしまえば簡単に外へ行けてしまいそうなほどであり、もはやその存在意義を投げ捨てたように思えるほど朽ち果てている。


ヒトの生気など微塵も感じない。柵の向こうに見える下界も静けさに満ち、ただ虚しく構造物の群れが思い思いの色を放つのみであった。


少年は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。雨の匂いの中で微かに金木犀がその存在を示している。秋雨は無情にも花を散らす。命の価値など到底理解できないといったように、ただ等しく植物に恵みと介錯を施す。


少年は息を吐きだした。肺に溜まった淀んだ空気を外界へ解き放つと同時に反らしていた体躯を戻し、その勢いのまま背を丸めた。項垂れているように見えるその姿勢は、まるで大切な何かを抱え込み、守っているようであった。


しかし、それもすぐに終わり、元の姿勢に戻った。そして、それと同時に目の前の鉄格子へと進み、手をかけた。そしてそのまま前へ体を乗り出す。突風が向かい風となって彼を守ろうと吹き付ける。それも虚しく、彼は徐々に外へ乗り出した。


生への執着を失った彼の目が瞼で見えなくなった直後、右腕を引かれ、その勢いのまま体が後ろに引き戻され、背が床に叩きつけられた。



「かはっ!」



残りの息が衝撃とともに吐き出される。立ち上がろうとする彼の両腕を誰かが掴んで床に強く抑え込み、そのまま跨ってそれを阻止した。


霧がかかったような視界の中には、彼と同年代のように見える少女がいた。少年と対照的な青色の目、健康的な体、綺麗に整った白のシャツと黒のジーンズ、スニーカー、肩をゆうに通り越して伸びた白い髪、傷ひとつない顔。


そんな少女が、ヒトの寄り付かないような場所に存在し、少年の投身を防いだのだ。


彼女の顔に表情は無く、ただ力を込めて、少年を押さえつけるだけだった。


覆いかぶさるような彼女の姿勢は雨から少年を守った。互いの間にある僅かな隙間、彼女の手のひらに存在したのは、打ち付ける雨よりも熱く、それでいて優しい体温・・であった。

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