Act.10 光の王都

 ――翌日。

 宿の食堂に集まったリーストたちは、遅れて現れたユナの紅い右目に目を瞠った。


「ユナくん、その目……」


「……ごめん、何でもない。……気にしないでくれ」


 困惑するリーストとリサから視線をそらすユナ。

 それにため息をついて、イオはユナに包帯を手渡した。


「とりあえず、これで隠しておけ」


「イオくん、その……」


 事情を知っていると察したのか、リーストはイオに視線を移す。

 しかし彼はゆるゆると首を振っただけだった。


(僕にも言えないこと……? あるいは、リサちゃんの前では言いづらいことか。

 どちらにしろ、昨日、何があったんだろう……)


 一人で巻けなかったのか、リサに包帯を巻いてもらっているユナの姿に、ぎゅっと手を握り締めるリースト。

 けれどすぐに頭を振り、ユナたちへと声をかけた。


「エリス……ああ、エリーシアだけど、ここの領主の護送があるから一緒には来れないって。

 馬車を用意してもらったから、それに乗って王都まで行こう」


 彼の言葉に、わかった、と頷いたのは右目に包帯を巻いたユナだった。

 痛々しげな姿になった黒髪のエルフに、リサは明るい声で笑いかける。


「それじゃ、まずはご飯ね! お腹が空いていたら元気も出ないもの!」


 +++


 リサの提案で朝食を取った一行は、その後それぞれ準備をしてから宿の前に集まっていた。

 余談だが、食欲がない、とほとんど何も食べようとしなかったユナの世話を、リサが甲斐甲斐しく焼いていた。

 せめて食べやすいものを、と柔らかいパンやスープを手渡す姿は、母か姉のようで。

 ユナもそんな彼女を無下にできないらしく、渡されたものを渋々口に運んでいた。

 微笑ましい二人の姿を苦々しげに見るイオに気づいたリーストは、食後にこっそりと彼を問い質すことにしたのだった。


「どうしたの? 怖い顔してたけど」


「っ……そんな顔をしていましたか。すみません……ただ、少し」


「王都に着くまでは敬語じゃなくていいよ。

 ……ユナくんと、何かあった?」


 今までのリーストなら、ユナにも尋ねていただろう。

 しかし昨日の件から、お互いどこか距離を取っており、話しかけづらい状態だ。

 だからこそ、リーストは多少汚い手を使っても、自身の部下であるイオから状況を聞き出そうとしていた。けれど。

 馬車に乗るまでは少し時間がある。そう判断したのか、イオはリーストがその手……“命令”を下さずとも、報告を始めた。


「……その、まあ、個人的なことなんだが。

 ……ユナに、告白をして」


「こ……っ!?」


 しかし、その“報告”はリーストの予想の斜め上を行くものだった。

 動揺を見せる王に、イオは照れたように視線を逸らす。


「……ま、まあ君がユナくんを気にかけてるのは知ってたけど。

 そっかあ。それは……喜ぶべきところなんだろうね。

 ユナくんは、なんて?」


「愛することも愛されることも知らない、どうせイオもオレを裏切るくせに、と。

 ……しかし最後には、和解できた……はずだ」


 伝え聞くユナの悲鳴じみた吐露に、リーストは息を呑む。

 しかし、続いたイオの言葉に、呆れたように肩を落とした。


「はずって。……ええと、じゃあお付き合いするに至ったの?」


「そこはまだ何とも。振られはしなかった、というだけだな」


 むしろ今のユナの心境を思えば、拒絶されてもおかしくはなかったはずだ。

 目の前の男イオは基本的には生真面目で、真っ直ぐな心根を持っている。……真っ直ぐすぎてこうして暴走することが、たまにあるくらいで。

 そんなイオだからこそ、ユナも拒絶はしなかったのだろうな、とリーストはぼんやりと思う。

 はあ、とため息を漏らして、彼の肩を叩く。


「それは、なんというか……頑張ってね。

 ……でも、リサちゃんを睨むのはやめなさい」


「む。睨んでいるつもりはなかったんだが……まあ、善処はしよう」


 軽口に応じるイオからは、何の気負いも感じられない。

 そんな彼に安堵して、リーストは「それで」と本題を切り出した。


「あの紅い目は、何?」


 すっと表情を消して自身を問い詰める王に、イオは軽く息を吐く。


「……以前話した、ユナの“別人格”に関するものかと」


「……イオくんも知らないの?」


「ああ。昨夜、部屋を訪れたらユナが魘されながら眠っていて。

 起こしたときには、もうあの瞳になっていた」


 その言葉に、リーストは「ふむ」と腕を組む。


「ユナくんが何も言わない以上、見守るしかないけど……。

 仮にイオくんの推察通り、“別人格”由来のものだったら、ちょっと不味いかもね」


「……そうだな。ユナの精神を乗っ取ろうとしているのか、何か良からぬことを企んでいるのか……」


 分からないことだらけだ。けれど、誰よりもユナが一番不安を感じていることを、イオは知っている。


「オレは」


 膝をつき、歳若い王に視線を合わせる。

 そうして、自身の“覚悟”を音に乗せた。


「……オレは、ユナのためなら全てを捨てる覚悟です、陛下。

 ユナが笑って生きていけるのであれば……地位も、名誉も、何も要らない。

 アイツを、独りにしたくない。……喪いたく、ないのです」


 リースト……“リーフェ”にとって、イオは兄のような存在だった。

 比較的年も近いからか、共に育ってきた兄貴分。

 真面目で、正義感が強くて、誰にでも優しい彼。

 約束された将来と、正しい人生を真っ直ぐに歩んできた彼は、ユナただ一人のためにそれらを手放す覚悟だと言う。


(だけど……正しい人生って、なに? 正しさって……正義って、なんだろう?)


 リーフェはその立場ゆえに、ユナのために何もかもを捨てるという選択肢は選べない。

 けれど、それは決して“間違い”ではないのだ。

 握り締めた拳は、迷いに揺れていた。



 +++



 ――馬車が揺れる。

 エリーシアやアズリアの住民たちの見送りを受け、街を立ったのはもう半刻ほど前になる。

 馬車の中はぎこちないながらもリサとリーストの雑談の花が咲いていた。


「……私、ロマネスクの王都は初めてだわ」


「まあ、自国民ですらあんまり来ないしね。魔物が増えてきて以降は尚更」


 二人の話に、イオも思考する。

 王都ロマネシアは、港から離れた場所にある。

 更にビーストウェア国との国境も、王都から随分と離れている。

 そして自国民もアズリアの街が検問代わりになっていたため、結果として王都を訪れる旅人や観光客はごくごく少数だ。

 それでも決して閑散としているわけではなく、むしろ近隣の住民やアズリアを越えた商隊や旅人たちで賑わってはいるのだが。


(まあ……先ほど陛下も仰ったように、ここ半年近く魔物が増え……そう言った人々も数が減ってきたわけだが)


 魔物の増加を何とかしない限り、王都に待ち受けるのは衰退である。

 魔王と魔物の関係性は不明だが、魔王を討伐することで魔物が減るのなら、ユナに協力することは騎士団として当然のことだった。


(……とは建前だ。オレはただ、ユナのチカラになりたいだけだ)


「――王都のオススメのお店といえば、やっぱり“デア・ロゼッタ”かな」


「どんなお店なの?」


「洋菓子店だよ! 王家御用達の焼き菓子とか売ってるんだ。

 民間人向けのお菓子もあるから、おすすめだよ」


 いつの間にか王のオススメグルメショップに移行していた二人の会話が、耳を通り抜ける。

 素敵ね、時間があれば寄ってみたいわ。そう笑うリサに、良かったら城まで持ってきてもらうよ、と得意げに笑むリースト。

 彼らの間からは、先ほどまでのぎこちなさは消えていた。

 二人から視線を外し、イオは対面に座るユナを盗み見た。

 リーストたちの会話に入ることもなく、ぼんやりと片目で流れる風景を見ている彼。

 イオたちの心配げな視線に気が付いているだろうに、彼はその全てを黙殺していた。


「ユナは焼き菓子、好きかしら?

 私、マカロンには目がないのだけれど!」


 自然体を装って、リサが隣に座ったユナに話しかける。

 ユナは右隣の彼女へと目を向けようとしたのだろう、しかし視界を遮る包帯を思い出し、再び窓の外へと視線を放った。


「……食べたこと、ない」


 小さく、短く告げられた否定の言の葉。

 今までの彼の境遇からすると、当然だろう。

 けれど、息を呑む男性陣とは反対に、リサは「あら」と手を叩いた。


「なら、これからいっぱい食べましょう!

 素敵ね、ユナはたくさんの“初めて”を知っていけるのよ。

 楽しみね!」


 心底嬉しそうに笑った少女に、ユナは思わず彼女へと顔を向ける。

 ユナの“これから”の人生が希望で満ち溢れていると信じたその笑みに、彼は眩しいものを見るように瞳を細めた。


「――……そうだな」


 そうなればいい。そうであればいい。……そうであったなら、良かったのに。

 彼女を傷つけるだろうと、口の中で噛み殺した言葉たち。

 光そのものであるような少女は、強く、眩しく、温かく……ユナの心を焼き尽くすように、熱い。


 ……ガタン、と馬車が一度大きく揺れ、停車した。

 思わずユナが窓の外を見やると、前方に大きな白亜の門が視界に飛び込んできた。


「これは……」


「王都ロマネシアの城壁と門だね。この先に城下町が広がっていて、更にその奥に王城があるんだよ」


 呟いたユナに、リーストがそう解説をする。

 馬車が再び動き出す。「検問だね」とは王の談だ。


「いくら城下町とは言えさすがに陛下を歩かせるわけにはいかないからな。

 このまま馬車で王城まで向かう手筈だ」


 イオの説明に、それもそうよね、と頷くリサ。

 そんなものなのか、と内心で独り言ちたユナは、街の様子を観察することにした。

 忙しなく働く市場の人々。果物屋の前で笑い合う親子。学者風の女性が落とした荷物を拾ってあげる少女。

 誰も彼もがきらきらとした笑顔を浮かべて、明日を夢見て今日を懸命に生きていた。

 幸福が溢れたようなその景色に、ユナはそっと瞳を閉じる。

 やがて馬車は城下町を抜け、貴族の屋敷がある貴族街へ、そしてその最奥の丘にそびえ立つ城の門を潜り抜けた。

 中央に噴水、左右に薔薇が咲き誇るエントランスを通り、豪奢な扉の前で馬車は停止する。


「着いたよ」


 リーストがそう言うと同時に、御者が馬車の扉を開いた。

 真っ先に降りたイオが、次に降りるリサやリーストに手を差し出してエスコートをする。

 それと同様にユナにも手を伸ばすが、ユナは一瞬動揺し、何事もなく一人で降りてしまった。

 行き場をなくしたイオの手に気付いたリーストが、笑いを堪えた顔で彼の肩を叩く。


「どんまい、イオくん」


「やめてください……。そもそもアレは照れているだけですから」


 暖かい眼差しの王の手をそっと退けながら、イオはリサと並んで扉を見上げているユナを見やる。

 すれ違いざまに見た彼の頬が赤く染まっていたのを思い出し微笑んだイオの背を、リーストは軽く殴って二人の元へと寄っていったのだった。


 +++


「お帰りなさいませ、陛下」


 恭しく頭を垂れる使用人たちに出迎えられ、一行は城内へと足を踏み入れた。

 使用人たちも騎士たちも、みなリーストの姿を見るや否や安堵の表情を浮かべている。


「リースト、みんなから愛されてるのね」


「うーん、ただ心配で仕方なかった、って言いたげな気がするけどねぇ」


 笑い合うリサとリーストの後ろを歩きながら、ユナはそっと城の中を観察する。

 純白の壁と赤い絨毯。窓には五つ置きに薔薇の模様が刻まれていた。

 すれ違う使用人たちや貴族らしき者たちはみな朗らかな笑顔でリーストに挨拶をしていく。

 登った階段の踊り場には、リースト曰く先代国王だという肖像画が飾られていた。


「リーストの肖像画じゃないのね」


「いやあ、さすがに恥ずかしいしね……。僕、国王としてはまだまだ新米だし」


 二人の会話を聞きながら目に入れた肖像画に描かれた緑髪の男性は、優しげな目元がリーストにそっくりだった。

 リーストの優しい心は父親譲りなのだな、と考えて、ユナは自分との違いに憂鬱になる。

 ユナには両親がいない。そもそも。


(……オレは、……?)


 望まれて産まれてきたのか。他のヒトたちと同じように、母から産まれてきたのか。

 そんな確証も持てないくらい……今まで考えたことすらなかったことに思いを馳せるくらい、今のユナは追い詰められていた。


「着いたよ」


 そんなとりとめのない思考の海からユナを解放したのは、そんなリーストの声だった。

 ハッと俯いていた視線を上げると、いつの間にか廊下の最奥、薔薇をあしらった扉の前に立っていた。


「……大丈夫、ユナ?」


 心配そうなリサに一つ頷いて、ユナはリーストに扉を開けるよう促す。

 リサと同じく心配げな彼は、それでもそっとその扉を開いた。


 ――その瞬間、ふわりと漂う薔薇の芳香。

 部屋の奥を飾る大きなステンドグラスの窓にも、薔薇があしらわれていた。

 その手前には、入り口よりも三段ほど高い祭壇のようなものもある。

 ……そして。


「おかえり、リーフェ」


 ステンドグラスの真下、祭壇の上には空色の髪の少女が立っていた。

 彼女はリーストにそう言って微笑み、次にユナをじっと見つめる。


(あの人、は……)


 彼女の視線を一身に受けたユナは、動くことができなかった。

 何もかもを見透かされているような、薔薇色の瞳。

 首や頭を飾る青色の宝石が、ステンドグラスから漏れる光に反射して、きらきらと光っている。


「……そしてようこそ、ユナイアル・エルリス。シルフィリサーナ=シルファ・ビーストウェア姫。

 私はアズール。【創造神】アズール・ローゼリアです」


 少女の名乗りに、ユナとリサは衝撃を受ける。

 【創造神】アズール・ローゼリア。この世界を創りし創世の女神。

 驚く二人を余所に、リーストはアズールに話しかけた。


「ただいま戻りました、アズール様。……二人のこと、ご存知だったのですね」


「ええ、【神】だもの。

 ……遠路はるばる、よく来てくれたね」


 女神の言葉に、いち早く我に返ったリサがリーストに耳打ちする。


「ちょ、ちょっとリースト! 女神様がいらっしゃるなんて聞いてないわ! 心の準備とか、身だしなみとか……!

 そもそも、ユナに会わせたいと言ってた方は女神様なの!?」


 小声でまくし立てるリサに、リーストは悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべて「ごめんね」と頷いた。


「ユナくん、相手が女神様だと知ったら来てくれない気がして。

 ……それで、ええと、アズール様。僕たち、貴女に聞きたいことがあるのですが」


「うん、何かな?」


「――【魔王】について」


 リーストの問いかけに首を傾げたアズールへ、そう声を放ったのは……今まで黙っていたユナだった。

 じい、と自身を見つめる薔薇の瞳を、隠されていない漆黒の瞳で見返すユナ。

 彼は抑揚のない声で続けた。


「リースト……リーフェ陛下は、貴女が【魔王】について何か識っているはずだと言っていました。

 ……【魔王】とは、なんですか」


 息を呑む仲間たちに目もくれず、ユナは女神に問いかける。

 そんなユナに微笑む女神。その大切なものを慈しむような眼差しに、彼は思わず後退る。


「……そうだね。私は確かに、【魔王】のことを識ってるよ。

 【魔王】。神としての正式な名は、【神族・魔王】……あるいは【破壊神】。ヘル・ローゼリア。

 ……私の、双子の弟だよ」


『――は……?』


 痛みを湛えたようなアズールの発言に、リーストやイオまでもが驚いた声を上げた。

 アズール・ローゼリアの弟、ヘル。……それが、【神族・魔王】の正体。

 明かされた真実にざわめく仲間たちから一歩離れた場所で、ユナは包帯に覆われた右目を押さえていた。


(この女神を、オレは……識ってる)


 いつかリサの後ろ姿に見た“誰か”の幻影と、ぴったりと合致する女神。


(……目が、痛い)


 いたい、痛い、悼むのは……なぜ?




 Act.10 Fin.

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黒髪のエルフ 創音 @kizune

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