Act.09 息を止める前に
「我が名はリーフェ!
高らかに名乗った少年王――“リーフェ”。
彼の名を聞き青ざめる領主の頭を押さえながら、イオも頭を垂れる。
その様子を見た住人たちも驚きと血の気の引いた顔で続々と許しを乞うように跪き、ユナとリサはただ呆然と彼を見ていた。
「陛下……? 本当に?」
「いや、しかし……あの緑髪と薔薇色の瞳は、間違いなく女神に連なる王家の血筋。
現国王はお若いと言うし……」
ざわつく人々に、“リーフェ”……リーストは軽く息を吐く。
それから背後にいる二人へ向き直り、「ごめんね」と頭を下げた。
「嘘をついていて、騙すようになってしまって、本当にごめん。
……でも、ユナくん。僕は、僕たちは、君を――」
「何事です!!」
言いかけた言葉を、新たな乱入者が遮る。
全員がそちら……橋の先にある街の入口へと視線を向けると、そこには短く髪を切り揃えたエルフの女性騎士が立っていた。
「……騎士団長!」
「エリーシア・デュ・フォーマルハウトか」
目を見開くイオと、冷静に彼女を見やるリースト。
二人を認識したその壮年の女性……エリーシアもまた、驚いた表情を浮かべた。
「陛下!? それにイオルドも……!
では、騒ぎの原因は……」
そのまま彼女は視線をさっと巡らせ、リーストたちの背後にいたユナを見つける。
それに気づいたリーストは、ユナを隠すように手を広げた。
「待って、エリス! 彼は……!」
「……おおよその状況は存じております。
この街の越権行為も、彼が……“ダークエルフ”だという事実無根の誹謗中傷を受けている、善良なエルフだということも」
そう言ったエリーシアは、ユナたちを安心させるよう微笑んだ。
「貴方たちのことは、イオルドから報告を受けておりました。
はじめまして。私はエリーシア・デュ・フォーマルハウト。
ロマネスク王国騎士団の、団長を務めております」
「……ええと、その……オレ……」
「大丈夫です。私たちは、貴方に危害を加えるつもりはありません」
彼女の言葉に、一層混乱するユナ。
そんなユナを守るように、リサが声を上げた。
「……どういうことです?
そこの領主様は騎士団からの命としてユナを殺そうとしていましたが」
「殺す……? とんでもない!
私が命じたのは、彼を見かけ次第保護せよと……」
リサに首を振ったエリーシアは、途切れた言葉と共に顔を青くする。
それから慌てて前方にいた領主の胸倉を掴み、叫んだ。
「どういうことです、アズリア伯爵!
この街の越権行為と言い、我らの命を改竄したことと言い……!」
「ひっ……!! も、申し訳ございません……っ!!
ですが、その男が本当にダークエルフだった場合を思えば……!」
真っ青な顔でそう返した領主に、エリーシアはため息を吐く。
「……どうあれ貴殿の行為は我ら騎士団への冒涜です。
伯爵殿を連行せよ! 一応貴族様ですから、丁重に」
そのまま彼女は背後にいた自身の部下たちに指示を出し、領主を連れて行かせた。
それからユナたちに向き直り、申し訳ありません、と頭を下げるエリーシア。
「不快な思いをさせてしまい、何とお詫び申し上げれば……。
ともかく、場所を移動しましょう。色々とお話したいことがあるでしょうから」
「……そうだね。ついでに休める場所がいいな」
「では、宿へ参りましょう。
……皆、道を開けなさい! 国王陛下のお通りです!」
その言葉に、住民たちは海が割れるように左右に広がった。
自分たちはどうなるのか、と言いたげな不安そうな民草の顔に、リーストは密かにため息を吐いたのだった。
+++
「……では、改めてお詫びを。
この度は我が騎士団……並びに、その命によって混乱が生じたこと、深く謝罪いたします。申し訳ございません」
「僕からも、ごめんなさい。その……色々と」
宿屋の一室。備え付けの椅子に座ったリーストと、それぞれ向かい合ったソファに座るユナとリサ。
イオとエリーシアはリーストの側に控えている。
リーストとエリーシアからの謝罪に、ユナとリサはお互いに困ったように顔を見合わせた。
「……一つ聞かせて。リースト……いえ、リーフェ陛下は……」
「リースト、でいいよ。……ううん、そう呼んでほしいな」
しばらくして口を開いたのは、リサだった。
呼び名を改めようとする彼女に今まで通りでいい、と告げたリーストは、続きを促す。
「……そう。なら、リーストは……ユナを、どうするつもりなの?」
真っ先に出た言葉がそれか、とリーストは内心で息を呑んだ。
隣国の皇族である自身の立場より、友人の待遇を気に病む少女。
リーストにとってそこがリサの美点であり、好ましい面であり……そして何よりも危うく感じるところだった。
「……別に、捕らえようとかは思ってないよ。
王だということを黙っていたことは悪かったけど、騙すためとかじゃなくてさ」
「そもそも」
弁解、あるいは言い訳を口にするリーストを遮ったのは、それまで俯き黙していたユナだった。
フードの奥に隠れた瞳は見えず、声はどこか冷え切っている。
「……なんで王が一人ふらふら出歩いてたんだ。
それで“
……オレが本当にダークエルフだったら……殺されていたかもしれないんだぞ」
「それは……」
冷たさの中に滲み出る、リーストへの優しさ。
ユナくんはそんなことしないでしょ、リーストはそう言いたかった。何の根拠もないそんな言葉を、口にしたかった。
(僕は最後まで、どっちつかずだな)
自嘲気味にそっと笑い、年若い王はすっと顔を上げた。
「……僕は……あまりにも何も知らなかった。
王と言うには若すぎる。けれど、僕以外に王位継承者がいなくてさ。
ある日突然先代……父が病に倒れて、僕に玉座を譲った」
そこで一度区切り、彼はエリーシアが淹れた紅茶を一口飲んだ。
仄かな甘みが、喉を潤す。
「でも、いきなりだったから。僕は世界情勢も、知識も、人伝に聞いたものばかりで……それではだめだと思ったんだ。
そうしたら、父やエリーシアたちが世界を識るための旅を許可してくれて」
理解のある者たちばかりで助かった、と微笑むリースト。
現在、王の不在は城の者たちのみ知っていることで、城下町の民たちですら知らないのだと彼は言った。
「……イオは、リーストの正体を知ってたんだな」
「……ああ」
視線を向けられ、そう問いかけたユナに頷くイオ。
「王が旅に出たことも、彼が王であることも。
前王の教えで、記憶喪失のフリをしていたことも……オレは知っていた」
自身の身分を隠し、記憶喪失であると振る舞うことで、自分の身を守る。
そんな“処世術”を教えられ、旅立った若き王のことを、騎士団の副団長であるイオも知っていたという。
「……そうか」
「ユナ……」
そっと瞳を伏せたユナに、リサが寄り添う。
彼を慰めるような彼女の仕草に、イオは爪が食い込むほど手を握り締めた。
(……オレはユナを騙した側だ。……リサ嬢のように、寄り添う資格なんて……ない。
……それでも、オレは……――)
「……これから、どうするの? 私たち……どうなるの?」
ユナを庇うようにリーストを見つめるリサ。その瞳に不安の色が見えることに気づいたリーストは、安心させるように微笑んだ。
「別に、どうもしないよ。それに、ユナくんの力になりたいのは本当のこと。
……だから、一緒に王都に来てほしい。僕の……友人として」
「……そもそも、王都に行くって言ったのは……何か理由があったのか?
魔王に関する資料とか言ってたけど、本当は……オレを捕らえるためだったとか」
「そんなこと!」
けれど、不信感を隠そうともせず言い放ったユナに、リーストは思わず立ち上がる。
ガタン、と椅子が揺れた音が、思いの外大きく響いた。
「……そんなこと、しないよ。さっきも言ったけど、捕まえるなんてしない。
王都に行くのは……会ってほしい人がいるからなんだ。その人なら、魔王のことを知ってるはずだから」
「会ってほしい人?」
怪訝そうに問い返したリサに、リーストはこくりと頷く。
「そう。だから、ユナくん……」
一緒に王都に行こう。そう続くはずだった彼の言葉は、遮られた。
他ならない、ユナが立ち上がったことで。
「ユナく、」
「……王都には、行く。お前の言う人にも、会ってやる。
けど……今は、一人にしてくれ」
言うやいなや、ユナはそのまま部屋を出ていってしまった。
伸ばしかけたリーストの手が、所在なげに揺れる。
「ユナ……っ」
「……リサ嬢。今は……」
「……わかってる。わかってるわよ。でも……!」
追いかけようとするリサと、引き止めるイオ。
二人のやり取りを耳に入れながら、リーストは力なく椅子へ座り直す。
冷めてしまった紅茶が、苦く感じた。
+++
リーストたちから離れたユナは、自身に与えられた部屋の寝具に倒れ込んだ。
弾みで取れたフードから、さらりと黒髪が流れ落ちる。
(……リーストも、イオも、悪気がなかったのは……わかる)
思い出すのは、部屋を出る前に見えた、リーストの傷ついたような表情。
だけど、とユナは枕に顔を埋める。
裏切られた、と思った。それと同時に、やっぱり、とも。
(やっぱり、オレは……こうなるんだな)
人に愛されず、人に受け入れられず、信用されず……信用できず。
閉ざした瞳から、涙が一筋流れていく。
仲間たちのことを、信じたい。けれど、過去の出来事からそれができずにいた。
仲間たちとの思い出があれば、裏切られても平気だと思っていた。
……しかし、一緒に過ごした時間が長すぎたのか……ただ辛いだけだった。
(もう、いやだ)
沈んでいく意識と心。
仲間たちの笑顔が、記憶の中に溶けていった。
+++
『どうだ、人間共に裏切られた気分は』
目を開けると、そこには自分そっくりな黒髪の男がいた。
違うのは、血のように紅い瞳。
ユナは目の前の男が、“無意識”なのだと理解する。
「……お前が」
口から漏れた言葉が、暗闇の空間に消えていく。
「お前が……他人を、オレの同胞を、殺すから」
『責任転嫁か? ……まあいい。事実だからな。
しかし……同胞。同胞か。アレらはお前を殺そうとしたのに?』
「……な、に?」
苦々しく顔を歪めたユナをせせら笑う、“無意識”。
驚き固まる半身へ、男は更に追い打ちをかけた。
『そも……お前、本当に自分がエルフだと思っているのか?
黒い髪の、長耳種。ああ……あの
一歩、また一歩と近づいてくる男に、ユナは後退りをする。
聞きたくない。知りたくない。
――
『ユナイアル・エルリス。お前は……――』
紅い。紅い、紅い瞳に、自身がうつる――
+++
「――ユナ!!」
名を呼ぶ声に、ハッと瞳を開ける。
視線を巡らせれば、心配そうな表情のイオがユナを見ていた。
いつの間にか陽は落ちていて、月明かりだけが二人を照らしている。
「大丈夫か? うなされていた……から……」
顔を覗き込んできたイオの声が、小さくなる。
ユナは訝しげに首を傾げた。
「……ユナ。お前……その目、どうしたんだ?」
「……目?」
イオの指摘に、自身の目に手を置くユナ。
なぜイオが部屋にいるのか、何をしに来たのか……そう問いかけたかったが、ひとまず洗面台の鏡の前に立つ。
「――ッ!!」
鏡に映る自身の姿。変わらない黒い髪と、長い耳。
けれど、一つだけ変化があった。
「目が……紅い……!?」
右目が、“無意識”に似た紅い色に……染まっていたのだ。
「ユナ」
背後から近づくイオが、声をかけてくる。
彼らへの不信感、“無意識”への恐怖、そして紅く変化した瞳への不安から、ユナは声を荒らげた。
「っなんでもない! 何でもないから放っておいてくれ!!」
自身を拒絶するユナに、イオはピタリと立ち止まる。
「何でもない、知らない! 知りたくない……っ!!
どうせみんなオレを裏切るくせに!!」
慟哭にも似た泣き声に、再びユナへと近寄るイオ。
蹲る彼のすぐ傍らに膝を付き、青年は黒髪の少年を見た。
「……ユナ。許してくれとは……言わない。
どうあれ、お前を傷つけたことは変えようのない事実だ」
イオはそのまま、愛弓をそっとユナの側に置いた。
その硬い響きに、ユナはゆるゆると顔を上げる。
不信感を隠そうともしない瞳へ、イオは笑いかけた。
「それでも、オレは……お前のためなら全てを捨てても構わない。
騎士団の副団長としての地位も、次期騎士団長という栄誉も。
信用できないというのなら……その弓で、オレを貫いてくれて構わない」
真っ直ぐなイオの声に、ユナは息を呑む。
「お前を守るためなら。お前の傍にいることができるのなら。
オレは、何もいらない」
「……なん、で」
震える声で、指先で、少年は弓を掴んだ。
冷たい金属の感触が、これが現実なのだと突きつけてくる。
「なんで、そんなこと……言うんだ。
なんで……オレなんかのために……」
弓を青年に向ける。ガタガタと手が揺れて、照準が定まらない。
……息が、できない。
「そんなもの、決まっている」
揺れるユナの手を、イオは掴んだ。
心臓に、弓を当てるように。
「――ッ!!」
怯えるユナが見たのは……月光に輝くような、イオの綺麗な笑みだった。
「ユナ。オレはお前を……愛している。
お前が何者でも構わない。“ユナイアル・エルリス”という存在を……心の底から、愛しているんだ」
「な――」
その言葉に、告白に、動揺したユナは弓を床に落とす。
金属音が、部屋に響いた。
「なん、で。そんなの、嘘だ。
オレは、だってオレは、忌み嫌われる存在で、オレは……っ!!」
「ユナ」
「っ知らない!! 知らない、知らない知らない知らないッ!!
好きってなに、愛ってなんだよ!? なんでそんな、急に言われてもわからないよ!!
どうしてそんなこと言うんだよ!! どうせ……どうせイオだって、裏切るくせにッ!!」
蔑まれ生きてきた少年の悲鳴に、イオは悲しげに眉を寄せる。
そして腕を伸ばし、その細い肩を抱き寄せた。
「ユナ」
「っ!!」
離れようともがく彼を、一層強く抱きしめることで捕まえる。
イオはそのまま、声を発した。
「……信じてもらえないのも、仕方がない。答えは今すぐじゃなくて構わない。
だが……愛がわからないなら、教えよう。そばにいて、教えるから」
暖かなぬくもり。ユナにとってそれは、欲しくて仕方がなくて……手に入らないと諦めていたものだった。
優しくて、いつになく甘やかなイオの声音に縋りつきたい。
(……本当は、イオやリーストのことを……信じたい)
だが……怖いのだ。裏切られたときに傷つくことが。
何よりも……“無意識”のことを知られたときが、怖いのだ。
(“無意識”のことを知ったら、イオはきっとオレを捕まえる。
……全部、何もかも捨てるなんて……そんなの、無理に決まってる)
でも、とユナは考える。
望んでいた他人の体温から、抜け出せずにいた。
(……イオに殺してもらえるなら……きっとそれは、しあわせなんだろう)
他の誰でもなく、自分を愛していると言った“イオルド・ライト”という存在に殺されるのならば……これ以上ないほどの、幸福だろう。
きっと……この想いの名前は……――
「……イオ」
「……ユナ?」
イオの肩に顔を埋めたユナは、落ち着いた声で彼を呼ぶ。
不思議そうなイオに少しだけ笑んで、その背に腕を回した。
「っユナ!?」
驚いたような彼の声。ああ、今日は色んな彼を知ることが出来た。
……死にゆく自分には、少しもったいないくらいの。
「……愛とかは、わからない。
……でも、イオのぬくもりは……嫌いじゃない」
今はそれが、精一杯の言葉だった。
嬉しそうに笑って抱き締め直してきたイオに、ユナの心はチクリと痛む。
(このぬくもりだけで、オレはじゅうぶんだ)
どうか――別れの日に、彼が笑顔でいてくれますように。
切なる願いを嘲笑うかのように……紅く染まった右目が、揺らめいた。
Act.09 Fin.
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