Act.08 二つの街
「――アズリアとヘルメス?」
休憩を終えて焚き火の後始末をしながら、次はどの街に行くのか……そんな話題が上がった。
そうしてリーストとイオが地図を見ながら告げた名前に、ユナとリサはきょとんと首を傾げたのだった。
「そう。王都に行くには川を越えなきゃ行けないんだけど……近くの橋の麓にある街が、ヘルメスで」
「越えた先にある街、すなわち王都に最も近い街の名前がアズリアという」
二人の説明に、ユナはなるほど、と頷いた。
「……その街を回避する道は……多分ないんだろうな」
「そうだねえ。橋を一つしか作らないことで騎士団が検問しやすくしたり、敵襲を防ぐ意味合いがあるから……」
なるべく街へ入ることを避けたいユナに、リーストは腕を組みながらそう答える。
「一応、川の源流がある山があるにはあるが……おすすめはしないな。
昔から霊峰と呼ばれている場所で、入った者は二度と帰ってこなかったとか」
続けてイオが再度口を開けば、ユナは「それは仕方ないな……」と肩を落とした。
「まあ、大丈夫よ! ……大人しくしていれば」
そんな彼を励ますように声をかけたリサと、困ったように笑うユナ。
「……大人しくしたいんだけどなあ」
歩き出したリーストとリサの背を見ながら、ぽつりと零れたユナの呟きに気づいたのは、すぐ隣にいたイオだけだった。
+++
「ようこそ、ヘルメスへ!」
「まあ、旅人さん? 何もない街だけれど、ゆっくりしていってね」
王都に程近い川沿いの街、ヘルメス。
豊富な水源があることで発展してきたこの街は、穏やかながらも旅人の拠点として活気に満ちている。
街に足を踏み入れた四人は、お疲れでしょう、とすぐに宿屋へと案内された。
「いらっしゃい、旅人さん」
迎え入れた宿の主人は、穏和な笑みを浮かべた初老の男性だった。
彼は騎士団の腕章をつけたイオを見て一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐさま元の笑顔で四人に部屋の鍵を渡してくれた。
……だが。
「……アンタたち、王都まで行くのかい?」
受け取った鍵を手に、部屋へ向かおうとした四人へかけられた言葉。
声の主である主人はじっと、彼らを見ていた。
「……そのつもりですが」
「悪いことは言わない、やめときな。
ああいや……王都が悪いわけじゃない。ただ、アズリアの街の連中がな……」
頷いたイオに、主人は言葉を濁しながら警告する。
それに首を傾げたのは、リーストだった。
「確かにアズリアは、自分たちの街を検問所のように思ってる節があるみたいだけど……どうして?」
「いやな……アンタたち、アレだろ。騎士団が追ってる“黒髪のエルフ”御一行様だろ?
淡黄色の服の青年と、緑髪の少年と、獣国のやんごとなき身分らしきお嬢さん。……騎士団の兄さんは、初めて見るが」
いや、騎士団の兄さんと一緒ということは捕まっちまったのか?
そうブツブツと呟く男性に、ユナたちは顔を見合わせる。
「……ええと。どうしてその話を?」
「何、商隊から通報を受けた騎士団が探してるってな、騎士様直々に触れ回ってたのさ。
うちはどんな旅人でも受け入れるが、アズリアはそうじゃない。
現に今も疑わしい奴らは街から出してもらえないか、
リーストの再度の問いに、主人はため息を付きながらそう答えた。
それに「ありがとう」と返し、リーストは暗い顔のユナと不安げなリサを連れて部屋へと向かう。
イオもまた主人に一礼をし、踵を返すが。
「兄さん、騎士団なんだろ? アズリアの連中の暴挙、なんとかしてくれないか?
旅人たちも商人もなかなか通れず、みんな困ってるんだ」
主人の縋るような声音に、イオは再び彼に向き合う。
「……そうですね。ともあれ、確認も兼ねて一度アズリアへ向かってみようと思います」
「それは……まあ。しかし大丈夫かい? お連れさんたち、酷い目に合うんじゃ……」
「ご忠告ありがとうございます。……しかし、大丈夫です。
いざという時の手は、ありますから」
心配そうな主人に、イオは薄く笑んでそう言い切った。
(……そう。もしもの時は、オレやあの方が身元を明かせば……ユナへ降りかかる火の粉は払えるだろう)
例えそれが、ユナに不信感を与えることになったとしても。
内心で独り言ち、騎士は薄紫のマントを翻して仲間の元へと向かったのだった。
+++
イオが部屋に入ると、ベッドに腰掛けて俯くユナと難しい顔のリースト、眉を下げながらも何かを考えているリサの姿が目に映った。
「……あ、イオくん。遅かったね」
「すまない、宿の主人と話していた。……アズリアの住民たちを何とかしてくれ、とな」
自身に気づいて声をかけてきたリーストに軽く返したイオは、どうかしたのかと問いかける。
するとリーストは「うーん」と腕を組んだ。
「アズリアの街のことなんだけど。気になるけど、わざわざユナくんに嫌な思いさせるわけにはいかないしって思って。
王都に向かうのはとりあえずの目的で、必ず行かなきゃいけないわけじゃないしさ」
「……なるほど、確かにな」
ユナの身を案じる彼に、イオはこくりと頷く。
彼らが王都を目的とするのは、あくまでも“王都に行けば、魔王に関する資料があるかもしれない”という理由だけである。
ユナの心身を危険に晒してまで行くほどのことではない、というのがリーストの判断であった。
「……なら、この先は別行動か。
オレは騎士団として、アズリアへ行って事実確認を行わねばならない」
「そっか……仕方ないね」
騎士団としてのイオの決断を、リーストは受け入れる。
そんな二人のやり取りを見て声をかけたのは、リサだった。
「それはわかるけれど……私たち、この先どこへ向かうの?」
「うーん、そうだね……。ここは大陸の西側だし、北の港にでも行ってみる?」
不安そうなリサに、明るくそう提案するリースト。
大陸の北には大きな港町があり、昼夜を問わず賑わう活気あふれた街である。
楽しそうね、と微笑んだリサを見て、リーストも笑って頷いた……けれど。
「……オレは、王都へ行く」
不意に聞こえた声に、三人は彼を見やる。
フードを外したことにより露わになった黒髪が、彼の表情を隠していた。
「ユナくん?」
「王都にって……でも、わざわざ嫌な目に遭う必要はないでしょ?」
訝しげなリーストと、心配そうなリサ。
それでも彼はゆるゆると首を振り、答えた。
「結局オレは、どの街へ行っても同じだし。
……それに、オレのことで他の人たちも困ってるんだ。だったら……当事者が行って騒ぎを鎮めた方が、手っ取り早いだろ?」
すっと顔をあげて言い放ったユナの瞳は、諦めた色が宿っていて。
リーストは「でも」と言いかけるが、言葉が続かずぐっと下唇を噛み締めた。
(そうだ。確かに混乱を鎮めるには、当事者が通過するのが一番だ。……わかって、いたけれど)
ユナ一人の為を思えば、アズリアへは行かないことが最善だと思っている。
けれど、リーストはその“ユナ一人だけ”を選ぶことができなかった。
(
その他大勢の人たちが困っている現状を、イオくん一人に押し付けることは……できない)
「……ユナ、本当に……本当に、いいの?」
「構わないよ。……でも、みんなに迷惑かけるわけにはいかないから……」
リサの言葉に、「一人で行く」と言いかけたユナを、ガタン、という音が遮った。
二人が音の方向を見れば、リーストが座っていた椅子から立ち上がっていた。
勢いよく立ったのか椅子が倒れており、イオがそれを直している。
「……わかった、ユナくん。だったら、一緒に行こう。
……僕たち、頑張って君のこと……守ってみせるから!」
「あはは……無理はするなよ」
有無を言わさないリーストの強い声音に、困った笑みを返すユナ。
「……なら、出発は明朝だな。リサ嬢、貴女もそれで?」
「ええ、構わないわ」
イオとリサもまた、リーストに同意するように頷き合う。
そんな仲間たちの様子に、ユナは気づかれないようため息を吐いたのだった。
+++
「結局、アズリアへ行くんだな」
翌朝、宿を出る一行に声をかけてきたのは、宿屋の主人だった。
彼は心配そうな瞳で、ユナたちを見ている。
「……当事者が行くのが一番だし。これ以上、無関係な人たちに迷惑はかけられません」
顔を隠すようにフードをぐっと引っ張り、ユナは答えた。
「そうか……。アズリアとヘルメスはな、昔は一つの街だった。
けれど、川を挟んでヘルメス側には庶民が、アズリア側……王都の近くには貴族が住んでいた。
そうした格差から生まれた差別が、今の現状を生んでしまった」
カウンターの奥に置いてある椅子に腰掛けながら、主人はとつとつと語る。
ため息と共に吐き出されたそれに、リーストは腕を組んだ。
「それは……確かにそうかもだけれど。
結局、現在に至るまでアズリア側の暴挙を許していたのも、格差を無くせなかったのも、王家なわけだ。
貴方たちが気に病むことじゃないよ」
「ははは。少年にはお見通しというわけか。
もうこの街の人間には、アズリアの暴走を止める気力もない……いや、連中に関わろうという意志もないんだ。
……俺も皆も、自分たちの生活が大事だからなあ」
元は一つの街だったのに、すまないね。
そう言って項垂れる主人に、「仕方ないですよ」と声をかけたのは、ユナだった。
「……みんな、自分のことが一番大事なんです。それは間違っていないし、ヒトとして当たり前だと思う。
だからオレみたいな異端を恐れるし、拒絶する。……仕方のないことです」
「……ユナ?」
目深に被ったフードのせいで、ユナの表情は見えない。
感情の宿らない音で放たれた諦念に、イオたちはそれぞれ不安そうに、あるいは訝しげに彼を見やる。
けれど彼はそんな仲間たちに目もくれず、くるりと踵を返して宿の扉を開け、外へと歩いていってしまった。
「ユナ、待って!」
慌ててその後を追いかけるリサ。
リーストとイオも我に返り、お互い彼を追いかけよう、と頷き合う、が。
「騎士団の兄さん。ちょいと頼まれてくれないかい」
「……なんでしょう?」
歩き出そうとした足を止め、イオは声をかけてきた主人に振り返る。
「引き止めてすまないね。
……もし王家の方々にお会いしたのなら……アズリアの件、報告と謝罪をしてもらえないか」
「報告はわかりますが、謝罪とは……?」
「……俺たちヘルメスの住民は、アズリアの件を見て見ぬ振りをしてきた。
その結果、たくさんの旅人たちや商隊に迷惑をかけた。
だから……お願いします」
深々と頭を下げた主人に、イオは顔を上げるよう促した。
「……ご安心ください、きちんと伝わっていますから」
「うん、大丈夫。ちゃんと……報告も謝罪も、受け取ったよ」
イオの言葉を引き継ぐようにそう言ったのは、リーストだった。
彼はにこりと笑んで、主人に告げた。
「アズリアの街の件は、何とかする。……僕の責任だからね。
行くよ、イオくん」
「
騎士を従えて宿を出ていった少年に、主人は呆然とする。
それからしばらくして、彼は「あ」と声を上げた。
「……確か、王家に連なる方々の髪と瞳の色は……――」
+++
リーストとイオは宿を出てすぐに橋の元へと向かった。
アズリアへ行くなら、ユナたちもそこにいるだろう……それが二人の結論だった。
案の定、ユナとリサは橋の前にいた。リーストたちが来たことに気づいたリサが、二人に手を振る。
「もう、二人とも遅いわ! ユナってば、一人で行こうとするし……」
「ごめんね、宿のご主人と話してて。
……ていうかユナくん、一緒に行こうって言ったじゃん!」
腰に手を当て頬を膨らませるリサに謝り、リーストはユナの裾を引っ張る。
当のユナはゆるく笑んで、「ごめん」と返しただけだった。
「……さて。それでは行くか」
イオの言葉に、三人は眼前の橋に向き直る。
レンガ造りのその橋は、一定の間隔で街灯が配置されており、夜でも安全に渡ることができるのだという。
そんな短くはない橋の先に見える街に、リーストは無意識に手を握りしめた。。
+++
「止まれ! 貴様ら……旅人か?」
あと少しで橋を渡り切る、という所で、一行は突然そう声をかけられた。
見れば、街の出入り口である門の下に、武装したアズリアの住民らしき男たちが立っていた。
武器を構え威嚇する彼は、後方にいたユナに気づき更に声を荒らげる。
「淡黄色の衣服……貴様がダークエルフか!?」
「ヘルメスの民め、騎士団のお触れは知っているだろうに!
ダークエルフを我らの街に送り込んでくるとは……!!」
思い思いに騒ぎ立てる男たちに、リーストはぐっと下唇を噛む。
すると、彼らの背後から新たな人影が現れた。
「――何の騒ぎだ?」
「りょ、領主様!」
男たちが“領主”と呼んだその人影は、気難しそうな長身の男だった。
苛立たしげに眉を寄せた彼もまた、ユナに気づき大きくため息を吐いた。
「卑しいダークエルフめ……わざわざこの街まで来たのは褒めてやろう。
だが、貴様には我が街と国のためにここで死んでもらう!」
すらりと腰の剣を抜き告げる領主。
武器を構え直し殺気立つ街の男たち。
ユナを庇うように彼の前に立ち塞がるリサと、弓を構えるイオ。
……諦めたように瞳を伏せる、ユナ。
――そして。
「――いい加減にしろ」
いつになく低い声音で言い放った……
「“卑しいダークエルフ”?
お前たちこそ自分たちを騎士団か何かと勘違いしているのか、この街を勝手に検問所のように扱い民間人に迷惑と損害を与えている卑しい存在だろう!」
「なんだ貴様……は……い、いや、貴方はまさか」
「……リースト……?」
雰囲気の変わったリーストに、戸惑いざわめく人々。
騒ぎを聞きつけたのか、他の住人たちも集まってきた。
彼はその民衆たちを一瞥し、隣にいたイオに指示を出す。
「イオルド・ライト副騎士団長。
領主……グリン・レゼ・アズリア伯爵を拘束せよ!」
「はっ」
命令を受けたイオは領主を後ろ手で拘束する。
「は、離せ!! 私は貴族だぞ!?」
「それはできません。大人しくした方が身の為ですよ、伯爵殿。
……陛下の御前ですから」
なおも抵抗する領主に、イオは淡々とそう返した。
そんな彼の言葉に、どよめきが大きくなる。
ユナは前に立つ緑髪の子供を……“記憶喪失の子供”だったはずの彼を、驚愕に満ちた眼差しで見つめた。
「……はあ。出来れば王都までは隠してたかったけど、仕方ないか」
緑髪の少年は、軽く息を吐き……そして吸い込んだ。
「……我が名はリーフェ!
高らかに名乗り上げる、少年王。
その清く誇り高き名に、声に、誰も言葉が紡げなかった。
(……嘘、だったのか? 記憶がないことも……オレの旅についていく、と言ってくれたことも……)
ただ一人、猜疑心に苛まれるユナを置き去りに。
『ほら、人間など信用してはいけないだろう?』
それは心の奥底から響く、暗く深い、闇の声――
Act.08 Fin.
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