Act.07 揺れる真実

 ――翌朝。

 目覚めたユナは、何も覚えていなかった。


「ごめん……なんか、話をしたのは覚えてるんだけど」


 困ったように頬を掻く彼に、イオはやれやれ、とため息をつく。


「仕方がないさ。随分と眠たそうだったからな、お前」


 呆れたようなイオに、ユナはもう一度「ごめん」と頭を下げた。


 ……昨夜現れた、“もうひとりのユナ”。

 この街……クレアリーフの元指導者夫妻を殺害したのは彼である、とイオは考えていた。

 当然、彼がそう自白したわけではなく、証拠もない。

 けれど、“ユナ”の異質な雰囲気やそれぞれの状況から、“そうである”と確信せざるを得なかった。


(まあ……ユナ本人がそれを覚えていないのなら、“ユナ”のことは黙っておくべきだろうな)


 不用意な発言で、彼の精神を刺激するのは危険だろう。

 政府軍や圧政者を殺害した、彼の二面性。それらが自分たち……リーストやリサに牙を向く、という可能性を考慮して……――


(……いいや。違うな)


 はあ、とため息をついたイオは、メモリアたちにお礼を言っているユナに目を向けた。

 騎士団は昨夜のうちに街から離れ、一行は今の内に、と出立を決めた。


(……オレはただ、ユナを……信じたいだけだ。別人格の方じゃない、“ユナイアル・エルリス”を……信じて、守りたいだけ)


 真っ直ぐで、真面目で、心優しい少年。

 傷ついて、それでもなお「大丈夫だ」と笑う彼。

 ……大切にしたいと思った。この手で守れるのなら、いくらでも彼のための剣となり盾となろうとすら、思えた。


「……イオくん」


 当たり障りのない挨拶をして、メモリアたちと別れ街を出た後、リーストがそっとイオの隣に来た。

 その視線は前を歩くユナとリサ……というより、ユナ一人に注がれている。


「……どうした」


「昨日の報告。お互い、何か得るものがあったでしょ?」


 真剣な横顔は、普段とは随分違っていて。

 しかしイオは気にすることなく、「ああ」と頷いた。


「じゃ、まずは僕から。

 昨日、メモリアくんたちと一緒に街をまわって色々話を聞いてみたけど……――」


 そこでリーストは一度言葉を切り、イオを見上げた。


「ユウナギ・ロストとミツキリチア・パルンシアを殺害したのは、ユナくんであるという可能性が……高くなった」


 前方の二人に聞こえないよう、小さな声で……それでいてはっきりと告げられた告白に、イオは「そうか」と相槌を打つ。


「……驚かないんだね」


「まあな。……それで、それには何か根拠が?」


 いくら怪しくても、根拠がなければ断言などしない。

 少なくとも、

 促すイオに、リーストは首を縦に振って続けた。


「当然。政府軍の生き残りはいなかったけど……当時、街の中で“黒髪のエルフ”を見た、という人がちらほらいてね。

 見知らぬ人だからよく覚えてる、その人は政府塔へ向かったようだ……という証言が出てきた。

 ……ユナくんと、よく似た顔をしていた、とも」


「……っその後に、ユウナギとミツキリチアが殺された、と」


「多分ね。それに、唯一の生き残りだった二人の娘さんが“黒髪のエルフ”を見た、と言っていたことを覚えている人も結構いた。

 娘さん本人に会えたら良かったんだけど……街を追放されて以降、足取りは不明らしいから、仕方ないね。

 ……と、まあ、とりあえずこんなものかな」


 そう締め括ったリーストは、両腕を上げ、大きく伸びをした。


「それで」


 そうして腕を伸ばしたまま、彼はイオに視線を寄越す。


「イオくんの方は、どうだったの?

 ……ユナくんと、話したんだよね?」


「……ああ」


 肯定したイオに、リーストは目線で続きを促した。

 イオは一瞬躊躇するが……結局、彼に全て報告することにした。


「――……もう一人の、ユナくん……か」


「ああ。本人の証言と、その他言動から……別人格である、と断言していいだろう」


 もう一人のユナ。冷たく、昏く、触れるもの全てを傷つけそうな……闇深き彼。

 それが恐らく、クレアリーフの人々が見たと言う“黒髪のエルフ”の正体だろう……とイオはリーストに説明をした。


「……なるほどね。そうだとすれば、辻褄は合う。

 ……もしかして、ユナくんの髪が黒いのは……その別人格の影響かな」


「さあな。そこまでは分からん。……ああそれと、ついでにもう一つ“報告”がある。

 ――エルフの里は知ってるか?」


 目立たないように、と敢えて獣道を歩く四人。朝の光による深緑の木漏れ日が、一行の道を照らしている。

 そんな景色を視界に入れながら、イオは数日前に見た惨劇を思い出していた。

 陽の光も消えた、深い森の中。血に塗れ倒れ伏す、エルフたち。

 鳥も、獣も、魔物でさえも息を潜め、或いは逃げ去った……そんな、異様な光景を。


「エルフの里? ……エルフ族が暮らす集落だよね。

 大陸の最東端、ロロクワ地区の森の中にあるとか言う」


 頭の中で地図を広げているのか、空を見ながら眉を寄せるリーストに、イオは頷く。


「ああ。先日、ロロクワの街に赴いた際……“いつも買い物に来るエルフが、ここ数日姿を見せない”と相談されてな。

 病気か何かかと様子を見に行ったら……」


 ふう、と息を吐いたイオに、リーストは嫌な予感がする、と険しい表情を浮かべた。


「……エルフたちは、全滅していた。何者かに切り裂かれたような、そんな傷を負ってな。

 皆、怯えたような……恐怖に塗れた表情で、事切れていた」


「――っ!」


 イオの報告に、リーストは息を呑む。

 それから彼は、確認するように恐る恐る尋ねた。


「……魔物、とかじゃないんだね?」


「ああ。紛れもなく剣による傷跡だった。一応、生き残りを探したが……一人残らず絶命していた。

 加えて、魔物や動物すら……その場にはいなかった」


「いない? ……おかしいな、血の臭いで寄ってくる魔物は多数いるはずだけど」


 ふむ、と指を口元にあて、考える仕草をするリースト。

 そんな彼を見て、さすがの知識量だ、とイオは内心で感心する。

 理解も早く、指示や報告も的確だ。


(……やれやれ。“記憶喪失”、か)


 どこの世界にこんな都合のいい“記憶喪失”があるのやら……と零しそうになった自分を戒めつつ、イオは彼に自身の憶測を語った。


「……あくまでも、オレの憶測だが……」


「……うん、続けて」


「恐らく、そのエルフの里を襲った“何者か”は……魔物ですら恐れるチカラがあったのではないのか、と」


 突拍子もない話だ。イオは密かに自嘲する。

 しかしリーストは、「なるほど」と呟いた。


「それほどのチカラ……可能性は一つしかないわけだけど。

 ……イオくん、自分が何を報告しているか……理解、してる?」


「……ああ」


 魔物すら避けるほどのチカラ。人々を惨殺するほどの残酷さ。

 イオは自身の口内が渇くのを感じながら、最後の報告をする。


「……それと……エルフの里には“ダークエルフ”も住んでいたと……先程のロロクワの住人が証言していた。

 ……黒髪の・・・エルフ・・・だと」


「っイオくん……!!」


 ガッとイオの腕を掴み、激昂するリースト。

 その思いの外強い力に眉を寄せるが、イオは冷静な態度を崩さず告げた。


「……わかっている。だから貴方・・に報告をしたんだ。

 エルフの里の件にユナが関わっているとは限らない。

 魔物が恐れるほどのチカラ……そんなものが、ユナにあるとは……思えない」


(……いや、思いたくないだけ、か。だが、別人格の方なら……あるいは……)


 胸の内に過ぎった疑惑に軽く息を吐き、イオは眼前の聡い少年を見やる。

 彼は何かを思索したあと、腕を掴む手を離した。


「……そうだね。仮に……ユナくんが“魔物が恐れるモノ”だったとして……それならユナくんの旅の目的に矛盾が生じる」


「ああ。だからこそ……里の件は、断言は出来ないがユナではない、と言う可能性が高い」


 ユナの旅の目的。“魔王を倒す”という、御伽話のような……壮大な、もの。


「……“魔物が恐れるモノ”……即ち【魔王・・】。

 むしろ、里を【魔王】に襲われたから……ユナくんは魔王退治なんて言っているのかも……?」


「さあな。そこは本人に聞いてみないと何とも分からないが……――」


 そう言って腕を組み考え込むイオだったが……不意に、二人を呼ぶ声が聞こえた。


「おーい、リースト、イオ。置いてくぞー!」


 それに二人がハッと道の先へと視線を向けると、呆れたような顔のユナとリサがいた。

 イオたちはいつの間にか立ち止まっていたようで、ユナたちとの距離が随分空いている。


「ごめんごめーん!」


 すっかりいつもの様子に戻ったリーストが、軽く笑いながら二人に駆けていく。

 すれ違いざま、イオに対して小さな声で「今の話、二人には秘密ね」と釘を刺すことを忘れずに。


(全く。難儀な人だな、彼は)


 はあ、と何度目か分からないため息を吐いて、イオもまた二人の元へ歩き出した。

 ……そんな一連の動きを、ユナがじっと見ていたことには気づかずに。



 +++



 ――その、少し前。

 ユナはイオとリーストが後方で真剣に話し合っていることに、気がついていた。

 小さな声で話す二人の会話は聞こえてこない。近くに寄れば、会話をやめてしまうであろうから、話に入ることもできない。

 ユナはそっと息を吐いて、クレアリーフを立ったときのことを思い出した。


 メモリアたちと一晩を共にしたあと、物資を補給しすぐに旅立ったユナたち。

 別れ際、メモリアはユナの耳元に声をかけた。


『オレも生きるから、お前も』


 すぐに離れてしまったその少年の温もりに、ユナは「うん」と微笑んだ。


 ……昨夜、イオと話している途中で唐突に意識が途切れた。

 気がつけば、部屋は朝日に包まれていて。

 イオは何食わぬ顔で「おはよう」と挨拶をしてきたし、ユナの記憶がないことを「寝てしまったからだ」と答えた。

 そうかな。そうなのかな。

 眠りについた覚えもなく、前後の記憶もあやふやだった。そういうときは必ずと言っていいほど、“身に覚えがない出来事”が起こる。

 故郷であるエルフの里の件、クレアリーフでメモリアに会ったときの件……。

 他にも、数え切れないほどにそういった出来事がある。

 だが、イオは何も語らなかった。

 ユナの知らない“ユナ”に会ったのか、それとも本当に……何事もなく、眠りについたのか。

 “わからない”という不安が、ユナの胸中を埋め尽くす。


「……ユナ、大丈夫? 随分顔色が悪いけれど……」


 けれど、ふと彼の手を取り心配そうにその顔を覗き込んだのは、隣を歩いていたリサだった。

 ユナはそのルビーのような瞳を見返し、大丈夫だよと微笑む。


「ちょっと夢見が悪かっただけだ」


「……そう……?」


 なおも不安げな彼女に「ありがとう」と声をかけると、大丈夫ならいい、と笑みを返してくれた。

 心優しい少女。強引なところもあるけれど、自分の手を引いてくれるその姿に、憧れにも似た感情を抱いていて。


(リサがいてくれて、良かった)


 獣道を軽い足取りで進む姫君に、ユナの中に穏やかな気持ちが広がる。

 木漏れ日が照らす、彼女の亜麻色の髪。

 ――一瞬、何故かそれが空色の髪に見えた。


『……姉さん・・・


 過ぎった言葉と認識した色に、ハッと我に返ったユナは困惑する。


(……え。なんだ、今の……?)


 すでにリサの髪色はきちんと普段どおりの色に見えていた。

 何よりも。


(……オレは……物心ついたときから一人で。家族なんて……姉なんて・・・・いないのに・・・・・


 知らない人。知らない自分。知らない……記憶。

 ユナはゾッとした自分自身を振り払うように、体をくるりと後ろに向けた。

 幸い、リーストとイオは随分離れた場所にいるようだ。

 大きく息を吸って、“知らないモノ”を吐き出すように彼は声を上げる。


「おーい、リースト、イオ。置いてくぞー!」


 呆れたような表情を作ってそう言えば、リーストが「ごめんごめーん!」と駆けてきた。

 ……その途中、イオに何かを囁きながら。


(……あの二人、そんな仲良かったっけ)


 まるで……のような……。

 近づいて来る二人に、ユナは何故か胸が締め付けられるような痛みを感じた。


(笑わなきゃ。「遅いぞ」って、笑わなきゃ。……ああ、でも、なんでかな)


 知らない自分。知らない記憶。

 二人を見て、モヤモヤとした気持ちを抱く……自分。

 積み重なっていくそれぞれが、ユナの心を追い詰めていく。

 助けて。助けて。


(そんなことを言う資格なんて、オレにはないけれど)


「――っ」


 無意識に唇を噛み締めた……その時だった。


「っユナくん、後ろ!!」


「っ!?」


 リーストの悲鳴に、反射的に振り向く。

 するとそこには、いつの間に近づいたのか巨狼の魔物がユナたちを狙っていた。

 ユナが自身に気づいたと認識したのか、リーストの声に反応したのか、巨狼は口を大きく開けてユナへと飛びかかる。


「くっ……!!」


「ユナ!!」


 体を捻り、それを躱すユナ。

 同時に、イオの魔法矢が巨狼を貫いた。


「――“聖光よ! 我が魂を以て彼の者を縛る鎖となれ! 『カテナディルーチェ』”!!」


「ナイス、リサちゃん! “花焼空刃かしょうくうは”!!」


 次いでリサが光の魔法で編んだ鎖で狼の動きを封じ、リーストの足技が炸裂する。

 バランスを崩し、大きな音を立てて倒れる巨狼。しかし闘志は未だ消えていないのか、鎖を引きちぎり立ち上がった。


「まだ立ち上がるか。でも……終わりだ!

 ――“断罪の刃、終わりなき世界を紅に!! 『エクスピアシオン・ブリュレ』”!!」


 高く吠える狼に、体勢を立て直したユナは炎の魔法剣を振りかざす。

 そうしてそれは見事に巨狼の魔物を斬り裂いた……のだが。


『――王よ……。目覚めを……』


「……えっ」


 巨狼の断末魔と共にユナの耳に届いたのは、そんな言葉だった。

 リーストたちとは違う声。ユナは眼前で消えゆく魔物に視線を向ける。

 ……その巨狼は、赤い瞳で、じっとユナを見つめていた。空に還る……最期の瞬間まで。


(今のは……魔物の、声? でも、そんなことって……)


「ユナ! 大丈夫!?」


 駆け寄ったリサの声に、ユナはハッと我に返る。

 見れば、仲間たちが心配そうな顔で自身を見ていた。


「どうしたの、ユナくん?」


「どこか怪我でも……」


「だっ大丈夫! ただちょっとぼーっとしてただけだ」


 不安げなリーストと訝しげなイオに、ユナは慌てて手と首を振る。

 いつもどおり笑うユナに安心したのか、リーストは「ならいいんだけど」とイオやリサと何か話をし始めた。


(さっきの声……分からないけど、多分みんなには黙っていた方が良さそうだ。……これ以上、心配と迷惑をかけたくないし)


 仲間たちの輪から離れ、ぎゅっと胸元を掴むユナ。

 知らない自分、知らない“声”。自身に降りかかる不可解な出来事の数々に、ユナは叫び出したくなる。


「――ユナくん。ユナくんってば!!」


「っ! え、あ……何だ?」


 不意に聞こえた自分の呼び名に、驚いて顔を上げると、頬を膨らませたリーストの顔が目に入った。

 

「何だ? じゃないよ! さっきから呼んでたのに。

 ……ほんと、大丈夫?」


「ご、ごめんって。大丈夫だよ」


 怒っているかと思えばすぐに心配げな顔になる、そんなくるくると変わるリーストの表情が面白く、ユナは謝罪と共に笑ってしまう。

 そして笑い事じゃないんだけど、とまた頬を膨らませる彼に、話をそらすように「それで、何だっけ?」と続きを促した。


「……ちょっと休憩しよっか、って話!

 ユナくん、調子悪そうだし」


「……ぼーっとしてたのは悪かったけど、別段問題はないぞ?」


 むう、と眉を寄せたまま、リーストが説明する。

 それに困ったように笑うユナの頭を、イオが小突いた。


「問題はない、と言うが。先程の魔物の気配に気づけなかったのはどこの誰だ?」


 お前らしくない、そう言うや否や、彼はいつの間に用意したのか焚き火の前にユナを座らせる。


「ちょ、イオ……!?」


「いいから休め。休息も旅には必要だ」


 その隣に腰掛けたイオに、ユナは抗議するが聞く耳を持ってもらえず。

 更にはリーストとリサも焚き火を囲むようにそれぞれ座り始めたので、ユナはため息を吐いて抵抗を諦めた。

 パチパチと爆ぜる火を見つめるユナ。

 その表情を見たリサが、彼に声をかけた。


「ユナ……無理はしないでね。何だかあなた、思い詰めた顔をしているわ」


「そう……かな? うん、気をつけるよ」


 頷いたユナの微笑みが弱々しいことに、彼以外の三人は気がつくが……口には出せず。

 彼らはそれぞれ顔を見合わせて、軽く息を吐いたのだった。




 Act.07 Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る