Act.05 都市国家クレアリーフ

 ――都市国家クレアリーフ。

 半年前、政府の暴走により長く閉ざされていた門が開き、虐げられていた人々が笑顔を取り戻した都市。

 そこへ足を踏み入れたユナたちは、その賑やかな光景に目を瞠った。


「……すごいね。活気を取り戻したとは聞いてたけど……」


「ああ。政府によって荒らされた街も、随分と復興しているようだ」


 リーストとイオが驚いたように呟く。

 現在四人がいる大通りには、左右に露店や屋台が建ち並び、旅人や観光客を楽しませていた。


「……ともかく、まずは誰かに話を聞いてみようか?」


「そうね……。誰か、知ってる人がいればいいのだけれど」


 ユナの提案に、リサは頬に手を当てながら頷く。

 そうして通りがかった妙齢の女性に、彼女は声をかけた。


「お忙しいところ、すみません。お尋ねしたいことがありまして……」


「あらまあ。お嬢さん、旅の方? どうされたの?」


 女性はニコニコと人当たりのいい笑顔を浮かべて、リサに首を傾げる。

 リサはもう一度頭を下げて、本題を口にした。


「この街に、獣国……ビーストウェア国の皇族が嫁いだ、という話をご存知ですか?

 その、もう十年以上前の話なのですけれど……」


 しかし、笑顔だった女性はリサの話に途端にその表情を無くしてしまう。

 女性の変化に気づいたリサは、それでもなお言葉を紡ごうとした。けれど。


「お嬢さん……その耳、獣国の方ね? ……その、大変申し訳無いのだけれど……私にはとても……」


「っなんでもいいんです! 彼女の……ミツキリチア・パルンシアのこと、教えてください……!!」


 緩やかに拒絶を示す女性。だが、懇願するようなリサの声に、他の住民たちも何事かと彼女たちへと視線を向けた。


「ミツキリチア……? もしかして、あの……」


「ということは、あの女の子獣国の? どうしましょう……」


 ざわざわと広がる話し声に、さすがの彼女もたじろいでしまう。


「あ、あの……」


「お騒がせして申し訳ない」


 だが、狼狽える自身を助けるかのような声に、リサはハッと振り返った。

 見れば、イオが一歩前に出て住民たちに一礼をしていた。


「私は王国騎士団所属の者です。獣国の皇族がこの地に嫁いで以降、音信不通であると報告を受け調査に参りました。

 ……お察しの通り、彼女は獣国のやんごとなき身分の女性です。

 どうか、事情をお話していただけないでしょうか」


 イオが騎士団の紋が入った腕章を見せながらそう説明すると、住民たちは戸惑ったように目を合わせる。

 しばらくひそひそとした声で彼らは何事かを話していたが……不意に、よく通る男の声が通りに響いた。


「なんだよ、騒がしいな」


「――ハリア!」


 住民の一人が、その男に気づいて名を呼ぶ。

 イオたちがそちらへ視線を向けると、不機嫌そうに眉を潜めた金髪の男が、彼らを睨んでいた。



 +++


(――……あれ?)


 唐突に、ユナははた、と我に返った。

 辺りを見回せば、仲間たちもそれを取り囲むように集まった住民たちもいない。

 どうやら一人喧騒から抜け出してしまったようだ。


(……でも、いつの間に?)


 先ほどまで歩いていた、という感覚は体に残っている。自分でも気づかぬ内に、無意識に。

 背筋に冷たいものが走る。思わずユナは自身の手を見つめた。


(……っ大丈夫。汚れてない、大丈夫……)


 ぎゅっと手を握りしめ、瞳を閉じて深呼吸をする。

 そうして過去の残像を振り払うかのように頭を左右に振った後、彼は目を開いて再度辺りを見た。

 街を象徴する古びた建物はすでに後方にあり、眼前には大きな木が一本そびえ立つだけの丘へと続く道があるだけだった。


(……仕方ない。せっかくだし、あの丘へ行ってみるか)


 自身の身に覚えのない不可解な行動に不安を覚えるも、気にしないようにユナは歩き出す。

 緩やかな坂道を登ると、街を一望できる件の丘へと到着した。

 登ってきた右手の坂下には墓地があり、その奥に崩壊した塔が見える。


(……あれが、政府塔……かな?)


 事前にリーストたちから聞いた情報を思い出す。

 確か、この街の住民たちを虐げていた政府軍の拠点で、今は廃墟となっている場所だ。

 ……だが。


(……おかしいな、この街に来たことはないはずなのに。……あの塔、見たことがある……)


 フラッシュバックする光景。内部の風景。

 命乞いをするかのように手を伸ばす、血塗れの男の姿……――


「――ッ!!」


 迫り上げてくる吐き気に、ユナは思わずしゃがみ込み、両の手で口を塞ぐ。


(……っ知らない、知らない知らない知らない!! あんな光景も……森のこと・・・・も……オレは知らない……ッ!!)


 途切れる記憶。無意識の行動。血に濡れていた、手。

 “知らない”と言い切るにはあまりにも残酷な“証拠”が、ユナの心を責める。


(……リーストたちに知られたら……嫌われるかな。最悪、殺されるのかな……?)


 リーストやリサはともかく、イオは騎士団員だ。

 無意識の行動で人を殺めてしまう・・・・・・・・かもしれない、ということが白日の下に晒されてしまえば……彼らとて、こんな黒髪のエルフのことなど庇えないだろう。


(……でも、それでもいいか。誰からも望まれない命なら、いっそ……――)


「――……おい」


 ユナの胸中に絶望が走った……その時だった。

 感情の消えたような声が、彼に降り注いだのは。


「……え……?」


「……具合が悪いのか? そもそもお前は誰……だ……」


 ゆるゆると顔を上げたユナが見たのは、右目を包帯で覆った長い銀髪の少年だった。

 彼は青い左目を大きく見開いて、ユナの姿に驚いているようだ。

 ユナは首を傾げながら、ゆっくりと立ち上がった。


「……いや、大丈夫……だ。……それより、オレに何か……」


 付いているか、と尋ねようとした彼だったが、肩にさらりと流れた黒髪に気づいてハッとする。

 いつの間にか、フードが取れていたようだ。

 さあ、と血の気が引く思いで後退るユナとは裏腹に、けれど少年は「すまない」と首を振った。


「……少し、知り合い……に似ていたものだから」


「……そう、か。……その……えっと」


 苦々しく顔を歪める少年に、ユナは耳を手で覆いながら言葉を探す。

 けれど、少年はそんな彼に気づいたようで、「その耳と髪……」と声をかけた。


「……ダークエルフか、お前」


「ちがっ……うんだけど、オレもよく……わからなくて」


 記憶にない、不可解な行動。“自分が何者であるか”が分からず、ユナは俯いてしまう。


「……まあ、何でも構わない。……この街は、オレたちは、ダークエルフだろうが何だろうが受け入れる」


「……え?」


「……オレたちの家族の一人も、ダークエルフだった。死んで、しまったけれど」


 痛みに耐えるようにぎゅっと手を握りしめた少年。

 その姿に、ユナはぽつりと呟いた。


「……大切、だったんだな」


「ああ。……どんな姿になっても、ヒュライは……あいつは、オレたちの家族だった。

 ……結局、最後の最期まで……その心を、救ってやることは……できなかったけれど」


 そよぐ風に銀髪を揺らす少年は、そう言って空を見上げる。

 その横顔から視線を外し、ユナは胸元を握り締めた。


(大切な、家族。……そんなものが、オレにも……いたなら……)


 ユナには家族がいない。気がついたときには、天涯孤独の身だったのだ。

 髪色のせいで同族からも疎まれ、そして――


「……大丈夫か?」


「っえ、あ……ああ」


 不意に少年に顔を覗き込まれ、ユナは思考の渦から脱する。

 ふと自身を見つめる無感情ぎみな彼の瞳に、深い悲しみと絶望が宿っていることに気づいた。

 だからだろうか。どこか自分と似ている、と思ったユナは、ぽつりと囁くように問いかけていた。


「お前は……もしも、自分が……――」


 あるいはそれは、懺悔の言葉だったのかもしれない。


「自分が、知らない内に、人を殺めていたら……どうする……――?」



 +++



「獣国の皇族……ミツキリチア・パルンシア、か」


 青年……ハリアレス・ライトニングは、その無骨な指を顎に当て、呟いた。

 ユナがいないことに気づきはしたものの、リーストたちは現れたハリアに「通行の邪魔だから」と彼の家へと連れて来られた。

 増改築を繰り返したようなその家屋では、ハリアよりも年下の少年少女が共同生活を送っているという。

 そんな簡単な説明を受けてから、通された広間で三人は“ミツキリチア・パルンシア”について問うた。


「名前こそ初耳だが……この街に嫁いだ獣国の要人ってなると、アレか」


「っご存知、ですか……!?」


「まあ面識はねえがな。……アンタ、真実を知る覚悟はあるか?」


 思わず前のめりになり反応したリサに、ハリアはぶっきらぼうに答える。

 獣国の少女は一度深呼吸をし、それから音もなく頷いた。


「そうか。……まあ、結論から言うと……ミツキリチアはもうこの世にいない」


「……そう、ですか……」

 

 青年によりもたらされた身内の死という事実に、覚悟はしていたもののリサはその特徴的な猫耳をしゅん、と下げる。

 すると、それまで黙って事の成り行きを見守っていたリーストが、口を開いた。


「……結局、ミツキリチアさんは誰の元に嫁いだの? お子さんとかいないの?」


 そうは言いつつも、リーストは理解していた。

 他国の姫君、それも王妃の妹が嫁ぐ先。それほどまでに地位と権力を持った、クレアリーフの住民とは……即ち。


「……嫁いだ先は、最高指導者だったユウナギ・ロストだ。

 アイツは圧政の末……政府塔への侵入者によって討伐された。その時に、ミツキリチアも殺されたそうだ。

 子どもはいたが……父親が住民たちから恨みを買いまくってたからな。この街で暮らすのは無理だろうとオレの判断で街の外へと逃した」


「そんな……」


 唯一の生き残りであろうミツキリチアの子ですらこの街にいないと知り、リサは今度こそ落胆する。

 そんな彼女を慰めるリーストを横目に、イオはハリアへと問いかけた。


「その“侵入者”ってのは、レジスタンスとやらか?」


「いや。少なくともオレたちは関与していないし、他のレジスタンスの連中でもないらしい。

 生き残ったユウナギの子……確かナヅキとかいう娘だったか。そいつが言うには、“黒い髪のエルフ”だったとか」


 ハリアの言葉に、イオたちは彼らがレジスタンスであったことを知る。けれど、それ以上に。


「……黒い髪の・・・・……エルフ・・・……!?」


 その“侵入者”の特徴は、三人に衝撃を与えたのだった。



 +++



「知らない内に……人を……?」


 驚いたように目を見開いた少年に、ユナはしまった、と内心で独り言ちた。

 名も知らぬ彼に自身を重ね、つい口から零れてしまったのだ。


「あ……ごめん、何でもない。忘れて……」


 慌てて撤回し、冷や汗をかきながらも踵を返すユナ。

 しかし。


「……待て。……その状況……オレにも、覚えがある」


 立ち去ろうとするユナの手を掴み、少年は震える声で囁いた。


「え……!?」


「……家族を、大切な人を、この手で殺した。知らない内に……ではないが……少なくとも、オレの意思ではなかった。

 大切な人を殺した時は……気がつけば……そう、なって、いて」


 驚くユナに、彼は俯きながらもそう語る。

 空を映したような青い瞳から、涙を流しながら。


「っ殺したくなんて、なかった……! みんなに、生きてほしかった……!

 みんなを、アイツを殺したオレなんて……生きている資格なんかないって……死にたくても、でも、他の家族がそれを許してくれなくて……っ!」


 ユナの手を握りしめたまま、崩れ落ちる少年。

 その身に抱えた激情に、ユナはそっと寄り添った。


「……そう、だよな。辛い……よな、やっぱり。

 ……オレ、怖いんだ。いつか……今一緒にいてくれるみんなを、殺してしまうのかもしれないと……思って……」


 彼の懸念は、そこだった。いつか、自分の無意識がリーストたちに牙を向くかもしれない。

 それがユナには何よりも恐ろしかった。


「……お前はさ、その家族の人たちから愛されてるんだよ。生命を大切に思われてる。

 死なないでほしいって、願われてるんだな」


 そっとその細い肩を掴み、少年の顔を見るユナ。

 涙で歪んだ青目に、羨ましい、と言葉を漏らした。


「っお前にも……仲間が、いるんだろう? だったら、お前も……」


「みんなは、オレの“無意識”のことを知らないから。

 ……きっと、知ったら嫌われる。……殺されるかも、しれない。

 でも……みんなを殺してしまうより……そっちの方が、ずっといいかなって」


 涙を拭いながら自身を諭す少年に、ユナは諦めたように力なく笑う。

 少年はしばらくユナの顔をじっと見つめていたが、やがて静かに頷いた。


「……そう、だな。そうかも、しれない。……けど……」


 彼は一度言葉を切り、ユナの手を再び取って自身の額に当てる。

 祈るようなその仕草に、ユナはひゅっと息を呑んだ。


「でも……死んでほしい、とも願われていないはずだ。オレも……お前も。

 誰かが死ぬのは……辛い、ことだから」


「願われて……ない……。……でも、オレは……」


 ユナの脳裏を過るのは、髪色のせいで虐げられていた日々。

 リーストたちと出逢ってからもそれは変わることはなくて。

 再度心に滲む絶望に、押し潰されそうになる。

 少年はゆっくりと瞳を開いて、ユナを見た。


「絶望に、負けてはいけない。オレも……生きるから。

 だから、お前も」


 “無意識”により、人を殺めた彼と自分。

 ユナの黒い目に、少年の青が映る。

 罪は消えず、心の傷も癒えないけれど……それでも。


「生命を、諦めるな。絶対に。……殺めてしまった人たちのためにも」


 小さな丘での、二人だけの約束。

 ユナの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。


(こんなオレの生命でも……そう言ってくれる人が、いるんだ)


 髪色と耳を知っても、“無意識”による罪を知っても。

 ユナは、繋いだままだった少年の手をそっと握り返す。


「……お前、名前は?」


「……メモリア。メモリア・クロイツだ」


 ここまで吐露しておいて、お互い名前も知らなかったな、と思い尋ねてみれば、彼はあっさりと名を名乗ってくれた。

 あるいは、名を知らぬ他人だからこそ吐き出せたのかもしれないが。

 ユナは幾分か軽くなった心を感じながら、ふわりと笑んだ。


「そっか。オレはユナ。ユナイアル・エルリス。

 ……話を聞いてくれてありがとう、メモリア」


 どこか落ち着いた、二人の雰囲気。

 ユナの謝意にメモリアが頷いた……その時。


「あっユナくーん!」


 気が抜けるような、それでいて明るい少年の声が、丘まで届いた。

 ユナが坂の下に視線を向けると、共同墓地にリーストとリサ、イオ……そして見知らぬ男性がいた。


「もう、ユナってば! 突然いなくならないでよ!」


「あはは……その、ごめん」


 慌ててフードを被ってから坂を降りたユナに、リサが手を腰に当てて頬を膨らませる。

 そんな彼女をまあまあと宥めて、リーストはユナに状況を説明した。


「僕たち、リサちゃんの家族……ミツキリチアさんの話聞いて。

 それで、ここに埋葬されてるって聞いたから……案内してもらったんだ」


「そうだったんだな」


 彼の説明に、ユナは案内人であったらしい金髪の青年を見やる。

 青年はユナの後から降りてきたメモリアと面識があるらしく、二人で何か話していた。


(……アイツが、メモリアの“家族”……かな? 生を、願ってくれる……)


『――そして死を、後を追うことを許してくれない、家族』


 ……唐突に過った言葉に、“無意識”に、ユナはビクリと体を震わす。


「ユナくん?」


 近くにいたリーストが心配そうに顔を覗き込んでくるが、「何でもない」と笑い返した。


(……メモリアは、ああ言ってくれたけど。でも、やっぱり……)


 根付いた自身への絶望も、“無意識”への恐怖も消えない。

 きっといつか“それ”は、リーストたちへ牙を向けるのだろう。



 見上げた空は、少しずつ色を変えていっていた。




 Act.05 Fin.

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