Act.04 目指す場所は

 ぱちぱち、と火の爆ぜる音が、闇の中に響く。

 見張り役を買って出たユナは、それをぼんやりと見ていた。


 リーストと出逢ってから、彼にとってたくさんの出来事が起こった。

 黒い髪と耳のせいで“闇に堕ちた者ダークエルフ”と呼ばれ、忌み嫌われるだけだった自分を、リーストもリサも受け入れてくれたのだ。

 それはとても衝撃的で……嬉しくて、奇跡のようだった。


(だから……二人のことは、大切にしたい。

 例えいつか離れてしまっても……今この瞬間は、幸せだったと思えるように)


 暗闇を歩くようだった自分に齎された、希望の光。

 二人の優しさは、ぬくもりは、儚い夢のようで。眠って目を覚ませば消えて無くなりそうな、そんな怖さもあった。


(……でも、もしそうだとしても……それはそれで、“日常”に戻るだけだ)


 それでも構わない。いつか二人が自分のことを見限ってしまっても……この一瞬の思い出だけで、自分は生きていけるから。

 ゆらゆらと揺らめく炎を映す灰色の瞳を伏せて、彼は独り言ちる。


「――オレには、もったいないくらいだ」


 二人の優しさも、ぬくもりすらも。

 そんな青年の仄暗い想いは、夜闇に溶けていった。


 +++


 ――その男は、馬を走らせていた。

 立ち寄った街や村で聞いた、“黒い髪のエルフ”の話。件のエルフが“ダークエルフ”なのだとしたら、エルフの里の出来事に関係があるのかもしれない。

 男が騎士団の人間であるからか、人々は快く彼に情報を渡した。

 どうやら男が“街や村に被害を齎すダークエルフ”を討伐してくれる、と思っているらしい。


(討伐するかどうかは……実際に逢ってみないとな)


 怖がる女子供の手前、「善処します」とは言ったが。

 彼はそう独り言ちて、手に入れた情報を脳内で整理する。


 黒髪のエルフは、淡黄色の衣服を身にまとう年若い男であること。

 アルメリア村での情報によると、緑髪の背の低い少年も一緒にいたという。

 二人は王都へ続く街道に“逃げた”らしい。

 やれやれ、と男は頭を振る。茶色の毛先が、それに合わせて揺れた。


 ――ふと、男は脇道を見やった。

 森の中へと続く獣道。馬を休憩させている最中に見つけたそれは、何者かによって踏み荒らされているようだった。

 魔物のものではない……人間と思わしき足跡。

 彼は馬に近くの街へ向かうよう指示し、その後ろ姿を見送る。騎士団の紋章が入った鞍を着けているので、騎士団員だけでなく、街の者か通りがかった商隊が見ても軍馬だとわかるだろう。

 さて、と男は獣道へと向き直った。

 薄暗い森へ入るために、ランタンに炎の魔法を灯す。魔物が寄ってくる可能性もあるが、迷うよりはマシだ。

 男は表情を変えることもなく、その道へと足を踏み出した。



 +++



 がさり、と土草を踏む音に、ユナは俯いていた顔を上げる。

 フードに覆われているとはいえ、長い耳がその聴力を失うことはなく、音の主が魔物ではない……つまりヒトであると聞き分けることが出来た。

 けれど、魔物であれヒトであれ、今のユナたちにとってはどちらも危険だった。

 彼は咄嗟に傍らに置いていた剣を取り、警戒態勢に入る。

 寝入る二人を起こさないよう、息を潜めて。

 やがて、ゆらり、と炎の灯りが現れた。自分のことを噂に聞き、討伐・・しに来た者か、通りすがりの者か。

 緊張するユナとは裏腹に、その者はあっさりと姿を現した。


「――ッ!!」


 ユナは瞬時にその者に近づき――手に持っていたランタンを、切り捨てる。そうして流れるように剣先を彼、あるいは彼女の首へと近づけた。

 からん、と音を立てて落ちるランタンと、消えるそのあかり。二人を照らすのは、小さくなった焚き火のみ。


「――お見事」


 ふと、侵入者が声を上げる。ユナよりも年上の、落ち着いた男の声だった。

 一瞬の出来事に動じる様子もないその男に、ユナは剣を持つ手に力を込める。


「……何者だ」


「何、通りすがりの騎士団員だ。ある“噂”を調査していてな」


 ひとまず剣を下ろしてくれないか。

 そう言って降参したように両手を上げる男に、ため息を吐いて武器を下ろすユナ。だが、瞳は彼をじっと見つめたままだ。


「……噂、とは?」


「“黒い髪のエルフ”、というのを探している。街に魔物をけしかけたとか、そう言った噂を耳にしたものだからな」


 やはりか、とユナは内心で独り言ちる。

 男のアメジストの瞳が、フードから覗くユナの髪色を見てすっと細まった。


「……“黒い髪”、“淡黄色の衣服”、“同伴する緑髪の少年”。

 街道から外れたこの道に、何者かが踏み入った形跡があったからもしやと思ったが……」


「っ!!」


 はらり、と、なんでもないような手付きで、彼はユナのフードを取った。

 あまりにも自然に行われたそれに、ユナは拒絶することもできず、ただ灰色の瞳を大きく見開くのみ。


「――きれいな黒髪だな」


「な……」


 現れた耳について触れることもなく、彼はただそう呟いた。

 その言動に呆気にとられるユナだったが……少年の声が、二人の静寂を切り裂いた。


「ユナくんから離れて!」


 その声にハッと我に返ったユナは、素早く男から離れる。

 彼が後方をちらりと見やると、寝ていたはずの声の主……リーストと、その隣にいるリサが、戦闘態勢に入っていた。


「寝込みを襲うとはいい度胸ね!」


「いや、オレは寝てないし襲いかかったのはオレの方なんだけどな」


 怒ったように頬を膨らます獣国の姫に、ユナが真顔でツッコミを入れる。

 それにため息を吐いて、リーストは男に問いかけた。


「どこの誰かは知らないけど、ユナくんをどうする気?」


「――……心外だな。まだ何かをするつもりはないさ。

 強いて言うなら……その“黒髪のエルフ”に対する“噂”の真偽を確かめたい、か」


 二人を見て驚いたような表情をしていた男だが、リーストの言葉にゆるゆると首を振る。

 そうして彼はそのまま、右手を胸元に当てて優雅に一礼をした。


「自己紹介が遅くなって、申し訳ない。

 オレはイオルド・ライト。ロマネスク王国騎士団所属の魔術師だ」


「……僕はリースト。彼はユナくんで、彼女はリサちゃんだよ」


 警戒心を隠すことなく、詳細な身分を明かさず、リーストは簡潔に自己紹介をする。

 男……イオルドはそれを気にすることもなく、そうか、と頷いた。


「……その耳と髪色を見る限り、やはり……ユナだったか、お前が件のエルフで間違いないな?」


「……そうだ」


 肯定したユナを庇うように、リーストが彼の前に出る。


「言っとくけど、ユナくんはダークエルフなんかじゃないからね!」


「だが、その髪色は? 普通のエルフならば淡い髪色をしているものでは?」


「……生まれつき、この色だった。それだけだ」


 イオルドの問いかけに、ユナは冷静に答えた。

 この手の問答に慣れているらしい彼を見て、そういえば、と声を上げた者がいた。


「ユナってば、本当にエルフだったのね!」


 は? と男性陣が視線を向けた先にいたのは、手を胸元で合わせて目を輝かせる少女……リサだった。

 そういえばリサちゃんに耳を見せたことなかったね……と脱力するリーストを筆頭に、ユナとイオルドも何とも言えない顔でため息を吐く。


「……あら? 私、何かおかしなことを言ったかしら……?」


「……いや、まあ。……ともかく、オレは本当にエルフだし、この髪色は生まれつきだ。

 けど、魔物がどうこうとかそういうのは身に覚えがないし、お前ら人間が勝手に言ってる話だ」


 一瞬にして微妙な空気になってしまった一同に首を傾げたリサ。

 けれど、気を取り直したようにそう言ったユナに、彼女は「そうね」と頷いた。


「仮にユナがダークエルフだとしても、別に言われるような凶暴性なんてないわよ?

 むしろ、私のことを助けてくれたもの。普通のエルフ、だと私は思うけれど」


 出会ってまだ一日も経っていないけれど、と説明をする少女に、イオルドはなるほど、と首を縦に振る。


「嘘は言っていないようだな。だが……」


「じゃあ、えーと……イオくんだっけ? 君もついてくる?」


 ユナとリサの言葉に、それでも半信半疑といった様子のイオルド。

 そんな彼を見て、リーストが唐突にそう提案した。


「……ついていく、とは?」


「僕たち、訳アリで王都を目指してるんだけどさ。君がユナくんのことを信用できないなら、着いてきて監視すればいいじゃん!

 騎士団員が一緒なら、街に入ってトラブルが起きてもなんとかなりそうだし、僕たちとしてもメリットあると思うけどなー?」


 前半はイオルドへ、後半はユナたちへ向けて告げながら、リーストは名案、とばかりに笑う。


「……えっと。オレは別に構わないけど」


「うーん。まあ、それでユナへの疑いが晴れるなら……そうね。

 お願いできるかしら、騎士様?」


 困ったようなユナと、のほほんと笑うリサ。イオルドはしばらくして、はあ、と再度ため息を吐いた。


「……そうだな。確かにそれが良さそうだ」


 どこか抜けているというか、放っておけない雰囲気のエルフと、マイペースな少女。

 色んな意味で、とイオルドが呟いたのを聞いたのは、近くにいたリーストだけだった。


 +++


 ――翌朝。

 四人は獣道の先を見つめて、これからの行き先を話していた。


「王都に行く、と言うのは聞いたが、街に寄らずに目指すには物資的にも体力や気力的にも無理があるだろう」


「だよね。とりあえず、近場の街に入れたらいいんだけど……」


 顔を見合わせて悩む男二人に、リサがパチリと手を合わせる。


「こういうのはどうかしら?

 イオルド……イオ、でいい? 貴方はユナを王都へ護送する任務の途中。私とリーストは重要参考人として貴方たちに着いて行っている、という設定よ」


「……まあ、あながち間違いじゃないしな」


 リサの提案に、ユナが賛成の意を示すと、リーストも「ユナくんがいいなら」と同意した。


「……それが妥当か。もちろん、極力お前の髪と耳は隠すぞ。

 面倒事は避けるべきだし……民間人に不安な思いをさせるべきではないからな」


「わかってるよ、気をつける」


 イオルド……イオの言葉に肩を竦めたユナは、そのまま歩き出す。

 彼の後を追うリサの背を見ながら、リーストは隣に立つ長身の男を見上げた。


「素直じゃないよね、イオくんは。

 ……気に入ったんでしょ、ユナくんのこと。なんか彼、放っておけないもんね」


 一目惚れってやつ? と、からかうように笑うリーストに、イオは深く息を吐く。


「……否定はしない。

 あいつが本当に無害なのかを知りたいのは事実だが……無害なのに酷い仕打ちを受けているのなら、守ってやりたい。

 あんなに綺麗な髪なのに、隠すなんてもったいないからな」


 そう言い放って、イオもまた歩き始めた。


(ふーん……なるほどね)


 彼の答えに、リーストは嬉しそうに微笑む。


(意外と言えば意外だけど……イオくんなら、ユナくんの心を開けるのかも)


 もちろん、自身も心を開いてもらえるよう努力はするが。

 少年は仲間たちの後を追いかける。

 きっと、黒い髪のエルフの未来が明るいものだと信じて――



 +++



「――都市国家クレアリーフ?」


 道中、近くの街はどこか、という話になり、地図を広げたユナにイオが指し示したのは、都市国家クレアリーフという街だった。

 首を傾げたエルフに、仲間たちが説明をする。


「そう。その都市国家は、ロマネスク国から独立した小さな国なんだけど……。

 四代目いまの最高指導者が、大陸の支配を目論んでたとかなんとかで、街の門を長らく閉ざしてて。

 住民の出入りも、旅人や商隊の出入りも厳しく監視してたんだけど……半年ほど前、突然門が開いたらしいんだよね」


「ああ。何でも、住民に不自由を強いていたその最高指導者がレジスタンスの手でついに討伐されたとか。

 開門後の調査に行った騎士団員が、そう報告していた」


 リーストとイオの説明に、ユナは「つまり」と腕を組んだ。


「今は入れるんだよな?」


「うん。街が平和になったとか、そんな話を聞いたことあるよ」


 ふうん、と相づちを打ったユナが、視線を道の先へと向ける。

 すると、リサが浮かない表情で呟いた。


「クレアリーフ……ね……」


「どうした、リサ?」


 彼女の様子が気にかかり、声をかけるユナ。

 リサは私情で申し訳ないのだけど、と首を振る。


「私の叔母様が、私が産まれる前にクレアリーフに嫁いだのだけど……それ以降、ずっと音信不通で。

 お母様の妹君だったから、お母様は病に倒れてからもずっと気にかけてらして……」


 憂いを帯びた表情でふう、と息を吐いたリサに、「じゃあ」とリーストが声をかけた。


「リサちゃんの叔母さん、探してみる?

 街の人に聞いてみたら、何か知ってるだろうし」


「……そう、ね。ごめんなさい、私の家族のことなのに。

 なるべく騒ぎにならないよう、気をつけるから」


 同意するように頷いたユナとイオにそう告げて、リサは微笑む。

 騒ぎになると、ユナのことに気が付く者がいるかもしれない。そう懸念するリサに、フードを目深に被った当の本人はいたずらっ子のようにニッと笑んでみせた。


「まあ、大丈夫だろ。何かあったら助けてくれるんだろ、騎士サマ?」


「ああ。オレの権限が及ぶ範囲、にはなるが、ある程度はなんとかしてみせよう。

 だからこちらのことは気にせず、探すといい。

 ……ユナには大人しくしといてもらうがな」


「わかってるよ」


 ユナの無茶振りにも薄く微笑んで肯定するイオ。

 当のエルフに釘を刺すことも忘れない彼に、リサはほっと息を吐く。


「……ありがとう、二人とも。リーストも」


「気にしないで。だって、家族のことだし、心配だもんね。

 ……でも、音信不通かあ……。今まで連絡できなかったとしても門が開いたのは半年前だし、手紙の一つくらいあってもいいと思うんだけどね……」


 うーん、と考え込むリーストを見て、少女は神妙な面持ちで頷いた。


「……ええ。私も……最悪の場合の覚悟は出来ているわ」


 クレアリーフに嫁いでから今まで音信不通だった、彼女の叔母。

 最悪の場合……つまり“死”という結末があることも、リサは理解していた。

 けれど、それでも。


「私は知りたい。お母様が知りたかった、彼女の行方を」


 すっと視線を前方に向けて、少女は呟く。

 地図によると、この獣道を抜ければクレアリーフの外壁まですぐのようだ。


「行こう、リサ。お前の家族を探しに」


「――ええ」


 隣に並んだユナがそう声をかけると、リサもまたいつになく真剣な声音で頷き返した。



 +++



 ――風が吹いた。

 街外れの丘の上で、少年は無造作に伸びた銀髪を風に遊ばせている。

 青い左目と包帯を巻かれた右目は、明ける空を眺めていた……。




 Act.04 Fin.

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