Act.03 半獣人の姫君

 リサことシルフィリサーナ=シルファ・ビーストウェアは、獣国“ビーストウェア”の第一皇女である。

 子宝に恵まれなかった国王夫妻待望の第一子として、蝶よ花よと育てられたはいいものの、妾の子らや彼らを支持する貴族たちからは疎まれていた。

 結果、幾度となく暗殺されかけ、彼女は何とか生き永らえつつも考える。


「私、この国にいたらいつかほんとに殺されるなーってね」


 ふう、とため息を吐いて、リサは困ったように微笑んだ。



 ユナとリーストは、自分たちに同行する、と申し出た獣国の姫君・リサからその身の上話を聞いていた。

 護衛もなしに他国を旅するなんて、とリーストが詰め寄った結果である。

 リサは道を歩きながらとつとつと語る。旅人や馬車などが通る街道は、きちんと整備されていて歩きやすい。


「お母様はずいぶん前に亡くなったけれど、お父様が私を守ってくれてて……でも、それじゃだめだと思ったのね」


 流れる雲を追いかけるように空を見上げるリサ。

 ユナは彼女の背に疑問を投げかけた。


「だめって?」


「自分の身くらい、自分で守れないとだめじゃない。

 ……と思ってたら、そのー……誘拐されちゃって」


 曰く、城の庭園を散歩していたら反リサ派の兵士に無理やり連れ去られたのだそうだ。


「それはもう見事な手際の良さだったわ……。

 そのまま彼らは私をロマネスク国の森の中に放置していったの。魔物に食われるなり不法入国で裁かれるなりすればいいと思ったのでしょうね」


 まったく、ツメが甘いんだから。

 あっけらかんに言い放つ皇女に、二人は絶句する。

 確かに彼女の衣服は、よく見ると裾が汚れていたりあちこち破けていた。

 恥ずかしいからあまり見ないで、とはにかむリサへ、リーストが問いかける。


「……よく無事だったね?」


「そりゃあ、まあ。私だって身を守る術くらい持ってるもの。

 ……最初にお忍びの旅、なんて嘘ついてごめんなさい。信じてもらえないと思ったの」


 しゅん、と申し訳無さそうに縮こまるリサに、ユナとリーストは顔を見合わせた。


「……まあ、仕方ないよ。初対面なんだし。

 ……で、リサちゃんは国に戻りたいの?」


「え、うーん……」


 そっとフォローをしつつ、リサに問いかけるリースト。

 それを聞いた彼女は、頬に手を当てて悩む仕草をする。


「別に、戻りたくないならいいんじゃないのか?

 少なくとも、ほとぼりが冷めるまでとか」


 すると、黙って話を聞いていたユナがふとそう提案した。

 リサはきょとんとした顔を彼に向ける。


「……戻りたくないわけではないわ。お父様や使用人たちが心配しているでしょうし……。

 でも……ああ、そうね。私、たぶん不安なのだわ」


「不安?」


 自分よりも背の高い皇女を見上げ、リーストが再度問う。

 リサは胸元で手を握りしめ、哀しむように目を伏せた。


「国に戻っても……私に居場所があるのか。また殺されるのではないのか。今度こそ……命を落としてしまうのでは、ないのかと」


 自身の身に降りかかるであろう、死という恐怖。

 それに震える彼女は、年相応の少女そのものだった。


(……まあ、仕方がないか)


 内心で独り言ちたリーストは、わざとらしいくらい明るい声を張り上げる。


「もー! そんな暗い顔しない!

 別についてくるなとか今更言わないし、えっとなんだっけ、旅は道連れ? って言うし!

 だからねえ、リサちゃん」


 遠い異国のことわざを口にしながら、リサの目の前に立つリースト。

 そうして安心させるように、満面の笑みを浮かべたのだった。


「とりあえず、一緒に旅しようよ。それで、戻る覚悟ができたなら戻ればいいし、そうじゃないなら現状維持でもいいと思うな」


(……とはいえ、いつか必ず向き合う時が来るだろうけど。彼女も……自分も・・・


 朗らかに笑う表情とは裏腹に、心の中でそう呟く。

 けれどその胸中に気づくことなく、リサは嬉しそうに笑んだ。


「……ありがとう。優しいのね、二人とも。

 ――さ、私の話はおわり! そういえば、二人はどこへ?」


 ぱん、と胸元で手を叩き、話を変えるリサ。

 その切り替えの早さに密かに感心するリーストの隣で、ユナが彼女に答えた。


「ちょっと、王都までな」


「王都? ロマネスクの王都といえば……ロマネシアね。

 旅人の目的地としては無難だけれど……」


 何の用で? と言外に匂わせながら、リサが首を傾げる。

 ユナは返答に詰まり、リーストもまた困ったように「ええと」と言葉を選び始めた。


「王都だと……探しものが見つかるかな、みたいな。

 アテもなく彷徨うより、とりあえずの目的地があった方がいいかと思ってさ」


 主にユナが無計画だった故に自分が定めた目的地だ、という情報も忘れず付け加えておく。

 当のユナの申し訳無さそうな笑みに、リサはなるほど、と納得したようだ。


「無計画ねえ。なんの目的もなしに旅をするのは……まあ、時には良いのかもしれないけれど」


「目的がないわけじゃないんだけどな」


「あら、そうなの? まあ、何にせよ放っておけないことには間違いなさそうね!」


 心外だ、と言わんばかりのユナのささやかな抗議に、渋い顔をしていたリサは驚いたような顔をする。

 けれどすぐに笑顔に戻り、そう締めくくった。

 ユナの“目的”には触れなかった辺り、彼に複雑な事情がある、と理解したようである。

 リーストはそれにホッと胸を撫で下ろしながら、指を進行方向へと向けた。


「さて、そろそろ次の街に着きそうだけど……」


 その言葉にユナとリサが視線をそちらへ向けると、街を囲む外壁が遠くに見えた。

 だが、リサはそれを確認すると、ゆるゆると首を振る。長い亜麻色の髪を、ふわふわと揺らしながら。


「……やめたほうが良さそうね。あの街、恐らく先ほどの商隊も到着しているはずよ。

 トラブルになるのは目に見ているわ」


「まあ、そうだよね。となると、迂回して次の街を目指すしかないかあ」


 リサの発言に、手元の地図を難しい顔で睨むリースト。

 目の前の街を過ぎると、次の街まではかなり距離がある。当然、物資の補給や宿での休息なども先の話になってしまう。

 背後からリーストの地図を見下ろしながら、ユナは申し訳無さそうに声を上げた。


「あー……あのさ、やっぱりオレは一人で……」


「それはダメ」


「ダメよ」


 事の原因は自分なのだから、とリーストたちから離れようとするユナだが、逆に彼らに止められてしまう。

 だいたい、とリーストは腰に手を当ててユナを説得し始めた。


「今更じゃない、そんなの。

 それに、僕らだけあの街に入っても、商隊の人たちにはユナくんと一緒にいたのバレてるんだし……君を売るようなこと、したくないよ」


「だが……」


 尚も引き下がらないユナ。けれど、それに痺れを切らしたのか、リサが「もう!」と彼の手を取り歩き出した。


「お、おい……!」


「付いていくって決めたんだから、それでいいの!

 あなたはもう少し、他人に甘えることを覚えるべきね」


 焦ったようなユナを無視して、リサはそう諭す。

 僕と同じようなこと言ってる、と笑うリーストが、その後ろを付いていく。

 優しいふたり。暖かな空間。しかし。


(……甘える、なんて……そんなこと、オレには……)


 不意に、ユナは自分の手が赤く濡れているように見えた。

 赤く、赤く、生ぬるく……――


『■■■■……許■■■……』


「――ッ!!」


 耳に残響する、同胞の断末魔。血塗れで立ち尽くす、“自分”。

 ……気づくと、ユナはリサの柔らかな手を振り払っていた。


「……ユナ……? ……ごめんなさい、痛かったかしら……?」


 心配そうな彼女とリーストが、フードの中の顔を覗き込んでくる。

 ユナはそれを目深に被り、口元を緩めた。


「いや……なんでもない。大丈夫だ」


 そう言って、彼は二人を置いて歩き出す。

 リーストとリサはお互いに顔を見合わせ、首を傾げたが……すぐに彼の後を追って足を踏み出した。



 +++



 淡黄色の衣服が揺れ、その手に握った剣がひらりと舞う。

 そうして斬り裂いた魔物の断末魔を背に、ユナは短く息を吐いた。


 街を迂回して更に次の街へ行くためには、街道を離れなければならない。

 馬車や旅人が通りやすいように整備された道とは真逆に、いわゆる獣道は歩きにくく魔物にも遭遇しやすくなっていた。


「まあ、最近は街道の方にも魔物が現れるけどさ」


「魔物……負のエネルギーで生まれた生き物……。

 その増加は【魔王】が復活したとか、そういう理由だったかしら」


 リサの張った魔物除けの簡易結界の中で休息を取る三人。

 彼らはこの一時間と少しの間に、すでに三回ほどの戦闘を行っていた。


「らしいねえ。今までは街道に魔物が来るとか、滅多になかったんだけど」


「困ったものよね。ビーストウェア国内でも魔物の増加は問題になっていたもの」


 リーストの説明に、リサはため息を吐く。

 魔物が増えると、商隊や旅人が通りづらくなる。そのための傭兵や騎士団だが、数に限りがある上に騎士団は滅多に民間人の護衛をしない。

 今はまだ持ちこたえているが、近い未来に小さな村から順番に衰退を辿るのだろう……とリサは予測する。


「国がお金を出して、傭兵たちを雇って組織化すればいいのかしら。

 ……でも、そもそも人数が間に合っていないのよね……」


 ううん、と白魚のような指を頬に当て悩むリサ。

 皇女らしいその姿に、ユナは立ち上がりながら声をかけた。


「……まあ、考えたところでどうしようもないだろ。

 要は誰かが【魔王】を倒せばいいんだよ」


「ま、【魔王】を倒すって……簡単に言うわね?

 【魔王】は神の一柱なのよ? どこにいるのかも、どうやって倒せるのかもわからないのに……」


 釣られて立ち上がり、少女はそう指摘する。

 リーストもうんうん、と同意し、腰を上げた。


「そうなんだよね。でも、ほら。王都にはそういう資料ありそうだからさ」


「ああ……なるほど。だから王都に行くのね。

 ……ふーん。面白そうじゃない」


 俄然あなたたちに興味が湧いたわ。

 至極楽しそうな表情で、リサは笑う。そのままぱちり、と指を鳴らし、結界を解除した。


「行きましょ! 【魔王】退治の旅だなんて、まるで夢物語のようね!

 嫌いではないわ、むしろ私好みだわ!」


 皇女はそう言うや否や、軽やかな足取りで歩き始める。

 残された二人は、同時にため息を吐いた。


「……ごめんね、ユナくん。面倒な気がしたから【魔王】のこと黙っていようかと思ったんだけど……」


「いや……まあ、仕方ないだろ。

 あいつ、何が何でもついてくる気だろうし……いつかわかることだからな。別に隠してるつもりじゃないし」


 王都へ行く理由を漏らした件を謝罪するリーストに、ユナは緩く笑ってそれを許す。

 そうして彼らは少女の背を追いかけたのだった。



 +++



「――“疾風を纏いし剣よ、爆ぜろ!! 『爆風炎連剣』”!!」


 ユナが詠唱と共に剣を振り下ろすと、風に踊る炎が魔物へと直撃する。

 焦げ付く臭いと断末魔を気に留めず、彼はそのまま次の標的へと得物を振るった。


「何度見ても、惚れ惚れする動きね」


 後衛専門の魔術師であるリサは、そんなユナの無駄のない動きを高く評価していた。

 その白銀の剣に魔術の威力を増幅する支援魔法をかけながら、彼とリーストの戦法を観察する。


(二人とも、本当によく戦えているわ。ユナはどんな組織にも所属したことがない、リーストは記憶がない、と言っていたけれど……)


 剣と魔法を駆使して戦うユナと、魔力を込めた武術で戦うリースト。

 独学とはとても思えないほど、二人の戦術は様になっていた。


(ユナも不思議だけど、リーストもなかなかね。

 記憶喪失と言う割には一般常識はきちんとあるし……――)


「――リサ!!」


 思考の海に沈むリサだったが、不意に聞こえたユナの声に我に返る。

 ……極彩色の巨鳥が、大口を開けて今にも自身を飲み込もうとしていた。


(……ッしまっ……!!)


 考え事に没頭する余り、周りが見えていなかった事を後悔する。

 今から魔法を唱えても間に合わないだろう。瞬時に思考を巡らせて、リサは諦めて瞳を閉じた。


(……せめて、痛くないといいな)


 怖くないわけではない。ただ、受け入れることに慣れてしまったのだ。

 自身の立場も、暗殺されかけたことも……死を、望まれたことも。

 ……だが。


「――諦めるなよ、リサァァァァッ!!」


 自身が相手をしていた魔物を切り捨て、ユナが叫びながら駆け寄る。

 その剣に魔力を込め、彼は詠唱したさけんだ


「――“猛き業火よ、奏でし烈風よ! 我が魂を焦がし彼の者に鉄槌を!

 『ヴァンインフェルノ=アニマ』”!!」


 風をその身に纏い、彼は魔物との距離を詰める。

 そうしてそのまま燃え盛る炎を帯びた剣を、巨鳥へと突き刺した。

 悲鳴を上げてリサから離れたその巨躯に、今度は燃える花の刃を宿したリーストの足技が入る。


「“花焼空刃かしょうくうは”!!」


 彼らは呆然とするリサの隣に降り立ち、再び大地を蹴り上げた。

 ユナの魔法剣とリーストの武術を二、三回食らい、巨鳥の魔物は遂に地に倒れ伏す。


「トドメだ! ――“断罪の刃、終わりなき世界を紅に!! 『エクスピアシオン・ブリュレ』”!!」


 炎の魔法を込めた剣先が、倒れた魔物を斬り裂いた。

 断末魔を上げ、やがて動かなくなった巨鳥に、三人は安堵の息を吐く。

 ……けれど、すぐさまユナが座り込むリサの前に立ち大声を上げた。


「お前な! あんな状況で諦めるなよ!

 生きたいんじゃないのか!? 死ぬのが怖いんじゃないのか!?」


「そ……れは、そうだけれど。だって……だって、仕方ないじゃない!

 私、ずっと命を祝福されなくて……少しの使用人と、お父様とお母様だけで……でも、お母様は死んでしまって!」


 そのルビーレッドの瞳を涙で揺らしながら、手を握りしめ反論するリサ。

 おろおろとしながらも二人を見守るリーストを横目に、彼女は続けた。


「諦めてしまいたくなるじゃない、もういいかなって思ってしまうじゃない!!

 生きたいわ、死にたくないわ、お父様にまた会いたいわ! だけど……だけど!

 両親を困らせたくなくて、謝られたくなくて、何でもないフリを続けてきたけれど……もう……疲れてしまったの……!!」


 命を狙われ続けることに。父の心労を増やしてしまうことに。


「私は……きっと、生まれてこなければよかったのよ……!!」


「そんな、こと……!!」


 涙声で吐き出されたリサの心情に、リーストは何も言えなくなる。

 だが、ユナは大きくため息を吐き、「そうか」と頷いた。


「そう思うなら、仕方がないな」


「っユナくん……!!」


「けど」


 突き放すような彼に、リーストはその名を呼ぶが……ユナは二人に背を向け、ぽつりと呟く。


「……命を祝福してくれる人が、少しでもいるだけマシだろ。

 お前にはちゃんと、生を願ってくれる人がいる。……だから、簡単に諦めるな」


「……ユナ……?」


 痛みを堪えたようなその声音に、リサは首を傾げた。

 さり気なく差し出されたリーストの手を取り立ち上がった彼女は、ユナの背をじっと見つめる。


(……辛そうな、背中。あなたは、一体……?)


「――……そう、ね。……ユナの言うとおりだわ。

 ……私、もうちょっと……頑張ってみる。お父様や使用人たちを、これ以上悲しませたくないもの」


「そうしてくれ」


 けれど、リサは静かに頭を振り、ただそう答えた。それは本心であったし、決意でもある。

 そんな彼女にユナもまた、小さく振り返って微笑んだのだった。



 +++



 ――ナイトファンタジア大陸、最東端。深緑の森……通称、“エルフの森”。

 エルフたちが築いた小規模な里があり、排他的ではあれど賑やかなはずのこの森だが……今は、異様なまでの静寂に包まれている。


「――……これは……」


 男はその地に足を踏み入れ、驚愕に目を見開いた。

 血にまみれた大地と、絶命したエルフたち。彼らは皆、恐怖を宿した表情で事切れていた。

 血の臭いを忌避しているのか、はたまた別の要因か。魔物たちはこの森から逃げ去ったようで、一匹たりとも姿を見せない。


(……死肉を食す魔物もいるが……それにしても、なぜ魔物たちはこの地を避ける?)


 男は指を顎に当て思案する。

 ……そう、さながらそれは、魔物すら恐れる何か・・・・・・・・・が存在していたかのような……。


「……陛下への土産話ができたな」


 葡萄色のマントを翻し、男は歩き出す。

 その左腕には、王国騎士団の紋が入った腕章を身に着けていた。

 ――次期騎士団長、イオルド・ライト。そう遠くない未来に、彼は“運命”と出逢う。




 Act.03 Fin.

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