Act.02 傷つく心
アルメリア村を追われるように出た二人は、街道を歩いていた。
フードを目深に被ったユナの背からは、感情が伝わらない。
リーストは軽く息を吐いて、前を行く彼に声をかけた。
「……あの、さ、ユナくん」
髪色のせいで忌み嫌われる彼に、世界は優しいところもあるのだと意気込んだのはいいものの……自分と彼とでは、見えているものが全然違うのだろう。
先ほどは明るく笑ってみせたけれど、しばらくするとリーストの頭の中は村での出来事でいっぱいになってしまった。
そうしてユナの名を呼んだのだが、どんな言葉を送ろう……そう悩むリーストに、振り返ったユナはきょとん、と首を傾げた。
「どうした?」
あまりにも普通なその態度に、リーストは一瞬虚を突かれてしまう。
「……どうしたって、だって、ユナくん……あんな、あんなの……!!」
街が魔物に襲われたという出来事を、街の者は皆ユナのせいだと思いこんでいた。
……ユナが、黒髪のエルフだから。
けれど、当の本人は「いつものことだから」と笑ってみせたのだった。
「だから、言っただろ? オレと一緒に来ても……お前が傷つくだけだって」
「……っ!!」
凪いだ瞳で告げられた言葉に、リーストは息を飲む。
そうしてそのまま踵を返して歩き出したユナをしばし黙って見ていたが……不意に深くため息を吐いて、緑髪の少年は彼に追いついた。
「……おい」
「決めたんだもん、ユナくんと一緒に行くって。
……怒らない、泣かないユナくんの代わりに……はちょっとおこがましいけど、せめて僕だけは君に振りかかる理不尽に怒っても許されるかなって」
ユナとは目を合わさず、真っ直ぐにそのワインレッドの瞳を前方に向け告げると、ユナは驚いたように目を丸くする。
「……お前……バカだろ」
「む。ユナくんに言われたくないでーす!」
しばし呆然としたあと、ユナの口から漏れたのはそんな言葉で。
リーストがわざとらしく頬を膨らませ反論すると、黒髪の青年はおかしそうに笑ってくれた。
+++
村を発って半日ほど歩いたあと、二人は休憩と称して森の中で座り込んでいた。
小川のせせらぎを聴きながら、リーストはユナに「確認だけど」と話しかける。
「ユナくんは【魔王】を倒す旅をしてるんだよね」
その言葉にユナが黙って頷く。 訝しげな彼の視線を受けながら、少年は腕を組んだ。
「……一応聞くけど、アテはあるの? どこに行けばいい、とか」
「ないな」
「ないの!?」
恐る恐る確認したリーストに反して、ユナはあっさりと首を振る。
リーストは思わずツッコミを入れ、深くため息を吐いた。
「基本的に直感で動いてたからな」
「直感って……ああ、もう」
あっけらかんと言い放たれ、くしゃくしゃと頭を搔き乱す。
そうしてしばらく何かを考えるように目を瞑り、リーストはぽつりと呟いた。
「……王都……」
「王都?」
問い返したユナに「うん」と頷き、立ち上がる少年。
幼さを残すその指を森の先へ向け、高らかに
「とりあえず、ロマネスクの王都……ロマネシアを目指そう!
王都には神様にまつわる遺跡とか伝承が残ってた……はずだし!」
魔王に関することも何かわかるかも!
そう宣言したリーストに、ユナは怪訝そうな顔で疑問を口にする。
「行く必要あるのか? そもそもお前、記憶喪失のわりにそういうことは覚えてるんだな……」
「アテもなくふらふらするよりは効率いいでしょ?
あと僕の記憶喪失は僕自身に関することだけで、いわゆる一般常識は覚えてるんだよねー、なぜか」
てきぱきと焚き火の後始末をしながら答えたリーストに「そんなもんなのか」と自身をむりやり納得させて、ユナは立ち上がる。
そして腰のポーチから取り出した地図と空とを交互に見比べ、よし、と頷いた。
「王都までは街道を歩けば着くよな?」
「まあね。途中に関所とかあるけど、普通に通れると思うし」
同じく立ち上がったリーストに確認を取ると、彼はこくりと首を縦に振る。
「よし、それじゃあ王都に向かって」
「しゅっぱーつ!」
そうして二人は握りこぶしを作った片手を空に掲げ、しばらくして顔を見合わせて笑いあったのだった。
+++
――ロマネシア。ナイトファンタジア大陸の大半を占める、一大国家“ロマネスク”の王都。
当然、王の住まう城もその都に存在し、ロマネスク国内では最大規模の都市である。
先代国王は長きに渡った獣国“ビーストウェア”との戦争を終わらせた、いわゆる英雄なのだとか。
「……先代? ってことは、今は代替わりしたのか」
歩きながらロマネスク国の基礎知識を披露するリーストに、ユナはこてん、と首を傾げる。
「そうだよ」
そう頷いたリーストだが、「でも」と腕を組んだ。
「現国王はなかなか表舞台に姿を見せないらしくてね。
先代が病に倒れて即位したんだけど……当時まだ十五才にもなっていなかったとかなんとか」
「へえ、若い王様なんだな。……大丈夫なのか、それ?」
「うーん、どうなんだろう? 何せ現国王は良くも悪くも噂を聞かないし……。
あ、でも王都の治安が悪くなったとかは聞いたことないから、たぶん大丈夫!」
説明を聞くたびにどんどん不安げな表情になるユナに、慌てて取り繕うリースト。
その後、二、三歩前を歩いてくるりと振り向き、彼は怒ったように両手を腰に当てた。
「っていうか! ユナくん世界情勢とか詳しくなさすぎ!
旅人でしょ? 記憶喪失の僕より知らないってどうなのさ!」
「そう言われてもな……故郷の森から出たことなかったし」
ユナの言葉に「そうなの?」と目を丸くする。
ころころと変わる表情を面白そうに眺めながら、ユナは肯定した。
「それがどうして【魔王】を倒す旅なんて……?」
「それはまあ、色々あってな」
はぐらかされた。リーストは曖昧に笑う彼に、一瞬そう思ってしまう。
けれど、まだ出逢って一日ほどしか経っていないのだ。そう簡単に心を開いてもらえるとは思っていない。
そっか、と呟いて、それ以上の言及をやめる。
しばらく二人は無言で街道を歩いていた。
途中、街へ向かう馬車だとか、商隊とすれ違うも、声をかけてきた彼らに断り、それらに乗ることはなかった。
「乗ったほうが楽なのに」
「それはそうだけど」
断ったのは主にユナで、リーストは「別に構わないけど」と苦く笑う。
……恐らくユナは、必要以上に他者と触れ合うのが怖いのだろう。本人は否定するだろうが。
いつその黒髪と特徴的な耳が見咎められるかわからない。
……彼は尚、孤独の中に身を置こうとしていた。
(確かにそれは、自分を守るためには大事なんだろうけど)
寂しい、と考えてしまう自分の傲慢さに嫌気が差す。
「――リースト」
そんな思考の渦に落ちたリーストを引き上げたのは、ユナの声だった。
ハッと顔を上げて、笑顔を取り繕う。
ユナに世界を見せると決意したばかりなのだ。暗い顔をしていては、彼に気を使わせてしまうだけだ。
「なに……っ魔物!?」
しかし、ユナの視線の先を辿ると、魔物の群れが先ほどの商隊を襲っていた。
「あれってさっきの……」
「商隊だよ、あの人たち護衛つけてなかったの!?
助けに行こう!」
普通、商隊や辻馬車といった街から街へ移動する乗り物は、旅人や傭兵など、腕の立つ者を護衛として雇うものである。
何の理由か目の前の商隊はその護衛をつけていないようで、襲われるがままになっていた。
リーストは走りながらそんな状況を把握し、右手に魔力を込める。
(魔術、苦手なんだけどなあ)
「“
短い詠唱と共に、彼の右腕から花吹雪が放たれる。
鋭い刃と化したその花弁は、魔物たちの視界を防ぎ、また皮膚を傷つけていった。
リーストは魔物の動きが止まった隙に、商隊の幌馬車に駆け寄る。
何名か怪我をしているが、幸い死者はいないようだ。
「あ、あなたは……」
「旅人! まったく、護衛もなしに街道走るとか何考えてるのさ!?」
狼狽える彼らに声を上げ、それでも守るために商隊と魔物たちの間に立つリースト。
やがて花弁の魔法が解け、魔物たちはリーストを標的だと認識する。
その中の一体、巨大なウサギのような魔物が彼めがけて走り出した。
「リースト!」
けれど、魔物とリーストの間に割って入る影がひとつ。
「ユナくん!」
淡黄色のフードを目深に被ったユナが、両手に握った剣で巨大ウサギを斬り捨てたのだ。
名を呼んだリーストを一瞥して、彼は再度得物を構える。
そうして軽く息を吐いて、魔力を剣に注いだ。
「――“永遠の揺らぎ、凪いだ紅煉をこの手に! 『クリムゾン・ブレイブ』”!!」
魔力で編まれた炎を纏う剣で、ユナは魔物を薙ぎ払う。
断末魔を上げて倒れるオオカミのようなその魔物からすぐに目を離し、次の魔物を視界に入れた。
「“
その魔物とは別の個体を狙い、リーストが足に展開させた燃える花の魔法を刃に見立て、ドロップキックを決める。
そのままユナの隣に降り立つと、彼から声をかけられた。
「リースト、中級魔法を放つ。援護頼めるか?」
「わかった、まかせて!」
ユナの頼みを快く引き受け、リーストは再び走り出す。
そんな緑髪の少年を見ながら、すぐさま詠唱を始めるユナ。
「――“紅き風よ、我が心炎を
しかし、剣を地面に刺し呪文を唱えるユナを狙って、オオカミ型の魔物が襲いかかる。
それに気づいたリーストが、足に魔力を込めた。
「させないよ! “
短く唱えた技名と共に地を蹴ると、そこから数多の蔓が這い出てオオカミに絡みつく。
動きが止まったオオカミへ、リーストの蹴りが炸裂した。
「ユナくん!」
「さんきゅ、詠唱完了だ!
――“其は紅蓮、常夜を染める灼熱なり! 『アグニ・ボルケーニア』”!!」
剣を掲げて最後の一文を唱えきったユナ。彼の剣から生まれた炎の魔法が、魔物たちを包み込んだ。
……しかしリーストは、魔物が炎に呑まれる寸前、何か言葉を発していることに気がついた。
魔物たちの言語であろうそれは、当然理解できるはずもなく……。
(……いや、そもそも“魔物には知性がない”という研究結果だったはずだけど)
断末魔を上げながら空に還っていく彼らを見て、リーストは頭を振ってため息を吐いた。
戦闘で疲れたのだ、と己に言い聞かせて。
それから彼はくるりと振り返り、身を寄せ合って戦闘を見守っていた商隊の者たちへと視線を向ける。
「で、なんで護衛つけてなかったの?」
「い、いや……その。護衛だったものがアルメリアまでの契約で……。
そこで新しい護衛を雇うつもりが……魔物騒ぎのゴタゴタで護衛をつけられないと言われてしまって……」
問い詰めるリーストにたじろぎながらも答える、隊長と思わしき人物。
けれど、リーストとユナは彼の言葉に思わず顔を見合わせてしまった。
(……アルメリアの魔物騒ぎ……って、今朝の……!)
リーストは無意識に一歩下がり、ユナを隠すように彼の前に立ち塞がる。
だが、商隊メンバーのうちの一人が、ユナを見て声を上げた。
「た、隊長! あいつら……アルメリアの者が言ってた特徴に一致します!」
「……淡黄色の衣類を着た痩身の男と、小さな緑髪の男の二人組……!!
ま、まさか、先ほどの魔物たちもお前らが!?」
途端にざわつく商隊に、顔から血の気が引くリースト。
「まって、僕たちは……!」
「黙れ、卑劣なダークエルフどもめ!
我が商隊を魔物に襲わせ、窮地を救い恩を着せるつもりだったのだろう!?
狙いはなんだ!? 金か、物資か!
だが何一つとして奪わせはしないぞ!!」
違う、と言いかけたリーストを遮って、隊長が震える声で叫ぶ。
ユナは真っ青な顔のリーストの手を引き、行こう、と踵を返すが……その時だった。
「お待ちなさい」
凛とした女性の声が、混沌と化した街道に響き渡る。
全員がそちらへと視線を向けると、そこには亜麻色の髪と耳を持つ
上質なロングスカートや、ルビーをあしらった首飾りを身にまとっている辺り、貴族の娘だろう……とその場の誰もが考える。
彼女は男たちの目を一切気にせず、商隊のみを睨みつけた。
「
真偽はともあれ、彼らはあなた方を助けたのですよ?
であれば、まずは謝意を述べるべきではなくて?」
「な、何者だアンタ……!」
突然現れた上流階級の少女に、再度狼狽える商隊の面々。
対する少女は堂々とした態度で、にこりと微笑んでみせた。
「あら、申し遅れました。
私は……シルフィリサーナ=シルファ・ビーストウェア。
ビーストウェア皇国の第一皇女ですわ」
ビーストウェア。ロマネスクと敵対していた獣人たちの国。
脳内の知識を照らし合わせ、リーストは思わず身構える。
(獣国の皇女が、どうしてこんなところに……?)
しかし、敵対していたのも今は昔の話。ビーストウェアの者もロマネスクの者も、お互いの国を自由に行き来できるのが今の世だ。
だからといって、皇女ともあろう身分の者がそれこそ護衛もなしにふらふらと隣国まで出歩けるはずがない。
リーストの疑念をよそに、シルフィリサーナは驚き固まる商隊へと話を続ける。
「あなた方の情報の真偽がどうあれ、彼らの身柄は私が預かります。
それでよろしくて?」
「えっ……あ、ああ……。しかし……本物……?
だとしたら……隣国とはいえ皇女様に任せてしまっても……?」
有無を言わせないその声音に、隊長はしどろもどろに答える。
けれど、シルフィリサーナは気にせず「もちろん」と笑ってみせた。
「私が個人的に興味があるだけですわ。
……お許しいただけないのであれば、こちらにも考えがありましてよ。
無垢で無罪な子どもを責め立てたとか、ビーストウェア国内での商売を禁ずるだとか……」
「め、滅相もない!! どうぞ、この者たちは皇女殿下のお好きになさってください!!」
脅しにも似た皇女の発言に、商隊たちは顔を青くする。
そしてそう言うだけ言うと、散らばった荷物をまとめて彼らは逃げるように撤退していったのだった。
「……結局、謝罪も感謝の言葉もなかったわね」
猛スピードで走り去る馬車の後ろ姿を眺めて、シルフィリサーナは呆れたようにため息を吐いた。
「えっと……その……」
一連の流れをただただ呆然と眺めるしかできなかったユナが、彼女に声をかける。
すると皇女はくるりと振り返り、いたずらが成功した子どものように笑った。
「うふふ。突然ごめんなさいね。
ああでも言わないと、あの人たち立ち去らないと思ったの」
助けてもらったのに失礼よね!
などと言うシルフィリサーナに、今度はリーストが話しかける。
「……助けていただいてありがとうございます、皇女殿下」
「あら、敬語なんていいわよ。
だが、あっけらかんとした彼女の言葉に、畏まった態度のリーストは困惑してしまった。
(お、お忍びで隣国まで来たのか、この皇女……)
「それで」
唖然とするリーストの代わりに、いつもどおりのユナが首を傾げる。
「えーと、シルフィリサーナ……だっけ。
オレたちの身柄を預かるってのは本当か?」
「もちろん、半分冗談で半分本気ではあるわ。
何か訳ありなのでしょう? 楽しそうだし、私の身分で守ってあげられることは守ってあげるわ!」
楽しそう、と言ってのけた皇女に、ユナとリーストは微妙な顔になってしまった。
だから付いて行かせて、とシルフィリサーナは彼らの顔色を気にせず頼み込む。
「……そんな楽しいものじゃないぞ。さっきみたいな目にも遭うだろうし。
そもそもオレが本当にダークエルフだとか悪人である可能性もあるだろ?」
「そんなの百も承知だわ。貴族間のいざこざも似たようなものよ!
そもそもあなた方が何であれ、見ず知らずの他人を助ける悪人なんていないわよ」
たくましい、とリーストは素直に感心した。
可憐な容姿とは反対に、随分と肝が座っているというか、高貴な身分らしく強引というか、世間知らずで純粋というか。
そんなリーストを横目に、ユナは諦めとも呆れともつかない表情でため息を吐く。
「……勝手にしろ」
「ええ、そうさせていただくわ。
――あ。私のことはリサ、と呼んで頂戴。シルフィリサーナ、なんて名前、長ったらしくて好きじゃないの」
どこまでもマイペースな皇女に、疲れ果てた二人は頷くだけで精一杯であった。
こうして、二人の旅に皇女シルフィリサーナ改めリサが加わった。
強引ながらも心優しい彼女に絆され心を開くのは……ほんの少し、先の話。
Act.02 Fin.
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