冥福

ハタラカン

冥福

脱出艇が射出された。

Gと振動でそれを悟る頃には全ての音が消えていた。

頭にこびりつく警報と爆発音を無が洗い流していく。

だがその静寂は平和よりむしろ死を連想させるもので、慰めどころか葬送曲にしか聞こえない。

真空に飛び出すまでの生命みなぎる喧騒が恋しくなって周囲確認用カメラを起動すると、播種船だった光とそこから精子の如く大量に飛び散っていく別の脱出艇が映っていた。


播種船。

人間の種をばらまくための宇宙船。

政府広報いわく最後の希望。

その希望込みで断末魔の一節に過ぎないのは誰の目にも明らかだったが、当時の生き残りは全員希望にすがりついた。

前を向く以外にできる事が無かったのだ。

当然俺も前を向く以外できる事が無い精子の1つである。


半日の間宇宙を進んだ脱出艇はどこかの星に軟着陸した。

事前調査なぞ行われているはずもない、何のデータも名前すらも無い星だ。

脱出艇に備わっている機能では俺が生身のまま外に出たら死ぬという事くらいしかわからない。

大気はあるが地球人を歓迎しているとは言い難い成分だった。

あとカメラで見える範囲だと日照時間を確保できそうな事、空から降りてきたワンルームサイズの構造物を見物に来る野次馬がいない事もわかった。

ひとまず現地人とのコミュニケーション法には悩まず済みそうだ。


俺にとっても大事な話なので改めて言うと、前を向く以外にできる事は無い。

なので俺は真っ先にセックス機能付きアンドロイド…セクサロイド入りのコンテナを開けた。

[おはようございます御主人様]

開閉ボタンを押した途端オート起動された人形が半開きのうちから挨拶を飛ばしてくる。

やる気充分で頼もしい。

「あ…あ〜…」

ただ、全開した中から出てきた長身細身の裸体は俺の好みとは一致してなかった。

客観的に判断すればまごうことなき絶世の美女ではあるものの、俺以外観る者が存在しない現状で客観に意味は無いだろう。

そしてその露骨な落胆はAIのプライドと一致しなかったようで、淡々と確認してきた。

[不満ですか]

「そう言ったらどうする?」

[諦めていただきます]

さすがは政府謹製のセクサロイド。

自分発信でない希望は即座に叩き落としてくる。

「もうちょっと融通は効かんのか。

乳尻の内部素材を増量するとか別パーツに取り替えるとか」

[美乳派でないなら死んでください]

さっき生き残りは全員希望にすがりついたと言ったが、AI開発者はかなりやさぐれた仕事をしたらしい。

「わかった…改宗するから殺さないでくれ」

[美乳は全宇宙的に崇拝されるべき概念としてインプットされています。

大きければ大きいほど良い、もしくは小さければ小さいほど良いとする異端思想の排除、矯正は開発者専用コードteno-hira-31zによって最優先事項の]

「わかったって。

お前の体はエロい。

美しい。

興奮する。

これでいいだろ」

[その場しのぎを検出しました。

モデル体型への性愛を実行してください。

30秒以内に乳房への愛撫が入力されない場合…]

「あーうるせーなもう!」

ツンと誇らしげに上向くお椀型を掴むとようやく黙った。

我ながら愛撫と呼ぶのは憚られる乱暴な揉み方だったが、セクサロイドのAIは満足というか納得してくれたようである。

まったくの無表情のまま。

[引き続き繁殖への移行を提案します]

「はいはい」

俺は手早く全裸になりセクサロイドを浴室へ誘った。


繁殖用セクサロイドとの交配。

これこそ播種船の目的。

どうして生身の人間同士じゃないのか?

まあ俺の人格や容姿に問題があるのは否定しない。

しかし最も本質的な原因はどんな状況でも常に内向きでいられる人種が存在するという事実だ。

自分が苦労するくらいなら全体が滅んだほうがいい…そういう連中の穴埋めも兼ね、より強靱でより強力でより持続可能でより社会的な母体として製造されたのがこの繁殖用セクサロイドである。

人類の存亡を賭けた政府プロジェクトの機体だ、性能はそこらの違法ドロイドなぞ比較にならないほど高い。

「はっふっはっふっ」

[………………………………]

「すっひーすっひー」

[………………………………]

…高い…はず…なのにセクサロイドは無言無表情無動作だった。

淡々とこちらを見つめながら性器のみを蠢かせ、他は何もしない。

これじゃ監視カメラを抱いてるようなものだ。

どう好意的に解釈しても特殊性癖向けの特化型どまりで、セクサロイドとしてはまるっきりの不良品。

「おい」

[はい]

堪りかねて声をかけると、やはり淡々とした調子で返してきた。

「ちゃんと生身に寄せてくれ。

出るものも出なくなる」

[膣運動の機能は人間女性平均の3.6倍を維持しています。

性能を落とせと仰っているのでしょうか?]

「他もそのぐらい働かせろって言ってるんだ。

お前を造った奴は死体を犯すのが趣味なんだろうが俺は違う。

喘ぐとか汗をかくとか身悶えるとかはにかむとか、生きる喜びに浸ってる感じでやってくれ」

[私は繁殖用の機体です。

一般セクサロイドが備えるような性欲解消用の機能はありません]

繁殖と性欲は無関係と設定されているのか…。

体型の件に続いて典型的なお役所仕事だった。

人間をテーブルゲームの駒と勘違いしてるせいで現場現実からかけ離れた的外ればかりやらかすのだ。

この場合やらかしたのは開発者だが、だとしても開発者どころか政府そのものの安否も定かでないこの状況、現場の問題は現場担当に解決してもらうしかない。

「機能が無いなら今すぐ学習して再構築しろ。

男の性欲は繁殖と切っても切れない関係にあるんだってな。

わかったら俺の性欲を刺激できるよう工夫してくれよ」

[御主人様に私の仕様変更を行う権限は付与されていません。

繁殖用セクサロイドに関する全ての権限は政府特令10条における84項目によって政府に限定されると定められています。

ご意見ご要望は播種船計画の担当窓口宛てにどうぞ]

話は自分以外の誰かに聞け…政府関係者が自身を石化させる時の呪文である。

これを唱えられてしまったからにはもう何をどうやっても俺の希望は叶えられないだろう。

「ありもしないその場しのぎは検出するしマグロだし立派な公務員だし…不良品を引いちまったか…?」

[言いがかりを検出しました。

反証を開始します。

現在性感パターンの解析率80%。

パターンに基づく膣運動、腰部運動、愛液粘度再構成。

繁殖再開]

「おっ、まっ、そんな無理やり…」

人外の怪力で押し倒され、騎乗位になった。

[解析率85%。

運動速度修正。

運動角度探索。

解析率90%…]

「ぐっ、おっ、おっ、うっっっ………………だ〜くそ…」

訂正しよう。

こいつは仕事はできる。

ただしセクサロイドというより搾精器としてだが。


脱出劇から続く抜かず3発に疲れ切って寝た翌朝。

セクサロイドが救難信号の発信を行うよう提案してきた。

[この星が生存に適さない環境だった場合、この星の先住民の救援が期待できる場合、播種船の別ナンバーもしくは友好宇宙人の救援が期待できる場合、いずれにおいても優先事項であると考えます]

同梱されていたメイド服に身を包み、裾をふわりともさせず淡々と喋る。

それを俺は苦笑いしながら聞いていた。

己の身の上をおおよそ把握していたからだ。

『防護服無しで外に出たら死にます、宇宙からそこそこ大きい謎の物体が飛んできたのに見物客は誰もいません、人類は馬鹿が設計したとしか思えない広さの宇宙でそれぞれ別の方向へ旅立ちました、旅立った理由は敵対的な存在と出会いまくったからです…誰かに助けを求めますか?』と、こんな内容の話をされれば特別ひねくれ者でなくとも遺書を書くよう促された気分になるだろう。

しかし勿論セクサロイドは嫌味を言ってるわけではなく、公務員の真っ当な仕事をこなしているに過ぎない。

せめてその働きに報いようと提案を呑む事にした。

「じゃあできる限りデカい声で騒いでやるか。

どちらかといえば播種船のほうが俺に救助を求めたいだろうがね」

[どういう意味でしょう?]

「こっちは敵性宇宙人に追われもせずメイドと二人っきりでのんびり過ごすなんて夢みたいな暮らしをしてるんだ。

そんなに余裕あるなら囮くらいやってくれと頼まれてもおかしくない」

冗談っぽく言いはしたが半ば本気で心配している。

セクサロイドは全く無反応だった。

セックスの最中そうであったように南国の海を連想させる淡い水色の瞳でただ見つめてくる。

政府への遠回しな批判に対しても特にリアクションしない事からすると、開発者は忠誠心的なものを入力し忘れたのかもしれない。

特に反応が欲しかったわけではないので俺も無視して作業に入った。

「さて、救難信号の手続き…と。

乗員の名前とIDが要るみたいだ。

お前の名前は?」

[S―B型869号です]

「それ型番だろ」

[他の呼称はありません。

他の呼称を設定する必要もありません]

「こういうのはどれだけ相手の好奇心をそそれるかの勝負なんだよ。

信号を受け取った奴が思わず顔を見たくなるような可愛い名前のほうが有利なのさ。

ま、無いなら無いでいい…俺が勝手に名付けとく。

ムッツリモデル美人だからムモビーでいいか」

[投げやりを検出しました。

カワイイの基準値未満。

別案を提出してください]

「必要ないとか言ってたくせに文句つけんなよ!

いいだろムモビー!

可愛いだろ!

友好宇宙人って感じで!知らんけど!」

[精子保有者が非協力的な場合、武力行使する権利を私は与えられています。

シュッ!シュッ!]

「シャドーボクシングやめろ!

仮にも主人と呼ぶ相手を打撃で鎮圧しようとするな!」

[3、2、1]

「わかった!

別のを考えるから!」

降参すると無表情ステップでの踏み込みが止まった。

油断なく揺らしていた上半身も落ち着かせ、またスンッとメイド立ちに戻る。

[期待しています]

「先に注意しておく…危険なプログラムをスリーカウントで実行するのはやめろ。

危険だから」

[御主人様に私の仕様変更を行う権限は付与されていません]

この後8個もの代案を要求され、型番をもじったエスハという名を本人が選んだ。


制御端末でごく簡単な手続きをするだけで救難信号の発信は終わった。

どの程度の何をどこまでの範囲で飛ばしているかは単なる一般種付け要員にはわからない。

この脱出艇が電動だから電気の何かだと見当をつけるくらいしかできない。

それでいいのだ。

ほぼ関係ない。

そんな事より食事にしよう。

エスハに搾り取られたあと寝る前に水分補給した以外、脱出から今まで何も口にしていなかった。

「これとこれと…」

食料コンテナから雑に固形食料を取り出しているとエスハが声をかけてきた。

[私が調理します]

「…固形食料を?」

[繁殖用セクサロイドには精子保有者の健康管理機能が備わっています。

調理は精神的身体的な危機回避に位置づけられており、重要視されています。

この日のためにインプットされた固形食料料理300選が火を吹く時です]

「あまり機械に火を吹いてもらいたくはないが、できるならやってもらおうか」

かしこまりました]

エスハはうやうやしくお辞儀して固形食料をいくつか抱え、小さいシンクと電熱コンロだけの簡素なキッチンに立った。

正直とても不安だ。

固形食料を一言で言い表すとしたら栄養満点の粘土である。

味や匂いを捨て保存性、栄養価、小型軽量化に特化した薬品に等しい代物であり、今さら何をしたところで改善されるとは思いがたい。

心情を言葉に出したらまた被害妄想めいた何かを検出して武力行使しかねないので黙ってはいたが、後ろから監視せずにはいられなかった。

[………………………]

エスハは気にした様子もなく淡々と調理している。

固形食料をサバイバルナイフで刻み、別々のそれらを混ぜ合わせ、或いは焼き、また調味料をかけたりしている。

淀みない手際だった。

こうしている分には本当にただの完璧な可愛いメイドだ。

見た目だけは。

[どうぞお召し上がりください]

施設も素材も最小限なので料理はあっという間に完成し、テーブルへ運ばれた。

きちんと皿に盛り付け、ナイフとフォークまで添えている。

普通は手づかみで食べるものだが…加熱された状態でもあるし、無駄に逆らわず使うか。

「お…」

そうして食べてみた料理。

味ははっきり言って固形食料の粋を出ておらず不味い。

しかし二回り大きいどんぐりが充分目立つのと同じように、エスハの手が加えられた固形食料は見違えるほど良くなっていた。

[いかがでしょう]

「まあ美味くはないな」

感想を求められたので最大級の賛辞を述べるとまたシャドーボクシングが始まった。

更に別角度から褒めなきゃならないらしい。

「今後も作ってくれ」

[畏まりました]

働きそのものを肯定してみるとなんとか協力的と認識してもらえたようだった。


次はエスハの食事を用意しなければならない。

と言っても採光窓を開けるだけだ。

制御端末に命じ、脱出艇の装甲を数箇所強化ガラスと入れ替えさせる。

[……………………]

するとエスハは一番陽当たりのいい窓辺に黙って腰掛け、3秒とかからぬうちに寝息をたて始めた。

充電態勢だ。

変換効率1700%を誇る太陽電池は1時間の日光浴で48時間の全力稼働を可能にする。

らしい。

俺が造ったわけじゃないんだから当然真偽は定かではないし、検証のしようもない。

開発者に誇大広告を良しとせぬエンジニア魂がある事を祈るばかりだ。

[すー…すー…]

スリープモードの寝息が微かに聞こえてくる。

日溜まりで眠る姿は猫っぽくてなかなかに可愛らしい。

背後のガラス、そのまた外に具体的な死である荒野が広がっていたとしても。


エスハが寝てる間に現状を確認しておく。

固形食料40日分、魚肉牛肉鳥肉野菜など冷凍食料が10日分、合わせて50日分。

脱出艇の動力源は太陽電池。

その太陽電池を中心とした光合成&水再生&空調&ナノマシン整備を行う循環システム…ワンルームテラが動き続ける限り酸素と水の心配はなく、ついでに予備のボトル飲料と酸素がそれぞれ5日分。

日照に恵まれ、端末に表示されるエネルギー残量は100%のまま動かない。

ここから判断するに電力は実質無限に使えると思っていい。

よほどの天変地異か経年劣化に襲われなければ脱出艇は安泰だろう。

この現状は順調にいけば俺も約2ヶ月は無事でいられるという事を意味しており、同時に2ヶ月半後には確実に死ぬという事でもあった。


いくら脱出艇が先端技術の結晶でも巨大施設である栄養源プラントまではさすがに積んでない。

食料はいずれ必ず尽きる。

前向きに考えるなら補給先を探すしかなかった。

俺は防護服に身を包み、目覚めたエスハを伴って脱出艇の外へ出た。

「…………本当に何も無いな」

出た瞬間そう思った。

窓越しの景色で外が不毛の地なのは察していたが、察していた以上…いや以下の無だった。

船体の確認も兼ねて脱出艇の周囲を1周し、四方八方見渡しても見渡す限りの荒野だった。

くすんだ黄色の大地が地平の果てまで続き、それを無雲の青空が天の果てまで埋め尽くしている。

星ではなく宗教的な罰空間に着陸したのだと説明されても納得してしまいそうだ。

「お前は何か見つけたか?」

[熱、音響、電磁波、いずれも一定の値から変化なし。

半径1km圏内に生命反応は検出できません]

こういう時は存在しないものを検出してくれないのか…されても困るから別にいいけど。

ともかく状況はシンプルで、シンプル故に過酷である。

見える範囲に何も無いなら見えるまで進まねばならないのだ。

「脱出艇の位置は記憶できるか?」

[マッピング機能、救難信号の傍受、併用して99.9%の確度で可能です]

「よし…じゃあ行くか」

靴音をボコッボコッと鳴らして俺は歩きだした。

そしてすぐ嫌になった。

「……しんどい」

防護服は人体の保護とハイキングを両立できるようには作られていない。

周囲と隔絶された空間を作るのが精一杯な着る宇宙ステーションで、動きにくいうえ傷つけたら乗員は死ぬ。

心臓を着込んで歩くようなものだった。

星の重力はせいぜい1.1G程度で違和感ないが、これなら2Gの中で日常生活を送れと言われたほうがずっとマシだ。

[……………………]

機械のエスハはメイド服のままで実に身軽そうだ。

無表情で俺のペースに合わせて進み、いつでも俺を介助できるよう注視している。

[予定を変更しますか?]

その目には俺の姿がよっぽど情けなく映ったのだろう。

淡々と気遣いの言葉をかけてくれた。

言いたい事はわかる。

エスハだけ行かせて俺は脱出艇でゴロ寝してたほうが圧倒的に高効率でお互い楽なのは間違いない。

それでも俺は強がって歩き続けた。

「ホームシックなのかな…苦行に身をさらしてると落ち着くんだ。

このまま行こう」

[……………………]

彼女は俺が担いでいる重さ30kgのビーム砲を扱えない。

安全性への配慮だかいう理由で…開発時にそう設定されたのだと。

播種船計画の柱となるセクサロイドが外敵に破壊されでもしたら全てお終いなのに、だ。

要するに、現場現実からかけ離れた的外れは現場担当が解決するしかないのである。

「…っ……はあ……はあ……」

とは言え限度はあった。

防護服を壊さぬよう慎重を重ねがけしてへたり込んだ場所は振り返れば脱出艇が見える距離。

遠近法で砂粒サイズになるくらいには離れている…しかしそれでは全然足りていない。

正面にまた向き直れば出発前と何ら変わらぬ特A級の間違い探しが広がっているのだ。

道中も変化らしい変化は一切無かった。

この方角のこの位置まで何も無いと確認できた事だけが成果。

[移動時間及び日没予測時間を考慮すると、撤退すべき頃合いと考えます]

「ああ、そうだな…」

防護服も太陽電池式で悠々夜を越せるくらい稼働時間に余裕はあるが、明日何らかの理由で日照が遮られたらそれだけで命に関わる。

付け加え、防護服が無事でもそれを脱げない中身には飲み食いができず、強行軍は死に直結する。

俺に解決可能な範囲は…エスハを護衛しながら探索できる範囲はうんざりするほど狭かった。


日没とほぼ同時に帰り着き、全室洗浄機の4重扉を通り、空腹過ぎて固形食料料理がさらに喉越し悪かった翌朝。

俺は軋む体を横たえながら今日は1日中遊ぶと決めた。

ベッドの上でテレビゲームに興じつつ、仰向け、横寝、うつぶせ、座りと、ダラダラに疲れた体にかわるがわる違うダラダラを与えていく。

そうやってくつろいでいると掃除と洗濯を終えたエスハが傍に立った。

[耳掃除いたしましょう]

そしておかしな事を言い出した。

「いや、別に痒いわけでも詰まってるわけでもないが…」

[データ上人間の自己診断は医学的に信頼できる精度まで達していません。

精子保有者である御主人様の健康管理は私の務めです。

こちらへどうぞ]

ベッドの上に正座し、自分の腿をポンポン叩き促してくる。

その手にはいつの間にか耳かきが握られていた。

「膝枕してやるってか?

いいよそんなの…」

[潔癖を検出。

反論展開。

私のメイド服は先日の洗浄によって100%の無毒化に成功しています]

「お前のは検出じゃなくて思い込みだ。

危ないAIだな…触れるのが嫌だなんて意味は微塵も無い。

耳掃除くらい自分でやるからいいって事だ。

ほら、耳かき渡せ」

しかしエスハは動かず淡々と見つめ返してくるばかりだった。

どことなくこれまでより恨みがましい目つきにも見えるが気のせいだろう…。

と、己の感覚を否定しかけた時、まさに恨み節らしきものが始まった。

[御主人様は非協力的です]

「…自分の耳掃除を自分でやる事がか?」

[私の体型への不満を露わにした時、私の名前を決める時、料理の感想を求めた時、探索の予定変更を申し出た時、加えて今現在、御主人様は非協力的です]

「わからん。

何をもってして協力とする?」

[私の仕事は御主人様との繁殖及びその完遂に向けた御主人様の健康管理と生命保護です。

よって私の管理と保護を全力で享受する事が私の仕事への協力と言えます]

「そうか…そう…うん?

いや、そう…なる…かなぁ…!?」

[なります]

淡々とした断定だった。

冷たくも暖かくもない、固くも柔らかくもない、しかし絶対に揺るぎない口調だった。

[御主人様が私の管理と保護を避ける度、私の存在意義が薄れてしまいます。

私の仕事の価値が根底から崩壊します。

それは仕事に対する最も強い否定であり、最も強い否定は最大の非協力と考えます]

エスハの持論を聞いているうちに宙間戦闘機のパイロットをクビになった日が思い出された。

実戦データを基に開発された戦闘AIが完成し、Gに弱く視野が狭く反応が遅く精神が未熟で劣化が早くて間違えやすい人間はお払い箱になったのだ。

あの時…戦場を離れ生存率を大幅に上げ有り余る余暇を得た、嬉しくないわけがないあの時に感じたえも言われぬ不快感、今なら一言で説明できる。

きっと俺は社会の一部でありたかったのだ。

寄生虫のような敵や老廃物のような邪魔者になりたくなかったのだ。

今のエスハも…AIでさえも同じ気持ちなのだとしたら、自分を外したほうが上手く回る仕事が最も辛い仕事なのは人機共通なのかもしれない。

無論、エスハ抜きのほうがいい仕事など脱出艇の中には存在しないのだが…こいつは無い事を勝手に検出する奴である。

実証してわからせる必要があった。

「…よいせっと。

初めてだから優しく頼む」

[お任せください]

柔くていい匂いの膝枕に寝そべると、エスハは淡々と仕事に取り掛かった。

「ところで…お前の名前をお前基準で可愛くないものに決めるのは仕事への非協力にあたらないと思うんだが」

[ずんぐりむっくりした名前のメイドとカワイイ名前のメイドとでは仕事に差があります]

ずんぐりむっくりした名前とは…?

もしやこいつは単純にワガママなだけなのでは…?

疑問が次々思い浮かんだが、完璧な手際で耳の中を撫でられているうちにどうでもよくなった。


[清掃終了]

なんだかんだ左右合わせて30分は拘束されたろうか?

エスハ抜きのほうがいい仕事など存在しない…これは偽らざる本心だし、自分で耳掃除するより何倍も気持ち良かったのは確かだ。

…確かだが、そもそも耳掃除はしなくてもいい仕事なのであって…。

無用な時間に付き合わされた徒労感は拭えない。

俺は拭えない徒労をストレッチで無理やり削ぎ落とそうとした。

[スキンシップが必要です]

直後、またエスハがおかしな事を言い出した。

「セックスしてるだろ」

[繁殖は仕事です]

「悲しい事を言ってくれるね。

それを言ったら俺にとっても仕事でもある。

『でもある』だ。

仕事でもあり、愛情のスキンシップでもあるんだ」

[不純物の混じった行為は即ち不純であると考えます。

不純度の高さは示された意志または感情の信頼性を著しく損なわせます。

より純度と強度の高いコミュニケーションが必要です]

意志または感情の信頼性…そこまで聞いてなんとなく察した。

「もしかして仕事への協力の話と関係してる?」

[管理と保護の全力享受。

それだけでは私の独善である可能性が否定できず、仕事として不十分です。

御主人様から私への感謝、もしくは賞賛をもって私の仕事は完成します]

「つまりは褒められたいと。

ありがとう」

[軽薄を検出しました]

「すごいよエスハすごいよ」

[嘘くさいを検出しました]

「どないせーっちゅーねん」

[より純度と強度の高いコミュニケーションが必要です]

言いつつ両腕を不器用に前へ突き出し、そこから左右斜め45度まで広げた。

抱っこをねだる子供にしては表情が固すぎるが、ポーズはそのものだった。

「…抱き締めろと?」

[はい]

ごねられても面倒なのでささっと終わらせるべくすぐに抱き締めた。

こいつのセンサーはそういう男心は検出できないらしく、特に何も言ってこないまま俺の背に両腕を絡めてくる。

…何も言ってこないので辞め時がわからない。

「もういいだおご!!」

勝手に潮時と見て動くと超反応で締め付けられた。

[より純度と強度の高いコミュニケーションが必要です]

「これ以上どうしろと」

[頭を撫でてください]

開発者の趣味がよくわからん…なんでこんな無愛想な奴に甘えられるのがいいと思えたんだ?

わからんが、例によって現場担当が頑張るしかない。

俺はエスハを左腕で抱き、右でショートヘアの毛並みをなぞった。

[……………………………]

無言。

そして顎の下に頭頂部がきてるので見えないが、まず確実に無表情だ。

本当にこんなのをして欲しいのか…?

試しに撫でを中止して両腕で抱き直してみると、右手を力ずくでエスハの頭頂に戻された。


セックス、探索、ゲーム。

だいたいこの3つのルーティンで生活が落ち着いた。

時々エスハがマッサージさせろだの背中を流させろだのキスしろだの言ってくるくらいしか変化は無い。

空は常に真っ青、風は吹かず、朝と夜の他に訪れるものは何も無い。

探索から持ち帰れるのは疲労だけ。

[御主人様、御覧になっていただきたいデータがあります]

そんな時、エスハが制御端末前まで呼びつけてきた。

画面内には見るからに弱々しい糸状の生物が蠢いている。

いや、生物かどうかは議論の余地があるかもしれん。

そいつは命と呼ばれる遥か手前の段階だった。

「精子か」

よく見るのに見えない、自分ではできれば触れたくない、それでいて自己と切り離せない成人男性の最も身近な哲学だ。

常識的に考えれば俺のだろう。

だが何かおかしい。

……少なくないか?

[御主人様は無精子症です]

答えはすぐに教えてもらえた。

[原因は精巣炎、染色体異常などが考えられますが、この施設での特定、治療は不可能です。

速やかに専門のクリニックを受診する必要があります]

「ふははっ!

この荒野のど真ん中で不妊治療か!?

皮肉が効いてるねえ…よし、今日は医者を探しに行こう。

言われてみれば確かにこの星はデリケートな悩みを隠すのに向いてそうだ」

嫌味じゃなく本当に心底面白い冗談だと思った。

ここ10年で一番笑ったろう。

しかしエスハは相変わらず無表情で、それ以上一言も発さなかった。


「ふっすーふっすー」

[………………………………]

保険証を持っていない事に気付いた夜、いつものようにエスハを抱いた。

いつものように無反応だが性器自体は俺にオーダーメイドで合わせてくれているし、そういう女なのだと割り切ってしまえば普通に楽しめる。

「くっっっおっっっ…………はぁ」

[………………………………]

一発終えて小休止。

すると待っていたのか単なる場繋ぎか、淡々とした声が腕枕のほうから響いた。

[不可解です]

「何がだ?」

[無精子症の件はお伝えしたはずです。

脳の記憶領域もしくは判断領域の重大な疾患を疑わざるを得ません]

「ひどい言い草だな…もちろん覚えてるし正気だ」

[…私では御主人様のお役に立てません]

「お前の生殖機能には問題無いんだろ?

だったら100対0で俺が悪い。

堂々としていろ」

繁殖用セクサロイドはランダムな組み合わせで100通り以上の遺伝子パターンを再現できる人工卵子を任意のタイミングで排卵し、人工子宮内で受精できる。

本来ならとうに着床を済ませているはずだった。

役に立てないと言ったのはそれができていないという意味だろう。

[御主人様はなぜ繁殖を続けるのですか?]

「続けていたいからさ。

それが誇りで、誇りのために生きてるんだ。

何よりそういうカッコつけ抜きにしてもお前の中は気持ちいいし嬉しい。

これだけで充分な理由だ。

そりゃあ無精子症には驚いたし残念だし情けないと思う気持ちはあるよ。

こちらこそ役に立てなくて申し訳ない。

でもまあ…不幸中の幸いもある」

[なんでしょう]

「お前を独り占めできる」

[…………………]

「それに無精子症と言っても生き残りがいないわけじゃない。

少数精鋭は地球軍人の十八番だよ。

俺は誇りを失ってないし、我が子に嫉妬しなくてよさそうだし、子供は絶望の泣き声をあげずに済みそうだし、お前の仕事はまだ終わってないって事。

どうだ?

悪くない時間に思えてこないか?」

問いつつ顔を見る。

目が合った。

やはり無の表情だ。

凪ですらない凝固した南国の海がただそこにある。

しかし無意味ではないように受け取れた。

無意味なはずの見つめ合いを長々と続けていたから。

[仕事に戻ります]

そのうちエスハは俺の上に乗り、無意味に近い白濁液を搾り取り始めた。


[探索範囲の拡大、またそれを可能とする単独行動の許可を願います]

播種船を出てからちょうど1か月経った日、エスハが初めてのお使いを願い出てきた。

食料の在庫は半分を切っている。

尻についた火がいよいよ胸まで燃え移ろうかという時だ。

精子保有者の保護という観点から見て当然の判断である。

同僚として主人として男としての観点から見ると止めたい気持ちはあるが、俺が餓死も過労死もせず帰ってこられる範囲の探索はとっくに終わっている。

今や俺にとって探索は完全に『自分を外したほうが上手く回る仕事』であり、快く見送る他に手立てが無かった。

「いいぞ、行ってこい。

目ぼしい男を見つけたら夫候補にして連れ帰れ。

俺が面接する…うっ!!

うぐっ!!痛い!!

枕で殴られるのけっこう痛い!!」

エスハは無表情のまま俺を枕でボコボコ殴りつけ、武力行使を終えて出ていったら35時間戻ってこなかった。


エスハが1日おきに脱出艇を留守にするようになってさらに20日。

固形食料が尽き、ついに冷凍食料に手をつける時がきた。

「やっとこの日が来たか…!」

俺は自殺志願者ではないので食料が減るのは大変に困る。

しかし矛盾するようだが、固形食料が尽きるこの瞬間をまだかまだかと待ちわびていた。

なぜならようやくまともな人間の食事にありつけるのだから。

「これを使ったレシピも入ってるよな?」

[食材の種類からの計算で合計828の調理法があります]

念の為の確認に頼もしい返事。

「よしよし…だが今後は作る前に必ず声をかけてくれ。

人間には好みってもんがあるからな。

調理法を選びたい」

[畏まりました。

ですが御主人様、先に決定しておいていただきたい事項があります]

「ん?」

[資料には10日分とありましたこちらの食材、加工の加減次第では20日分ほどに延長できる可能性があります。

いかがいたしましょう?]

「むしろ10日を割ってもいい。

1食を豪勢にしてくれ」

[畏まりました]

俺は自殺志願者ではない。

だが命を第一に考える段階はもはや過ぎていた。


そしてまたさらに10日後…その冷凍食料も残らず消えた。

あと腹に入れられるものは水だけだ。

俺はカロリー消費を最小限に抑えるべくベッドに寝てなるべく動かないようになった。

俺が動かず着替えず飯も食わないので家事仕事を実質失ったエスハは探索に専念する事になった。

[只今帰還しました]

「……おう……」

水だけ生活を始めると同時に出ていったエスハは3日後に帰ってきた。

この頃になると俺は『なるべく動かないように』などと意識するまでもなく動けなくなっており、仰向けのまま帰還の挨拶に応えた。

[…………………]

仰向けだからといって天井しか見えないなどという事はなく、帰ってきたエスハが手ぶらなのも真っ直ぐ制御端末まで向かったのも視野に収まっている。

エスハはしばらく端末を眺めた後、ベッドの側まで来て報告した。

[救難信号への返答は来ていません]

「だろうな」

[それと…申し訳ありません、食用の可能性がある有機体、交流可能な知的生物、どちらも未だ発見できていません]

「そうか」

[なぜ私を責めないのですか]

「逆に聞きたい。

なんでお前を責めなきゃならない?」

[私はお役に立てていません]

「たった今責める理由ができたか。

役立ってないなんて馬鹿げた勘違いをやめろ。

お前は立派に務めを果たしてきたし、今だってできる限りの仕事をしてる」

[理解できません。

御主人様の言葉も、なぜ救援が来ないのかも]

「そうか…繁殖専門に造られたから人類の細かい事情まではインプットされてないんだな」

[どういう意味でしょう?]

「人類の事情を知ってれば救援が来ない理由も自ずとわかるって意味だ。

簡単に言うとな、地球人類は絶対に生かしちゃおけないゲス野郎として認定されたんだ。

それで逃げた。

根絶やしを防ぐため、追う気が失せるよう広く遠く、探す気が失せるよう細かく逃げた。

細かくするために栄養源プラントを積まなかったし、飛行能力も着陸に必要な最低限に抑えた。

俺達もその1つさ。

いつか言ったろ?

俺に救助を求めたいのは播種船のほうだろうと。

あれは全く冗談でも何でもない現実だ。

母船が沈められた後、たった1組でも男女が生き延びて1年でも根絶やしを遅らせられれば万々歳ってのが播種船計画だ。

俺達が滅びかけの人類を助ける側なんだよ。

無精子症の奴を事前検査で炙り出すなんて必要も無いくらい定員割れした少数精鋭の、な。

計算も保証もフォローも無くて当然。

力及ばずならそれまでだ」

[理不尽です。

人類を絶滅させるべきとする根拠に乏しいと考えます]

「だいぶ端折はしょってるし、それは宇宙のみんなに聞いてくれ。

個人的な見解としてはまあ言ってる事はわからないでもない…くらいの立場だったが、お前と暮らしてみて確信した。

人間は滅ぼされても文句を言えん」

[なぜ?]

「お前を造ったからさ。

人間同士の問題を人間では解決できなかったからお前が造られた。

人間は自分達でも認めてたんだよ。

人間なんか信頼に値しないゲス野郎だってな…。

現にお前は生身の女とは比べ物にならないくらいよく働いてくれた。

お前が料理をやってくれたから食事の時間が楽しみになったし、お前が雌をやってくれたから俺は雄でいられた。

今でも俺を主人と呼んでくれているから俺は人類のために働く社会の一員として誇れる。

全てお前のお陰だ。

ありがとう、エスハ。

仕事をさせてくれて…ありがとう」

[…………………………]

エスハは何も言わなかった。

いつもの無表情からは納得できたのかどうか読み取れない。

いかにエスハが役立っているか実証してわからせてやりたいが、そのためには生きていなければならず、それは甚だ困難だった。


その後エスハは俺にたらふく水を飲ませ、尿を取り、体を拭き、服を着替えさせ、ベッドから離れず済むようにと予備のボトル飲料を枕元に並べ、仕事が尽きるとすぐ出ていった。

エスハの余韻が失われていくにつれ、反比例して苦痛が大きくなっていく。

(腹減ったな…)

あのメイド服を見ると否が応でも料理の数々が思い出された。

冷凍マグロの刺身、牛肉ステーキ、串焼き鳥。

固形食料料理も毎食手を替え品を替え、少なくとも飽きさせない工夫には満ちていた。

その記憶に刺激された胃が締め付けるような痛みの信号を返す事で反撃してくる。

(またあいつの料理を食いたい…)

苦しければ苦しいほど楽しい思い出にすがりつき、余計苦しみを招く悪循環が続く。

頭は重いだけの荷物になり、体はしぼんだ風船みたく頼りない。

いつの間にか苦しい以外の事を殆ど認識できなくなっていた。

思い出も思い出に浸ろうとする意志さえも捉えられない。

自己の存在が曖昧になり、ベッドや太陽光まで自分のような気がしてくる。

時間…時間は?

エスハが出ていったのは何分前?

何日前?

俺は寝ているのか?

起きているのか?

何もかもわからないのに苦しみだけはいつまでも居座っていた。


[御主人様。

御主人様。

御主人様]

久しぶりに苦しみ以外から呼ばれると、それはエスハだった。

眠っていたつもりはないのだが、肩を揺さぶられているので多分起きてはいなかったのだろう。

「お゛……ぎ……」

起きたよ、と喋ったはずなのに喉が軋んで止まる。

すかさずエスハが俺を抱き起こし、水を飲ませてくれた。

「…う…はぁ。

…どうした…その格好…」

エスハのメイド服は泥だらけだった。

4重の洗浄機でも落としきれぬほど繊維にはまり込んでしまっているらしい。

[探索範囲を地中に拡大しました。

100%の無毒化が完了しておりますのでご安心ください]

「危険はなかったか…?」

[はい]

「そうか…ならいい…」

地中か…いいアイディアじゃないか。

結局エスハは手ぶらのようだったが、仕事に熱中できて無事帰ってきたならそれでいい。

[脱衣と本体の再洗浄を行います]

言い残し風呂場へ行く。

すぐにシャワーの軽やかな音が聞こえてきた。

その区別がつくのだ。

ついさっきまで全てが苦痛に埋め尽くされていたのに、今は水滴の1つ1つまで感じ取れる。

俺がはっきり存在し、エスハがすぐそこにいると解る。

快調だった。

峠を越すとはこういう事を言うのだと思った。

きっと越したままどこにも降りずふわりと飛んでいくのだろう。

そう直感した時、ちょうど全裸のエスハが戻ってきた。

最高のタイミング。

旅立ちはメイドに暇を出してからでなければならない。

主人にできる最後の務めだ。

「エスハ、俺はじきに死ぬ。

だから今すぐこの星を探索し尽くしに行け。

どこかには別の脱出艇が降りてるかも知れん。

どこかには生存圏があるかも知れん。

どこかにはお前を可愛がってくれる奴がいるかも知れん。

それを探せ。

一番の狙い目は女性用セクサロイドだ…たぶん最高の似た者夫婦になれる。

ああ、万一に備えて書き置きを残して行け。

あそこの恒星が爆発でもしない限り救難信号は出続ける。

信号をわざわざ確かめに来るような奴らが書き置きを見ればお前がどこにいても探してくれるはずだ。

お前を壊すためかもしれんが…少なくとも孤独ではなくなる。

今までありがとう。

あと…最後まで役立たずですまない。

せめてビーム砲の的になる危険生物でもいればいくらか釣り合ったろうにな。

ははっ…さあ、行け!」

言うべき事は言い切った。

しかしエスハの態度はどう見ても真剣に聞いている感じではなかった。

俺が喉を酷使してる間ずっとハンドドライヤーで髪を整え、同時にバスタオルで体の水分を払っていた。

「ちゃんと聞いてたか?」

[私には34箇所までの発声を同時に聞き分ける機能があります。

この機能により、御主人様の馬鹿げた勘違いも漏れなく検出しています]

エスハはそう言うとハンドドライヤーをきちんと定位置まで戻し、バスタオルを洗濯機に入れた。

まだまだ使うと言わんばかりの、いつものメイドの手際だった。

「馬鹿げた勘違いだと…?」

[私は御主人様の傍にいます]

素っ裸でベッドの横に来て、いつものメイド立ちで宣言するエスハ。

「別の主人を探せと言ってるんだ」

[御主人様に私の仕様変更を行う権限は付与されていません]

「仕様に従えと言ってるんだ…!

精子保有者が死んだらそいつと作った子孫と代々交配する、もしくは別の保有者と交配する。

それがセクサロイドの仕様だろ。

仕様を決めた政府に…お前に関する権限を持つ政府特令に従え」

[知った事ではありません]

「不良品め」

[あなたにお似合いです]

水を飲ませてくれた時から起こしっぱなしだった上体を優しくベッドへ戻され、一連の流れでエスハまで入ってきた。

俺の肩を枕にし、添い寝の形をとる。

すると柔らかくて、暖かくて、いい匂いがして…何もかもが幸せで塗り潰されたような気がした。

あまりに素晴らしい仕事だったので、反射的に枕にされているほうの腕で頭を撫でてやっていた。

[ありがとうございます、御主人様]

エスハはスリープモードに移行したようだ。

礼を言って数秒後にはすーすー寝息をたてている。

それを聞いていたら眠くなってきて、俺も素直に目を閉じた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冥福 ハタラカン @hatarakan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ