3 仕事のために読む難しい文章が苦手
闖入者たちのせいで集中が削がれることになってしまったが、エイダの仕事は協会に蓄積されている過去の学科試験問題から新たに学科試験に組み込むものの候補を選定することだ。
選ばれた過去問は現在の知識を盛り込んで再編集することになる。
とにかく物量が多く、ずっと書物と机に向き合わなければならない。
(レヴィさんが嫌いそうな仕事だ……)
エイダは頭をスッキリさせるため、さきほどリシュロットが置いて行った群青糖の飴の封を破って口に放り込んだ。甘さが口の中に広がり、花のような香りが鼻腔に抜けて行く。
気分転換して作業に戻ろうという時になって、執務室の床がぐわんと歪んで、その窪みにドロドロとした黒い液体が滲み出してきた。
「え、え、え?!」
エイダが狼狽えている間にその黒い液体が盛り上がって人の形になる。黒い液体が弾けて現れたのは、さきほど噂になっていたラプテーリだった。
黒い液体は跡形もなく消えて床も元通りだ。
「息災であるか?」
「ららら、ラプテーリさん?!」
パニックになるエイダを差し置いて、ラプテーリはレヴィの執務机の上にぴょこんと腰を下ろした。
「ど、どうやって現れたんですか!」
「ただ歩いてくるのでは、索然たることよ」
「そ、そうですか」
(相変わらず何言ってるのか分からない……)
ラプテーリがニヤニヤして見つめるので、エイダは面映ゆくなってしまう。
「あ、あの、レヴィさんは出張でして……」
ラプテーリは短く笑う。
「カカ、
(レヴィさんの共通認識が強い……)
「ええと、それじゃあ、どのようなご用件で?」
エイダにとってはラプテーリは異次元の存在だ。先日の冒険者審問会で顔を合わせただけで、未だに同じ空間にいるのに息が詰まってしまう。
「
あどけない少女の顔で老獪な眼差しを向けられ、エイダは頭が混乱してしまう。
「何が……と言われましても、自分でもよく分からないというか」
「カカ、それは己が心の純然たる
「心の僕、ですか……?」
「其方は彼奴の以前の補佐官が辿った結末を把持しておるのか?」
「レヴィさんに補佐官がいたことは聞いたことがあるんですけど、詳しくは……」
ラプテーリは意味深な微笑を浮かべた。
「その真実が其方の手に握られた時、其方がどのように彼奴を裁くのか、座して待つことにしよう」
「どういうことですか?」
「カカ、知りたくば探るがよい。我が午睡ほどの消閑とならんことを、エーベルハルトの補佐官よ」
次の瞬間、ラプテーリの身体から突風が吹きすさんだ。エイダが顔を背けたその一瞬に、ラプテーリは姿を消していた。
(いや、もう、どいつもこいつもなんなの……。私、仕事してるんですけど)
~*~*~*~
やっと静かになった執務室の中で、ようやくエイダは仕事に集中……できていなかった。
三人はレヴィの話をしていた。そのどれもが心に引っかかりを感じるものばかりで、気がつけばエイダはレヴィのことばかり考えている。
一日はまだ長い。
エイダは立ち上がる。
(うちの上司も自分の趣味に走ってるんだから、別にいいよね)
言い訳を心の中にして、彼女は協会内の書庫に向かった。
冒険者認定協会の中にも、カリアナトムの図書館ほどではないが、蔵書が収められている。
特に、協会のメンバーが執筆した論文などは完璧に網羅されており、エイダの目的もそれだった。
著者ごとに分かれた棚の中から「レヴィ・エーベルハルト」を探し出す。何篇もの論文が並んでいた。
(魔法だけじゃなくて鉱物や遺物なんかの論文も書いてるんだ。すごいな、あの人……)
数ある論文の中から、エイダは最も古い『魔力の流れに関する体系的検証』という論文を選んで借り出すことにした。
エイダにはどうしても気になることがあった。レヴィの魔法だ。
(
エイダは魔法に明るいわけではないが、冒険者認定官を目指す者として、冒険者認定試験をパスしている。その認定試験の対策として最低限の魔法知識は習得してきた。
そんなエイダの知識の中には、レヴィが使ったような魔法は存在しない。
本人に訊こうにも、魔法については世間的な認識がある。それは、個人が開発したような魔法の構造は各魔道士が秘匿しているということだ。だから、その秘密を追いそれを訊き出すことは失礼に当たるし、魔法の権利問題に発展する可能性もあるのだ。
エイダはそんなレヴィの魔法の秘密について、彼の論文から迫れるのではないかと考えていた。
執務室に戻ったエイダは論文に目を通す。
論文の中で、レヴィは魔法銀の粉末を用いて魔力の流れを可視化していた。魔法銀の粉末は魔力に反応して微かな光を発する。魔力が流れることによって、その発光具合から魔力の流れを推定することができる。鉄粉と磁力の関係に近いようなものだ。
レヴィの論文は要約すれば、等距離であれば、魔力には優先的な流入先があるとしている。その優先順は、
一、魔法式などによって励起された魔力のある場所
二、発動する魔法の現象が発生する場所
三、群青石や魔族の肉体などの魔力源
四、魔力の流れの生じる場所
五、生物を含む物質の集まる場所
六、
(※
となっている。
これらの優先順位に加えて物理的な隔たりなどが関わって複雑な魔力の流れを形成しているということをレヴィは実証的に導き出したのだ。
(そういえば、私が以前、暴漢に襲われそうになった時にレヴィさんは“体内の魔力の流れをいじって”相手を無効化していたんだよな……。あれも初めて見たんだった。魔力の流れについては専門分野だとも言っていた)
この論文はレヴィが初めて冒険者認定試験を受験するよりも前に魔法院の査読委員会で受理されている。この功績が理由で、レヴィは冒険者認定試験に合格すると共に、飛び級でランク三の冒険者となった。
現在では、この魔力の流れの理論に従っていくつかの魔法工学は魔力回路などの分野で発展していて、レヴィは一部ではかなりの有名人らしい。
ちなみに、冒険者には七つのランクがあり、数字が大きくなるほど様々なアクセス権限が付与される。例えば、高レベルの危険地帯への立ち入りが可能になったり、各地の図書館に収蔵されている特殊閉架の図書にもアクセスすることができるようになる。
(あの人って、人間としてはアレだけど頭良いんだなぁ……)
ナチュラルに失礼な感想を抱きながらエイダは論文を読み終えた。
そして、ずっと抱いていた疑問がエイダの中に改めて大きくなる。
(魔力は魔法銀の粉みたいなものがなければ可視化できない。レヴィさんが魔力の流れを感じ取っていたとしたら、そういうものを撒き散らしていなければならないけど、そんなことをしているのを見たことはない……)
エイダの頭の片隅にあって、ずっと言語化していなかったことがある。彼女はその領域に足を踏みだした。
(一部の魔族や魔物は魔力を感知できると図鑑で読んだことがある。例えば、高山地帯に住む
考えられる可能性にエイダは半信半疑だ。
(レヴィさんは魔族なのか……?)
つづく
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