2 職場の習慣は仕事を始めないと分からない

「あのー、すいません、何かご用ですか……?」


 レヴィの椅子に座ってクルクルと回っている白い制服の男がいる。


 オールバックにしたロマンスグレーの髪。瞳は理知的だが、エイダにはそれが無駄遣いに思える。


 世界評定部局のラダアト・リシュロット第一評定官だ。協会の中でもかなりのお偉方がついさきほどフラッと現れてレヴィのデスクを占領した。


「あの……、リシュロットさん?」


「ぼくの部屋の椅子はさクルクルしないんだよ、エイダちゃん」


(いきなり何を言い出すんだ、このおっさんは……)


「だから、こっそりとここに来ては椅子をクルクルしてるってわけなんだよ」


 沈黙が訪れる。


「……ええと、なんでですか?」


 リシュロットは真上を向いて胸を前に突き出すポーズを椅子の上で取ると、思い切り床を蹴って椅子を回転させた。あまりにも勢いがついたせいで遠心力で彼の身体が床に投げ出される。


「いでっ!!」


 大の大人が床の上で転がるのをエイダは静かに見つめていた。


「飴ちゃんあげるから、今のは見なかったことにしてくれな、エイダちゃん」


「喋っても私が頭おかしいと思われるので誰にも喋りません。あと、飴ちゃん要りません」


「飴ちゃんって言っても製菓ギルドシュラヴスの群青糖の飴だよ。見た目も綺麗で高級なんだぜ。ホントに要らないの? なっ? もらっといて損はないぞ」


(なんで私のまわりには頭のおかしい人たちしかいないんだ……)


「それで、第一評定官がなぜレヴィさんの執務室に?」


 目の前で腰をさすりながら椅子に座り直すリシュロットに自身の職務を自覚させるようにエイダが言うと、彼は頭を掻きながら応える。


「ラプテーリさんに聞いたんだがな、この前の暴動の首謀者を捕まえる時、レヴィのやつに顎で使われてたらしいんだな、ぼくが」


 シェフィトラ・ラプテーリ監査部局長はエルフ──魔族だ。エイダたちの数十倍は長く生きているらしいが、見た目はいたいけな少女そのものである。暇を持て余しているのか、余興に目がない。


(あの人、きっと場を搔き乱すようなことを触れ回ってるんだろうな……)


 しかし、そんなことを言えるはずもなく、エイダはお茶を濁す。


「そんなことないと思いますけどね。レヴィさんもリシュロットさんに感謝してましたよ」


「いやな、あの時以来、レヴィが俺のところに挨拶も来ないもんだから、文句の一つでも言ってやろうと思ってさ」


(レヴィさん、ホントにこの人を顎で使ってたー!)


「あいにくレヴィさんは認定試験の作問の取材で出張してまして……」


「はぁ~ん、レヴィのやつ、趣味と実益を兼ねて遊びに行ったな」


(バヒーラさんと同じこと言われてるよ、レヴィさん……)


「まあいいや。エイダちゃんからレヴィによろしく言っといてよ」


「は、はあ……、分かりました。……あ、ついでで申し訳ないんですけど」


「なんだい? 飴ちゃん欲しい?」


「飴はもういいです。そうじゃなくて、先日打診させて頂いたテュラトス周辺への解放遠征についてなんですけど、進捗がどうなってるのかなと気になりまして……」


 鉱山地帯であるテュラトスには魔物が犇めいている。そのために危険地帯に指定されている。レヴィの命を受けて、エイダはリシュロットのもとに危険地帯を解放する遠征の打診を行っていたのだ。


「ああ、それね。解放遠征の可否決定はかなり時間がかかるよ。このノルヴィア支部でゴーが出ても、帝都本部の銀翼会議で承認が下りないと無理だからねえ」


「銀翼会議……冒険者認定協会の意思決定機関ですか」


 冒険者認定協会を創設したのは、当時の傍若無人の冒険者たちを討伐して回った“銀翼の勇士団”のメンバーたちだ。その系譜を持つ者たちが今も協会の意思決定に関わっている。


「帝都に持って行く前にもこっちで長いこと調査しないといけないんだよ。めんどくさいんだけどね……あ、これここだけの秘密ね」


「そうなんですね」


「エイダちゃんは阿気になるの? テュラトスの情勢が」


「ええ、まあ。そのせいで色々とトラブルが起こっていたようなので」


「まあ、気長に待っといてよ。もしかしたら、私設の解放遠征隊が組まれるかもしれないしさ」


 解放遠征は公的な機関が行うものとギルドなどが主体になって行うものの二種類がある。前者は比較的大規模な事業になるが、後者は基本的にはごく小規模なスケールで行われている。


「そうですね」


「エイダちゃんは視野を広く持っていて偉いね」


「れヴぃさんには視野が狭いって言われますけどね」


「ははは、ぼくも言われたことあるよ」


(上の人になんちゅうこと言ってるんだ、あの人……)


 部屋を出て行こうとするリシュロットは何かを思い出したように制服のポケットから何かを取り出してエイダの机の上に置いた。


 個包装された群青色の飴だ。光を受けてキラキラとしている。


「シュラヴスの群青糖の飴。あげるよ」


「ありがとうございます。これ、綺麗ですよね」


「群青石をイメージして作ったらしいよ」


「へえ、そうなんですか」


「エイダちゃんは群青石を見たことはあるかい?」


「あまり見ることはないですね。魔法を使う機会がないので」


「群青石についても色々調べてみると今後の役に立つかもしれないよ」


「レヴィさんみたいなこと言いますね」


「ははは、あいつに魔法関連のことを教えたのはぼくなんだぜ。それじゃあまたね」


 部屋を出て行くリシュロットを見送って、エイダはため息をつく。


(ここって誰でも自由に来ていい場所なの?)





つづく

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