EP4 肩透かし

1 上司がいないと気が楽になる

(一人だ……)


 朝、エイダ・ガーファンクルはレヴィ・エーベルハルトの執務室にやって来て自分のデスクにつくと、薄暗い部屋を見回した。


 部屋の中央奥にあるのがレヴィの執務机だ。


 レヴィ・エーベルハルト特級冒険者認定官はエイダの上司にあたる。エイダは彼の補佐官を務めて二か月ほどになる新米である。


 冒険者になるために資格が必要になって久しい。かつて、冒険者たちの横暴によって社会は混迷を極めた。その防止策として然るべき人間が厳正なる選考を行うようにと世界的に定められたのだ。


 現在は冒険者認定協会と呼ばれる国際組織が冒険者志願者たちに試験を与えている。エイダが所属するのが、聖帝国セスティリアのノルヴィアという都市にある支部だ。


(せっかくワンチームになれた感が出てきたと思ったのになぁ……)


 エイダはため息をつく。


 先日、ノルヴィア全体を巻き込んだ大事件──その渦中にレヴィはいた。彼のためにエイダは奔走したのだ。


『学科試験の作問のための取材に出る』


 レヴィはそれだけを言って出張に出てしまった。補佐官であるエイダを置き去りにして。


(絶対、雑務を私に押しつけてるでしょ、あの人……)


 イラっとしながらレヴィの執務机を睨みつける。とはいうものの、彼に何度か身の危険から救われている以上、あまり大っぴらに不満をぶちまけることもできない。


 エイダはレヴィの執務机の奥に回り込んで、そこにある窓からノルヴィアの中心街カリアナトムの白亜の街並みを見下ろした。小高い丘の上に築かれたノルヴィアの心臓部は“白冠ホワイト・クラウン”とも呼ばれ、その景色を見にノルヴィアにやって来る者もいるほどだ。


 そんな街を見下ろしていると、いつも鋭い眼を光らせているレヴィがいないこともあって、エイダの気分も大きくなってくる。


 エイダは両手を広げて、


「この街は私のもんだー」


 と言ってみた。


「エイダちゃん、そんな願望あったのー?」


 背後から声がして、エイダは心臓を落っことしそうになった。


「ばっ、ばばばば、バヒーラさん?! なんでここにいるんですか?! っていうか、今の聞いてたんですか!? お願いですから聞かなかったことに……!!」


 バヒーラ・ガイヤール特級冒険者認定官。レヴィの同期だ。


 制服の乱れを一身に担うような存在の彼女は、今日も健康的な小麦色の肌を思う存分露出していた。


 彼女は長い巻き髪をなびかせて悪戯っぽく笑った。


「そんなに慌てなくてもいいよー。秘密があった方が人間味があるじゃーん」


(この人、口軽そうなんだよなぁ……)


 エイダは熱い頬を手で押さえつけるようにして、自分の執務机に移動した。


「っていうか、エイダちゃん、やっと私を名前で呼んでくれたねー。あたしは嬉しいぜー」


「えっ、そんなことしてましたか! し、失礼しました……!」


「いいの、いいのー。エイダちゃんと心の距離が縮まったってことだからさー。うちの執務室に来れば、身体の距離も近づくよー」


 特級冒険者認定官には補佐官の枠があり、冒険者認定官の卵は補佐官での業務を積む必要がある。補佐官は、個室が与えられる特級冒険者認定官の執務室に詰めて勤務する決まりになっている。いわば一心同体の関係だ。


 バヒーラの執務室は“花園”と呼ばれ、女性しかいないのはこの協会では有名な話だ。そして、エイダはどういうわけか事あるごとに“花園”に勧誘されている。


「いいんですか、そんなこと言っても? またミトハシェヴさんに怒られますよ。そういえば、今日は一緒じゃないんですか?」


「朝一番にここに来たからねー」


「なんでですか?」


 バヒーラは口をへの字にして拳を作る。


「あたしは知ってるんだよー、この前の暴動の首謀者を捕まえるのにレヴィがあたしに声かけなかったのをねー!」


(やっぱりめっちゃ悔しがってるよ、この人……)


 バヒーラが不満そうに口を尖らせてエイダに詰め寄る。


「エイダちゃんだってレヴィにオグナベラまで行かされたって聞いたよー。大変だったでしょー?」


「ああ、まあ、あれは……私が自発的にというか、なんというか……」


「レヴィに焚きつけられちゃったんだよねー? 冒険者認定官養成学院スコラ時代から成績のためとか言ってあたしらを使ってた奴だぞー。うんうん、分かる分かるー」


「いや、勝手に納得しないでください……」


(というか、あの人の学院生時代どうなってんだ……)


 しかし、バヒーラに突かれたからというわけではないが、エイダにも思い当たる節はあった。


「確かに私が証拠を調べるように誘導してた感じはありましたけど……」


「でしょー! レヴィって人の心を動かすのがうまいんだよねー。それで気付いたら手伝わされてるんだよー」


「た、確かに……」


(私もなんであの人のためにあそこまで頑張ってたのか、今となっては分からないもんな……)


 心を動かす──そのバヒーラの言葉がエイダに引っかかった。


 レヴィは魔力の流れを感じ取ることができるのではないか……その疑惑がエイダの中で再燃した。彼女がそこまで大きなこととして捉えているのは、魔力を感じ取ることができる人間など存在しないからだ。


(まさか、レヴィさんは……)


「エイダちゃん、大丈夫ー?」


 バヒーラが顔を寄せているのに気づいて、エイダは仰け反ってしまう。


「だ、大丈夫です。お気遣いなく……」


「レヴィのやばさで心労が絶えないんだねー。うんうん、分かるよ分かる」


(また勝手に納得してる……。っていうか、この人も暴徒相手に古代魔法ぶっ放そうとしてたんだよな。この人もこの人でやばいでしょ……)


 太古に栄えたらしい古代文明では、今よりも高度な技術が使われ、魔法も今とは全く異なる様相を呈していたといわれている。


 古代の遺跡や遺物を発掘してその恩恵にあずかってきた現在の社会では、その古代の叡智を解析しようと研究が進められているものの、進捗は芳しくないという。魔法も言葉と同じように時代や場所が変われば別物になってしまうのだ。


「で、レヴィはまたお寝坊さん?」


 レヴィから告げられた理由を話すと、バヒーラは「ははーん」と顎に人差し指を当てた。


「レヴィのことだから、趣味を兼ねて魔法とか鉱物とか遺跡とかのこと調べに行ってるんだなー、きっと」


「バヒーラさんもそう思いますか。私も薄々そんなことだろうって思ってました」


「お、エイダちゃんもあいつのこと解ってきたねー」


(解ってきたというか、単純だから解りやすいというか……)


「でも、それってほとんど冒険に出てるようなものですよね。レヴィさんは常々言ってるんです。『冒険者は人を不幸にする』って……。なんか矛盾してますよね」


 バヒーラはそこで優しく微笑んだ。


 慈悲深さを感じさせるその表情にエイダは思わずドキッとしてしまった。


「レヴィにも色々あるんだよ」


「色々、ですか?」


「それはさ、本人が話す気になったらきっとエイダちゃんにも喋ってくれると思うよ。あたしから言うことじゃない」


(なんかバヒーラさんの雰囲気が急に変わったな……)


 窓の外に目をやったバヒーラは気持ちを切り替えるかのように、ニコッと笑った。


「それにしても、愚痴をぶつける相手がいないんじゃしょうがないかー。話聞いてくれてありがとねー、エイダちゃん! じゃねっ!」


 軽い挨拶を残してバヒーラは部屋を出て行った。


(あの人、ホントに愚痴言うためだけに来たんだ……。暇人じゃん)





つづく

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