2 上司に蚊帳の外にされると無能に思われているのかと戸惑う

「レヴィさん、なんか雲行きが怪しくなってきたかもしれません」


 翌日の朝、ラーツォがやってくる前にエイダは早口にまくし立てた。


 執務机の向こうのレヴィがうなずく。


「君も読んだか。明日の冒険者認定試験参加者の特集記事を」


 グラバラン──ラーツォが所属する報道ギルドの発行する新聞セスティリア・ジャーナルにその特集記事は写真と共に掲載されていた。



■再起をかけた試験へ


「今回の試験に懸けるしかないんです」。ウォズライ・クレークは我々の取材にこう応じた。

 クレーク氏が語るのは、今月十二日にノルヴィアで開催される定期冒険者認定試験だ。主要都市で開催される同試験は、近年、周辺都市からの参加者も増加傾向にある。しかし、その合格率は毎回数%と、かなりの難関だ。

「試験のために寝る間も惜しんで勉強と鍛錬に打ち込みました」とクレーク氏は話す。冒険者認定試験では、一次試験として学科と実技の両試験が行われる。そこを突破して、二次試験の面接で評価を得られれば、晴れて冒険者資格が与えられる。

 クレーク氏が試験に懸ける思いは強い。十二年前に勃発した東方の隣国ドレアビルスとの戦争は多くの被害をもたらした。彼の故郷センペラータもドレアビルスとの国境近くにあり、七年前に戦火に飲まれた。自身は重度のやけどを負い、現在では、日常生活を送れるまでに回復したものの、右の顔から肩、背中にかけての広範囲に後遺症が残る。顔のやけど痕から、亜人であると疑われ迫害された過去もあるという。

 ドレアビルスは六年前の戦争終結後、我が聖帝国セスティリアの戦争被害者などに対し戦後補償を行ってきたが、昨年、財政悪化を理由に補償対象の見直しを敢行。クレーク氏はその見直しの煽りを受けることとなった。

「食う分以外はお世話になった養護院への寄付に充てていたんです」とクレーク氏。彼は戦争で家族や友人を失った。痛ましい記憶を今回の試験への原動力へと替える。

 クレーク氏が冒険者を志す理由は、生活のためだけではない。「養護院のある町は、今では魔物の被害が拡大しています。私を救ってくれた町を解放したいのです」。

 ノルヴィアで行われる定期冒険者認定試験だが、今回の担当認定官は“鋼鉄の冒険者認定官オーソライザー”として知られるレヴィ・エーベルハルト特級冒険者認定官だ。彼がどのような判断を下すのか、注視したい。

(文責/ラーツォ・ナーズ)



「なんだかあの記者のストーリーに巻き込まれているような気がします」


 エイダが不安を示すと、レヴィは悠然と鼻で笑った。


「我々は我々の仕事をするだけだ。あのような些末な言論に左右されることはない」


(そうは言うけどさぁ……)


 ドレアビルスの補償制度見直しについては、国民の反発感情は日増しに高まっている。その戦後補償の問題が今回の冒険者認定試験の結果に凝縮されてしまう可能性をエイダは危惧していた。


 クレークを落選させることで民衆の怒りの矛先は容易にレヴィ、果ては冒険者認定協会に向かってしまう。


 記事に添えられていた写真のクレークは日に焼けた精悍な顔つきの男だった。顔の右半分には痛ましいやけどの痕がありありと残っている。バストアップの写真では、首から素朴な造りの木彫りのペンダントヘッドのついた紐を下げているのが見えた。


 エイダの記憶にその手作り風のペンダントヘッドが刻まれている。やけに古びていて、傷だらけだったのだ。


「君はあの記者から自宅に訪問を受けたか?」


「……え? いえ、そういうことはなかったですけど」


「気を付けるといい」


(レヴィさん、そんなことになってたの……?)


 執務室のドアがノックされる。ラーツォがやって来たのだ。



~*~*~*~



 レヴィとエイダは学科試験が行われる協会の一階大ホールに向かっていた。もちろん、さきほど到着したラーツォの姿もある。


「エーベルハルトさん、今から何をされるんですか?」


「試験会場の検査を行う」


「検査、といいますと?」


「事前に調べているはずだろう」


 レヴィが睨みつけると、ラーツォは悪びれもせずに笑った。


「読者に改めてこの試験のことについて、そして、レヴィさんについて知ってほしいのでございますよ。それが記者の仕事でございます」


 レヴィは呆れたように、そして、諦めたように口を開く。


「検査にはいくつか種類があるが、今から行うのは、抜き打ちの魔法検査だ。これは特級冒険者認定官にのみ許された権限で、会場に何らかの魔法が仕掛けられていないかをランダムで確認する工程だ」


「何らかの魔法というのは?」


「試験を円滑に行うための工作だ」


「抜き打ちで行うのは事前に対策されないためですか?」


「その通りだ」


 会場に到着したレヴィたちがホール内に入るのについてこようとする、ラーツォをエイダが制する。


「保安上の理由で……」


「いや、検査の現場を見てもらおう」


 レヴィがしれっと許可を出すとラーツォの顔に笑みが広がった。


「光栄でございます」


「ただし、写真機はなしだ」


「心得ていますとも」


 二人でホールに入っていくのをエイダは唖然と見送る。


(「気を付けろ」って言ってたくせに……)


 エイダの脳裏には嫌な想像が流れていた。


(記者が自宅に来たって、まさか、レヴィさん色仕掛けでも受けたんじゃ……)


 しばらくの間、その可能性に思いを巡らせていたエイダはひとりで首を横に振った。


(あの人にそんな甲斐性なさそうだな……)


“甲斐性” ──その言葉に、レヴィと同期のバヒーラ・ガイヤール特級冒険者認定官の声が蘇る。


(あの人もレヴィさんのことを話した時に「甲斐性のない男」って言ってたけど……まさかね)


 レヴィの足音が聞こえてくる。


「無為に過ごすのが補佐官の仕事なら止はしないぞ」


「あ、すみません、今行きます!」


(この人、いちいち嫌味くさいんだよなぁ……)



~*~*~*~



 会場の検査の結果は何の問題もなかった。


「素晴らしいお手際でございました。一体どのような魔法を?」


 ゴマをするようにレヴィに身を寄せるラーツォだったが、冷たくあしらわれてしまう。


「機密情報だ」


「それは残念」


 素直に引き下がるラーツォだったが、エイダも彼女の質問には興味があった。


 以前、囚われの身となったエイダのもとに現れたレヴィが扱っていた魔法。


 エイダは魔法に詳しいわけではないが、冒険者認定官になるためのいくつかの試験の場で必要に応じて魔法知識に触れることもあった。そんな彼女には、レヴィの魔法は初めて見る類のものだった。


(放たれた爆炎魔法フラグマーを弾く魔法……一体どうやって?)


「試験は明日だ。集中を欠かれては困る」


 いつの間にかレヴィが目の前に立っていた。


「す、すみません」


「考え事でもしていたのか?」


「そういうわけじゃ……。あの、ラーツォさんは?」


 さっきまでそばにいた彼女の姿はどこにも見当たらない。


ギルドグラバランに連絡を取ると言って出て行った」


「彼女に会場検査を見せて本当に大丈夫だったんですか?」


「私を疑っているのか?」


「だって、彼女、ギルドに連絡しに行ったんですよね。それに、レヴィさんの自宅にまで……」


「だが、彼女が“何らかの魔法”を施していないということは分かった」


(会場じゃなくて、記者を調べてたの……?!)


「君ももう少し視野を広げて考えることを学ぶべきだな」


 そう言い残してレヴィは行ってしまう。



~*~*~*~



(レヴィさんは気を付けろって言ってたけど……)


 一日の仕事を終えたエイダは冒険者認定協会を出て、中心街カリアナトムを抜けた。


 すでに陽は落ちて、空はオレンジと紫の中間色に染まっている。


 エイダは身だしなみを軽く整えるために持っていた手のひらサイズの手鏡を覗き込む振りをして背後を窺った。後を追ってくるボブカットの女の姿はない。


 カリアナトムのある丘からなだらかな下り坂を行く。わざと歩調を緩めていたので、エイダを追い越して帰路につく人々の姿が多くある。


 エイダの自宅があるアグノ=シャリア地区に入ってもなお、エイダを尾行する影は見えない。


(こうも何もないと逆になんかすごい不満だな……)


 まるで、ラーツォにあのお仕着せの笑顔で「あなたには一切興味を持っておりません」と言われているようだった。


(私は上司の添え物じゃないんだけど)


 やり場のないイライラを記憶の中のレヴィの顔にぶつける。


 エイダが住むアパートメントが近づいてきた。二階建てのしっかりとした造りの集合住宅だ。公的機関やギルド勤めの人間が入居しているせいか、綺麗で管理も行き届いている。


 アパートメントは周囲が塀で囲まれていて門扉を開けて中に入るのだが、エイダは門を手で触れ、密かに周囲を確認する。


 いつも通りの平穏な光景がそこにあるだけだった。


(なんだよ……。上司の文句ならいくらでも答えてあげたのに……。あれこれ質問するのが記者の仕事なんじゃないの?)


 制服のポケットに手を入れると、鋭い痛みが指先に走る。思わず手を引き抜くと人差し指の腹に小さな切り傷がある。ポケットに手を当てて、中で手鏡が割れているのが分かった。


(いつ割れたの……?)


 エイダは胸騒ぎを覚えた。


 明日からの試験、何かあるかもしれない。


(っていうか、あの女、ホントに私の存在を忘れてるわけじゃないよね……?)


 いつか読んだ、結末で自分が幽霊だという真実に辿り着く男が主人公の小説を思い出してしまうエイダであった。





つづく

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