2 上司のプライベートはあまり見たくない

 製菓ギルドのシュラヴスで名物のカスタードタルトを購入したエイダは、そのまま真っ直ぐレヴィが住むスノルダヤール地区へ向かった。


 スノルダヤール地区はエイダが住む住宅街とは中心街のカリアナトムを挟んで反対側に広がっている高級住宅街だ。ここには公的機関の要職に就く人物やギルドの頭取などが居を構えている。


(特級認定官とはいっても、あの人、そんなに稼いでるのか……。特許の利益かな)


 頭の中で捕らぬ狸の皮算用を繰り広げながら、エイダは一軒の家に辿り着く。レヴィの自宅だ。


 住宅街には景観規制がないのだが、レヴィの家も白亜の外壁に飾り気などの遊びがない無骨な外観だった。


(ミニ冒険者認定協会みたい……)


 レヴィの住所を把握しているといっても、ここに来るのは初めてのことだった。


 広い家だが、レヴィには同居する家族はいないはずだった。


 大きな門扉を開けて、玄関のドアの前に立つ。ドアには取っ手などがついていない。エイダは書物で見た遠方の遺跡に見られる偽扉を思い出した。どうすればいいのか途方に暮れかけるエイダの目が留まった。


 扉の真ん中には一枚の紙が貼りつけられている。何も書かれていない真っ白な紙だった。扉も同じ白で、注意してみなければ見逃してしまうところだった。


(なんじゃこりゃ……?)


 エイダが顔を近づけると、白い紙に指先ほどの光点が出現した。


「えっ?」


 光点は簡単な幾何学模様を描くように軌跡を辿って、フッと消えた。そして、炎がパッと迸って紙は消え失せてしまった。


 立ち尽くすエイダはハッと気づく。


 そして、扉に指先を這わせながら、さきほど光点が描いた模様を真似してみる。すると、音を立てながら白い扉が横にスライドして入口が現れた。


(え、なにこの仕掛けは……?)


 入り口をくぐると、ドアはゆっくりとスライドして閉じていく。


(……出る時どうすんの?)



~*~*~*~



 エントランスホールは、微かにカビ臭さが漂っている。


 というのも、どうやら各地の遺跡から収集したらしい異物がそこかしこに置かれているのだ。


 立てかけられている石棺、巨大な木の仮面、枯れた草の束としか思えないもの、何かの魔物の腕を切り落として乾燥させたもの、蠢く粘液に包まれた宝石……まるで博物館である。


 目移りするエイダの視界で光が点る。


 床に光点が現れて廊下の奥へ走っていくのだ。


(部屋に案内してるってことか……)


 異様に飲み込みの早いエイダが光点に従っていくと、広々とした寝室に辿り着く。壁に頭をつけておかれた大きなベッドが真ん中に置かれている。そこに横になるのはレヴィだった。


 制服が部屋着に変わっている以外はいつもと変わらない風貌だ。


 頭の右側の髪の毛は煌めくような銀髪、それが左側に向かってダークブラウンにグラデーションしていく。華奢な身体は毛布の中に横たわっていると病弱にも見える。眼鏡の奥で神経質そうな目がこちらを見つめていた。


「レヴィさん、お身体大丈夫ですか?」


「大丈夫であれば休んだりはしない」


 相変わらずの減らず口にエイダはむしろ安心してしまう。体調は悪いが、いつも通りということだ。


「魔力素の多そうなもの買ってきましたよ」


「ご苦労だった。ちょっと待っていてくれ」


 そう言ってレヴィは、ふぅ、と一息ついた。


(ちょっと辛そうだな)


 沈黙の中、所在のなくなったエイダは部屋を見回す。


 天井に魔法銀のレールが設置されていて、それが部屋の外に続いている。廊下の天井にも同じようにレールが設置されているようだった。


 部屋の中の様子に何か違和感があったが、エイダはそれが何なのか分からなかった。


 しばらくすると、そのレールにぶら下がったアームが籠を運んできた。


「そいつに入れてくれ」


 エイダは言われるがままに買ってきたカスタードタルトの袋を籠にそっと入れる。すると、籠はレールを辿って部屋の外にスーッと消えていった。


「な、なんなんですか、このシステムは……」


「ゲージレールに着想を得たものだ。家の中での物の運搬はあれに任せてある」


「初めて見ました」


「私が作ったものだから当然だ。掃除にも流用できるし、あれに乗って家の中を移動することもできる」


(ぐうたら生活支援装置じゃん)


 そこで、さきほど感じた違和感にエイダは思い当たった。部屋が綺麗すぎるのだ。


 たった数日滞在していたホテルの部屋ですら散らかしてしまうレヴィにしてはあまりにも不自然だが、この“ぐうたら生活支援装置”があれば、説明がつくかもしれない。


「何か言いたそうだな」


 エイダは図星を突かれて、曖昧に愛想笑いを返した。


「すごい設備ですね」


「私は労力を軽減するための労力は惜しまない。……すまないが、廊下を出て右手の突き当りにキッチンがある。水を持って来てくれないか」


 エイダはうなずいてキッチンへ向かう。


(労力を軽減するための労力ねえ……)


 天井のレールは時折、壁の向こう側に消えているものもある。どうやら、レールにぶら下がるアームは壁の内側に収納されているようだ。


(この設備作るのに一体いくらかけたんだか……)


 キッチンは整然としていた。あのレヴィが料理をする姿は僧都できないが、食器棚にはひと通りの食器類、調味料が置かれている場所には過不足のない品揃え、どうやら食糧庫も備えられているようだ。


 食器棚からコップを取り、水場へ。


 魔法インフラは水を運ぶ管にも施され、街中の地下を巡っている。各家庭では、水場でレバーを引けば水が得られる。


(温度調整型だ)


 魔法技術によって、出る水に熱を加減することも可能だ。さすがに、温度調整型は一部の家庭にしかない。


 ふと頭上を見ると、水場を通るようにレールが設置されている。そのレールは近くの壁の向こうから出ている。レールは扉のない食器棚の前を通っていた。


 コップに水を注ぎながら、エイダは気づいてしまう。


(水も勝手に汲んで部屋に運べるんじゃないの……?)



~*~*~*~



 不安と共に水の入ったコップを持って寝室に戻ってきたエイダは、枕に頭を乗せて目をつぶっているレヴィを目の当たりにする。


(いや、水飲まないんかい……)


 ベッドのサイドテーブルにコップを置いて、そこにある椅子に腰を下ろす。


 レヴィは静かに呼吸をしているが、眉間には微かに皺が浮く。


(眼鏡外せばいいのに……)


 エイダが手を伸ばしてレヴィの眼鏡に触れた時、レンズの向こうの瞼がバチッと開いた。


「何をしている?」


「ぎゃっ!」


「なんだその魔物を見たよう声は。私は魔物ではないぞ」


「眼鏡が邪魔そうでしたので、外してあげようと思っただけですよ」


「余計なお世話だ」


 レヴィは身を起こしてヘッドボードに背中を預けた。よく見ると、彼の肌はじっとりと汗ばんでいる。


「あの、先日は助けていただいてありがとうございました」


 冒険者認定試験の遠征先で、エイダはレヴィに命を救われた。その時の記憶がエイダの脳裏を駆け巡ったのだ。


「そのことはもういいと言っただろう」


「いや、でも、その時のことが原因で体調が悪くなったんだとしたら、申し訳なくて……」


 魔法の行使は体内の魔力環境に影響を与えることがある。魔力干渉症だ。


「それとこれとは関係がない」


「レヴィさんの同期だっていうガイヤールさんと少しお話をしました」


「バヒーラか。ろくなことを言わなかっただろう」


「昔から目覚まし係をやらされていた、と」


 レヴィはため息をついた。


「あの女は口から生まれてきたような人間だ。そういうお喋りな人間の言うことにわざわざ記憶領域を占有されるのは、全くの無駄だぞ」


「もしかして、昔から体調が悪くなることがあったんじゃないですか?」


「雑談は終わりだ。今日予定していた情報共有だが、君がやっておいてくれ」


「え、なんで私が……」


「君の権限でも十分に事足りる。先日話していた、テュラトス周辺の鉱山地域への解放遠征の打診についてだ」


(やっぱり業務外だからって理由で私に捺しつけてそうだな、この人……)


 エイダの心の呟きを知ってか知らずか、レヴィは淡々と先を続ける。


「打診先は世界評定部局のラダアト・リシュロット第一評定官だ」


「だ、第一評定官って、部局トップじゃないですか! もうちょっとお手頃な人手もいいじゃないですか」


「私が冒険者認定補佐官時代に直属の上司だったのがラダアトだ」


「第一評定官って以前は認定官だったんですか」


「別に珍しいことではない。では、頼んだぞ。それから、カスタードタルトの代金はそこのテーブルの上に置いてある。持って行くがいい」


 会話を打ち切るかのようにレヴィは横になって毛布を被ってしまった。


 エイダはお暇の挨拶をこぼして部屋の隅にあるテーブルに目をやった。そこに封筒が置かれている。


(カスタードタルトの値段ぴったりだ……。いつの間に用意したんだ)


 気を利かせて二つのカスタードタルトを買ってきたのだが、レヴィに袋の中を確認する機会などなかったはずだった。





つづく

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