EP2 全て計画通り

1 他人から上司の評価を聞くのはちょっと怖い

 エイダ・ガーファンクルにとって、朝の準備は五分もあれば問題ない。


 サッと顔を洗って、髪を整え、制服に袖を通す。朝食は睡眠時間のために犠牲になるが、仕方がない。


 ノルヴィアの冒険者認定協会には顔の化粧をして出勤する者もいるが、化粧といえば、エイダは魔法的な儀式のものという印象しかない。


 エイダは住むのは、ノルヴィアの中心地に近いアグノ=シャリア地区という住宅街で、公的機関に勤める人々が多く住まう場所だ。都市の中心部に近いだけあって治安も良く、多くの建物と店、魔法技術が投入された暮らしやすい地域といわれている。


 エイダは速足でアグノ=シャリア地区を出て、中央街・カリアナトムに向かう通りに出る。


 カリアナトムは緩やかな丘の頂上に築かれたノルヴィアの中心地で、首長公館や数々の公的機関がひしめいている。冒険者認定協会ノルヴィア支部もそこにある。


(毎日毎日、坂上り下りして……訓練かっつーの……!)


 緩やかな丘と言っても、歩いて上るには嫌気がさすくらいの運動を要求する。


(ゲージレールの一本や二本、作ってくれたっていいじゃん……)


 帝都では、魔法銀で作られたレールを懸垂式のゲージを行き来するというゲージレールが至る所に設置されている。八人程度の乗り合いゲージがあれば、こんな坂などものの数分で駆け上がれてしまうだろう。



~*~*~*~



 今や魔法は人々の生活に密接に関わっている。


 遥か昔、群青色の鉱石・群青石が発見され、人々の文明は急速に変化していった。群青石が供給する魔力を利用すれば、多くの現象が発現、再現できることが分かったのだ。


 かつては今でいう魔術師や魔道士がその知識や技術を持っていたが、魔法合金の冶金技術を一部の鉱山ギルドが開発したことで、一般に広まるきっかけとなった。今では、冶金ギルドとして独立、成長した組織も数多い。


 魔法合金は魔力の伝達効率に優れ、魔法が機械的に発動できる仕組みを後押しした。最も流通した魔法合金が魔法銀で、今では街や建物のあらゆる場所に魔法銀のワイヤーなどが仕込まれている。


 インフラはほとんどが魔法で運用されており、それらは総称して魔法インフラと呼ばれる。


 魔法が道具に組み込まれることで、いつでも誰でもが魔法を使うことができるようになったのだ。



~*~*~*~



(なんで毎日上り下りしてるのに慣れないんだ……)


 エイダは心の中で愚痴りつつも、緩やかな坂を上りきった。


 そこはもう中心街・カリアナトムの入口だ。


 高い白亜の壁が街の外周を囲む。カリアナトムの壁には東西と南に巨大な口が穿たれていて門になっている。門は保安局の警備隊が常に監視の目を光らせているが、いつも東門を利用しているエイダにはにこやかな挨拶が投げかけられる。


 カリアナトムに入ると、一気に高層建築が増える。どれも白亜の外壁で、寝起きのエイダの目には眩しい。カリアナトムは景観維持のために白亜の外壁で建物を作ることが義務付けられている。それゆえに、この中心街は“白冠ホワイト・クラウン”とも呼ばれる。


 冒険者認定協会ノルヴィア支部は隣のギルド連合の巨大な建物と比べるとやや頼りなさげだが、それでも大きな建物には違いない。多くのエリートが飲み込まれていく飾り気のない建物は、質実剛健を物語る。



 エイダは冒険者認定補佐官だ。


 その名の通り、冒険者認定官を補佐する立場である。


 冒険者認定官には三級から特級のランクがあり、最高位の特級冒険者認定官には個別の執務室が与えられる。


 エイダの上司であるレヴィ・エーベルハルトは特級冒険者認定官だ。


 だから、エイダの職場も必然的にレヴィの執務室内ということになる。


 認定官と補佐官は一心同体なのだ。



~*~*~*~



 重い木のドアには『レヴィ・エーベルハルト特級冒険者認定官』というプレートが掲げられている。


 ドアを開け放ったエイダは、当然のように空いたままのレヴィの席を一瞥しながら、脇にある自分の執務机についた。


(また寝坊かな、あの人……)


“鋼鉄の冒険者認定官オーソライザー”として名が知れる上司だが、今のところ、エイダの目にはあまり驚異的に映っているわけではない。


 なにかと自分の興味ある分野の知識をひけらかし、エイダの浅慮を鼻で笑い、業務外の仕事を極端に嫌い、受け答えに難があり、死ぬほど朝に弱い。


(あれ、私の上司ってかなりやばい奴なのでは……?)


 そう思う一方、エイダは彼に命を救われたこともあり、手放しでバカにできないのも事実だ。


(それにしても……、今日は確か他の部局との情報共有があるとか言ってなかったっけ……?)


 すでに始業時間は過ぎている。


 冒険者認定官といっても、冒険者認定試験を通して志願者に認定印を捺すだけが仕事ではない。


 冒険者認定試験の学科試験問題の制作とそれに伴う情報収集、現在行われている試験内容の精査、時に別の冒険者認定官の審問会のメンバーになることもあり、そのための調査には膨大な時間を要する。他部局との連携も盛んで、お互いの情報共有や場合によって実地的な活動も必要とされる。


 それに加えて、自身の研究も並行し、冒険者認定官としての技量や経験を磨き続けなければならない。


(まーた、魔法通話テレローグで呼び出すか……)


 冒険者協会内には外部通信室が設けられ、そこには魔法で遠隔地の人と話をすることができる魔法通話テレローグが設置されている。


 朝っぱらから坂を上ってきた重い腰を上げようとしたエイダの耳に執務室のドアをノックする音が届く。


「どうぞ」


 エイダはいつもの決まり文句──「エーベルハルトさんは席を外してまして……」を準備しながらドアが開くのを待った。


「あら、やっぱりあなたひとりだったのねー!」


 現れたのは、長い巻き髪の女性だ。


 制服はあり得ないほど着崩されて、太ももから先を切り落としたズボンからは長い足が伸びる。制服のジャケットは胸元が顕わになっている。健康的な小麦色の肌は滑らかで輝いている。


「ガイヤールさん、おはようございます」


 エイダはサッと立ち上がって挨拶をしながら、そういえば協会内で制服の着こなしについての注意勧告が再三出ていたことを思い出す。


(多分この人が犯人だな……)


 バヒーラ・ガイヤール特級冒険者認定官。五つあるランクのうち上から四つ目である宵の魔道士でもある。


 バヒーラから漂う甘い香りが執務室の中に満ちていく。


「こんなメモがドアにはっつけてあったよー!」


 自分に構わずに座るように言ってひょこひょこと歩いて近づいてくる彼女は手にしたメモをエイダに手渡した。レヴィの字で走り書きがしてある。



体調不良で休む。

正午までに私の自宅に魔力素の多い食べ物を持って来てくれ。

私の自宅の場所は協会の人間に聞けば分かるだろう。


レヴィ・エーベルハルト



 メモを握り潰して叩きつけたくなったエイダだったが、ぐっとこらえる。


(さっきはこんなメモなかったよな……?)


「エイダちゃん、だったっけー?」


 気づけば、エイダの顔面にバヒーラの美しい顔が迫っていた。化粧をした顔が魔力の流れの活性化の成果煌めいて見える。


「そっ、そうですっ!」


 エイダは慌てて身を引いた。


「根暗コミュ障のレヴィと一緒だとたいへんでしょー?」


「え?」


「うんうん、わかるよー」


 何かに同情するようにバヒーラは何度もうなずいている。それも深々と。


(いや、まだ何も言ってないんだけど……)


「昔からそうなんよねー。頑固ってーか変人ってーか、融通が利かない奴でねー。冒険者認定官養成学院スコラでも最新の研究と習う内容が違うからって先生論破してめっちゃ嫌われてたしねー」


(何してんの、あの人……)


「昔からお知り合いなんですか?」


「レヴィとは同期だよー。レヴィからあたしの話聞いてないのー?」


「レヴィさんからはオタク臭い話を一方的に聞かされるばかりでして……」


 バヒーラはちょっと不満そうだ。


「このバヒーラさんの話をしないとは、あいつめ、甲斐性のない男だなー……」


(甲斐性って……どういうこと?)


 彼女はその不満の眼差しをエイダの方に向ける。


「オタク臭い話って、魔法式の構文がどーとか、どこぞのギルドが作ったなんちゃらってモデルの魔法具がーみたいな話でしょー? あたし一時間くらい無言で聞いてたことあるよー!」


(あの人、ところ構わずそんな話ばっかりしてるのか……)


 バヒーラは眉間に皺を寄せつつも口元には笑みを浮かべている。


「この前は認定試験の遠征があったんだよねー? レヴィのことだから、毎日寝坊してたでしょー?」


 バヒーラに水を向けられて、エイダの胸の中のモヤモヤが溢れ出す。


「そうなんですよ……。挙句の果てに、私がうるさく起こしに行くものだから、自分の部屋のドアのところで寝てまして、『うるさくされる時間を短縮したんだ』とか言い出すんですよ……!」


「補佐官時代も同期がじゅんばんこでレヴィの目覚まし係やってたんだよー」


(迷惑かけすぎだろ、私の上司……!)


「レヴィは業務外の仕事が嫌いだし、エイダちゃんに色々押し付けてきたでしょー?」


「ほんっと、そうなんですよ!」


 不満を共有して、エイダはいつの間にかバヒーラを“姐さん”と呼びたくなっていた。そこへすかさず、


「エイダちゃんもあたしの補佐官になっちゃえばいいのにー。めっちゃ好待遇だよー」


「えっ、そ、そんな……、でも……!」


 エイダは戸惑った。


 レヴィに申し訳が立たないというよりも、バヒーラの執務室が“花園”と呼ばれていることが彼女を躊躇わせていた。バヒーラは補佐官を女性だけで固めるので有名なのだ。


 バヒーラに勧誘されるのはいいとしても、その環境に自分が入っていけるかは不安である。決してレヴィに操を立てているわけではない。


 エイダの戸惑いを吹き飛ばすように、執務室の入口から咳払いが聞こえた。


 制服をきっちりと着こなした黒髪ストレートの女性が鋭い視線をこちらに投げつけている。


「ガイヤールさん、そろそろ会議の時間が迫っておりますので、お急ぎください」


「あー、そうだった、そうだったー! ごめんよ、ミトハシェヴ」


 バヒーラは手を振って、エイダの手にあるメモを指さした。


「じゃ、レヴィのこと、頼んだよー!」


「あ、はい……」


 レヴィの執務机にチョップとキックをかまして、バヒーラは部屋を出て行く。


 そんな彼女の後を追うミトハシェヴと呼ばれた女性は、エイダをギッと睨みつけて立ち去って行った。彼女の漆黒の瞳がエイダの目に焼きついてしまった。


(え、私、なんかした……?)



 嵐のようにバヒーラが去って、独り執務室に取り残されたエイダは机に置いたレヴィのメモとにらめっこして、声を上げてしまった。


「いや、私、おつかい頼まれてる?!」


(魔力素の多い食べ物って……甘い物とかだよね。要は寝込んでるからスイーツ買って来いってことか)


 身体の中を流れる魔力の状態によって体調は左右されると考えるのが魔法医学の定説だ。


 物質にはそうした魔力に作用する魔力素が含まれていて、それらを食べることによって生物は体内の魔力を維持し続けることができる。もちろん、魔力素を取り込みすぎたり取らなすぎたりして体内のバランスが崩れてしまえば、太ったり痩せたりしてしまう。


 魔物の中には、群青石を体内に取り込んで膨大な魔力を溜め込んでいるものもいるという。


(仕方ない。これも上司命令だ……)


 エイダは立ち上がって冒険者協会を後にする。


 レヴィの住所についてはすでに把握していた。





つづく

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