4 上司がすごい人かもしれない……いや、どうだろう?

 急に大役を任されることになったエイダは、翌日の早朝に寝坊をする夢を見て飛び起きた。


 まだ陽が昇って間もない。


(あの人のせいで最悪の寝起きだ……)


 ゆっくりと支度をして、昨日の試験結果をもう一度確認する。


 今回の認定試験の段取りでは、面接試験通過者の発表は受験者たちが集まる場で名前を読み上げる形になっている。大勢の人間を前にして何かをすることなど皆無だったエイダは、これから数時間後のことを考えるだけで憂鬱だった。


(私の時は通過者が紙で貼り出されるだけだったんだけどなぁ……)


 ノルヴィアでの冒険者認定試験は、当然のことながら、ノルヴィアの冒険者認定協会の会場で行われた。大きな都市ということもあり、受験人数は数百人に及んだ。ところ変われば、発表の仕方も自ずと変わってくる。


 そうこうしているうちに、通過者発表の時間が迫ってきた。発表の場は公館前の広場だ。


 制服に袖を通し、必要な物を持って部屋を出ようとしたエイダはふと気づく。


(隣の部屋が妙に静かだな……)


 嫌だな、嫌だなぁ~と思いながら隣室のドアを叩いたエイダは、案の定、ひどい寝ぐせをつけたレヴィと対峙することになった。


「ちょうど今起きたところだ」


「今起きたんじゃダメなんですよ。……どうやったらそんな寝ぐせになるんですか。渦巻いてますよ」


「それはよかった」


(……何が?!)



~*~*~*~



 面接試験通過者の発表を前に、公館前の広場は人だかりができていた。


 広場には簡易的なステージが設置されて、首長のバランシュタイン、認定協会のバックマン、レヴィ、エイダが椅子に座っている。


「君、しっかりやるんだぞ」


(人の気も知らないで……)


 レヴィからの激励の言葉を胸に、エイダはステージの中央に進み出る。音響拡散魔法アウディーが仕込まれたネックレスを渡されたエイダはそれを首から下げた。


 聴衆のざわめきが波のように遠ざかっていく。


 人々の自然が自分自身に集約されていると思うと、エイダは気が気でなかった。


「そ、それでは……」


 エイダの声が裏返ってしまう。彼女は咳払いをして、気を取り直した。


「それでは、昨日行われました冒険者認定試験の結果を発表したいと思います。結果は、学科試験および実技試験の内容を合算して、認定協会が定める基準によって決定されました」


 間を取って、エイダは固唾を飲む人々を見回した。どの顔も次の言葉を心待ちにいている。


「今から名前を読み上げた方は、この後行われる面接試験への参加が許可されますので、ステージまでお越しください」


 息をフーッと吐き出す。エイダも緊張しているのだ。


「それでは、名前を読み上げます」


 遥か遠くで風が鳴る音以外、しんと静まり返っている。


「ネゼリ・クラズマ!」


 聴衆の中から、おおっ、という声と共に大きな拍手が送られる。


 聴衆の中からローブに身を包んだ黒い長髪の男がスッと立ち上がる。彼はしずしずと歩みを進めて、ステージのエイダの脇に立った。エイダの鼻腔を薬草の香りがくすぐった。


「続きまして……ポロペア・ヒューネチッタ!」


「うおおお~!!」と雄叫びを上げて、筋骨隆々な男が飛び跳ねるように立ち上がって、ステージまで走ってくる。聴衆に向かって両拳を上げると、歓声がひときわ高くなる。


「次の通過者を読み上げます。……サファス・ララポルテ!」


 どよめきが起こった。


 その音の渦中からおずおずと立ち上がるのは、まだ若い男子学院生だ。戸惑いを隠せない様子のまま彼がステージ上がると、エイダは残酷な宣告を下すことになる。


「面接試験への通過者は以上の三名となります」


 聴衆が波を打つ。


 エイダの耳には様々な声が飛び込んできた。中には、聞くに堪えないものも……。


(そうだ、これが冒険者認定試験だ)


 エイダはかつてのことを思い出していた。


 泣き崩れる者、怒る者、逃げ出す者、放心する者……、そこには彼らの人生が集約されているのだ。


 騒然とした空気は、バランシュタインがステージ上に立つと、ぴたりと収まった。彼はエイダからネックレスを受け取ると右手に巻き付けて、そこに声を吹き込んだ。


「まずは、壇上の三人を心から祝したいと思います。彼らは人生を変えるべく、立ち上がりました。その挑戦は続きます。みなさん、どうか彼らを支えてください。そして、残念ながら名前を呼ばれなかった方たちへ、惜しみない拍手を送りたいと思います。この日のために死に物狂いで努力を重ねてきた方もいるでしょう。その努力は決してあなた方を裏切りません。またいつの日にか冒険者認定試験が行われた暁には、再び挑戦してほしいと思いますし、そうできるよう、テュラトスの街を健全に運営していけるように最善を尽くします」


 温かい拍手が送られた。


 三人の通過者たちがステージを下り、認定協会のスタッフと共に捌けていくと、発表の儀は終わりを迎えた。


 しかし……、ステージを下りて引き上げていこうとするエイダのもとには、数々の怒号が飛び交った。


「ふざけるなっ!」

「この日のために努力してきたんだぞ!」

「不正だ!」

「きちんと説明しろ!」


 エイダは身を固くして足早に立ち去ろうとした。


「あっ!」


 誰かの悲鳴にも似た声が上がって、一人の巨漢がエイダのもとに駆け寄って勢いよく突き飛ばした。


 エイダは堪らずに地面に倒れ込んだ。


 凄まじい怒りの念が襲いかかって、彼女は動けなくなってしまう。


 エイダを突き飛ばした男は、肩を振るわせて、目を血走らせていた。


「やめるんだ!」


 勇気ある聴衆の何人かが男を止めようとするが、恐ろしいほどの力で弾き飛ばされてしまう。


「この日のために仕事も家族も犠牲にして頑張ってきたんだ……! 納得できるわけないだろ! 認定官だからって上に立った気になって調子に乗るんじゃねえ!」


 男は我を失っていた。


 殺意に満ちた目で地面にへたり込むエイダのもとに近づいた。


 そこへ、レヴィが涼しい顔をして割り込んでくる。


「彼女は認定官ではなく、認定補佐官だ」


 恐怖で動けなくなっていたエイダは思わずずっこけてしまう。


(ツッコミ入れるところ、そこなの?)


 レヴィの言葉は、言うまでもなく、火に油を注ぐことになった。


「細けえことをいちいちうるせえんだよ!」


 巨躯が華奢なレヴィへ飛びかかる。


 レヴィは眼鏡をクイッとやって、小さくフーッと息をつく。


「業務外の仕事は気が進まないのだが」


 肩を掴んだ男の手に軽く触れると、勢いをもって突き進んでいた男は立ち止まってしまう。その手がブルブルと震えて使い物にならないのだ。


「な、なんだ、こりゃあ……」


「全てを捨てて臨んだのはお前だけではない。悔し涙を活力に代えようとしていた者たちにお前は謝らなければならないな」


「な、なにを……!」


 ガラ空きになっていた男の脛の辺りをレヴィがブーツの先で軽く小突くと、男の巨体が膝から崩れ落ちてしまう。その顔は青ざめて、全身が目に見えて震えている。


 何事もなかったかのように立つレヴィの制服の袖口からは、魔法銀のチェーンに繋がった群青石の振り子ペンデュラムが垂れ下がっていた。



~*~*~*~



 警備態勢を敷いていなかった保安局のユルグナー局長が直々にホテルのラウンジに謝罪に訪れて、エイダはただ恐縮するばかりだった。


「ま、まあ、何事もなかったということで……」


 事なかれ主義のバックマン部局長がニコニコと笑顔を振りまく。


(あんた見てただけで助けてくれなかったじゃん)


 エイダの心の中の不満を感じ取ったのか、レヴィがバックマン部局長に鋭い視線を送る。


「ああいった場合、椅子に座ったままでは守るものも守れないのでは?」


「そ、それに関しては……エーベルハルトくんを信頼してだね──」


「それはありがたいことです。では、失礼します。明日の準備があるので」


 さっさとラウンジを出て行こうとする彼の背中を追うため、エイダも一同へ向けて深々とお辞儀をした。



~*~*~*~



「覚えておくといい。冒険者認定官は時に強い恨みを買う。だが、それは仕方のないことだ。彼らも命を懸けているのだからな」


 レヴィの部屋に通されたエイダは、彼の言葉に深く頭を下げた。


「試験結果の発表を認定官側で体験するのは初めてでした……」


「幸い、怪我もなかったようだな」


「はい。でも、あの男の人は……?」


「小一時間もすれば元通りになるだろう」


「一体何をしたんですか?」


 何が起きたのか、エイダには皆目見当もつかなかった。華奢な男が巨漢をこともなげに屈服させたあの光景が目に焼きついて離れない。


「彼の体内の魔力の流れを少しいじっただけだ」


「魔力の流れを……?」


「体内に魔力の流れがあるのは知っているだろう? それによって人間は思考し、身体を動かしたり、身体の各器官を使うことができる。身体の動きに関わる魔力の流れを変えてやれば、まともに立つこともできなくなる」


「た、たったそれだけのことで……」


「魔力の流れはこの世界の理だ。そして、私の専門分野でもある」


「あ、そうか、特許の話……」


 レヴィは強い眼差しをエイダに向ける。


「あのような者が冒険者になれば、いつか必ずどこかでトラブルを起こすことになるだろう」


「試験に落ちればムキになってしまうかも。本気ならなおさらそうなるかもしれません」


「感情を揺さぶるような出来事はこれから先もたくさん降りかかる。試験に落とされるような、本人にとっては理不尽に感じることも。そのたびに誰かを傷つければ不幸を撒き散らす。命が奪われることになれば取り返しがつかない。我々が務めを果たさなければ、冒険者の品位は下がり続け、人々は再び冒険者への信頼を失うだろう。それでは負の歴史の再現だ。我々は彼らの最後の関門であり、人々の救いなんだ」


 エイダは彼の心を深く心に刻み込んだ。


「よく分かりました。よく分かったんですけど……」


 エイダはレヴィの部屋をぐるりと見やった。


「部屋の中、散らかりすぎじゃないですか?」


 脱いだものは脱ぎっぱなし。

 どこから持ち込んだのか大量の本が開きっぱなしになったり積み上がったりしている。

 壁には魔法式やスケッチが殴り書きしてある。

 部屋の隅では、何かの液体で満たされたツボが異臭を放っている。


 この部屋に宿泊して二日ほどしか経っていないはずだが、二年物の散らかりようである。


「そうか? 別に普通だと思うぞ」


(絶っっっ対、普通じゃねーよ!)





つづく

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