箱庭のアイドル

葉月 陸公

箱庭のアイドル

 スポットライトの如く、愛らしい少女の姿を光が照らす。彼女の名前はミユキ。黒く、美しい長髪を風に靡かせながら、彼女は今日も商店街に出かけた。


 彼女には兄がいた。名をコウタという。彼は決して活動的ではなかった。よく笑うミユキに比べ、コウタの見せる笑みはいつも引き攣っている。笑顔が得意ではないからだろうか、人と関わることも少なかった。今では妹の顔を見るだけで誰と会うこともなく一日が終わることも少なくない。


 そんな彼のためにミユキは活発に走り回る。今日は野菜や肉を買い集めて、上機嫌で家路を辿っていた。

 途中、「ミユキ!」と声をかける男たちに、笑顔を与え、ふわりとスカートを揺らし、手を振って去る。この女性の少ない田舎でミユキはアイドル同然だった。こんなにも愛されているものだから、気分は悪くない。高揚した気分は足を軽くしていた。


 「ただいま、お兄ちゃん!」


相変わらずハイテンションで帰宅するミユキ。一方で、コウタは少し困ったように眉を下げて笑う。


「おかえり」


小さく返された言葉はミユキと対照的だった。元気がない。今にも死んでしまいそうな声だった。


「今日も元気ないね」

「……あぁ、そうだな」

「気持ちはわかるけど、お母さんが死んでからそろそろ一年も経つわけだし、切り替えていかないとだよ」

「……あぁ、そうだな」

「もうっ、じめじめしない!」


ぷくーっ、と頰を膨らませるミユキだったが、やはり、コウタは不器用な笑顔を見せるだけ。

 一向に変わらない現状にミユキは大きなため息をつくと、シンプルなエプロンを腰に巻き、手を洗った。料理の準備である。

 ここでようやくコウタも動き始める。


「何を作るつもりなんだ?」

「んー。野菜炒めにしようかと思ったんだけどお肉が安くて。ついたくさん買っちゃったから焼肉とかでも良いかも」

「そうか」


地面に目を落とし、伏せられたまつ毛。それはミユキとの血の繋がりを感じる、花のような、儚い美しさを秘めていた。

 まな板の上には均等に切られた野菜と、形がバラバラでやや歪な野菜が散らばっている。


「昔から器用だよね、お兄ちゃん」

「そういうお前は不器用だよな」

「ギャップ萌え狙える?」

「うーん……微妙かなぁ……」

「もうっ、そこは嘘でも『狙えるよ』って言うところ!」


ドスドスとコウタの横腹を小突くミユキに彼はようやく彼らしい笑みを見せた。眉は下がったままだが、ふわりと頬と口元が緩む。これは、妹にのみ見せる実にレアな笑みであった。その笑顔を見れば誰もが彼の虜になるだろう。彼もアイドルさながらの魅力を持ち合わせていた。

 ふと、コウタの表情が無に戻る。そして彼は「なぁ」と小さく呼びかけると、少し躊躇い


「遠くの世界に行ってみたいとは思わないか」


何やら突然、そんなことを聞いた。


「どうして?」

「なんでもない。ただ、俺はそう思ったんだ」

「うーん……私はどっちでも良いかなぁ……。だって、このままでも十分幸せだもん」

「幸せ?」

「幸せだよ。お父さんに引き続き、お母さんが死んじゃったのは悲しいけど、ここには全部があるじゃない? 食べるものにも困らないし、みんながいるし、それに」


ミユキはストンッと最後の刃を落とすと、兄に微笑みかけて


「念願のアイドル生活! 歌って踊る機会こそないけど、みんな私を見て喜んでくれるの! こんなにも嬉しいことはないわ!」


鼻歌まじりに、火をつけた。青い炎がじゅわりとフライパンに熱を伝える。コウタは、再び「そうか」とだけ言うと、野菜をフライパンの中へ豪快に流し込んだ。


「俺は昔が恋しいよ」


円を描くような小さな炎を見つめながら、彼は哀しげに呟く。


「こんな場所じゃ、休むことすらできない」


コウタは天井を見つめると、ぎゅっと、きつく目を瞑った。閉ざされた瞳からは、微かに涙が浮かんでいる。


「これ以上の安らぎと幸せなんてないのにな。変なの」


楽しそうに暮らすミユキとは、本当に対照的である。



 ***



 安らぎなんてあるものか。あの日、俺たちの日常は壊された。月も太陽も存在しない。雲もなければ風もない。あるのは人工的に作られた光と水と風だけ。

 食料だって、野菜は良くても肉は食べられたものじゃない。味がとにかく気持ち悪い。飲み込むことすら叶わないくらいだ。その正体など考えたくもない。わかってしまったら、もう、二度と戻れないような気がする。

 ミユキが言う『みんな』は既に死んでいる。気味の悪い人形に話しかけて笑っている妹は、もはや手遅れなのだろう。外に出ると、異臭がする。血肉が腐った臭いだ。それに群がる虫やカラスを見るのも気が滅入る。耐えられたものじゃない。

 たった一人の家族であるミユキが生きている以上、俺は死ぬことができない。彼女を一人にして、何をされるかはわからない。今こそ特に俺たちに被害はないが、いつ、奴等がその牙をこちらに向けるのかはわからない。

 母さんやみんなを殺した奴等だぞ。軍隊すら歯が立たなかったんだ。あの日の光景なんて、思い出したくもない。

 ここは所詮、箱庭。奴等にとって俺たちは、玩具。そういう関係だった。

 天井を見上げれば、いつだって、大きな顔が俺たちを覗いている。にちゃにちゃと不気味な笑みを浮かべながら、ギョロリと、しかし舐め回すように、俺たち兄妹を監視しているのだ。

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箱庭のアイドル 葉月 陸公 @hazuki_riku

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