第9話・友達との邂逅

 頭が重い。


 吐き気がする。


「寝ちゃってたのか、ボク」


 顔を上げると、愛用のPCモニターの光が飛び込んできた。


 画面の右下を見ると、02:35の表示。

 帰宅したのが12時30頃で、バーチャルの世界であれこれやっていたのは確か14時頃だったはず。

 つまり12時間近く寝ていたいことになる。


 いくらまともな精神状態はではなかったといえど、ここまで睡眠に時間をついやすことになるとは思ってもみなかった。


「お水……」


 立ち上がり、ベッドの横に鎮座ちんざしている2ℓペットボトルに手を伸ばす。

 そして、乱暴らんぼうにキャップを明けると、残り少ない中身を一心不乱に胃に流し込んだ。


「ぷはっ」


 カラカラだったのどうるおったおかげで、少し生き返った気がする。

 以前として気持ち悪さはあるものの、先程に比べれば雲泥うんでいの差だ。


「汚い部屋」


 モニターの光で照らされた自分の部屋は、人に見せられないほど散らかっていた。


 無造作に脱ぎ捨てられた制服。

 積み上げられた漫画と問題集のたば

 ロクに使いもしない化粧品の数々。


 これではお部屋ではなく汚部屋である。


 ボクは室内の惨状さんじょうを見て溜息ためいきを吐くと、今一度モニターへと振り返った。


「結局消せなかったんだな、ボク」


 画面の中にはオンラインゲームで作成したアバターがいる。

 ブラックとの関係を断ち切るため削除しようとしたのだが、どうしてもりがつかなかったのだ。


 女々しいなぁ。


 と、ふと笑みがこぼれる。


 感情がどううったえかけてこようが思い出を捨てきれないあたり、ボクも相当なマニアなのだろう。


 キーボードを叩き、ゲーム画面を終了する。

 すると、見慣れたアイコンが視界に入ってきた。


「ん……」


 ボイスチャットアプリの通知。

 つい条件反射でマウスを操作し、アプリを立ち上げてしまう。


 瞬間、ブラックからのダイレクトメッセージが飛び込んできた。


「何これ? 俺の好きな食べ物……?」


 メッセージは『俺の好きな食べ物』というなぞの文章だけ。

 そして、一緒にファイルがえられていた。


 自然とマウスカーソルがファイルへと向かう。


 ダメ。

 ダメだ。


 これ以上、彼に関わるのは止めるとちかったはずだ。


 彼に……、ブラックにこれ以上迷惑を掛けられない。


「ダメ。ダメだから……!」


 カーソルをファイルに近付けては離す、といった行動を何度も繰り返す。


「んんっ」


 だが、気持ちとは裏腹に手は欲望に従ってしまう。

 結果、ボクはファイルをダウンロードすると、中のファイルを開いてしまった。


 負の感情は非常に強い。

 でも、ブラックが何を考えているのか知りたい好奇心が勝ってしまった。


「パスワード? だから、好きな食べ物って」


 こんなの考えるまでも無い。

 以前彼のゼミでやったところなのだから。


「ラーメンっと」


 パスワードを入力すると、音楽プレイヤーが表示された。

 どうやら中身は音声ファイルだったようだ。


『ん。これを聞いてるということは、俺はもうこの世にはいないんだろうな』


 勝手に自動再生される。

 それにしても。


「なんてベタな導入。普通に生きてるでしょ」


『ってのは嘘なんだが。まあ、なんだ、その。元気か?』


「元気だったら直接話してるよ、バカ」


『わりぃ、元気なわけないよな。折角急いでカンペ作ったのに、こんなことやるの初めてだから上手く話せねーわ』


「うん、とっても下手くそ」


 だけど、あったかい。


『それでだな。ごめん、俺さ。お前の正体知っちまった』


 ブラックの言葉を聞いた途端、ボクの背中がピリピリっと電流のようなものが流れた。


 そして、張り詰めた緊張が解けないうちに、視界がぐらりと揺れた。


 バレた。


 バレてしまった。


 隠していたのに。


 仲良くなってから言おうと思ってたのに。


 何で。


『まさかクラスメイトの女子だったなんてな。驚いたよ』


 そうだろう。


 引かれるのが嫌で、ずっと隠してきたのだ。


 同じクラスの女子がこんな声で接していたなんて大層幻滅げんめつしたことだろう。


 いや? いいのか、これで。


 ボクの目的は彼から離れることだった。


 じゃあ、この結果は目的を達したことになるのではないだろうか。


 良かった、これで彼もボクのことを忘れてくれる。


『クラスメイトならもっと』


 早く教えてくれよ、かな?


『頼ってくれよ!』


 ――え?


 思ってもみなかった台詞が聞こえて一瞬訳が分からなくなる。


『リアルで男子に頼るのは難しいかもしれないけど、でも俺にだって保健室で悩みを聞いてやるぐらい出来る。お前に文句を言う奴に怒るぐらい出来る』


 何で、


 何でそこまで、


 声しか知らないボクにそんなことを言ってくれるのだろう。


『友達だろ、俺達』


「うっ、ぐっ!?」


 不意に瞳から涙が零れた。


 嬉しいのか、悲しいのか、楽しいのか、辛いのかが分からない。


 感情がぐちゃぐちゃで何も考えられない。


 気付けば必死に涙を拭いながら、彼の言葉に耳を傾けていた。


『今までくだらないこと一杯話したよな。ゲームのこととか、勉強とか。将来の夢もあったっけ』


 あった。

 しっかりと覚えてる。


『沢山笑ったし、良い思い出だよ。刹那のこと沢山知れたし、俺も自分のことがより分かったし。だからさ。なんていうか、さ。』


 うん、うん……。


『あんな悲しい終わり方でお別れになるのは、俺は嫌だ。お前さえ良ければだけど――」


 うん。


「まだ友達でいさせてくれよっ! もっと話そうぜ!』


「うぅ……あっ」


『俺、待ってるから。お前がまた戻ってくるのを待ってるからなっ!』


 そこで音声ファイルは終わりを告げた。


 ボクは、ボクは……。


 馬鹿だ。


 大馬鹿だ。


 本当はボクは、彼に自分ことを知って貰いたかったのに。


 教室で、初めて自分の声を褒めてくれた彼に認知して貰いたかったのに。


 ちょっとしたことで傷付いて、離れて、拒否して、


「ボクは一体、何がしたかったんだっ!!」


 PCの電源を落とし、暗くなったモニターに反射した自分の顔に文句をぶつける。


 ボクが本当に欲しいものは何だろう。


 ボクの望みは。


「……んっ」


 自分なりの回答が思いつくのに、そう時間は掛からなかった。

 ボクの目線はしっかりとボク自信をとらえていた。

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