第5話・忌まわしき記憶

「ん……」


 妙にえた思考の中。

 反射的にベッドから手を伸ばすと、スマホの画面を表示させた。

 時間は所謂いわゆる丑三うしみどきを超過した頃だ。


「完全に脳が起きちまったな」


 明日は月曜日で学校がある。

 と、なれば無理にでも寝た方が良いのは明白である。


 だが、何故か寝る気にはなれなかった。


「誰かいないかな?」


 PCの電源を起動し、ボイスチャットのルームをのぞく。

 ネトゲの集まりには夜型の人間も多く、この時間でも起きている人間は珍しくない。


「あれ? 刹那がいる」


 頻繁ひんぱんにボイチャを交わす相手のアイコンが緑色になっている。

 向こうも学校があるはずだが、ログインしているようだ。


『こんな時間にログインしてんの?』


 キーボードで質問を書き転送する。

 途端とたんまたたく間に返事が来た。


『眠れなくて。今話せる?』

『良いぜ』


 ヘッドフォンを装着し、マイク機能をオンにする。


「こんばんは。こんな深夜にごめんね」

「いや、ちょうど良かったよ。俺も妙に目がえちまって、誰かと話したい気分だったし」


 親や妹に聞かれないよう小声でしゃべる。

 もし深夜に会話しているところがバレようものなら、雷が飛んでくるところだ。


「そっちはどうしたんだ?」

「嫌な夢を見て。寝れなくなっちゃった」

「どんな感じの夢?」


 自分にしてみれば他愛たあいのない質問だった。

 が、刹那にとってはどうも気軽に話せることでは無かったらしい。


 刹那と話していて今までに経験の無い間が、今この時にはあった。


「話したくないことなら無理には聞かないが」


 一応断っておく。

 友達が嫌がることはしたくない。


「……ごめん。ちょっと、頭の中で整理してた」

「そんなになるくらい悪夢だったのか」

「うん、とっても」


 声に生気が無い。

 刹那の特徴的とくちょうてきなイケボはすっかりと鳴りをひそめてしまっていた。


「ボク。この声をクラスメイトにからかわれたことがあって、その時のことをたまに夢に見るんだ」


 今にも消えそうなはかない言葉が聞こえてくる。


「相手はいじめとか、嫌がらせとか、そういうおとしめようとして言ったんじゃないことは分かってる。ボクの方も、その時は笑って流せてた」


 言の葉の節々がふるえている。

 苦しみにえているのがはっきりと分かった。


「でもね、帰り道で周囲に誰もいなかったタイミングで我に返って。あれは辛いことだったって、体が、頭が思っちゃんだ。そんな体験をしたらもう、戻れなくなった」

「…………」

「至る所でからかわれた場面がフラッシュバックするようになって、その度に気持ち悪くなって学校に行けなくなって、今だって――うっぷっ!!」

「お、おい刹那!?」


 ヘッドフォンの奥から嘔吐おうとする音が聞こえてくる。

 そして、次にはひどくせき込む音響が届いた。


「ごめん。思い出したら、気持ち悪くなって……」

「いやいやいや、俺の方こそ無理に話させるようなこと言って悪い。てか、大丈夫か?」

「うん、もう慣れっこだから。何時思い出しても良いように、袋やお水も常備してるし」

「それは良かったけど、あんま喜ばしいものじゃないな」

「仕方ないよ」


 仕方ない。

 果たしてそんな簡単な言葉で済ませて良い問題なのだろうか。


『学校に行けなくなって』と、言っていた。

 これだけ苦しんでいるなら、刹那にとっては相当なことのはずだ。


「ぁ……」


 だから前に、自分の声が好きじゃないなんて言ったのか。

 あまり深く考えてはいなかったが、あれは悩みを共有したい気持ちと、俺がどう思う確認したい願望があったのではないだろうか。


 それなら今。

 今、俺が言うべきことは何だろう。


「これは、一種の勢いかもしれないから聞き流して欲しい感じはあるんだが」

「うん?」


 大きく息を吸い込む。

 そして、マイクに自分の想いを乗せるように口を開いた。


「前にも言ったかもしれないけど、俺はお前の声が好きだからな!」

「ふぇっ!?」

「他人がどう思ってるかは知らねーけど、少なくとも俺はお前の声は最高だと思ってる。てか、声だけじゃねぇ!! お前と話している時間は滅茶苦茶楽しい!」

「え、あ、ちょ。ブラック!?」

「どうでも良い奴らのせいで苦しむ必要なんて無い! もしくだらない連中が切っ掛けでお前の人生が狂わされてんなら、俺が代わりにそいつらのことぶっ飛ばしてやる!」


 言った。

 言ってやった。


 恥ずかしさはあるものの、後悔はしてない。

 一時の恥ずかしさで、刹那がの心が少しでも楽になるなら安いもんである。


「ブラック……。ありがとう。生きる希望がいてきたよ」

「おう。また困ったら連絡してくれ。大したことは出来ないが、出来るだけ力になってやるよ」

「うん、ボクも少しだけ頑張ってみるよ」

「ああ、無理し過ぎない程度でやってみろ」

「うん、じゃあね」

「じゃあな」


 アプリケーションからログアウトを行い、ヘッドフォンを外す。

 そして、思い切り椅子の背に体を預けると、真っ暗な天井をあおぎ見た。


 大丈夫かな、刹那の奴。


 ああは言ったものの、俺が出来ることなんて本当に限られている。

 これ以上傷付かないよう支えてあげるだけだ。


「ふぅ」


 肺に溜まった息を吐き、PCの電源を落とそうとした瞬間――、


「アンタこの時間に何やってんの!!!!」


 突如部屋に飛び込んだ母親によって、重たい気分が見事に払われた。

 それもビンタという形で。

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