最期の機会
「…あ」
途切れ途切れの文字が、言葉として繋がる。
「あ、ぁ、そうだ、…け、?」
次に、口を開くのは、蒼空。
「…誠人」
感情のこもらない、満面の笑み。
なにか。おぞましいなにかがうごめいている。
「ねえ、誠人、何度、これを繰り返すの?」
時間は、止まってはくれない。
夢じゃない。
あの曲は、最期を写したもの…なんだ
蒼空の最期。落ちて、俺と…
あ、でも、少し、違う。
「…ぁ、蒼空?」
「なあに?」
蒼空を、見つめる。
青い目、瞳孔が開いた、青い目。
もう、ほぼ、残ってもいない、顔。
なんで、もう、残っていない?
俺の右手は黒い。
蒼空の血で、黒、赤黒い。
鮮血じゃない、時間のたった血。
俺は蒼空を殺したんだ。
見殺しに、しちゃったんだ。
拒絶してしまったんだ。
だから、蒼空は、落ちた。
蒼空は、俺をあんなにも、受け入れてくれたのに。
でも、なんで、こんな、血だらけに?
「俺は、なに?…なんで蒼空は、こんなになったの?」
「君が、気づいたから、じゃないかなあ」
「なにに?」
「僕が生きてないって」
もう、蒼空は死んでいる。
そうだ。そうなんだ。わかってる。…でも、忘れていたのは、何故?
「忘れてるんじゃないし、覚えてないわけでもない。君が、…目を背けているだけだ」
蒼空の額に触れてた俺の手に、形を保ったままの綺麗な左手を、蒼空が添える。
「君が、僕を呪っちゃうんだもん、僕には、あの時の僕にはそうするしかなかった」
「呪う?」
「覚えてないの?誠人、君が言ったんだ」
ああ、何を、言ったかな、?何を言った?俺。
「『俺を置いてかないで』って」
俺をおいていかないで。
だってさ。蒼空がいないのならば、俺を受け入れてくれる人はいない。
だから、おいていかないで…
って。
「僕ね、死ぬの怖くなかったんだあ、ただ、無くなるだけだ。それだけ。なのに君が、そんなこと言うから…希望持っちゃうし、君は僕に心を射止められてたって確信したし。いや、分かってた。でも、半信半疑だった。それにもう、今更、遅いよ。もう、救われる道がないところまで来てた。無駄な延命をしようとしただけ」
遅かった。あの時は思考が止まってわからなくなっただけで、それだ、それが、引き金…?
「男だったからって。君は。混乱してただけだったのかもしれないけどさあ。…僕は、それが拒絶だと思った。思っちゃったんだ、そんなことするはずなんて、きっとないのにね。君が」
俺は拒絶が嫌いだ。
蒼空もきっと、嫌いだ、俺も、蒼空から拒絶されるなら。命を投げた方がましだ。
「君が僕を殺したんだよ。君が、手を引かせたんだよ。あー、…君のせいだ。君のせいでさ、足を踏み外したんだ。君が、突き落としたんだよ、細くて高いところにある、正常な道から」
ごめん、あ、ああ、やっぱり、ほんとに、あの時、…俺
「あはは、…この人殺し」
満面の笑みで、蒼空は言う。
こんなにも、ボロボロで、損傷がないのは、きっと左手だけ。俺が、…掴んだ…、左手。だけ。
顔も、頭も足も、血だらけで、ほんとはきっと、原型なんてとどめてないで、崩れてしまうだろうに。
「君がいたおかげで、いじめには耐えられた。ああ、でも、全部、君のあの顔が、…引き金なんだあ」
ごめん、ごめんごめんごめんごめん。
「ごめん、本当、俺は、蒼空を、拒絶した。そんなつもりなくて、それで、ごめん、本当に」
「…はは、そんなに泣いてさ、もう終わったことだから…いいんだよ?もういいんだ」
血だらけなのに。
痛そうで、辛そうなのに、純粋な、明るい微笑が、俺の目に突き刺さる。鋭利な刃物が突き刺さったような痛身を感じた気がした。
俺は涙がこぼれて、視界がぼやけている。
「…君はさ、何度これを繰り返すの?」
「何度?」
「何度も何度も、同じことを僕は言ったんだ。こうやってね。でも、君は忘れる。というか、思い出してさえくれなかった。それで、時間が切れて。最初から全部やり直し。…君は覚えていないだろうけど」
何を言っているのか、俺にはよくわからなかった。
でも、俺はきっと、もう、…繰り返せない。
思い出してしまったから。そして、蒼空にもきっと…時間がない。蒼空はもっと、ゆっくり話す。たくさんの物事をたくさんの角度から。
「ねえ、あのね、僕らは、曲の通りじゃない。僕らは、一緒に落ちたんだあ」
…ああ。わかってる。覚えてる。
もう、忘れられない。…覚えて、いたい。
蒼空を、あの温度を、あの音を、あの、左手の感触を。
しっかり、思い出してる、覚えてる。今は、だけど。
「…僕は、君の幸せを願えなくてさあ。最初、君の手を振りほどこうとしたんだ、でも、誠人が、僕おいて幸せになるのを。僕は許さない。許せなくて、置いてかないでなんて言うんだもん」
「…うん」
「だから一緒に、落ちちゃった。でも、最期の最期、僕が頑張って、下敷きになれてさあ。あ、よかったって、」
抱き締められた。冷たい。でもなんか、暖かいような。そんな気がした
「ちょっと、生きさせちゃったあ。…だって、僕の大好きな君に、簡単に、死んでほしくないもん」
子供が必死に言い訳を言うみたいな、そんな弱々しい言葉使いで、可愛いなあっておもって、心底惚れ込んでるんだな、と、再認識する。
それで、大事なことも、一つ、解った。
「ごめんねえ、誠人、ちゃんと好きでいれなくて。僕は、君だと、なんだかさあ、狂っちゃって、おかしくなっちゃって、君のことは、好きなんだあ。大好きなんだあ…ごめん、ご、めん、ねぇ、、誠人ぉ」
泣きついて、抱きついて、蒼空らしくなくて。
…かわいくて、優しくて、頭がよくて、なんでもできる蒼空なのに。
なのな、ああ。俺には、ちょっと不器用で。
…俺も好きだよ。
忘れてた。覚えてなかった。
恋心とか、そういうの、わかってなかった。
いや、わかってないんじゃなくて…わすれてた、忘れてたんだ。
俺は、忘れっぽくて。覚えるのが苦手だから。
でも、最後に、最後の最期、一瞬だけちゃんと、思い出したよ。
覚えてたこともあったよ。蒼空のお陰で。
だから、ごめん。俺は…大事なこと、忘れてたんだ。
蒼空、そら、ごめん。
「…っあ!、これが、もう、最期だから、もうすぐ終わりそうだから、あー、もう、絶対に!覚えててえ、誠人!もしも、来世があるとしたら。…ない、だろうけど。…そしたらさあ。僕のことを、正常に愛してくれる?また、僕のこと、好きでいてくれる?誠人」
わかりきったことを。
とか。思った。
「…うん。俺は、愛すよ。大好きだよ、蒼空」
…もう、二度と忘れられない。
蒼空は、死んだ蒼空は。
永遠に、「俺の呪い」。
残った左手も、来世でも。
蒼空は俺のもので、俺は蒼空のもの。
…そうなるはずだ。
「……そろそろ、終わりかなあ」
蒼空は、そう呟いた。
少し、震えた声で。
わかっていたように、蒼空は顔を少し歪めた。
泣きじゃくっていた子供みたいな顔のまま。
「…もう終わりだ。そろそろいかなきゃ」
蒼空はそう言って立ち上がる。
「…珈琲は?」
俺はなぜか、そう呟く。
頼んだ珈琲は、まだ来ていない。
「ふふふ、椿にでも飲ませとけばいよお」
…椿、苦いの嫌いだぞ。
なんていうのも、不謹慎で、あんまりよくない気がして、黙ってしまう。
それを見て、可笑しそうに、無邪気に、蒼空は笑う。
「…ふふ、じゃあねえ僕は、もう時間だ。ノロノロしてるとさあ、また君に会えない。バイバイ、誠人」
そう一言、残そうとして、蒼空は立ち止まる。
「…もし、生まれ変わって、君だけが幸せになるのを…僕は、許さないからねぇ!誠人。…来世とか、そういうのが…あったら、の話だけどさあ…どうか、永く、お休み、ちゃあんと、眠るんだよ」
そう言って、彼女、いや、彼は消えた。
柊蒼空。俺の親友で、俺を唯一受け入れてくれた、最愛の人。
俺はもう、忘れてしまう。
すぐにまた。忘れて、思い出さなくなるのかも、知れない。
死んだ人間は、もう、戻らない。
だから俺ももう、戻れない。
何故か忘れないでいた、違和感があった。
「ちょっと生きさせちゃった」という言葉。
生きさせた。過去形。俺はもう、死んでいた。
それで思い出したことがある。
俺は、蒼空が死んだ三日後に、自分で死んだ。
そして、46回目に、初めて、全てを思い出した。
49日、輪廻の輪に戻るまでの時間。だと、小説を読んでいた椿から、聞いたことがあった。
だからこれが、蒼空との最期。
…さっきまでいた蒼空の温もりと、この幸せを、噛み締めていたい。
もう、二度と…会えない。
これが、…最期の機会だった。
よかったなあ、最後の最期で、ちゃんと思い出した。
もっと早く思い出してたら、…俺はずっとうまく行ってたのかもしれない。もっと、蒼空と楽しくいれたのかもしれない、苦労なんてかけなかったのかもしれない。
俺のこと、どうかずっと、…呪ってくれ。
まあ、でも、蒼空はもう。
いないんだけど。なあ。
ごめん、蒼空。
きっと、蒼空が思い描く来世なんて、俺は見えない。
……そんなことさえも、忘れちゃうから。
どうか、覚えてたら、そのときは。
きっとちゃんと、普通に。…蒼空を、好きでいるから。
きっと、愛すはずだから。…また、来世で。
あと3回の孤独。
そのなかでも忘れないように。
どうか、俺が、俺でありますように。
そう、祈って、目を…閉じた。
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