第二部

 時に西暦二〇三〇年、日本国内はポピュリズムの熱に支配され、マスコミはそれに屈し、インテリは姿を消した。政権を取ったイスラームは日本国憲法を都合よく書き換え、ここに立憲主義が民主主義に敗北した。


〈ビショップ〉が言った。「〈キング〉、ブツが揃いました」ぼくは頷いた。「よくやってくれた」政府のテロ対策課により物流が完璧に監視されているいま、爆弾は自前で製造するほかなかった。しかし爆弾を作るのは意外と簡単で、インターネットが政府の監視下にあるいまでも、物理学に通じている者さえいれば造作もないことだった。

「では〈ルーク〉、手筈通りに」ぼくは命じた。「了解です。〈キング〉」〈ルーク〉は爆弾を回収し、装備を整えた。「では行ってきます」


 ここ新宿は、咲き乱れる笑顔の曇天によって緊張していた。JR新宿駅は相変わらず多様な客層で賑わっている。かつてより、山手線、新宿線、京王線、小田原線を繋ぐ、ビジネス的にも行楽的にも交通の要衝であり続けている。その構内にはルミネもあり、さながらショッピングモール的な一面もある。そのルミネの中で、地響きが始まった。地震にしては長い。しかし東日本大震災の前例もある。客たちがどよめきだした。やがて遠くの方から爆発音が迫ってきた。フロアの支柱が次々と爆発し、そこにいた客たちは崩れゆく上のフロアの下敷きとなった。同様の事件が山手線ホームでも起き、新宿駅は地獄絵図となり果てた。


 その翌日、新宿駅を襲ったのはテロリズムであると報じられた。被害の規模の全容はまだ掴めていないが、数百万人の命と足を奪った、我が国におけるかつてない残虐行為だと官房長官が述べている。

 ぼくは言った。「よくやった、〈ルーク〉。では〈ナイト〉、犯行声明を」「了解だ、〈キング〉」〈ナイト〉はコンソールに向かいカタカタとキーボードを鳴らした。すると街頭、店頭、家庭内のすべてのテレビとPC、スマホがジャックされ、幾何学的なマークが写り、何やら演説が始まった。

「われわれは〈ナトゥーラ〉。新宿駅を襲った私設武装組織である。われわれは立憲主義にこそ正義を見る。よってこの国を台無しにした国民諸君を粛清する」


「なんだこの放送は! 早く止めさせろ! 発信元を特定できんのか!」ここは警視庁だ。「やってますよ! こんなに迷路付きのデコイが多いなんて……。よし、突破しまし、うわぁ!」PCが爆発した。「こ、攻性防壁だと……!?」


 ふたたびナトゥーラのアジトにて。〈ナイト〉はほくそ笑む。

「へへ、うじゃうじゃと来てる来てる。警視庁、内務省、それと興味本位のハッカーが十人ほど! ほとんどはデコイに引っかかってるね。警視庁のは焼いてやったぜ。なあ、〈キング〉!」「きみが味方でよかったよ、〈ナイト〉。ありがとう」ぼくはあらためてみなに説いた。「さあ、ぼくたちの戦いが始まった! 今こそドストエフスキーと東浩紀を再読するときだ! 管理社会における『啓蒙』はテロによってのみ成し得る! われわれは日本人の粛清と啓蒙をこれから続けていくのだ! 着いて来れるな? 諸君!」応! とみなが一斉に拳を上げた。「よし! これで歴史が変わる!」わぁ、と歓声が上がった。


 他方で、モニターの演説は続いている。「われわれは諸君の意志に期待する。心を入れ替え、立てよ諸君! 正義とは何であるべきか、あらためて考えるときが来たのだ。われわれの問題提起は最高の国民に届くと信じている。時が来たと感じたならば、今こそ立てよ諸君!……」かくして地獄が始まった。


 疲れた。やはり向いていない。しがない大学教員でしかなかったぼくがテロ組織のリーダーなど! 「首が据わっていないわね。まだウジウジしてるの?」〈クイーン〉だ。「ぼくにやり通せるかな」「あなたなら、できるわ」「ありがとう。ぼくにはきみのような支えが要る」〈クイーン〉は唯一、ぼくのすべてを知っている人間だ。もちろん、あの罪のことも。

〈クイーン〉をいくら抱いても、さくらの膣が忘れられなかった。さくらの首を絞めたとき、愛は呪いに変わってしまったのだ。「さくらさんなのね」顔に出ていたようだ。「いいわ。ほら、パンツ脱いで」垂れ下がったペニスに〈クイーン〉はしゃぶりついた。勃起するまでに時間がかかったが、なにせ〈クイーン〉はフェラチオが上手い。程なくしてぼくは〈クイーン〉の口内に射精した。彼女は精液を飲み込んでくれた。「ふふ、身体は正直ね」ぼくは服装を直して、「ありがとう、ちょっと元気でたよ」と謝辞を述べた。「あら、もういいの?」ぼくは奮起して、「大丈夫。作戦は始まってしまったんだ。やり通してみせるさ」と覚悟を決めた。「だから、きみはぼくとずっと一緒にいてくれ」〈クイーン〉は恋する女の顔をした。「愛してくれるなら」と彼女はぼくに抱きついた。ぼくもその背に腕を回し、「ああ、愛してる。〈クイーン〉」ぼくは嘘をついた。


 翌日、渋谷駅と秋葉原駅で自爆テロが相次いだ。しかし規模は小さいもので、犠牲者は合わせても百人弱といったところだった。報道では、ナトゥーラによる同時多発テロか、などと議論が交わされている。

「早いな」そう呟いた〈ビショップ〉に、「ああ、『模倣者』だ」とぼくは返した。これも「啓蒙」のひとつの成果だ。事件の犯人の身元はいずれも割れており、かつての大学教授である由。世捨て人となったインテリたちの心に、革命の意志の炎が灯ったのである。

 ぼくはあらためて声を張った。「この事態は想定済みだ。われわれの計画に変更はない。次は中央区月島のタワーマンションを狙う。外出自粛の空気を逆手に取った作戦だ。〈ルーク〉たちが住民を装いマンションに侵入し、爆弾を仕掛ける。セキュリティについては問題ない。〈ナイト〉がすでに住民情報を書き換えてある。作戦は今夜決行する。以上だ。諸君らの奮起に期待する」


 その夜、月島の三つのタワーマンションが爆発とともに崩れ落ちた。これを受け、世論はいよいよ政権への不信へ傾いた。政府はそれでも強情で、言論封殺に躍起になっている。政府広報は、テロリズムこそ悪であり、断固としてナトゥーラと戦う、と表明した。これが火に油を注ぐ結果となった。各地で反政府デモが起こり、過激化した群衆が警官隊と衝突し、双方に死傷者が出た。続いて、お台場のダイバーシティ東京で「模倣者」による自爆テロが起こった。いよいよ東京は混乱と狂気の渦に飲まれていった。


「次は政治家に目覚めてもらう」ぼくは切り出した。「〈ナイト〉が掴んだ情報によると、今夜六本木のホテルに閣僚が集い、極秘裏に会談を行うそうだ。次はこれを潰す。〈ナイト〉」話を振られた〈ナイト〉はキーボードを鳴らし、主モニターに一通のメールを表示した。「政府要人に枝を付けておいた成果が出た。このメールを見てくれ。大臣秘書官同士のやり取りだ。内容は、対ナトゥーラ戦略として、警察と軍に大幅な権限委譲を行う旨が書かれている。シビリアン・コントロールどころじゃなくなってきているってことだ。向こうも余裕がないんだな。これが今夜の会談の話題ってわけ」ぼくが引き継いだ。「ありがとう。今回は『政治家も狙われる』というメッセージを与えることが狙いだ。よっていつものようにビルごと爆破する手段は取らない。そこでだ。〈ビショップ〉」次は〈ビショップ〉に話を振った。「我が国の軍は一枚岩ではない。軍部の内通者からこんなものを受け取った」〈ビショップ〉がPCを操作し、主モニターに兵器のようなものを写した。「メガ・バズーカ・ランチャー。これで超長距離からの狙撃を行う。この口径ならビルのワンフロアくらい焼き払える」おぉ、と感嘆の声が上がった。ぼくは声を〈ルーク〉に向け、「〈ルーク〉、きみは軍隊上がりだったな。狙撃手を任せていいかな?」これを受け、「任せてください、〈キング〉。〈ビショップ〉、メガ・バズーカ・ランチャーとやらの調子を確認したい。見せてくれるか」「ああ、こっちだ」〈ビショップ〉と〈ルーク〉が袖に消えた。「よし、作戦は以上だ。クズどもに目に物を見せてやろう。〈ナイト〉は〈ルーク〉と情報の並列化を」


〈クイーン〉の部屋に入るなり、ぼくは彼女を押し倒し、一方的に犯した。「バカァ……」「ごめん」「いいのよ……。疲れているんでしょう」〈クイーン〉はぼくの濡れたペニスを舐めとってくれた。「この国を正すんだ。ぼくが……、ぼくがやらなきゃ駄目なんだ」「馬鹿ね。周りを見なさい。あなたには大勢の同志がいるでしょう」「そう……、そうだよね。ありがとう。〈クイーン〉」「お馬鹿さんにはお仕置きをしてあげる」〈クイーン〉はそう言うと、ぼくをベッドに寝かせて跨ってきた。ふたたび硬直したぼくのペニスをヴァギナに挿入し、騎乗位の体位をとった。「どう? 犯されている気分は」「いい……、すごくいいよ……」あっという間にぼくは果ててしまった。


 二〇時を少し過ぎたころ、〈ルーク〉はメガ・バズーカ・ランチャーの引き金を引き、閣僚たちをビルのフロアごと消し炭にした。

「よし! 〈ナイト〉!」「おうよ、犯行声明だろ!」〈ナイト〉はキーボードを叩いた。


「われわれはナトゥーラ。悪辣たる政治家諸君、われわれはたったいま、きみたちの選良を焼き払った。われわれはつねにきみたちを狙っている。われわれは正義の名のもと、自由と平等を取り戻すまで、諸君ら悪を断罪する用意がつねにある……」


 国会前は、押し寄せた大衆により祭場と化した。「ナトゥーラ万歳!」「解散しろ!」「日本に自由を!」このタイミングでは政府も強気な態度を取れなかった。後日、与党幹部を皮切りに、政治家の国外亡命が相次いだ。残った野党リベラル派により暫定政権が樹立され、かろうじて国家の体を成したのち、近日中に衆議院を解散、総選挙が行われると発表された。

 

「俺たちの仕事も終わりですかね」〈ルーク〉が呟いた。「いいや、われわれは存在することに意義があるんだ。たとえテロリストだとしても。日本には、いつでも引き金を引ける第三者が必要なんだ」〈ビショップ〉が正した。それが正解なのかは誰にも分からない。

 ある日ナトゥーラから〈キング〉が消えた。暫定リーダーには〈ビショップ〉が就いた。〈キング〉を失った〈クイーン〉は発狂し、拳銃自殺した。



 新宿四丁目の交差点にぼくはいた。そこからバルト9まで歩いてみた。さくら、一緒に『ぼっち・ざ・ろっく!』を観れなくてごめんね。でも大丈夫。これから会いに行くよ。そしたらずっと一緒だね。腹から流れた血液が道路を点々と濡らした。ぼくは大の字になった。さあ、ちゃんと狙え。今度は外すな。

 弾丸がぼくの頭を吹き飛ばした。狙撃手は、軍に送り込んだスパイだった。

(了)



 

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蜜と唾 片山勇紀 @yuuki_katayama

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