第153話

「……ん、バクさん、あの……て……きてく……」


 深夜。耳元でさわさわとした声が聞こえた気がして、私は目を覚ました。


「起きてください、お願い」


 聞き覚えのない、若い女の声だ。私はひとり暮らしなのだから、こんな声が聞こえるはずがない。侵入者かと考えたが、防犯用にと家や店に張り巡らせている魔術は無反応だ。それに侵入者なら、わざわざ私を起こさないか。


 ならばこの声の主は誰だ。


 声の正体が気になったものの、眠い。相手が何者であれ、こんな時間に私を起こしにかかっている時点で面倒事の予感がする。幸い私はまだ目を開けていないから、気づかぬふりをして寝直すという選択肢も選べた。


「バクさん、バクさん」


 相変わらず聞こえる、さわさわとした声。絶妙な邪魔さで睡眠妨害になる音である。


 このまま無視を続けた結果、寝ている間に危害を加えられて死ぬなんて事態になってはたまらない。

 非常に不服ではあったが、私は起きることにした。寝返りをうち、目を開け、ベッドサイドにあるランプに魔法で火を入れる。


 柔らかな灯りに姿を浮かび上がらせたのは、蜂蜜色の髪から細長い耳が覗いている女――あの絵に描かれていたハイエルフに似た女だった。


 いや、本人か?


 ハイエルフ自体珍しいのに、絵と同じ紫色のヘアバンドにマントなんて服装をしている確率は極めて低い。


 例の絵は、ベッドのそばに置いた椅子に固定している。そちらを見て、なにが起きているか理解した。

 私の顔を覗き込んでいたハイエルフの女。その体の腰から先がパン生地のように伸びて、絵の中へと続いている。


 ハイエルフが絵から生えている。

 そう表現するのが近い。


「起きてくれましたね!」


 絵から生えているハイエルフの女が、表情を輝かせた。


「あのですねバクさん、お願いがあるんです」

「その前に確認されてくれ。きみはあの絵に描かれたハイエルフで間違いないか?」

「はい!」


 エメラルドのように深い色の瞳を持つハイエルフは、元気に返事をした。


「あの、それで、さっそくで申し訳ないんですけど、私のお願いを聞いてはいただけないでしょうか」

「叶えると確約はできないが、ひとまず話を聞こうか。全てはそれからだ」


 やっと絵が喋ったのだから、無視するわけにもいかない。私はこいつを喋らせるべく日々料理を作り、食べさせてきたのだから。

 それに美味いものを見せつけた後で食事抜きという目に遭わせたら喋るのではと考えたのも、私自身である。

 気を抜くと閉じてしまいそうな両目をなんとかこじ開けて、絵から生えているハイエルフを眺める。ハイエルフは切羽詰まった様子で口を開いた。


「バクさん、私まだお夕飯いただいてないんですけど! お夕飯をいただけないでしょうか!」


 ハイエルフの目は真剣そのものだ。こいつは大真面目に夕食を欲している。


「絵も空腹を感じるのか?」

「いえ、それは……絵なので、空腹は一切感じないです」


 だろうな。食事が必要なのだとしたら、私に絵を預けに来たオリバーが絶対になにか言っている。

 ハイエルフの細長い耳が困ったように下を向いたが、すぐに元気にぴょこんと跳ねた。拳を握り、力強い視線を向けてくる。


「でもバクさんは今まで毎日美味しいご飯をくれました! それなのに今夜はお店でなんだか美味しそうなものを食べてたのに、くれなかったです……。お店の料理をとは言いませんが、せめていつもみたいに美味しいご飯ください! ご飯! ごーはーんー!」

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