5.
「本当に、申し訳ございませんでした」
神妙な、何かを堪えるかのような面持ちのナディアは、深々とその頭をアレンへと下げた。
「な、なんでナディアが謝るんだ! 父上に婚約の話しは聞いたがわからないことばかりだ! それよりも、身体の方は大丈夫なのか!?」
居ても立ってもいられず、アレンは馬を走らせてナディア・キースの生家に来ていた。
キース伯爵の談話室に通され、左手に包帯を巻いたナディアの指先にそっと触れる。
ナディアの命に別状がないことは時間差での早馬で知らされていたが、逸る気持ちは落ちつかず、気づけば汗だくで必死の形相だった。
「ーー大したことはありません。前もって、秘密裏に騎士団に護衛をお願いしておりましたからーー」
「ーー何だって?」
ナディアの言葉に眉をひそめるアレンを見上げて、ナディアはその頭を再び深々と下げた。
「騙すような真似をして、お2人の間に割り込んだことは全て事実で、申し開きはございません。スレド伯爵に頼まれたことがあったとは言え、お2人の感情を無下にしたことに違いはありませんから、お怒りになるのは尤もです。罰でしたらなんなりとーー」
「いい加減にしないか!!」
「ーー……っ」
感情を出さないままに粛々と謝罪を続けるナディアの腕を掴み、アレンは遂に声を荒げた。
「ーー本当に……心配したんだ……っ」
「アレン様ーー」
掴まれた腕が震えているのを見下ろして、ナディアはアレンの表情を改めて見つめる。
「なんでこんな危険なことを……っ」
「宜しければ、私からご説明を。アレン・スレド伯爵令息」
押し殺したような声でナディアを見つめるアレンを遮り、低くて落ちついた声がその場に降りた。
ドアを見れば、メアリーを連れ去った件の麗人が感情の見えぬ顔で立っていた。
「先ほどはご挨拶もせずに失礼致しました、ニア・キースです。父母と兄は生憎と出かけておりまして、後ほど挨拶に来ると思います。お久しぶりですね、アレン卿。妹のナディアがお世話になっております」
キース伯爵の次男であり、その生まれと同時に冷静沈着で腕の立つその才覚を見込まれたエリート。若いながらに騎士団の副団長を務めるナディアの兄ーーニアは、薄っすらと笑みを浮かべた。
「そ、それは構わないが、メアリーは……っ!?」
「現在は尋問中ですね。否認はしておりますが、こちらは以前からメアリー令嬢の行動を監視しており、今回の実行犯にも人を介して接触したことを把握しております。最近は財政難もあって、テッド伯爵家には黒い噂も絶えない。一族共々、今度は逃しませんよ」
「今度……?」
「以前、夜会の際にアレン卿を襲撃した犯人。自害をしましたが、こちらもメアリー令嬢の息がかかった者であったと睨んでおります。アレン卿をあえて襲わせ、命懸けで守ることを演じ、貿易事業で資産の潤沢な次期スレド伯爵夫人の座に収まる。それがテッド伯爵令嬢である彼女のプランでしょう」
「ーー…………」
押し黙るアレンをその鋭い眼光で眺めやり、ニアは口元を歪めた。
「誰もが違和感を感じざるを得なかった事態は、怪我を負わせたと言う負い目と、決死の実行犯となった没落貴族の存在により完全犯罪となりました」
「ーー私とメアリーは同級でした。そして、かつての実行犯はメアリーの取り巻きの1人。夜会でアレン様が襲撃された際に、私は現場の近くにおりました。その際に、私は怪我を負ったメアリー様が笑むのを、見てしまったんです」
忘れられなかった。2人の婚約が決まった後には、尚更見間違いだと思おうとした。したけれど、あの笑みが昔の記憶と重なって、余計に頭から離れなかった。
舞い込んでくる噂は、どれもこれも胸のモヤモヤを増やすばかりで、気にしないように努めるだけで必死だった。
そんなある時、スレド伯爵が相談に訪れた。
ダメだダメだと自分に言い聞かせながらもニアから詳細を聞き出し、昔のツテを辿って実行犯と離縁した妻子の存在を突き止めてしまった。
迷いながらも、あの笑みだけが、ただただナディアを突き動かす。
没落した妻子は、ここより遠く離れた東の国に移り住んで質素な暮らしをしていたが、話しを聞きたいと声を掛けたナディアの顔を見るなり血相を変えて地に這いつくばった。
涙を溢してガタガタと震える嗚咽混じりのか細い声。元夫のことは本当にわからないと言うその母親の言うことが真実と思えた一方で、その反応が同時に全てをも物語っていた。
怯えた子どもへ小さな贈り物を残し、ナディアは1人、自問した。
これ以上は、引き返せなくなる。首を突っ込むべきでもない。その理由もない。そうすべきでもなければ、当の本人からは望まれてもいない。それどころか、傷つけたり嫌がられたりするだけかも知れない。
それでも。
それでもーー。
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