3.
「あら、あちらはどなた?」
「お隣にいらっしゃるのはスレド伯爵のご子息でしょう?」
「そう言えば最近、あのケバケバしい
「確かキース伯爵家のご令嬢ではなかったかしら?」
「あら、あんな綺麗なお嬢さんだったかしら」
ざわつくパーティー会場で、アレンの腕に掴まり歩くナディアを中心としてさざめきが起こる。
「……皆、ナディアのことを気にしているようだ」
「あまり見ぬ顔が気になるだけですわ。すぐに気にされなくなると思います」
「いや、いつもではあるが、今日のナディアは……いつにも増して本当に美しい」
「アレン様にそう言って頂けて、気合いを入れて準備して頂いた甲斐がありましたわ。屋敷の皆にはお礼をしなければなりませんね」
艶やかな黒髪に華を散らし、細い体躯を上品に包む夜のヴェールのような輝くドレスで微笑むナディアは、アレンの視線は元より会場中の視線を奪っていた。
「こんな時だけ、無理を言ってすまなかった。今日このパーティーに見える貿易相手はとても重要な方々でね、できれば良い関係を保ちたいんだ」
「私に務まるか不安ではございますが、精一杯努力させて頂きますね」
「いやいや、そんなに緊張しなくてもいいんだ。ナディアなら普段通り、失礼のないようにして貰えればそれだけで十分だから」
「ーー努力いたします」
ニコリと笑んだナディアに対する速る鼓動を持て余したアレンは、ぎこちなく微笑み返した。
バシャリと降ってきた水に、ナディアは思わず動きを止めた。
「ナ、ナディア様っ!? ご無事ですか!? お怪我は……っ!!」
「ありがとう、大丈夫よ。多分ただの水だわ」
「タオルをお持ちいたします! 少しお待ち下さいませっ!」
バタバタと走り去る侍女の姿を見て、ナディアは頭上を仰ぎ見る。
よく晴れた天気の良い日に、スレド伯爵家の屋敷の窓から少し離れた廊下を歩く金色の髪が見えて、ナディアはやれやれとため息をついた。
学生の時分ならいざ知らず、ナディアもメアリーもいい年をした、社会的に見れば大人として肩を並べる19を数える歳。
「あいかわらず、しょうもないのは変わっていないようね……」
自室にネズミや虫が撒かれたり、ドレスが破かれていたり、何もしていないのに強く当たられたり、メアリー主催のお茶会で多数に無勢でなじられたりと、細かい嫌がらせは続いた。
とは言え嫁ぎ先の屋敷内での出来事となる訳で、そう大々的なことも出来ないと見えるメアリーは、大して歯牙にもかけていない様子のナディアにイライラが募っているようだった。
家の商いは男が。家の揉め事は女が。と言われることもあり、アレンあたりの耳には入っていそうなものであるが、基本的に女同士の争いとなるのはよくあること。
そして得てしてそんな争いに男が介入すれば悪化を招くのが世の常であり、それに打ち勝てるような強かさと賢さがなければ社交界では生きていけない。
「ナ、ナディア、大丈夫かいっ!?」
「アレン様……?」
夜も更けたある夜に、突然自室を訪ねて来たアレンにナディアはいくらか驚いた。
今までにアレンがナディアの自室を訪れたことは数えるほどな上に、自室に招かれたこともない。
つまり嫁いで数ヶ月、未だに夫婦としての営みはなかった。それがどうしたことか、今は互いに夜着で向かい合っている。
「最近、メアリーがナディアに……その、嫌がらせじみたことをしていると耳にして……っ」
「……心配して来て下さったのですか?」
「もちろんだ、ナディアは僕の大切な家族なのだから……っ」
「ーー…………」
しばし近距離で向かい合い、言葉を失うナディアをアレンは心配そうに見つめる。
少しの時を経てふっと顔を綻ばせたナディアに、アレンは胸の鼓動が鳴るのを自覚した。
「ありがとうございます、アレン様。驚きましたけど、心配して下さったこと、とても嬉しいです」
「いや、そんな、僕は何も出来なくてーー……」
ふふと笑うナディアに、アレンはドキドキとしながらも申し訳なさそうに俯いた。
「いいえ、私を認めて気にかけて下さったと言うことだけで、とても嬉しくて、力になります」
シンプルな薄着に身を包み、下ろした髪を緩くひとまとめにしたその細い体躯に今更ながらに魅せられて、アレンはハッとして顔を逸らす。
「と、とにかく、何かあれば言って欲しい。僕としても、ナディアに辛い思いをさせたくはないんだ」
「……ありがとうございます、アレン様。とても嬉しく心強いです。でも、大丈夫ですよ」
「ーーえ?」
予想外だったのか、目を丸くするアレンにナディアは微笑みかける。
「私、もう昔ほど弱くはありませんからーー」
ナディアの自室に消えてから程なくして出て来たアレンの姿を見届けて、その時間の短さにメアリーは廊下の影から詰めていた息を吐き出した。
しかしてそんな乙女じみた行動に浸る間もなく、メデューサのように髪を逆立てたメアリーは、怒り肩に憤怒の表情でアレンの自室へと足音荒く向かう。
艶やかに微笑んだナディアの姿を自室で幾度も夢見心地に思い返していたアレンが、ノックもせずに大きな音を立てて乗り込んできたメアリーとのあまりの落差に、腰を抜かしそうなほど驚いたのは言うまでもなかった。
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