葬式
祖母が死んだのは朝4時ごろだった。親父は死の間際の少し前に、介護ベッドから離れたそうだ。誰にも心配をかけたく無かったからだろうか、1人で逝った。朝5時ごろに私と妹は、親父から祖母が死んだ旨を伝えられ起こされた。
もう既に死亡判定をされており、湯灌のためすでに介護士が来ていた。私は特段驚くことは無かった。私はリビングに出て祖母を見た。祖母は少し不満そうな表情をしていた。私はいつもの様に祖母の右手に触れた。温もりなんて無かった。柔らかかった手は既に固まり始めていた。介護士と共に私ら家族は、祖母の体を温かい濡れたタオルで拭き取った。その途中、祖母の鼻から黄土色の個体が流れ出てきた。介護士はそれを吸引機で吸い取り、湯灌は終わったと告げて、私と妹をその場から離れさせた。
その後、私は準備を済ませ、学校にいった。意外にも泣かなかった。祖母は死んだんだなぁと考えながら授業を受けていた。考えている内に授業はすぐに終わり、帰宅した。
家に着くと介護ベッドの上の祖母の顔には白い布が掛かっていた。母親から火葬場が一杯で、体を焼く日がまだ決まっていないから、とりあえず家に置いとく事になったと言われた。本当は遺体安置所に置くのだが、最後の最後まで家に置いておきたかったのだろう。体には保冷剤が沢山つけられていた。
私はしばらく立ち尽くした。私はふと気になり、母親の目を盗んで祖母の顔近くまで近づいた。そして顔の布を半分だけ捲り、祖母の顔を見た。鼻には白い詰め物が詰めてあった。表情は変わらず不満そうだった。私は手を祖母の瞼まで持っていき、瞼をこじ開けた。祖母の目は半透明になっていたが、その瞳孔は天井を見据えていた。私は安堵し、瞼を閉ざした。そして元通りに顔に布を被せて何事もなかった様にその場を離れた。
火葬日が決まった。その1日前に葬式を行う事になった。葬式が開かれる2日前に、介護ベッドに乗せられていた遺体はいつの間にか無くなっていた。祖母が車椅子に座っている時に、何度か介護ベッドには寝るにあたりお世話になった。祖母の匂いと温もりがそこにはあった。
久しぶりに介護ベッドが空いた。葬式も終われば、介護ベッドは無くなってしまう。最後の機会に寝転ぶ事にした。嫌にひんやりしていた。介護ベッドは消毒、消臭されていた様で何の匂いもしなかった。なんとも言えない気持ちになり、寝転ぶのを辞めてしまった。
葬式当日、式場に入ると、祖母の笑っている遺影が目に飛び込んできた。駅前のDOUTORにいった時の写真だった。その瞬間、私は過去の祖母との思い出が涙と共に溢れんばかりに流れ落ちた。死の直後から遺影を見る前までは、あんなに何とも無かったのに。それほどにその写真は輝いて見えた。
遺影の前には真っ白な棺が置かれていた。棺に蓋はなされていなかったが、中を見る気にはなれなかった。葬式には母親の姉とその叔父さん、親父の姉と婚約者が来た。小さな葬式だった。
葬式中は1度焼香をするために立つくらいで、それ以外は座って読経を聞くのみだった。読経をよく聞くと、漢文の書き下し文を読んでいる時と、聞いても漢字が思い当たらないお経を読んでいる時があることが分かった。葬式は当事者にとっては辛いものだった。ふと前を向けば、我慢が効かなくなるほど心が揺さぶられる写真があり、音に至っては意味がさっぱり分からないのだから。
葬式が終わり、母親の姉と叔父さんは帰ることになった。妹は久方ぶりの叔父さんに出会えて嬉しそうに話していた。私は式が終わった後、またあの写真によって動けないでいた。叔父さんは私に気を利かせて、後ろから肩を叩いて、またこいよとだけ言ってくれた。私は声も出せず頷くのみであった。
葬式の次の日、骨上げには帰ってくるという約束で、妹のみ学校に行ってしまった。薄情な奴だと思った。
出棺する前に、最後のお別れの時間が設けられた。棺の中を初めて見ることになった。2,3日ぶりの祖母の顔を見ると、笑っていた。血のこびりついた前歯がチラリと見えた。写真と同じ優しい表情になっていた。今にも起きてきそうであった。
その体の周りに、花を添える様に促された。体には花束を敷き詰め、顔まわりには赤いツツジの花を添えた。すっかり物語に出てくる様な花嫁姿になった。後は蓋をするのみとなった。蓋をすれば、2度とあの顔は見れなくなる。脳裏に焼きつく笑顔であった祖母と、目の前に横たわる祖母とが重なり、ぼやけて見えた。
祖母の棺に蓋がなされた。お坊さんがおりんを鳴らし棺を先導して出棺となる。この日も雨が降っていた。霊柩車には親父とお坊さんが乗り、私と母親、親父の姉と婚約者はうちの車で後ろから付いて行くことになった。
助手席に座った私は、前の霊柩車が出るのを待っていると、外から親父が窓を叩いてきた。何事かと思うと、遺影と位牌を渡してきた。これを抱えて座っとけと言われた。あの式場の写真と全く一緒だったが、今回は何とも無かった。親父が霊柩車に乗り込み、出発した。運転席に母親が乗り、後部座席に親父の姉と婚約者が乗った。火葬場まで20分ほどあったが、後ろに座っている人たちは一切喋りかけてこなかった。
火葬場に着いた。またお坊さんがおりんを鳴らし棺を先導した。火葬場は初めてのはずだった。何か既視感があった。火葬場は嫌に黒光りした床で、ガラス張りの高い天井があり、ずっしりとしたエレベーターの様な扉が横に5つほどあった。
棺はその扉の中に入れられて、焼かれるそうだ。火葬室からは常に重々しい音が火葬場内に響いていた。焼く準備は万端であることを示していた。棺が火葬室に入って行く。最後のおりんを叩く音が鳴り響いた。その音が壁に染み付き聞こえなくなったぐらいの時に、火葬室の扉がゆっくりと動き出した。最後まで棺を片時も見離さなかったが、何も起こらなかった。やがて扉が閉まった。この世とあの世との境目を見た様な感覚に陥った。
私が知っている本のストーリー上の葬式では、大抵葬式に来た人が集まって、故人を偲びながら飯を食うイベントがある。精進落としは普通火葬して骨上げの後にする様だが、私の場合は火葬して焼き上がる最中に精進落としをした。形式に乗っ取るよりも故人を思う心の方が重要だともっともらしい理由をつけておこうと思う。
母親の姉とその叔父さんは、祖母と面識が無い以上精進落としの場で話すことが無いので、帰るのは理解できる。親父の姉と婚約者に関しては話す事、積もる話があるだろう。彼らは何故か親父の飯の誘いを断り、2人でどこかに行ってしまった。私も子供ながらに思う事はあるのだが、確かに祖母の骨折の事を隠して悪かったなんて話にもなれば、それこそ飯と機嫌がまずくなる。祖母の話が聞きたかったが、むしろ断ってくれてありがたいと思うことにした。
そんなわけで、精進落としは家族3人で行った。と言っても、ただの外食だった。私はせめて形だけでもと思い、天麩羅がメインの和食定食を選んだ。両親は訝しんだ。天麩羅だけでいいのかと聞かれた。まるで坊ちゃんにでもなったかの様だった。私はこれでいいとだけ答え、注文した。
料理が来て、会話は親父の姉と婚約者の話になった。いくら気まずいからと言って、飯を一緒に食わないというその神経がわからん。そんなつまらない話よりかは、私は昔の祖母の話が聞きたかったが、大体知っている話しか出てこなかった。知っている話でも、あの式場の写真が脳裏にちらつくのもあってか、胸をいっぱいにするには十分であった。寂しくなるなと改めて感じた。
店を出て、学校から帰ってきた妹を迎えいれ、火葬場に向かった。既に親父の姉と婚約者は火葬場に着いていた。6人での骨上げが始まる。長さが揃っていない違い箸を持たされ、あの世の扉がゆっくりと開かれた。
真っ白な棺の姿は無く、元から入っていた可動式の台が引き出された。6人の前に台が運ばれた。どうにか人体の形を模した白骨があった。火葬場の人から大体の体の骨の位置の説明を受けながら骨を上げていった。
喪主の親父が最初につま先と踵の骨を違い箸で骨壷に入れた。次に母親が脛骨を骨壷に入れた。
その後、私は運命の悪戯を目の当たりにした。親父の姉と婚約者が、骨折した大腿骨を違い箸で摘むことになった。骨は2,3センチほど上がった所でほろほろと崩れ落ちた。気まずかったのか、彼らは骨折していない方の大腿骨の方にそそくさと回って骨上げをした。
その後骨盤と背骨の一部を入れた後、私が右手の骨を、妹が左手の骨を上げた。意外と骨は硬かった。最後に歯のついた顎の骨と、頭蓋骨になるが、頭蓋骨の目の位置にピンク色の色素が着いていた。火葬場の人からはツツジの花の色素がこべりついたものだと解説してくれた。それと、この様に歯が綺麗に並んでいることは珍しい。歯を大切になさった証左ですと伝えられた。
頭蓋骨丸々入れることはできない様だった。なので火葬場の人が頭蓋骨の天辺をかち割ってくれた。その中でできるだけ平べったい頭蓋骨の一部を、今まで入れた骨の上から被せる様に骨壷に入れた。骨壷は蓋をして、白い荘厳な骨袋に入れられた。骨上げが終わった。
白い骨袋は私が持つことになった。見かけによらず重たかった。親父の姉と婚約者は、タクシーで帰ると言い張り、火葬場に残して私ら家族は帰った。
家に着いて骨壷をとりあえず棚の上に置いた。まだ墓がないので骨壷は未だに棚の上に置いてある。ある意味身近にあった方が安心であるような気がしている。
それから少しの間、私は穴が空いた様な感覚に囚われていた。何とか慰めたく思い、祖母の残したものは無いか探した。
祖母のカバンがあった。私はカバンには全く興味が無いので、何か無いか中を漁った。私の興味があるもので唯一残っていたのは、ハンカチだった。まだ祖母の匂いがした。
私はその匂いで穴を埋めようとした。その匂いはいつしか薄れて、ある時ふっと消えてしまった。この世から完全に祖母を形作るものが無くなったと感じたのは、祖母が死んでから1ヶ月半後くらいであった。
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