外での私はよく喋る方だと思っている。話せない人間はいなければ、大人に対する恐怖心もない。これが本当の私であると信じている。私の家の中での私は、私ではない。人と面と向かって話すことが出来ないような私が私であるはずがない。


 私は親父の背中ばかりを見てきた。おもては怖いから裏をと言う感じだろうか。子供ながらにとても大きい背中であった。幼稚園から見てきたが、小学4年生からは見る頻度が増えた。最近はその背中すら見れなくなってきた。疎ましいと思うようになったからだろうか。反抗期だからだろうか。ある時親父の背中を見たが、明らかに小さくなっていた。それからはさらに親父の背中は見れなくなってしまった。


 私は長男であり、初孫である。そのためか、祖母は私のことをとても可愛がった。私の根底にある人格はこの時につくられたと思うほど、影響を受けていると感じる。私が何をしても、祖母は全てを受け入れてくれた。口癖は、僕ちゃんは優しいなぁである。

 祖母の言葉が私の全てであった。祖母の言葉に影響を受けた私は穏やかになり、また大人しくもなっていった。祖母は私の大人しさを大層喜んだ。人間誰かに喜ばれるほど心地の良いものは無い。

 ときに、私には祖父との記憶が殆ど無い。私が幼いころに死んでしまった。母方の方はと言うと酒の飲み過ぎで肝臓をダメにしてしまい、若くして逝った。そんな訳で私は祖父というものを知らない。完全におばあちゃん子が染みついた。

 物心がついた私は祖母によく祖父の事を尋ねた。祖母は、私と祖母で祖父に流動食を運んだ話をしてくれた。私はそうなのかと曖昧な返事をしていた。


 そんな私にも唯一、祖父に関して残っているぼやけた記憶がある。傷一つなく綺麗に光っていた床と高い天井の建物に、お坊さんが沢山出入りしていたような記憶である。その建物の中にはエレベーターの様な扉もあった。あまりにも思い出せる情景がぼやけているため、何となく夢の中の様な感じでもあった。


 私は家族に対して嘘をつく人間になってしまった。嘘のつき方を学んだ日を今でもはっきりと覚えている。

 小学1年生だった私は、祖母の家に預けられていた。いつも通り祖母のダイニングルームで絵を描いて遊んでいた。祖母の生活の手伝いに来ていた親父の姉が、皿洗いをしながら私に話しかけてきた。

「そう言えば、餅つきの時に私のことを大切な人って言ってくれたよね?」

 背中を向けたまま、私の全く記憶になかった話を振られた。覚えていないのと小恥ずかしさで、笑いながら否定した。

「餅つきの時じゃ無かったかしら。いやその時だったはず。私のことを大切な人って言ってくれたよね?」

 少し語気が強まった。私は全く意に介さず、笑いながら否定した。親父の姉の相手よりも絵を描いていたかった。

「いいや確かに言ったはずよ。私のことを大切な人って言ってくれたよね?」

 語気がさらに強まった。私は異変に気づいた。私は何か悪い事をしてしまったのかと思った。鉛筆を止めた。

 私は再度否定した。そんな事知らない。記憶にない事なのだから、そう答えて当然だと思った。今回は至極真面目に答えた。

「私のことを世界で一番大切な人って言ってくれたよね?」

 私は気まずくなり始めた。鉛筆は同じ場所を行ったり来たりして、その部分だけ紙は真っ黒になり、凹み始めていた。記憶にない頃の私を恨んだ。適当な事を言ったせいで、姉の機嫌を損ねた様だった。それでもなお、私は小さい頃のことは覚えていないと正直に答えた。

「私のことを一番大切な人って言ってくれたよね?」

 私の心に変化があった。目の前の紙に描かれている黒い何かが心に生まれた。それでも、覚えている事と違う事を言うのはいけないと思った。それ以上に気まずさが私の心を占めてきた。私は最後に、小さな声で否定した。ポツリと、知らないよ。覚えていないよ。

「私のことを大切な人って言ってくれたよね?」

 私の心は気まずさで満たされた。ここから早く逃げ出したい。逃げ出すためには、覚えている事と違う事を言わなければならない。もうどうにでもなれ。

「うん。言ったよ。」

「良かった。覚えていてくれたのね!」

 この会話でやっと、親父の姉は顔を見せてくれた。嬉しそうだった。私はさらに気まずくなり、その場を離れた。

 嘘の味は格別だった。ダイニングルームから出ると、気まずさはどこかにいってしまった。気まずさが取って代わって幸福感に満たされた。異様に胸が高鳴った。嘘を付けば、人が喜ぶ事を知った。

 

 私はそこから、家族に嘘をつく様になった。学校でもたまに嘘を使った。嘘を学んでいくうちに、嘘つきという言葉がある事を知った。嘘をつきすぎると良くないらしい。家族以外には嘘をつかない様に努めた。

 始めの頃私は家族に大それた嘘をついた。アサガオの種をクラスの中で一番多く手に入れたから、みんなから胴上げしてもらった。母親は良かったねぇと笑ってくれた。

 だが、家庭訪問の時には脂汗をかいた。母親が胴上げしてもらったみたいで、なんて話になると担任の先生にも、母親にも嘘をついた事がバレてしまう。大層恐れたが、そんな話にはならなかった。

 あまり大それた嘘をつきすぎるのは良くないらしい。嘘は事実を少し膨らませる程度にしようと学んだ。


 小学四年生の一件も、どうせ私の誇張した嘘が絡んでいたのだろう。愚かに見えるが、これが私である。


 私は醜悪な人間になってしまった。

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