家族

石ころ

関係

 私は親父の顔を思い出す事ができない。18年も一緒に過ごしてきて、こんな顔だった、こんなふうに笑い、こんなふうに怒る、そんな事が思い出せない。

 また、私は親からの問いかけには答えられない人間になっていた。

 小学4年生の時、私は勉強の事で何か親父に指摘された。私はそれまで通り言いたいことを言い返した。言い返した言葉が悪かったのだろうか。私は親父からその10倍の言葉を投げつけられ、怒鳴られた。

 その一方的な会話は突然止まった。親父が私の教科書を机に叩きつけた事が原因だった。その時、私は親父が親父で無いかの様に感じた。私の目の前にいる男は一体誰なんだろうかと思った。

 私は親父の変貌ぶりに恐怖し、泣きだした。それまで沈黙を貫いていた母親は耐えかねて私を抱き抱え、逃げるように寝室まで連れて行った。その時の音と怒声は今になってもフラッシュバックしてくる。その時から、私は親父の顔を直視出来なくなっていた。


 また、私はあることを学んだ。親父には言い返さないようにしよう。何もこちらから言わなければ何も倍返しに返ってこない。親父が親父で無くなる事もない。こうして、私は親からの問いかけには答えられなくなった。私の思うことは全て、あの音と共に心を閉ざすようになった。

 親からの問いかけに答えられなければ、親は答えられるまで待ってくる。私が答えようと、声に出そうとしても動かない。声が掠れる。形にならない。出てくるのは恐怖心と悔しさからくる嗚咽のみ。そうなれば、親は諦めてくれて私を自室に戻る様に促すのが常であった。


 私は小学4年生の一件から、母親に対して心を許すようになった。母親は大雑把な人間だった。親父がいる前では体裁を保っているが、親父が出張で居なくなると、途端にめんどくさがりになる。私はその人間味のあるところが好きだった。中学生までは、親父の愚痴を話してくれるような関係であった。

 愚痴の中で特に印象に残っているのは、私の両親の結婚は望まれたものではなかった話である。親父は懇意にしている女性がいたが、祖母がその人との結婚に反対し、今の母親を連れてきて親父と結婚させた。そんな事もあり、母親は冷遇されていたらしい。親父の姉からはお手伝いさんとしか見られていなかったほどだ。

 最初の母親と親父との関係は、親父のお前と結婚しなければよかったの一言が全てを物語っている。この様な関係なのによく20年も連れ添ったなと思う。昔ながらの離婚は何があってもしてはいけないという価値観とは恐ろしいものである。


 何となく母親は私と似ていると思っていた。だが高校生くらいになってからは、母親が親父に似ていると感じるようになった。私はいつしか母親から親父の愚痴を聞かなくなった。ついには親父と2人して私を責めるようになった。


 そんなある日、祖母が家にやって来ることになった。

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