心理の扉

風鈴はなび

心理の扉

「はぁ…」

もう何度目かもわからないため息がマスクの中で反響する。学校から帰る学生というのはもっと浮き足立つものであるということは知っているが…知っているからこそため息が出る


「もう1年生も終わるってゆーのに友達1人出来ないとかあるかよ…」

独り言が零れたが特段気にする必要はない。なぜなら学校から家まで俺と一緒にいる人間はいないからだ。

華の高校生活、部活に打ち込み勉学に勤しむ、そして時にはぶつかり合い笑い合う友と過ごすバラ色の日々…なんて夢幻であったのだ。

現実は甘くない。部活は厳しく勉強は難しい、友達なんて俺みたいな陰気臭い奴にはできっこない。オマケに新学期早々いじめの標的にされ今では喋るサンドバックだ。


「うーん…どこで間違えたんだ?やらかしても無いし喧嘩を売った訳でもない。社会は不条理だぜ」

独り言なのだが全くその通りだと心の中で頷く。こんな日々が続くのならいっその事死んでしまうのもありかもしれない。

俺が死んで悲しむのなんか俺をいじめてストレス発散をしてる奴らだけだ。

…両親は幼い頃に離婚、その後母と暮らすがそのまま知らない男と蒸発。親戚は金銭面の援助はするが一緒には暮らせないと爪弾き。一人暮らしと聞いて最初のうちは心が踊ったが、3ヶ月もすれば人肌が恋しくなってくる。


「家に招くような友人もいないし、ほんとになんのために生きてんだろ、俺」

夢もなければ希望もない。

そんなこんなでもはや俺に生きてる意味も理由もないのだ。死ぬ覚悟が決まるのなら今すぐに死んでも構わない状態、言わば失うものが何も無い人間というわけだ。


「まぁだからといって死ぬ気もないけどね」

心の声に返事をする。自己解決だ、一人ぼっちはよくやるやつ。

こんな一人芝居をしている間に家に着く。鍵を出そうとカバンに手を突っ込んだが感触がない。


「…?どこかに落としてきた…のか……ッ!」

思い出した!今日学校に着いてそうそうカバンをぶんどられて池に投げ入れられたんだ!そん時にチャックが開いてたから落ちたんだ!…きっと!多分!恐らく…!


「マジかぁ…」

絶望しながら藁にもすがる思いでカバンを探すと、チャラ…っと指の先に鍵のようなものが当たった。よっしゃ!と思いながら取り出し、急いで鍵穴に突っ込んで回す。

ガチャリ!

俺はドアを開け帰宅した​─────はずだった。


「……は?」

目の前にあったのは見慣れた玄関マットでも、汚れたスニーカーでもなんでもなく…

二手に別れた道だった。


「…え?ちょっと待…てよ?えっ俺帰ってきた……え?」

意味がわからない。なにかがおかしい、いや俺がおかしいのだ。きっと疲れて変になっている。そうであってくれなければ説明がつかない。幻覚でもなんでもない、確かにここは"存在している"のだから。


「どこなんだよ…ここ!?俺は確かに家に着いた、そして鍵を使ってドアを開けた、絶対に!間違いなく!確実に!なのに…なんで家じゃないんだよ…?」

自分の行動を言葉にし、自分の脳を叩き起してここに来る前のことを思い出す。俺の記憶は正確だった。あまりに正確な記憶だからこそさらに混乱する。

"何一つ間違えじゃないからこそ、この状況が正しいものだと思えない"


「は、はは…はははは!なんだよこれ!異世界転生ってやつか!?それとも瞬間移動!?俺ってば超能力に目覚めた感じぃ!?」

脳みそが思考を放棄する。脳に浮かんだ"この状況を正しいものであると思えるような言葉"を口に出させる。そうしなければ完全に壊れてしまうと理解したのだろう。


「あははは!!!!あはは…は…オェェェ!」

ついには身体さえ言うことを聞かない。叫びすぎたせいで胃の中身をぶちまける。食道が焼けるような感覚でこれが現実であることを思い知らされる。


「はぁ…はぁ…うぇ…はぁ…はぁ…」

幸いにも吐いたことよって脳が思考を理解からシフトしたのだろう、不安はあるもののかなり落ち着いた。


「はぁ…それでマジでここはどこなんだよ…」

壁に背を這わせ座り込む。呼吸が落ち着くまでしばらく休憩しよう、そう思い深呼吸を繰り返す。

…すると足音が右の道から聞こえてくる。

なぜだろうか、コツン…コツン…と足音が響く度に心臓の鼓動が早くなる。


「誰…なんだ…?」

不安と希望は9:1

人が履くような靴の音であることがこの不安を1mmだけ和らげている。

…何度目かを境に足音は消えた。


「ほんとになんなんだよ…」

目を瞑り深呼吸をし目を開ける。

そんなたった数秒のうちに向かいの壁に"人"が居た。

ずっと前から居ましたよ、と言わんばかりにタバコをふかして座っている。

タバコを吸い終わると目の前の"人"が話しかけてきた。


「よぉ、アンタ。1本どうだい?」

ポッケから箱を取り、タバコをスっと出してこちらに向けてくる。


「俺は…未成年なんで…大丈夫っ…す」

こんなよく分からない空間に年齢が関係あるかどうかは知らないが、俺は誘いを断った。

すると…


「つれねぇなぁ、まぁいいさ。それがお前さんの判断なら俺は何も言わねぇよ。」

そう言って立ち上がり俺に近づいて、続けて言った。


「立ちなぁボウズ、ここから出てぇんだろ?」

…ここでようやく理解したことがいくつかある。この"人"は男であること、この男は人間であること…そしてここが実在する場所で、出る方法があるということ。


「ここから出られるのか!…あっ、出られるんすか…?」

"ここから出られる"という言葉を聞いていてもたってもいられずに男に聞いた。

そうすると男はこう言った。


「あぁ出られるとも。ただしいくつかやんなきゃいけねぇことがある。」


「やらなきゃいけないこと…?なんでもする…!だから教えてくれ!…ください。」

出られるという確信を得て俺はかなり浮き足立っていた。


「敬語じゃなくていいさ。それで、やんなきゃいけないことっていうのは…」


「いうのは…?」

ゴクリと唾を飲む。ここから出られるのならなんでもやってやる…!


「鍵を見つけることさ」


「鍵を見つける…だけ?」

あまりにも返答が拍子抜けだったので思わずオウム返しをしてしまった。どんな難しいことをやらせれるのかと腹を決めていたがそれぐらいなら思いのほか早く外に出られそうだ。


「それで、その鍵はどこにあるんすか?」

早く見つけてとっとと帰ろう。こんな気味の悪い場所には1秒でも長く居たくない。


「鍵のありか?そんなの決まってる、この道の先だよ。」

示す方向は二手に別れた道のちょうど真ん中だった。


「どっちの道にあるんすか?」


「そりゃ俺にも分からねぇさ。だってここは…おっとこれ以上はダメだった。まぁヒントをやるなら壁にぶち当たったら心に聞け、ってことだけさ」

タバコに火をつけた男はしゃがれた声で笑いながらそう言った。

そして煙が目に入った俺が目を擦っている間に何も無かったかのように消えていた。


「…どういう事だよぉ。進めってどっちに進めばいいんだぁ…?」

出られると言っていた以上は確かにここから出られはするのだろう。しかし方法が鍵を見つける、その鍵はこの道の先にある…か。


「…どうすりゃいいんだぁこんちくしょー!」

勢いよく立ち上がり怒りを声にして空に放つも返答は無い。

歩けるだけ歩こうと思い立ったのは、怒りが落ち着いた頃だった


「勢いで右に来たものの、まじでなんにもないんだなこの道。」

一般的な道。どんな場所にもあるような平凡な道をただひたすらに歩く。

時にはスキップ、時にはダッシュ。不思議なのは疲れないことだ。こんなに歩いたのは初めてなのに一切息が上がらない。


「うーん…ほんとに変な場所だぜ。」

立ち止まり辺りを見渡しポリポリと頭を搔いていると、不意に目についたものがあった。

ハテナの描かれた箱である。


「へぇ…こんなファンタジックなものがあるのね、変なの。」

そんなことを言いながら箱を開けると煙が立ち昇る。


「うぉ!なにこれ!玉手箱!?」

煙を払い除け目を開ける。

道では無い空間。広く無機質で少し暖かいそんな場所。床にはとある物が落ちていた。

──────なんだよこれ。

そこにはとても懐かしい絵があった。

それは小学生3年生の時に夏休みの宿題で描いた

"しょうらいのゆめ"である。


「なんで…こんなものがここにあるんだ…?」

そこには"黒板の前に立つ自分"の絵が下手くそに描かれていた。懐かしい、そんなことを思っている俺の目からは涙が零れていた。

涙が絵に落ちる。必死に拭っても止まらない、止めようとしても止まらない。


「なんで…俺、泣いてんだろ…」

震えた声で呟いた時、どこからか声が聞こえてきた。


「それが君か?」

…どういう意味だろうか。この絵の中の自分のことか?それとも今泣いてる自分のことだろうか。


「どういう意味だ…?」

不思議と声が出た、もう泣いてはいなかった。


「それが君か?」

同じ声がまた聞こえる。それが君か?そんなの当たり前だろう。この絵に描かれているのも俺、いまさっきまで泣いていたのも俺。

そんなの聞いて何になるんだ?


「あぁ!そうだよ、俺だ!俺だよ!」

声を張り上げる。昔の俺から見た将来の俺も、今の底辺を歩いてる俺も、どちらも俺である。

忘れていた記憶が蘇る。そうだ俺は教師になりたかったんだ。

「どっちも俺だ!どん底で這い回ってる今の俺も!この輝いてる未来の俺も!」

そう空に向かって答えた。

今は確かに下の下でも、夢すら忘れてボケっと生きるより夢に向かって死に物狂いで努力をしたい。

そんな感情が心の奥で芽生えた気がした。


「それが答えか」

そう言ってその声は聞こえなくなった。辺りが輝き思わず目を瞑る。そして目を開けた時には、絵は消え道に立っていた。


「​────なんだったんだよ…あれは…」

絵の事か、声の事か、涙の事か、あるいはその全てかもしれない。口から出た言葉はこの一言だけだった。


「まだ続くのか…?そろそろ出たいんだが…」

もう結構な時間歩いてはいるが、空の色は変わらない。雲は流れているものの一向に暗くならない空はかなり不気味であった。

目線を落とすとまた例の箱が置かれていた。


「またかよ…今度はなんだ?」

絵の件があるので今度もなにかあることは確定だが何が起こるか分からないのは結構しんどい。箱を開けると今度は光が放たれる。


「うぁ!眩っし!」

目がチカチカする、景色がボヤけて上手く見えない。…が次第に鮮明に映し出されるのはまたもや懐かしいもの、いや懐かしいわけがないものだった。


「…………ッ」

無言、というか絶句という方が正しい。

だってそこには"幼い自分と遊ぶ両親"がいた。

ありえない、絶対にありえない。だってこの時期にはもう離婚していたはずなのだから。


「…………あぁ」

言葉が漏れる、心の奥底に眠っていた感情が溢れて出してくるのがわかる。

お父さんと遊びたい、お母さんに甘えたい

…そんな幼い時に押し殺していたはずの想いが涙となり言葉となり発散される。


「なんで…離婚なんかしたんだよ…!なんで!なんでなんでなんで!」

聞くに耐えないとはこの事だ、しかし自分が放つ言葉を聞かない方法は無い。

幼稚でわがままで自分勝手な言葉を吐き出しては泣き、吐き出しては泣き…

そんなことを繰り返す。


「もっと一緒に居たかった…!もっと一緒に笑いたかった…!俺は…僕はずっと待ってたんだよ!お父さんが帰ってくるのを!お母さんが戻ってくるのを!ずっとずっと待ってたんだ!​─────信じてたんだよ…」

駄々をこねる子供のように泣き叫ぶ。そんなことをしても意味が無いということはとっくのとうにわかっているのに止まらない。

目の前で楽しそうに笑う"俺たち"を憎いと思っているのだろう…羨ましく思っているのだろう。

…その時またあの声が聞こえてきた。


「それも君か?」

それも…だと?この目の前で笑っているのが俺?冗談じゃない。俺はこんなこと出来なかった、やりたくても出来なかったのだから。


「そんなわけねぇだろ…!確かにこれは俺が望んだ理想かもしれないけどな…!俺なんかじゃない!」


「それも君か?」

なぜ繰り返し質問をするのか、意味がわからない。俺では無い、俺のわけが無い。

望んだかもしれない、願ったかもしれない。

…でも決してそれが叶うことは無かったのだから。


「だから!俺じゃない!こうあって欲しいと願ってたとしても俺は後悔なんか……後悔なんかもうしてねぇんだよ!!」

…俺は確かに両親と過ごす時間を羨ましくも思う、そうしてきたやつらを妬ましくも思う。だけどもうそろそろ変わらなきゃなんだ。

子どもから大人になる時が訪れる日はいつか来る。それが今だ。


「それが答えか」

そう聞こえた時、辺りが光に包まれていった。

楽しそうに遊ぶ"俺たち"も包まれていく。そこに"子どものおれ"も置いていくことにする。


「じゃあな"おれ"」

光が体を包み込む最中、"ばいばい"と聞こえた気がした。

目を開けると例の道に立っていた。


「さぁ気合い入れてこうか!」

天気雨に別れを告げて足を進める。少しは晴れ晴れとした顔になったかな?



「…ドアがあるな。」

ガチャガチャ…

ドアノブを捻るが開くことは無い。恐らくというか絶対にこれを開けるために鍵がいるのだろう。


「そういや俺鍵なんて見かけなかったけどなぁ…」

箱の中身は言わずもがな、道中もしっかり探しながら来たが鍵なんて見つからなかった。

もしかしてあの男、嘘ついたのか!?


「もっかい来た道戻るかねぇ…?幸い時間も流れてないっぽいし…でもなぁめんどくせぇよなぁ…どうすっかなぁ…」

愚痴をこぼしていると突然あの箱から出る時に聞こえてくる声が聞こえてきた。


「ここまで来たか、それでは最後に聞かせてもらおう。」


「おう、なんでも聞いて来やがれ」

あの箱の中(中かどうか不明だが)で2回も問われてんだこっちは、今更なに聞かれようが即答してやる。


「君は何者だ?」

何者か…だと?そんな哲学的なことわかるかよ。どうしろってんだ…?


「俺が…何者か…」

そういえばあの男が言ってたな、"壁にぶち当たったら心に聞け"って…

俺とは何か、俺は何者なのか…

…はっ、そんなの分かりきったことだろ?


「俺は!もう過去は振り返らねぇ!どんだけ願ったって過去は変えられないからな!だから歩き続けるんだ、未来の俺が後悔なんてしないようにな!」

「俺は…俺だ!」

もう過去に後悔なんてしない。進んでいくんだ俺が俺でいるために。


「それが答えか…なら良い」

その声はとても優しいような気がした。

ドアの前には鍵があり、その鍵の下に紙切れとタバコの箱あった。なにかが書いてある紙切れと箱を手に取りそれを読む。


「なになに…「いい啖呵だった」…?」

そんなことが書かれただけの紙切れとタバコの箱をポッケに突っ込んで鍵を手に取る。

ガチャリ キィィ

そこは見慣れた玄関マットと汚れたスニーカーがあるいつもの玄関だった。


「ふぅ…」

あんなに頑張ったのに疲労感も無ければ現実世界の時間の流れも特にないとかあまり達成感がない。


「まぁいっか!」

そう言ってタバコと紙切れをシューズクロークに置き、廊下を歩く。

自室の扉を開ける前に、少し目を瞑ってから…俺はドアを開けた

「ただいま!」








これは心に陰りのある人の前に現れる不思議なドアの物語​。

ノックは不要。ドレスコードはあなたの心。

もしかしたらあなたも入ってしまうかも​───




「よう、アンタ。1本どうだい?」

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心理の扉 風鈴はなび @hosigo_s

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