第46話 私のために、ここまで来てくださったのですか?



 ふわ……と意識が浮上すると同時に、爽やかな風が額を撫でていった。

 

「――セシリア様?」


 耳心地の良い、優しい低音が自分の名を呼ぶ。

 ゆっくりと目を開け、天井を見て部屋の様子を見て、自分がどうやら寝台に寝かされているのだと理解した。


「…………あ」


 声を出してみたが、乾いているのか掠れてうまく出せない。


「セシリア様」


 声の主――ヴィクターが近づいてきて、起きあがろうとするセシリアの背中を支える。


「ゔぃ、クター様……」

「無理しないでください。お水、飲みますか?」


 尋ねられてこくりとうなづくと、ヴィクターがベッドサイドにあった水差しからコップに水を入れてくれて、そのままセシリアを支えて水を飲ませてくれた。

 セシリアの口の端からこぼれた水滴を、ヴィクターが手元にあった布巾で優しく拭い取る。


「ど、して」


 怪我していたと思っていたのに、そんなにピンピンしているのか、というセシリアの疑問に、ヴィクターが苦笑しながら寝台のそばの椅子に腰掛け、セシリアの手を握りながら答えた。


「セシリア様のおかげですよ。このイヤーカフに与えてくれていた加護の力でほとんど怪我もなかったですし、衰弱していたのもその後セシリア様が使って下さった神聖力であっという間に回復して、私の方は翌日にはすっかり元通り動けるようになっていましたから」


 むしろ、セシリアの方が神聖力の枯渇で倒れてしまい、あれから丸二日眠っていたのだと聞かされた。


「他のみんなも、セシリア様の神聖力で大方回復して、むしろ今ここで一番弱っているのはセシリア様ですからね」


 そう言って笑うヴィクターをセシリアは夢でも幻でもないかと見定めるようにじっと見つめた後、少しだけ身を乗り出したセシリアは、無遠慮にヴィクターの顔や肩にぺたぺたと触れた。


 ――暖かい。

 あと、感触も確かにある。


「……よかった……」


 両手で、ヴィクターの両頬を掴むように真っ直ぐに手を伸ばしたまま、セシリアは安堵でほっと息をつく。


「セシリア様……」


 そんな様子のセシリアを見て、ヴィクターの心もじわりと温かくなる。

 この人が、ここにいるというその事実。

 本来であれば立場ゆえに神聖国にいるはずだった彼女が、こうして帝国までわざわざやって来て神聖力を使い果たしたというその裏に、自分を心配して早馬で来たのだという話を聞いたヴィクターは。


「……私のために、ここまで来て下さったのですか?」


 ヴィクターが、己の両頬を掴んでいたセシリアの両手を上から掴み、真っ直ぐに尋ねる。


「あの……」

「……セシリア様」


 上から掴んでいた両手をゆっくりと下ろし、そのままヴィクターはセシリアを自らに引き寄せるようにぐっとその両手を引く。

 すると、引き寄せられバランスをくずしたセシリアは一度ヴィクターに倒れこむようにもたれ掛かり、そのまま何をするのだと抗議をするように頭上を見上げる。

 すると――。


 ――間近に、胸元に倒れ込んだ自分を見下ろしてくる、ヴィクターの顔があった。


「私のことが心配で、わざわざここまで来たんですか?」


 先ほどと同じ内容の質問を――、ゆっくりと、言い含められるようにヴィクターからかけられて。

 どう答えるか瞳を揺らし――、しかし結局、答えに窮して涙目で顔を赤らめることしかできなかったセシリアの、その表情が全ての答えだった。


 ああ――。

 こんなの、そうだと言っているも同義だと。

 好きだと思っていることまでバレているのではと、恥ずかしさで顔を赤らめていたセシリアの、俯きがちなその顎を掬い取り。


 ヴィクターはそのまま、自らの唇をセシリアのそれに強く重ねた。


「――――っ」


 咄嗟のことで、呼吸の仕方もわからない。

 一瞬、逃げるつもりでもなかったが反射で身を引きかけたところに、逃げられないようにヴィクターに片手で強く抱き寄せられた。


 わずかに唇が離れた瞬間、酸素を求めて口を開いたところに、ヴィクターにさらに深く唇を貪られ、舌を絡められた。


「ん、ぁっ……」


 セシリアが息も絶え絶えに、もう限界だとセシリアの背中をトントンと叩くと、ようやくヴィクターが落ち着きを取り戻したのか唇と共にそっとセシリアから少し身を離す。


「――好きです」


 そして間髪いれずに、ヴィクターがセシリアの鼻先にふれながら、たまりかねたようにそう言った。


「好きです。愛してるんです――セシリア様」


 眼前でセシリアに向かって告げてくるヴィクターの顔は、間違いなく、恋に溺れた男のそれだった。

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