第42話 ミーナの決意



 その夜。

 休日の前夜だったこともあり、部屋でちびちびと酒を飲みながらぼんやりと考え事をしていたセシリアの部屋のドアを、コンコンと叩く者があった。


「……セシリア様」

「どうしたの? ミーナ」


 声で誰だか検討のついたセシリアは、ドアを開けると訪問者に優しく声をかける。

 ――まだ、対して飲んではいないからお酒臭くはなっていないはず――。

 そもそもセシリアは普段、部屋で飲む時に酒臭くなるほどに飲む方ではないのだが、流石に相手が子供ということもあって、酒臭く思われたくないなという意識が働いたのだった。


 セシリアはドアの前でおずおずとこちらの様子を伺うミーナを室内へ招き入れると、念の為、口直しのために用意しておいた水をくぴりと一口含んだ。


「……飲んでいらしたのですか?」

「寝る前に少しだけね」


 内緒よ、と人差し指を立ててミーナに言い含めながら、彼女の口調や様子に特に顔をしかめたり嫌がったりした様子がないことに内心でほっとする。


「それで、どうしたの?」

「……私、大聖堂に行こうと思います」


 寝巻き姿で、セシリアと向かい合うように座ったミーナが、神妙な面持ちでそう告げた。


「それは……、聖女になる、ということと受け取っていいのかしら」

「はい」


 セシリアの質問に、ミーナがこくりとうなづく。


「……そう」


 ミーナの決意に、セシリアは静かに相槌を打った。


「そのことについて。ヴィクター様にお手紙を書くのを、お手伝いいただけないでしょうか」

「……もちろんよ」


 手紙を受け取ったヴィクターはきっと、複雑な思いをするだろうなと、セシリアは思った。

 ずっと養ってきた可愛い娘のような子が、険しい選択を選んだのだ。

 自分の運命を、自分で切り開いていこうと決意できるようになるのは喜ばしい。

 でも、それとは別に、可愛がっていた子が離れていくのは寂しい。

 ある意味、セシリアがミーナの神聖力を見出したことが発端なので、責任を感じるところも多くあった。

 それでもセシリアは、ミーナがどこか卑屈な思いを抱いたまま大人になっていくよりも、自分の良いところに気づいて、笑顔で生きてほしいと願ったのだ。


「……あの、セシリア様」

「なあに?」

「……大聖堂に行って聖女になれば、いろんな国を見て回ることもできるのでしょうか」

「どこに配属されるかにもよるけれども、そういった役割を負う子もいるわ」

「……でしたら私は、そこに、行ってみたいです」

 

 ミーナの言葉に応じるかのように、グラスの中の氷がからんと鳴る。


「私は、運良くヴィクター様に助けてもらえて今こうしていますが。……そうじゃない子もいました。私、自分の幸運さに、この幸せな生活に甘えて、ずっと目を瞑ってきたんです」

「……」

「セシリア様。私、自分以外の獣人の人たちが、世界中でどのように暮らしているのかを知りたいのです」


 ミーナの中で、セシリアに言われた『知識を得、選択する』という言葉がずっとうずのように残っていた。


 これまで自分の生きてきた体験の中で、獣人は純粋な人族から卑下されるものだと当たり前のように思ってきたけれど。


 そうじゃない価値観というのも存在するかもしれないということを思ってからは、もっと自分は外の世界を知らなければならないという気持ちを抱くようになっていたのだった。


「――大聖堂で、わたくしの手の届く範囲であれば。わたくしのできる限りで貴女のことを守ってあげることはできるわ。けれど、外に出るとわたくしの力の及ばないことも多くなる」


 危険な目に遭うことや、辛い思いをすることも増えるけれども、それでもいいの? とセシリアがミーナに尋ねる。


「……正直、外のことがまったくなにもわからなすぎて、出てみたら、やっぱり怖くて無理だと思うかもしれません。それでも、選択肢があるのなら、挑戦してみたいと思ったんです」


 そう言って笑うミーナは、かつてみたことがないほどにすっきりとした表情をしていた。


 ――きっと、お酒を飲んでいるせいだ。


 セシリアが、いつになく感傷的な気持ちになっているのは。


 自分が養母フローレンスに、「聖女になる」と告げた時も。

 彼女は、こんな気持ちで私の言葉を聞いていたのだろうか。


「ミーナ、いらっしゃい」

 

 そんな、感傷にひっぱられそうになるのをぐっと堪えながら、セシリアはミーナを呼んだ。

 そうして、セシリアの前に進み出たミーナを暖かく抱きしめると、セシリアとミーナの周囲がパアッと金色の光に包まれたように輝いた。


「セシリア様、これは……」

「……貴女のこれからの人生が、幸多くあるように」


 セシリアが聖女の力を使って、ミーナに祝福を授けたのだ。


「特別よ? わたくしの祝福は、本当はものすごく高いんだから」


 そう言っていたずらっぽく笑ったセシリアの顔が――年上の、妙齢の女性であるにも関わらずあまりにも可愛らしくて。


(これじゃあ、ヴィクター様も好きになっちゃうよね……)


 そう思いながら、ミーナはセシリアをまぶしく見つめたのだった。

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