第35話 ヴィクター様からのお手紙



 ――前略、セシリア様。


 お元気にしていらっしゃるでしょうか。

 ひとまず任地に着き、一旦状況が落ち着いてきたので筆をとってみることにしました。

 手紙を書くことなど久しぶりで何を書いて良いのやらと思いながらですが、お時間のある時にでもお読みいただけると嬉しいです。


 こちらの状況は思ったよりも良く、帝国軍が善戦を続けているため、今のところは当初の予定通り兵站へいたんとして補給活動のみに従事していられています。

 帝国軍は予算も潤沢なのか補給地であるということもあるのか、与えられる食事も美味しく、今後の聖騎士団の遠征時の参考にさせてもらいたいくらいです。

 芋を練って衣をつけて揚げるクロケットという料理がとても美味しくて、これは戻ったら必ず自分でも作ってみようと思っているのですが、その時にはぜひセシリア様にも振る舞わせてください。

 クロケットだけではなく、セシリア様にはもっとたくさんのお礼をしないと、到底報いるに追いつきませんね。


 ミーナは元気にしていますでしょうか?

 他に頼める人がいなくてセシリア様にお願いをしてしまいましたが、出発してから改めて振り返る時間が増えると、無理をお願いしてしまっていたのではないかと申し訳なく思うことがあります。


 それでも。

 いまこの瞬間にも、セシリア様が私の家で、私のことを少しでも考えて生活してくれているのかもしれないと思うと、心がじんわりと温かくなります。

 

 ダメですね。貴女のことを思って書けば書くほど、直接会って触れたくなってしまう。

 距離があけば少しは落ち着くかとも思いましたが、全くそんなことがない自分に呆れるばかりです。


 ――また、手紙を書きます。

 セシリア様の毎日が幸せであるよう、遠くにいても想っています。


 草々。


 ――ヴィクター・ドヴォルザークより




 ◇




 その時はたまたま、クリスティーナが用事で出ていたため、大聖堂の聖女の執務室にはセシリアしかいなかった。

 誰もいない室内で一人、ヴィクターからの手紙を読んだセシリアは、便箋を机に置いて、ほう、とため息をついた。


 この便箋と封筒に。ヴィクター様が触れて文字を書いたかと思うと、それだけでなんとも言えない気持ちが湧き上がった。


 便箋に書かれた、力強く整った字を、指先でなぞる。


 指先に伝わるザラザラとした感触が、なぜだかよくわからないけれども、同時にセシリアの心も震わせるようだった。


 手紙をもらえるということがこんなにも嬉しいことなのだというのを、セシリアは初めて知った。

 便箋に滲んだインクからは彼がどんなところで手紙を書いたのだろうかと想像できるし、手紙に書かれた内容からは、普段どんな日々を送っているのだろうかと思いが巡る。



 ヴィクターの言葉ではないけれど、会えないと思うと余計会いたさが募るものなのだというのはセシリアも同感だった。 



 ◇


 

 ヴィクターからの手紙は大聖堂宛に送られており、セシリアとミーナそれぞれに届いていた。

 セシリアが仕事を終えて持ち帰ってきた手紙をミーナに渡すと、「わぁ……!」と見ているこちらも嬉しくなるくらいミーナは手紙を喜んだ。


 しかし、


「セシリア様……。あの、読んでくださいませんか?」

「え?」


 とおずおずと手紙を差し出してきたのを見て、セシリアはミーナが字を読めないのだということを遅れながらに理解した。


「もちろんよ。今がいい?」


 ミーナの都合のいい時でいいわよ、と言うと「今がいいです」と言われたので、食事の前にテーブルに座って、セシリアはミーナに手紙を読んであげた。


「ありがとうございます! セシリア様……!」


 読み終わり、心底嬉しそうに手紙を抱きしめるミーナを見て、セシリアは少し、心が痛んだ。


(ダメね、わたくし。この子が字が読めないことを、今になるまで気づかないなんて……)


 それを言うと、セシリアと同じく気付かずに手紙を出しているヴィクターもそうではあるのだが。

 この国の識字率は低くない。

 ウルド教に務める聖職者や貴族はもちろん、使用人でも字を読める人間は少ない方ではない。

 だから、うっかりしていたのだ。

 ミーナが字が読めないと言うことに思い至らずに今までいてしまった。


「ミーナ。よかったら、字を教えてあげましょうか?」

「え……、いいんですか?」

「ええもちろん。そうしたら、ヴィクター様にも自分でお返事をかけるでしょう? それに、もしあなたが望むなら……」


 それ以外の勉強をしたっていいのよ、と言いかけて、セシリアはふと気づいた。


(この子……。そういえば神聖力の判定ってしたことがあるのかしら)


 この国にいる子供は、どんな生まれでも例外なく12歳で神聖力の能力値判定をする。

 しかし、確かヴィクターはミーナを【元奴隷の子】と言っていたし、おそらく神聖力の判定をしたことがないのではないかと思った。


「ミーナ。あなた、教会かどこかで、神聖力を測ってもらったことはある?」

「……わかりません。した、というはっきりとした記憶はないです」


 多分したことはないと思います、と歯切れ悪く答えるミーナに、とりあえずセシリアは近いうちに一度、ミーナに神聖力の判定を受けさせようと思った。

 その前に一度、手紙でヴィクターにそのことを尋ねて、保護者の許可を得なければいけないが。

 

 その日、夕食後に早速、ミーナに簡単な文字を教えてあげた後、部屋に戻ってセシリアもヴィクターに手紙を書いた。

 そうして、書いた手紙を優しい香りの香水を染み込ませた布に包み、この香りがヴィクターの手元に届くまでに残っていてくれたらと思った。

 紛争地にいるヴィクターの安らぎに、少しでもなるようにと願って。



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