第33話 離れたことで気付くこと
「それじゃあミーナ、これからよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します」
ヴィクター達、出兵組が出立したその日の夕方から。
仕事終わりに、セシリアは当面の荷物を
ヴィクターの家は大聖堂からごく近い街の中心地にある。
高級住宅地でもあるこの辺りは治安も良く、最初は女二人の生活になることに少し不安のあったセシリアだったが、隣の家に住む老夫婦にも挨拶に行ったら「ここは他よりも
ミーナとの生活は、もとよりそんなに心配もしていなかったが、思っていた以上に順調だった。
朝早いセシリアに付き合わなくてもいいとミーナに伝えはしたが、結局彼女はセシリアよりも早く目を覚まし、朝食を用意し、身支度を手伝ってくれて出勤を見送ってくれる。
夜も、帰宅したら食事を用意してくれていて、二人でテーブルを囲み、食後には温かいお茶も出してくれる。
家に帰ると、綺麗に掃除された部屋と、美味しいご飯が待っている。
それだけで毎日が驚くほどに快適で、仕事もいつもよりも
しかし、思ってもみなかった気付きというのは他にもあり。
主人のいない家は、いる時よりもいない時の方が色濃く主人の存在を感じさせた。
家にいると、嫌でもヴィクターの生活していた残り香を感じる。
そうして、ふとした時にヴィクターを思い出し「会いたい」と思ってしまうのだった。
(一緒にいる時よりも、いない時の方が想いって募るものなのね……)
じわじわと。
セシリアも認めるようになっていた。
自分がもう、間違いなくヴィクターに特別な感情を抱いてしまっていることを。
兄の時とは違う。
飛び込んでいけば、受け止めてくれるであろうと思える安心感。
それは間違いなく、ヴィクターがこれまで、セシリアに根気強く与え続けてきてくれたものだった。
◇
「出兵した方々は皆、無事に帝国へと着いたようですね」
ヴィクターたちが出立してから数日後。
大聖堂にある聖女の執務室で、筆頭聖女であるクリスティーナから言われた言葉に、セシリアは「そのようですね」と答える。
「本当に……、皆、何事もなく無事に帰って来られると良いのですが……」
「はい……」
セシリアも、毎日新聞に書かれる紛争の情報を集めてはいるが、現状まだ落ち着く様子は見えない。
前線に出されることがない補給地点とはいえ、それとて安全とはいいがたい。
補給地点であるが故に、そこを襲撃することで帝国軍の補給を立つという戦略もありうる。
そう考えると、全く安心などできない状況に、セシリアの気持ちは
「そういえばセシリア。あなた、最近はヴィクター様のお宅に間借りをしているのだと聞いたけれど」
「あ、はい。ヴィクター様が養っておられる少女がいるのですが、出兵中はその子を一人にしてしまうので面倒を見てほしいとお願いされまして」
「そう……。知らなかったわ。あなた達がそんな頼み事をしあえるほどに仲が良くなっていただなんて」
にこにこと微笑みながらそう告げてくるクリスティーナの言葉に、もしや自分の行動は軽率な行動だったと暗に責められているのだろうかと裏読みして、セシリアはおずおずとクリスティーナに尋ねた。
「あの、やっぱり、よろしくない行動でしたでしょうか」
「なぜ?」
「その……、不在といえど殿方のお宅ですので……」
「あら。体裁を気にしているの? セシリアらしいわね」
ころころと笑うクリスティーナに、どうやら
「わたくしはね、嬉しいのよセシリア。だって、娘同然の可愛い子の、心を動かしてくれる方が現れたんでしょう?」
「クリスティーナ様……」
クリスティーナの言う『心を動かしてくれる方』というのが誰を指すのか。わざわざ聞かずともわかった。
「人を愛するということは大切なことです。特別な人ができることは、悪いことではないのよ? ウルド神は人が人と結びつくことを禁じてはいません。わたくしは、わたくしの想いで。かつて愛した人を生涯愛し抜くと決めたので今は独りですが、それでもずっと心に想っている人はいるの」
セシリアは、クリスティーナからそんな話を聞かされたのは初めてだった。
「この人がいい、この人をもっと知りたい、自分のことを知ってほしいと思える人と出会えることは、そうあることじゃないわ。あなたをそんな気持ちにさせてくれる人が現れてくれただけで、わたくしはその人に感謝したい気持ちよ」
……セシリアは、クリスティーナの言っていることが痛いほどよくわかった。
だってもう既に、セシリアの心はヴィクターを想うだけで、胸がチリチリと切なく疼くのだ。
彼に触れてもらえると安心するし、笑顔が見られると嬉しいし、自分をもっと知ってほしい、もっと奥まで触れてほしいと焦がれる。
(ヴィクター様がいなくなってからはっきりと気づくなんて。わたくしは本当に馬鹿だわ)
クリスティーナに背中を押されて、セシリアはまたひとつ、自分に素直になることができたのだった。
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