第32話 あなたのところに帰ってくるんですから
ヴィクターに
彼のセシリアに対する好意は、はばかることなく明示されるようになった。
距離が近い。
なにかとセシリアに触れたがる。
以前に宣言した通り用がなくても会いにきて、夜にはセシリアの元に訪れ、世話をしながら構い倒すようになった。
ヴィクターが周りの目を気にせずセシリアに付きまとうため、周囲からは「え……、セシリア様、本当にあれでお付き合いされていないんですか……?」と若干引かれたが、事実まだお付き合いはしていないのだ。
『みんなの憧れ、ヴィクター様』を我が物のようにすることで周囲からの風当たりがきつくなることも覚悟していたセシリアだったが、なぜか世情はヴィクターを応援する風潮になっていた。
そんなこんなで日々を過ごすうちに、あっという間に日は流れ、出兵隊の出発の日も近づき。
いよいよ、彼らが出発する前日。
帝国へと出兵する人たちへの激励と祝福を兼ねた、祈りの儀式が執り行わることとなった。
儀式を執り行うのは次席聖女であるセシリア。
いつもの作業着的な法衣ではなく、正式な儀式のための儀礼服を身に纏ったセシリアは、普段にも増して神々しさをたたえていた。
「天上に
大聖堂内のメインホール、祈りの間とも呼ばれる聖堂で。
黄金の錫杖を持ち、一団の先頭でひとり首を垂れるヴィクターの上に、しゃらん、と錫杖の輪を鳴らす。
それはまさに、女神が自らに忠誠を誓う騎士に祝福を与えているようでもあった。
「……顔を、おあげください」
セシリアのその言葉が、祝福の儀式が終わった合図だ。
言葉を受けた出兵団たちが、一様にすっと面を上げた。
「無事、女神ウルドからの祝福は皆様に授けられました。願わくば、誰一人欠けることなく、またこの場で合間見えることができますよう」
そうして、深々と頭を垂れ美しいお辞儀をするセシリアを横目に、他の神官の誘導により一同は聖堂から排出されていく。
ヴィクターは、あの神々しさをたたえたセシリアをまだ見ていたい気持ちが強かったが、さすがに自分だけそんなわがままを言うこともできず、指示に従い聖堂を後にした。
空っぽになった聖堂の中。
セシリアはゆっくりと頭を上げる。
(――こんなこと、思うのは聖女として失格なのでしょうけれど)
他の誰よりも。
ヴィクターに怪我ひとつなく、元気で帰ってきてほしい。
――
まだ出発してさえいないのに、これで離れてしまったら自分の気持ちはどうなってしまうのだろうとセシリアは思った。
それくらい――、セシリアにとってヴィクターは、なくてはならない存在になっていた。
◇
「――それではセシリア様。後のことはよろしくお願いいたします」
「ええ」
結局、ヴィクターが留守の間、彼の家に住まわせてもらうことにしたセシリアは、その日の夜にヴィクターの家を訪れミーナにもしばらく世話になることを伝えた。
ミーナと三人で食卓を囲み、ヴィクターとのしばらくの別れを惜しみながらも、賑やかに食事を楽しんだ後。
「では、セシリア様にこれを」
ミーナが別室で食後のお茶を淹れてくれているのを待つ間、そう言ってヴィクターが懐から鍵を出し、セシリアに差し出してきた。
明らかに立派な形をしたそれは、合鍵などではなくこの家のマスターキーだった。
「ヴィクター様、これは……」
「ええ。この家のマスターキーです」
私が戻るまで、セシリア様にこれを持っていてほしいのです、とヴィクターが言った。
「私だと思って……というほど、ロマンチックなものではありませんが」
「でもこんな大切なもの……。無いとヴィクター様がお困りになりませんか?」
「なりませんよ。だって、帰ってくる時はあなたのところに帰ってくるんですから」
照れる様子もなく真っ直ぐに伝えてくるヴィクターに、セシリアの方が動揺した。
(あ……、わたくしなんで、こんなにドキドキしているのかしら)
ただ鍵を預かる、それだけなのに。
そう思って、胸を抑えるセシリアに、ヴィクターが「さ、セシリア様」と促してくるので。
素直に手を出したセシリアはそのままその手をヴィクターに取られ、ちゃり、と手のひらの上に鍵を載せられた。
「空いている部屋があるので、その部屋をセシリア様の部屋として使ってください。足りないものがあればミーナに」
「はい」
手のひらの鍵を握り込ませるように手を包み込まれる。
ヴィクターの顔が近かった。
ともすると――キスをされるのではないかというほどに。
でもそんなことはなかった。
その後は、ミーナの淹れてくれたお茶をみんなで飲み、その場はお開きとなった。
泊まっていけばいいのにというヴィクターの言葉を辞して、セシリアは今日は自室に戻ると言った。
これ以上ここにいて明日の朝食まで一緒に囲ってしまうと、自分の中の何かが変わってしまいそうで怖かった。
帰り道は「夜道は暗くて危ないですから」とヴィクターに手を繋がれて帰った。
ときおり、なんだか意味ありげに指や手の甲をさすられるのにまたドキドキした。
その夜は――、月がとても綺麗だった。
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