第31話 小国の紛争

 レーヴェンス神聖国の北西に位置する小国ナビレラが、ローグ帝国からの圧政に耐えかね紛争を仕掛け出したのは、夏が終わりを迎え、秋に入ろうとする頃だった。


 大陸の大部分を支配しているローグ帝国は、レーヴェンス神聖国の真北に位置している。

 そしてまたローグ帝国は、大陸のほとんどの国で主たる宗教となっているウルド教の総本山レーヴェンス神聖国を、長い間庇護対象として扱い続けてくれていた。


 自衛以外の軍事力を持たないと公言しているレーヴェンス帝国としては、今回の戦争においても基本的には関与しない体制を見せてはいたが、帝国から支援要請として回復のできる聖女と要地の護りを頼める騎士の出兵を求められた。


 両国の関係を良好に保つためにも、否とはいえぬレーヴェンス神聖国としては、協力的な姿勢を見せるしかなく。


 ――これが後に、ナビレラ紛争と呼ばれる出来事となる、事件の発端であった。



 ◇

 


「――今回は、わたくしもあなたもお留守番よ、セシリア」


 帝国からの要請について行われた会議の後、筆頭聖女であり上司でもあるクリスティーナからそう釘を刺されたセシリアは、大人しく「はい」と答える。


 クリスティーナとしては、自分の後継者と考えているセシリアを戦地には行かせられないという配慮ではあるが、セシリアとしては心中穏やかではなかった。


 自分以外の誰を――、可愛い後輩聖女たちの中から誰を戦地に派遣するのか、ということもある。

 それだけではなく。


 ――ヴィクターの名が、今回の指揮官として上がっている話を聞いたからだ。


(ヴィクター様……)


 これまでのセシリアだったら。

 戦地に行かなくて済むと言われて、不謹慎ではあるがホッとする気持ちだけで終わっていただろう。

 けれど今回は、安堵する気持ちが全くないわけではないが、それ以上にヴィクターが危険な場所へ派遣されてしまう心配の方が強かった。


「クリスティーナ様。わたくし、ちょっとだけ、外で用事を済ませて参ります」


 セシリアはそう言って聖女の執務室の自分の席から立ち上がると、「ええ、いってらっしゃい」と微笑むクリスティーナの言葉を受けて部屋を後にした。


 この時間、ヴィクターがどこにいるのかは知らない。

 けれど、とりあえず聖騎士団の執務室に行けば何かわかるだろうと目的地へ向かう途中に。


「わっ」


 ちょうど曲がり角でバッタリと鉢合わせた相手。

 タイミングよくというか縁があるというか、それは、今まさに探していた相手のヴィクターであった。


「セシリア様」

「ヴィクター様……」

「そんなに急いで、どちらに向かわれるところだったのですか?」

「あ……」


 ヴィクターに会いに、と口に仕掛けて、セシリアはなぜだかその先を口にすることができなかった。

 そんなセシリアに何かを察したのか、ヴィクターの方から「実は私も、セシリア様にお話があって向かうところだったのです」と話を切り出してくれた。


 そうして、ヴィクターに手を引かれるままに大聖堂内の庭園にある四阿へと連れられ、そこにあったベンチに腰を落ち着ける。


「実は今回、例の紛争支援での出動を命じられまして」

「……あの、噂には」


 聞いていました、と言い切ることができずに、セシリアは言葉を飲み込んだ。

 

「そうですか。あ、セシリア様は今回のメンバーの対象ではなかったみたいですね。それを知って、本当にほっとしました」

「……」

「セシリア様、変な時におっちょこちょいになる癖があるから。紛争地で変な癖を発揮して怪我をしないか心配することがなくてよかったですよ」

「ヴィクター様! 何をもう……!」


 そう言っておどけるヴィクターに、憤慨ふんがいしながら両手でポカポカとヴィクターの肩を叩くセシリアに対して。

 ヴィクターはパシリと、その手首をすばやく受け止めた。


「セシリア様にお願いというのは、ミーナとうちのことです」


 受け止めたセシリアの手首から握り拳へと手を滑らせ、ヴィクターはセシリアの手を開くと、その手に自らの指を絡めた。


「ご存知かとは思いますが、今回の件では少なくとも数ヶ月から半年は帰ってくることができないと思います。その間、ミーナと家の留守を預かってほしいのです」


 ミーナはまだ14歳。一晩やそこらならまだしも、数ヶ月も家を開けるのにひとりで置いておくわけにもいかず。

 まして、もしかしたら帰ってこれない可能性のある出動で、なにも先のことを考えずに出ていくこともできない。

 前回の遠征の時はサイラスに頼んで様子を見てもらっていたが、今回はサイラスも別ルートで出動予定だ。

 そうなると、ヴィクターが安心して頼めるのはセシリアしかいなかった。


 それに――。


「それに、帰ってセシリア様が待っていてくれると思うと。何がなんでも帰ってこようという動機になります」


 だから。

 離れている間も、帰りを待っていてほしいのだと。

 きゅっと握られた指の先から、ヴィクターの熱が伝わってきた気がした。


「セシリア様がお嫌でなければ私の家に寝泊まりしてもらって構いません。その間、セシリア様のお世話はミーナに頼みますから」

「ミーナのお世話をわたくしに、ではなく?」

「だって、生活面においてはミーナの方がしっかりしていますから」


 苦笑しながらそう告げるヴィクターの言葉に、セシリアは可愛らしく頬を膨らませて拗ねるような表情を見せた。

 そうして――、そんなセシリアが愛しくて、ヴィクターはそっとセシリアの頬に手を寄せた。

 頬に添えた手と反対側の耳元に口を近づけると、先日の頬へのキスを思い出したのか、セシリアがぴくりと身構えたのがわかった。


「待っていてください。私が帰るのを。帰ったら――、私の気持ちをセシリア様に、お伝えしますから」

「ヴィクター様の、気持ち――?」

「わかりませんか?」


 耳元でヴィクターが囁いたかと思うと、目の前に、空のように煌めくキラキラとした瞳が瞬いていた。


 ああ、ヴィクター様の瞳って、とっても綺麗だったのね――と。


 セシリアがその空の色をついうっとりと見つめていたら。

 その瞳が、セシリアの上にゆっくりと落ちてきた。


 唇が――ぴたりと重なることこそなかったが。

 唇と頬の境目のような、すれすれのところを、柔らかく温いそれがかすめて行く。


「ちゃんと伝えるのは、帰ってきてからです」


 覚悟して待っていてくださいね――、と微笑むヴィクターに。

 セシリアは一瞬にして、全ての意味を理解したのだった。


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