第23話 距離を置かれているような気がするのは気のせいですか?

「――最近、セシリア様から距離を置かれているような気がするのは、気のせいですか?」

「え……」


 にっこりと。

 いつものように微笑むヴィクターの表情の中に、なにかかげりのようなものがあるように見えたのはセシリアの気のせいだろうか。


 壁に追い詰めるような体勢になりながらセシリアに問いかけてくるヴィクターに、いつもの物腰の柔らかさとは違う何かが見え隠れしているような気がした。


「気のせいではありませんか? わたくしも最近、遠征戻りのしわ寄せでバタバタしておりましたし……」

「……なるほど、そうですか」


 何事もないかのように平静さを装って答えるセシリアに対して、ヴィクターは一瞬真面目な顔になりセシリアの言葉をきちんと受け止める。

 しかしそうかと思うと、ヴィクターはまたパッと表情を明るいものに戻し、セシリアを追い詰めるようにしていた体勢から少し起き上がって、


「それなら、よかったです。せっかくできた気の許せる相手を失ってしまったのではないかと。もしも私が何かセシリア様に対して不快な思いをさせてしまうようなことをしていたらと、ずっと気になっていたので」


 と言い、セシリアに向かってどこか申し訳なさそうに笑った。


「実は、こういうことを改まっていうのも恥ずかしいんですけど。ここ数ヶ月、セシリア様と一緒に過ごす時間が増えるようになって……すごく楽しかったんですよね。だから、せっかくセシリア様と仲良くなれたと思ったのに、自分の知らないうちにセシリア様に嫌な思いをさせて距離を置かれてしまったかと思ったら怖くなって……。こうして問い詰めるようなことをしちゃいました」


 ――でも、セシリア様から嫌われてなかったならよかったです――、と。


 そんなことを、恥ずかしそうに頬をかきながら言うヴィクターは、どこからどうみても友人に嫌われることを不安に思っていた善良な青年だった。


 こういう言い方をすることでセシリアがヴィクターを避けにくくなるだろう――という計算も多少はあったが。


 しかし、言っていることは全てヴィクターが真実そう思っていることだ。セシリアと一緒にいて楽しいことも、距離を置かれたら怖いと思っていることも。口にはしなかったが、自分の近くにセシリアがいないと寂しいということも。



 ――だからこそ。

 嫌われていなくてよかった、と心底嬉しそうに言うヴィクターの発言に、セシリアの気持ちが揺れたのだった。

 

(…………いや、ダメでしょう、わたくし…………。ヴィクター様のこんな何気ない言葉で、嬉しくなったりしちゃあ…………)


 内心で心が沸き立ってしまうのを、セシリアは必死でこらえた。

 

(わたくしと仲良くなれたのが嬉しいとか……。そんなの……、わたくしだってそうだし。一緒にいて楽しいのだってそう)


 ヴィクターが部屋まで押しかけて来るようになった時も、遠征で自分のことを気にかけて四六時中一緒にいてくれようとした時も。

 ちょっと強引だけれど、いつのまにかセシリアのことを優しく包み込み、甘えさせてくれることが気持ちよかった。

 セシリアのダメなところを見ても引かないで、そのままのセシリアを受け入れてくれるところが嬉しかった。


 それが段々、ヴィクターの笑顔が見られると幸せな気持ちになったり、隣にいてくれるだけでホッとした気持ちになるようになり。


 ――このままでは、いけないと思った。


 いまならまだ、ヴィクターに対して何もないと言えていた時に戻れる。

 でもこれ以上気づいてしまうと、戻れなくなる。


 それでも。

 こうして、『セシリアと仲良くなれたのが嬉しい、一緒にいられると楽しい』と言ってくれるヴィクターを、無碍にすることはできないとも思う。


 離れられなくなるほどに沼にはまってしまうのが怖いからそっと離れようとしたのに、離れようとする手を向こうからきゅっと優しく掴まれて。


(つまりは、八方塞がりなのだけれど)


 そっと離れる、という退路を断たれたセシリアが「嫌われていなくてよかった」と笑うヴィクターに返せた言葉。


「……逆に、わたくしが自分のことで手一杯になっていたせいで、ヴィクター様に不安な思いをさせてしまって、申し訳ありませんでしたわ」


 それは、ヴィクターを気遣う言葉だった。


「そんな、セシリア様が申し訳なく思うことではないです。私の早合点なので」

「でも……」

「逆に、こうしてお話しできる場ができてよかったです。ちゃんと、セシリア様にお伝えしたいなって思っていましたから。私と仲良くしてくださってありがとうございますって」

「…………」


 ――もはや、ヴィクターに好感しか持てない自分がダメだと、セシリアは思った。

 実のところ、セシリアがダメなのではなく、好感度を上げるのがうますぎるヴィクターが原因なのだが。


「……わたくしのほうこそ。いつも仲良くしてくださってありがとうございます、ヴィクター様」

「ふふっ、よかったです。じゃあこれでまたいつもどおりですね。あ、いつも通りじゃないって思ってたのは私だけですけど」


 なんだか私ばっかりセシリア様がいないとダメみたいで恥ずかしいですね、と照れるヴィクターに。

 セシリアは脳内で、素数を数えて平常心を保とうとすることしかできないのだった。


「あ、そうだセシリア様。明日の夜ってお部屋にお邪魔してもいいですか? 遠征から戻ってきてからまだ一度も伺えてないので、久しぶりにお邪魔したいなと」


 明日――――?


「ええ、明日は大丈夫ですよ」

「そうですか、よかった。じゃあ、明日お邪魔した時に、仕立て屋に行く日も教えていただけますか?」


 ――その日、予定を空けて自分も一緒に行きたいので、と。


 にっこりにこにことヴィクターが告げてくる。


 ヴィクターから「明日部屋に邪魔していいか」と聞かれた時、一瞬どうしようか躊躇はした。

 また、ふたりは付き合っているのではと周囲から勘繰られることも恐れた。

 しかし――。


 最終的に、セシリアは考えることを放棄した。


 所詮、噂は噂。

 自分が毅然としていれば別にいいではないか。

 実際、今までもそうだったのだし――と。


 セシリアは、確かに仕事は優秀すぎるほどに優秀だし、頭の回転も早く、交渉ごとも得意な方だが――。

 こと、腹芸においてはヴィクターの方が秀でていた。




 結局、この時の会話によってセシリアの『ヴィクター様からの卒業計画』は失敗に終わり。

 数日後、ヴィクターに頼まれた通り、婚約パーティー用のドレスを仕立てるため、ふたりで仕立て屋に出かけることとなったのであった。


 ヴィクターが、実際にセシリアの心情をどこまで正確に捉えていたのかはわからない。


 この話のなにが凄いか。

 それは、ヴィクターはあくまでセシリアの感情を誘導しただけであり、最終的には全てセシリアの意志で決定させている、ということである。


 こうした、相手を動かす直接的な発言はあまりせず、他人の行動を誘導するような手法を得意とするのが、ヴィクター・ドヴォルザークという男なのであった。

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