第15話 ヴィクターとミーナ、それぞれ
(団長に
騎士団長室を出て、帰路に着くために廊下を歩きながら、ヴィクターはひとり反省していた。
もともと、感情をあらわにすることをよしとしない社会で育ってきたこともあって、自分でも割と自制が効く方だと思っていた。
大抵のことは持ち前の笑顔と愛嬌でのらりくらりと交わし、相手に内心を悟らせずにすませることが得意だと思っていたはずだったのに。
(あの人が――セシリア様で無粋な妄想を働かせるから)
思わず自分も釣られて――、妄想しかけてしまったのだ。
セシリアの、あられもない
そうして再び想像しかけて――、自らを
すれ違った人々が何事かと驚き、ヴィクターを振り返る。
(いけない。ここがまだ人目のある場所だと言うことを忘れていた)
そう思いながらヴィクターは、自らを律するために静かに深呼吸をする。
――セシリアと接するようになって、彼女への想いは日々募っていくばかりだ。
一方、当のセシリアはというと、いつまでたってもふわふわウフフな様子のままなのだが。
(いや、まあ。それが可愛いといえば可愛いんだけど)
もう少し意識してくれたらという願望もありつつ、ちょっと鈍いところも可愛いと思ってしまうのは完全に自分の趣味――性癖だ。
仕事では切れすぎるくらいに頭が切れるし、洞察力も鋭くて他者の二歩三歩先を行くセシリアが、プライベートになると糸が切れたようにぷつりと鈍くなるのがまた可愛いと思ってしまう。
周囲に、自分のセシリアへの好意が知られるのは別にいい。
なんと言っても、誰もが憧れ尊敬する『セシリア様』なのだ。
別に自分が恋慕を抱いたところでおかしくもなんともないだろう。
ただ、それがきっかけになって、今、現時点でおそらく自分しか知らないであろう、セシリアの完璧ではない可愛い部分を知られるのは抵抗があった。
――独占欲と言わば言え。
それでも、セシリアがヴィクターだからと安心して素を見せてくれているのではないかと思うと、それだけでなんともたまらない気持ちになる。
(ダメだ。落ち着こうと思って深呼吸したのに、考えるほどセシリア様に会いたくなってきた)
そうは思っても、今日はセシリアのところに行く約束をしている日ではない。
ヴィクターがセシリアの部屋に通い出すようになってから、あまり通いすぎてセシリアが引いてしまわないように週に一日、二日のペースを保っていたが、ヴィクターとしては毎日でも愛でたいと思うほどのハマりっぷりなのであった。
◇
――そんな、
「ただいま、ミーナ」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
リビングに入ると、ヴィクターの帰宅に気づいたミーナが近寄ってきて、
(この子のことにしても。本当は誰か身近に、頼れる女性がひとりいてくれたほうがいいんだろうが)
ミーナを見ながら、先日セシリアがミーナの看病に来てくれた時のことを思い出す。
あの時。セシリアからミーナに『初潮が来た』ということを聞かされて。
表情にこそ出してはいなかったと思うが、男兄弟しかいないヴィクターにとっては、天地がひっくり返るほどの驚愕した出来事であった。
――初潮。
そんなものの存在をまったく意識していなかった。
無責任と言われても仕方ないが、ミーナを引き取ったときはただただ可哀想だという気持ちで引き取って養う決心をしたが、女の子の成長ということにまったく意識を及ぼしていなかったのだ。
ひょっとして、以前から月経が来ていたのに自分に気を遣って言い出せなかったのではとヴィクターは不安に
と同時に、セシリアが来てくれたタイミングで本当に良かったと心から思った。
その後、セシリアから「今後、下着も買い揃えて行った方がいいと思うので、わたくしでよければミーナとお買い物に行かせていただきたいのですけど……」と恥ずかしそうに告げられたのを受けて、ヴィクターは一も二もなくセシリアに頼んだ。
栄養のある食事と温かい寝床、整った住環境と愛情さえあれば子供はすくすくと育つものだと思っていたが、全くもって甘かった。
仕事を離れると時々ほわほわするところはあるが、それ以外においては有能で優しく、他人に愛情を持って接することのできるセシリア。
獣人のミーナに対しても、差別や偏見なく普通の子供と同じように分け隔てなく接してくれるところも、ヴィクターが彼女を好きだと思う理由のひとつだった。
――そうして、ヴィクターがセシリアのことを想うその一方で。
(……ヴィクター様はセシリア様と仲良くなられてから。今までに増してキラキラして、とても幸せそうな顔をするようになった)
もともとヴィクターは日頃から柔らかい雰囲気を
(――お慕い、しているんだろうな。セシリア様のことを)
そう思って。
とうに捨てたはずのミーナの恋心がちくりと痛んだ。
相手が公爵子息という、叶わぬ恋と気づいて早々に見切った想いではあるが、ミーナもやはり、ヴィクターに対して恋していた時期があった。
それはそうだろう。
かつて、
だけど結局――、大人になるにつれ、ミーナは気付いてしまったのだ。
ヴィクターに育てられたところで、自分が貴族の娘になれるわけではない。
奴隷にこそされずにすんだが、平民でしかも獣人の自分が、やがて公爵になるヴィクターとは釣り合うはずもない。
つまり――、自分が彼の隣に並んで立つことができる日など来るはずもないと。
それに気付いてからは、
与えられた境遇に
ご主人様、と呼ぶことも最初ヴィクターにやんわりと
そうしてこれまでの間、ヴィクターに誰も特別な人ができないことが、ミーナを安心たらしめることのひとつでもあったのだが――。
セシリアという女性は。
非の打ちどころがないほどに、ヴィクターの隣に並び立つにふさわしい人物だった。
周囲からの人望、彼女自身の人柄、侯爵令嬢という出自。
どれひとつとっても、ミーナが持ち得ないもの。
それでいて、彼女を嫌いになる要素がまったくないところも、ミーナの心を切なくさせた。
セシリア様なら仕方ない。だって、本当に素敵な人なのだもの――と。
最近のヴィクターの表情を見ながらミーナは思う。
ミーナには――、いや。ミーナだけではなく、セシリア以外の誰にも。
これまで、ヴィクターにあんな表情をさせられた人はいなかった。
だから。
(ご主人様には、幸せになってほしい)
そう思いながら、ミーナは今日もヴィクターの身の回りの世話を焼く。
そして、ご主人様にあんな表情をさせられるセシリアにも、同時に幸せになってほしいと願うミーナなのであった。
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