第10話 いいんですよ「よろしくお願いします」で。
そうして、セシリアを背負ったヴィクターがようやく辿り着いた先で、ヴィクターが宿舎の管理人に背中のセシリアを見せて事情を説明すると、
「申し訳ないけど、今日は膝の古傷が痛んで階段を登るのがキツいから、ひとりで部屋まで送ってあげてもらえるかねえ……」
ヴィクター様なら人柄もわかっているし、安心してお任せできるから――。
と言われ、セシリアの部屋の場所だけ教えられた。
安心できると言われることが男として喜ばしいことなのかどうかを悩ましく思いつつ、ヴィクターはセシリアを背負ったまま教えられた彼女の部屋の前へとたどり着くと、黙って鍵を開けて入るのもなと思って、背中のセシリアに小さく声を掛ける。
「セシリア様。部屋です。着きましたよ」
起きてください、と、軽く揺さぶりながら声をかけたが「んぅ……」という返事しか返ってこない。
「セシリア様。部屋、開けますよ、いいですか?」
「ん……、いーです、よー……」
と耳元で囁かれたのには、少しドキッとした。
(まあじゃあ、本人もいいと言ったということで、開けますけど)
正直、女性の部屋を勝手に開けるというのはなんとなく気が進まないが、ここまできたらしょうがない、と腹を
すると――。
「………………うん」
汚部屋というほどではないが荒れている室内の様子と。
背中に背負った、周囲から完璧と言われている眠りこけた聖女の姿を見て。
(ひょっとして――、いやひょっとしなくても)
そこから思い起こされる、先日の、川べりで出会った時の油断した格好。
その場で着ている服を脱いで洗濯をしてしまうというものぐ――大胆さ。
(――あれか。この人、自分の私生活よりも仕事や他人を優先して、自分のこと後回しにするタイプか)
まあ単に、片付けのできない性分の人かも知れないけれども。
そういう点においては、ヴィクター自身も理解できない方ではないので、散らかった部屋を見てもあまりだらしがないとは思わなかった。
……散らかっているなあとは思うが。
(今回のことも、私が頼み込んだことで、無理させてしまったのかもな……)
そう考えると、ミーナを診たセシリアが病気の少女を放っておくことができず、多少無理をしたのだろうという想像も働いた。
セシリアの醜態を黙っているかわりに助けてもらう、という話は、お互いイーブンだと思って持ちかけた話だったが、負担をかけてしまっていたのかもと申し訳ない気持ちになった。
「ん……、あれ……、ヴィクター様?」
「あ、起きました?」
――よかった。
どうやらヴィクターの背中で目を覚ましたらしいセシリアに、寝こけたままの女性を放置して帰るのも心配だったしと思ってヴィクターがホッとしたところで、背中のセシリアがヒュッと息を呑む音が聞こえた。
「見……、見まし、た……?」
(――ああ)
どうやらセシリアは、ヴィクターに部屋の惨状を見られたことにショックを受けているらしい。
泣きそうな声で「あのっ……、申し訳ありませんもう大丈夫なので降ろしてくだって大丈夫です……」というセシリアを言われるままに下ろすと、「いつもはこんな、こんなのじゃないんです……」とおろおろした様子で言い訳をしだした。
「……うん、そうですよね。今回は私がいろいろと頼みすぎてしまったせいでこうなってしまっただけで、いつもはこんな状態じゃない――ですよね?」
「……! はい! そうなんです」
こちらから救いの手を差し伸べると、キラキラした瞳で
(――ほんと、可愛いなあ)
そう思いながらヴィクターは、この状況を見て思いついた一手を打つべく、セシリアに向かって次の言葉を放った。
「そうしたら今度は。今回のことの罪滅ぼしに、私がセシリア様の部屋をお片付けしに来ますね」
「え……?」
「セシリア様がお部屋で居心地良くいられるように、誠心誠意恩返しをさせてください」
ヴィクターがそう言うと、セシリアはなんと答えるべきか声もなくハクハクと口の開閉を繰り返した。
(遠慮しようとしても、弱みを握っているのはこっちだから、押されたら押し返せないってわかってるんだろうなあ)
そういう、頭のいいところも含めて好ましいと思うのだが。
「セシリア様。いいんですよ、よろしくおねがいします、で」
持ち得る限りの優しい声色を使って。
セシリアの耳元で、
すると、ヴィクターのダメ押しに根負けしたセシリアが「よ……、よろしくお願いいたします……」と、泣きそうな顔で返事をした。
こうして。
これが、管理人からの信頼も勝ち得て、セシリアの弱みを握ったヴィクターが、セシリアの宿舎に通い妻をしにくることとなるきっかけとなったのであった。
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