第9話 聖女様はどうやらお休み中のようです

「ご主人様! セシリア様が……!」

 

 セシリアの、ヴィクターの家での留守番最終日。

 その日、ヴィクターが自宅に帰ると、ミーナが慌てた様子でヴィクターを出迎えにきては開口一番そう叫んだ。


「ミーナ」


 セシリア様がどうしたの――? と尋ねると、今にも泣きだしそうなミーナに連れられてきた先のキッチンで、ヴィクターは床で倒れているセシリアを見つけた。

 

「……! セシリア様……!」


 衝撃の状況を目の当たりにしたヴィクターの、心臓がキュッと縮こまる。

 血の気の引いた思いでセシリアに駆け寄り彼女の元にひざまずいたヴィクターは、彼女の呼吸や脈が正常に動いているか、不安で波打つ心臓を落ち着かせながらじっと耳を澄ませた。


「………………。……寝てる……?」

「えっ……?」


 泣きそうな顔で「セシリア様……!」と何度も名前を呼びかけていたミーナが、ヴィクターの言葉に動きをピタリと止める。


 ヴィクターはもう一度気を落ち着けて深呼吸をしてから、セシリアを自分の膝に抱き起こし、彼女の脈と呼吸に耳を澄ませた。


「………………寝てるね」

「寝て……」


 ヴィクターの言葉に、ミーナがほっとした様子で一気に脱力する。

 その様子を見て、ヴィクターも一瞬遅れて肩の力がどっと抜けた。


「…………はぁ…………」


 ビックリした。

 本当に心臓が止まるかと思った。


 戦場や訓練で人の死や他人の傷を見ることはあるが、それとは別種の恐怖だった。


 思わず、腕の中の暖かさを確かめるために、抱きかかえたセシリアの体をぎゅっと抱きしめ、首元に顔をうずめた。


「…………よかった…………」


 ――これほどまで心底に、よかったという言葉を発したことはあるだろうか。


 こうなって見てようやく、ヴィクターは自らがセシリアを、大切な失いたくないもののひとつとしてとらえてしまっているのだと気づいた。


「お、起こして差し上げた方がいいんでしょうか……?」

「う〜ん、そうだね……。かわいそうだけど、宿舎には門限があるから」


 このまま泊めてあげたい気持ちはあるが、起こして送り届けてあげた方がいいだろう。

 外泊届なんてもちろん出してきてはいないだろうし。

 

 大聖堂の宿舎では毎晩厳密に在室を確認されるわけではないので、一晩帰らなかったところで大事にはならないとは思うが、万が一何かあって点呼などとられる可能性があることを考えると帰してあげた方がいいだろうなとは思うわけで。

 不足の事態が発生して部屋を改められた時に、まさかの次席聖女の無断外泊がバレてしまっては外面的にもよろしくない。


 そう思って、セシリアを起こすべく、ヴィクターとミーナは二人で声をかけたのだが――。

 

「セシリア様ぁ……」

「セシリア様。セシリア様ー」


 帰りますよー、とヴィクターが耳元で声をかけると。

 当のセシリアは「ん……」と声を漏らした後、寝返りを打つような形で体をくるりと回転させ、そのままヴィクターの腰にしがみつく形で再び眠りに入ろうとする。


「……セシリア様。起きてください」

「……ん、無理です……」

「帰らないんですか?」

「……帰る……ぅ」


(――だめだ。完全に寝ぼけてる)


 それでも、ちゃんと意識があることを確認できたことにまたホッとする。

 倒れている姿を見てしまったせいで、このままピクリとも動かず眠ったままだったらという恐怖が、ヴィクターの中でどこかに残っていたのだ。


「……全然起きませんね」

「仕方ない。おぶっていくか」


 ――眠っている時の無自覚とは恐ろしいもので。

 よっぽど抱き心地がよかったのか、ヴィクターに絡みついたまま離れたがらないセシリアを、ミーナに手伝ったもらいながらなんとかおぶさった。


「セシリア様。このままおぶって宿舎まで連れてきますけどいいですか?」

「ふぁい……」


 ヴィクターが話しかけてもまだ夢心地のセシリアは、答えながらまたヴィクターの背中で落ち着きどころを探してもぞもぞとみじろぎした。


(……いや。これ完全に役得なんですけど……)

 

 そうは思うが顔には出さない。

 目の前には庇護対象であるミーナがいるのだ。

 保護者として、よこしまな大人だと思われたくはないという気持ちでぐっと気を引き締める。


「じゃあミーナ、行ってくるね」

「旦那様、お気をつけて」

 

 そうやってミーナに送り出されたヴィクターは、セシリアをおぶさって家を出たのであった。




 ◇


 

 

 月の綺麗な明るい夜道を――、セシリアを背中に、黙々と歩く。

 

 夜もだいぶ更けて、自分達以外ほとんど人がいない通りを歩いていくのは何かおとぎの国にでも迷い込んだような心地だった。

 月明かりに照らされた、どこかいつもと違って見える街並み。

 背中にあたる熱と、軽くて柔らかい体。

 このまま彼女を背負って、彼女と自分だけの世界へ行けたらいいのに――なんて子供みたいなことを思いながら。


「セシリア様――月が綺麗ですね」


 そうやって背中に声をかけるも、返ってくる言葉はない。

 

(この夜の美しさを、忘れずにいたいな)


 そんなことを思いながら、ヴィクターは夜道を一歩ずつ噛み締めて歩く。

 

「ん……、んふふふふ……」

「ちょ……、セシリア様、くすぐったいです」


 なにか幸せな夢でも見ているのだろうか。

 時々、耳元で可愛らしく笑いながら自分にしがみついてくるセシリアに、例えようもなく胸がうずく。

 柔らかく絡みつく腕と、背中にあたる体温に愛しさを感じながら。

 この時間が、永遠に続けばいいのになんて願った。

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