第3話

 神の血を得た日から2日経った。命の身体に異常は一つを除いて無かった。その異常とは日に日に髪が赤に染まっていく事だった。命はただそれだけが嫌だった。

「流石にこの髪色じゃあ、校則アウトだよなぁ」

 朝九時。洗面台の鏡で命は髪色について考えていた。残り数か月だが高校の校則をどう潜り抜けるか。就職の時、どうするか。先の事をずっと考えていた。

 愛による原因で死ぬ事は無くなった。その事実を知ってから命は人が変わった様に前向きに生きようとしていた。

「お邪魔するよ」

 哲太の声と共に玄関の網戸が開く音が聞こえた。そのまま床を歩く音が聞こえ、少しすると哲太がひょっこり顔を出す。

「どうしたんですか?」

 髪を弄るのを止めて、命は哲太が来た理由を聞いた。

「買い物でも行かない? 髪染めとか食材とか必要でしょ?」

 車のカギをヒラヒラと揺らし、命に見せた。命は哲太の厚意に甘えた。歯を磨いて外出用の服に着替える。そのまま哲太と共に家を出て玄関のカギを閉める。

 本来は急須を見つけて一泊二日の旅だったが、今日で五日目。食欲は相変わらず無く、喉の渇きも無い。それについて哲太に話した所、精神的な問題なのかそれとも愛のせいなのか。はたまた神の血によるものなのか。不明だった。それもあって「経過観察を兼ねてあと数日だけ留まって欲しい」と哲太にお願いされた。

 階段を降りると黄色の軽自動車が止まっていた。車のカギにあるボタンを押すとピピッという電子音と共に鍵が開く。

「軽自動車がコスパ良くて好きなんだ」

「可愛くて良いですね」

 助手席の後ろの席に座ろう扉に手を掛けると、「せっかくだし助手席でもどう?」と提案され助手席に乗り込んだ。そのままエンジンを付け隣町の大型ショッピングモールまで進む。

 30分以上走り、そこから長いトンネルを抜けると桜龍町の隣町に出た。隣町は桜龍町と打って変わって栄えていた。コンビニにパチンコ。ショッピングモールにチェーン店が数カ所ある。それを助手席から眺めていると、

「桜龍町にもこういう建物が建つと嬉しいんだけどね」

 と、哲太は苦笑いしながら言った。

「駅前のコンビニぐらいしかないですからね」

 桜龍町の田舎っぷりを思い返した所で、ショッピングモールに到着する。大きな立体駐車場の入り口に近い所が空いていたのでそこに駐車する。そのまま車を降りて店内に入った。直後、クーラーの涼しい風が体を冷やした。

 12時にフードコートで集合と約束をして、二人は別れる。命は一階にあるスーパーマーケットで髪染めを吟味している。黒すぎると変だし、薄すぎると赤が見える。あれでもないこれでも無いと数十分考えていた。

「これが一番前の色に似てるな」

 気に入ったモノを見つけてレジへと持って行く。若い茶髪の女性の店員が会計を担当した。

「髪色、綺麗な赤色ですね」

 女性がレジを打ちながら命の髪色を誉める。

「結構気合入れて染めたんですけど、もうすぐ学校なんで黒にしないと」

 地毛とは言えないので命は嘘を付いて会話を続けた。

「こちらレシートとお釣りです。ありがとうございました」

 両方を右手で貰い左手で購入済みのシールを張った商品を持つ。軽く頭を下げてその場から離れた。出たお釣りで飲料コーナーにある緑茶を手に取って購入した。ベンチに座ってスマホで時間を確認する。時刻は11時になろうとしていた。命はまだ時間があるのを確認して、二階にあるゲームコーナーに向かった。

 12時過ぎ。予定通りフードコートで合流した。哲太は小難しそうな小説を5冊ほど購入し、命もゲームのカセットを2本購入していた。

 フードコートは夏休みシーズンなので大盛況だった。そこで哲太は同じ3階にあるファミレスを提案し、命は了承した。混んではいたがまだ混み始めだったので何とか席に座れた。

 メニューを見て二人は各々食べたい物を注文した。

 哲太は和風ランチ。命はドリアとパスタを頼み、食べ始める。

 哲太は右手で箸を持ち焼き魚の骨を器用に取って食べていた。ふと前を見ると命はスプーンは右、そしてフォークは左で食べていた。それを見て口を開く、

「そう言えば命は右利きなのかい?」

「え?」

 食べる手を止めて命は哲太を見た。

「お箸で食べてた時は左を使っていたのにスプーンは右でフォークは左で持つんだなーって思って」

「あー、一応両利きかな?」

 命はそう言って右左逆で持って食べ始める。そしてお箸を取り出して細かいミートソースのミンチを右手で器用に掴んだ。

「ちょっと下品だな。悪い」

 命は使ったお箸を空いたお皿に揃えておいた。逆持ちも戻して食事を再開しようとした時、

「ボールとかも両方思いっ切り投げれるの?」

 そう質問された。命は手を止めて、

「うん。サッカーとかも両足同じ感じで蹴れる」

 そう答えた。実際、体育の授業でもすごいと言われる事が沢山あった。しかし命自身は割と誇れる事でも称賛される事でも無いと思っていた。

「才能だね」

「勉強した事全部覚えれる才能の方が欲しかったよ」

 いつも両利きに対して何かを言われると命は決まってこう返していた。食事が終わり、二人は少しだけ座ったまま話をしていた。

「さっき利き腕の話したけど、因みに穢レ術にも利き腕があるって知ってた?」

「え、そんなのあるんですか?」

「うん。お箸と同じで右手でしか出せないとかあるんだよ」

「へー、因みに哲太さんは?」

「私は人間だから穢レ術は使えないよ」

 哲太はそう言ってニコリと笑った。しかし穢レ術にも利き腕があるという話はとても意外性があり面白いと命は思った。

 数分話した後、命が伝票を手に取る「今日は奢るよ」と命は言ったが哲太は「いいからいいから」とサッと伝票を命から奪い取りクレジットカードを使って一瞬で会計を済ませた。

「美味しかった。じゃあ数日分の食材を買って帰ろうか」

「ああ」

 一階に降り、野菜や肉などを少量購入した。勿論、強引に哲太がお支払いをした。哲太は保冷バッグを忘れたと言って車に取りに戻る。その間、命は生もの以外をレジ袋に詰める。哲太が急ぎ足で戻り保冷バッグに生ものとドライアイスを入れてエスカレーターに向かう。そのまま駐車場に向かって車に乗り込み、帰りは命の学校生活についての話をして楽しく祖母の家に帰ってきた。

「じゃあ、駐車場に止めるから先に家の鍵を開けておいて」

「了解」

 命は急ぎ足で階段を駆け上がる。階段を昇り終えるとそこには暗い青色の髪をした女性が立っていた。郵便局の人でも何かしらの配達員とも違う。薄い水色の着物に白の袴。その袴の下の方は年季を感じるほつれ具合だった。そして左目は黒の眼帯。明らかに異質だった。

「お前、名は何という?」

「アンタこそ誰だよ」

 冷たい声。命はそう感じた。感情の起伏が無い冷たい印象だった。

「私は永命(エイメイ)。穢レ人だ」

 最後の言葉に鼓動が高鳴る。ここは変な抵抗は辞めて、苗字だけ名乗った。

「俺は東岡だ」

「名は?」

「命だ」

 そう言うと、「良い名前だ」と呟いた。

「時に、命。お前は穢レ術というモノを知っているか?」

「穢レ人が使う術だろ」

「使ったことは?」

「生憎人間なもんでな。使えないんだ」

「人でも使えるんだぞ?」

「俺は使いたくない」

 キッパリと言い切る。

「それは困る。3日前、爆発的な穢レを出したのはお前だろう? あれを感じて私は思ったんだ。お前を鍛えて私の人生最後の相手にしたいと」

「どうして穢レ人は人の話を聞けないんだ?」

「簡単だ。自分よりも弱い存在の言葉に耳を傾けるか?」

「挑発に乗る気はないぞ。帰ってくれ」

 永命の発言に少しだけムッと来たが抑え、冷静に対応した。

「言っただろう? 弱者の言葉に耳は傾けないと」

「っ!」

 空気が一瞬で凍る。命は両腕を前に出してボクシングの様な構えを取る。永命は右手を前に出し、薬指と小指の二本を握り込み、残った三本はピンッとまっすぐ伸びている。そしてその手の形のまま、手首を下に振り落とした。

「”堕ちろ”」

「は?」

 地面が下に抜けた。バンジージャンプの様な浮遊感と落下感が混じり合う。長い間落ちていた。

「ぐへっ」

 体に力を入れず重力に身を任せていた。そんなとき急に地面に着地した為、衝撃を吸収できず勢いで前に倒れる。

「奈落は知っているか?」

 永命の言葉を聞いてすぐに立ち上がりまた構える。そして辺りを見るとそこは、薄暗い祖母の家の庭だった。さっきまで照っていた太陽は消え、家の玄関にある街灯が照らしている。

「答えろ」

「ああ。聞いたことはある。穢レが溜まったらできるんだろ」

 命がボーッと周りを見ていることに痺れを切らして永命が答えを急かす。

「その通り。今、行ったことは擬似的に穢レを出して奈落を作る技だ」

「だから?」

 内容が理解できずに問いかけた。

「これから一対一で戦う時、使うと良い。発動者が貧弱でない限り第三者は絶対に侵入できない」

「俺は――」

「何度も言わせるな。お前は戦うんだ」

 永命が命の言葉を遮る。もう戦うしかない。命は覚悟を決めた。

「今日はお前に穢レ術を見せる。私の技を止めろ。そうすれば今日は解散だ」

 グッと拳に力が入る。何が来る。命はジッと永命の動きを見ていた。

「今から”月光”を落とす。それを止めろ」

「は?」

 月光を落とす。その言葉の意味が理解できなかった。

「持論だが、穢レ術を学ぶ為に必要なのはいかに追い詰められるかだ」

 永命は命に急接近し、左肩を断ち切った。ボトンッと落ちる左腕。命は何が起きたか一瞬分からなかったが激痛がその疑問に答える

「がっ!」

 ボトボトと滝の様に血が切断面から流れる。あまりの痛さに断面を強く握り、その場に叫びながらのたうち回る。それを見た永命は命の姿を見て、

「叫ぶな」

 強烈な腹部への一蹴りを放つ。命の肋骨はミシミシと異音を鳴らしながら大きく吹っ飛ぶ。その場でうつ伏せになり歯を食いしばる。

「言っただろう。お前を殺しても変わりを長年かけて探せばいい。お前にこだわる理由は無い」

「助けて……」

 意識が遠のく。

「月は満ちる」

 永命は拳を軽く握り込み人差し指をピンッと立てた。

 その直後、命の顔を、体を月が照らした。痛みをこらえ目線を上に向ける。そこには月が現れていた。

「その光は命(イノチ)を守り」

 命の体に悪寒が走る。心臓が痛み、胃がキリキリと痛み始める。永命が謎の言葉を話し始めてから周りの穢レが活性化し集まり始めた。耐性があると言っても限度がある。今二人がいる奈落は異常なほどの穢レがある待っていた。

「ゲホッ」

 極度のストレスにより胃に穴が開き、吐血する。

「その光は冥を照らす」

 死を悟る。第三者の侵入は期待できない。自分でどうにかするしかない。例え愛に肉体が渡っても、二人共殺される。藁にも縋る思いだった。

「俺は……俺が何とかするしか無いんだ」

 大声を出して自分を鼓舞する。

 一度死という闇に蝕まれ、命は生を捨てたはずだった。だが哲太、千福に助けてもらい再び光を見て、生を拾い、未来へ歩き始めた。その命を無駄にはしたくない。せめて死ぬなら一撃、一発頭がおかしい女に喰らわせたいと強く思った。

 最後まで抵抗する。その為には、何でも使ってやる。命の心はまだ折れてはいなかった。

「愛」

 自分の中にいる穢レ人に問いかける。

「どうしたの?」

 脳内であの声が聞こえた。本当にそれで良いのか、命は一瞬躊躇う。しかしもう穢レ人が、人間が――などと言ってられる状況では無かった。”愛に力を借りる”。それが今、最大限できる永命への反抗だった。

 命は大きく深呼吸をして、

「力を……貸してくれ」

 そう言った。もう後戻りはできない。

「ええ、勿論」

 愛は命の願いを了承した。その瞬間、永命によって切り落とされた左腕が宙を飛んで命の左肩の切断面へと引き寄せられ断面に接着される。ジクッと神経痛が走る。

「腕は私が治す。でも神経を繋げないといけないからしばらくは右腕一本で戦ってもうわ」

「どうすれば勝てる」

「アナタも穢レ術を使えば良い」

 背に腹は代えられなかった。命はすぐに「教えてくれ」と愛に頼んだ。

「穢レを意識して。一粒一粒を見ようとしなくてもいい。”そこにある”その意識をしてみて」

 命はふらつきながらも立ち上がり深呼吸を数回した。相変わらず体中が痛む。それでも見えないモノを見ようとする。確実では無いが蜃気楼の様な黒い靄が一瞬見えた。

「そう。その靄が穢レ。穢レを拒絶しないで。体を巡る血の様にアナタの体にも穢レが巡るイメージをして」

 愛は命の眼が何を見たかを知っているように話し出す。そして命は今まで拒絶してきた穢レを体内に循環させるイメージをした。血管の中に血液が流れる様なイメージを。

「その光は我が手へと集束し」

 永命は言葉を続ける。嵐の様な風が永命が握る一筋の光から発せられる。その光は神秘的で穢レという汚いイメージとは真逆だった。

「その巡りを強く、速くするの」

 鼻から血が出る。しかしそれでも命はイメージを続ける。全身の大きな血管を高速で流すイメージを。

「全ての冥を破滅へと誘う」

 月光の光が細く長く、槍の様な形に変化した。その時、命の肉体を駆けめぐる穢レの速度は時速100キロを超えた。

「その勢いを拳に乗せて。それが私が教える最初の武器」

 愛の言葉に従い全てを右の拳に集める。右手を握りしめる力が強くなる。

「穢レ術【極】(ケガレジュツゴク)。月光冥滅(ゲッコウメイメツ)」

 永命が持つその槍は命へと振り下ろされる。そして命はその槍を右手で迎撃する。

「響拳(キョウケン)」

 愛はその拳で繰り出す技の名前を話した。

 二つの技はぶつかり合う。力は均衡していた。命は必死に拳を前に出し、力を籠める。だが少しずつ押されてしまい肘が曲がる。それでも必死に前へと押す。光の槍は命の拳を貫通し始めた。命はそれでも馬鹿の一つ覚えの様に力を籠める。

「愛! 左腕はいつ治る?」

 脳内で愛に話しかける。先程の命が見た靄を愛も見えていたように話した時、「見たモノ、感じたモノは脳内で共有される」と仮説を立てていた。つまり口を開かずとも会話もできると考えた。

「後、十秒ぐらい。そうすれば元通りに戻るわ」

 その仮説は正しかった。愛がしっかり脳内で答えを返す。

 そしてその回答を聞いて博打に出る。再び穢レを高速で回し始める。命の狙いは一つ。

 無防備の状態の永命に一撃を叩きこむ。

 その為には思考で永命を出し抜く必要がある。配られたカードは命の方が圧倒的少ない。経験、知識それは永命の足元にも及ばない。ただその中で唯一勝ち筋が見える方法。それは命が持つ一番強いカードを切った後に、存在しないカードを切る事だった。

「治ったわ!」

 十秒後、愛の声を聞いて最後の加速に入る。右手はもう動かない。完全に壊れていた。それでも必死に抵抗する。拳はもう裂けて骨が垣間見える。槍は上腕骨に突き刺さっていた。体を回る穢レの速度は150キロを超えた。

「永命! こんなボロボロな右腕にどんだけ時間かけてるんだよ! 本当は強くないんじゃねーのか?」

「そんなに早く死にたいのか? なら一瞬で終わらしてやる」

 永命が命の挑発に乗り手に力を入れる。その時だった。

「愛、”右腕を切り落とせ”。その後、武器を構えたまま立っとけ」

 口には出さず頭の中で喋った。

「ええ。勿論よ」

 愛も頭の中で返した。

 命の思考は脳を経由して愛にも伝わる。この行為こそ命が今切れる最大限のカード。片腕を完全に捨てて体制を崩す。

 愛が命の後ろに姿を現し、大鎌で右肩を切り落とす。均衡していた力の片方が急に消滅した為、永命の体制は大きく前のめりになった。光は命の切断された右腕を突き刺し、光の先端は地面へと突き刺さる。直後、右腕は粉々になりそこから消えた。

「右腕は俺からのプレゼントだ。テメェの冥途の土産にくれてやる」

 左拳に穢レが凝縮される。それを見て永命は無理矢理な体制からのカウンターを考えた。しかしその瞳には大鎌を構え静止する愛が映る。その瞬間、攻めの考えを捨て守りの体制に入る。永命の脳内には一つだけ負け筋が見えていた。ここで攻撃を無理に繰り出し、愛に狩られる。それだけは避けたかった。

 命が切った存在しないカードとは、一対一を強制する奈落では絶対に存在しない、第三者の介入というカードだった。永命が愛の事を知らないはずがない。だが危機的状況で助けを求めても姿を現さず、声も出さなかった。つまり愛は顕現しない。永命はそう思っていた。その状況での命の思い切りの良い自傷行為。そしてその直後に、愛の顕現。それにより永命の思考は攻めから一転守りに変わった。

「利き腕ではない左腕の攻撃。私が狙うなら顔」

 心の中で永命はそう呟いた。

 命が一発目、人生初の穢レ術である響拳を撃ったのは右腕。そして今回は利き腕では無い腕での攻撃。穢レを回し、逆の手に籠めるという芸当は今初めて穢レ術を使い、穢レに対する理解が無い者には到底できない。出来たとしても威力はお粗末に決まっている。理由は箸と同様、産まれ持っての利き腕が最初に技を出せた方だからだ。

 つまり命の穢レ術を出す利き腕は右。その為、威力が無くても致命傷を与えられる可能性がある部位を全力で守った。

 永命が頭を守る仕草をした瞬間、命の頭の中に一つの疑念が産まれた。なぜ面積が広い腹を守らないのか。頭を丁寧に守っているのか。死の淵に立ち命の勘は冴えていた。

「お前、俺が利き腕じゃないから腹に当たっても大丈夫って思ってんだろ?」

 命の答えは的中していた。ジワリと永命の額に汗が流れる。

「生憎、俺は両利きの才能があるんだよ」

 狙いは腹。それもど真ん中。永命はその言葉をハッタリだと信じん防御はしなかった。

「響拳」

 高速で全身を駆けめぐる穢レが拳へと集まる。体を捻じり、それを戻す勢いと同時に拳を前に突き出した。

 響拳とは全身を高速で回っていた穢レの衝撃を拳一点に集め、相手の肉体へと響かせる。その一撃は穢レ人にとって脅威となる。肉体を構成する穢レを衝撃によってグチャグチャにする。肉体の維持を極めて困難にする対穢レ人用の技。

 拳は永命の腹部へと衝突する。刹那、永命の耳から音が”消えた”。先程までうるさかった光の槍の音も高鳴っていた鼓動も全て無音になる。

 一秒後、キィィンと甲高い音叉の音が体中に響き、内部から爆発した様な衝撃と共に後ろへ大きく吹き飛ぶ。受け身を綺麗に行い片膝立ちの体制から立とうとした時、口から穢レが溢れ出す。全身に力を入れて立とうにも全身がいう事を聞かなかった。永命の肉体を構築する穢レが今の一撃で自分はどこの担当でどの様にその部位を構築していたのかと混乱していた。

 その時、響拳の効果を理解する。片膝立ちすら難しくなり、その場に仰向けで倒れた。

「はぁ……はぁ……。まだやるか? 永命」

 永命は倒れながら命の顔を見た。目から血の涙を流し、鼻血も止まっておらず。右腕は欠損していた。今、強い風が吹いたら倒れてしまうほどボロボロだった。

 幾年ぶりの敗北。そして圧倒的な穢レ術のセンス。土壇場で自分の命を死の天秤にかけられる度胸。その全てが永命の想像していた値よりも超えていた。

「やはり、お前は天才だ。鍛えれば私どころか”あの人”も越えられる」

 永命は口からその言葉が零れた。

「今すぐ奈落を解除しろ」

「ああ。いいだろう」

 永命は感覚が戻りかけていた右腕を上に振り上げた。

「また会いに来る。その時まで今以上に強くなるんだぞ」

「お前みたいな奴といると腕が何本あっても足りねぇよ」

 そう言って命は後ろの倒れ、月がさっきまであった薄暗い空を見上げていた。

「また会おう。東岡命」

 そう言って永命は姿を消した。奈落が崩壊する。命は上昇するエレベーターに乗った様な気分になった。そして、

「明るい……」

 地上へと戻った。日差しが命を照らす。それはウザいほど暑く、生きていると実感できる暑さでもあった。

「大丈夫か!」

 哲太の声が聞こえたが、地上に出た安心感で命は気を失った。


 また夢を見た。前回と同じ。まるで命が幽霊になった様な夢だった。今回は前回見た固い砂の地面では無かった。一面膝の高さまでの雑草が生い茂る山の中だった。

 そこには一人の眼鏡を掛けた男性が赤子を腕に抱えていた。赤子を包むタオルが青い為、命は男だと勝手に解釈した。すると男の前にもう一人現れる。命はその人物を見た瞬間、声を上げた。

「父さん?」

 東岡竜司が今よりもずっと若くなった様な見た目で立っていた。しかしまだ決まっては無い。

「竜司、頼む」

「っ!」

 眼鏡を掛けた男性が竜司と呼んだ。それを聞いて父親で間違いないと確信する。

「この子の中にはアイツがいるんだ。だからこれからの事を考えるともう……殺すしか無いんだ」

「そんな話だろうと思ったよ。血相変えて助けてくれなんておかしいと思った」

 竜司は眼鏡の男性の追い詰められた態度とは180度逆でどこか落ち着いていた。

「僕はどうしたら良い」

「だから言っただろ。あんな女を好きになるなって」

「僕は彼女が普通の人間だと思っていたんだ」

 唇を噛みしめ酷く後悔していた。その瞳から涙も見えた。

「穢レ術を我流で覚えたセンスの塊が穢レ人も分からないなんて呆れるな」

 それを見て慰める訳でも無く、竜司は鼻で笑った。その後、少し黙った。二人の間を静寂が包み込む。すると赤子が眠りから覚めたのか手を伸ばし顎を小さな手で触った。

「ごめんね。お父さんが馬鹿で。本当に……ごめんね……」

 その瞳から涙が零れた。赤子の額にポトッと落ち、それが面白かったのか赤子はキャッキャと笑い始める。まるで父親を喜ばせる様に。

 笑う我が子を見て泣きながら笑った。

 そんな姿を竜司は見て。口を開いた。

「俺が育てる」

「え?」

 予想外の答えだったらしく豆鉄砲を喰らったような顔をする。

「心愛(ココナ)が死んで。嫁にも愛想つかされたんだ。暇なんだよ」

「でも、この子はアイツが取り返そうと――」

「子供に対して殺すなんか言うな。意外とそんな歳に言った事でも覚えてるんだぞ? それにその子を見てみろよ。ただの可愛い赤子だ」

「本当に良いのか?」

「元一児の穢消師パパを舐めんな。デカくなって大学入学ぐらいまでは俺が面倒みる。んでその後はお前がどうにかしろ。真実を打ち明けるのも良いし、そのまま何も言わず黙ってても良いし」

 竜司の口から穢消師の言葉が出る。命はそれに驚いた。そして心愛という聞いたことの無い人物の名前も。竜司はバツイチだ。小学生の時、母の日のプレゼントを作る授業で初めて母がいない事を聞かされた。

「夢だよな?」

 自分の状況と夢で語る竜司の状況は似て非なるモノだった。

「愛する我が子を失うのは思っている以上に辛いぞ」

 その言葉を言うときの竜司の目はどこか悲しそうだった。

「ありがとう。竜司」

 そう言って赤子を竜司に渡した。

「今日からこの子は東岡家だ」

「ありがとう……」

 眼鏡の男性は深々と頭を下げ、涙声で感謝の言葉を述べた。

「それ以上にお前が俺を頼ってくれたことがうれしかった」

 竜司は踵を返して男の元を離れる。その腕には赤子が抱えられていた。

「じゃあ行こうか。俺の息子、東岡命」

 そう言って命の隣を通り過ぎた。

 その時、命に一つの疑問が産まれた。今の話が正しいとしたら自分は竜司の子供ではない。今まで一緒に暮らしていた父だと思った男は赤の他人だった。そう思うと胸がズキズキと痛みだした。違うと言い聞かせてもそれを全て否定できる証拠は無い。


「お前は誰なんだよ」

 まだ頭を下げている男を見ながら命は呟いた。

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