第2話

 命が目を覚ますとそこは見覚えの無い場所だった。目を開けると、固い砂の地面が永遠と広がっている。辺りには何も無く、ただ太陽が暮れてオレンジ色に染まっていた。

「ここどこだ?」

 後ろを振り向くと一人の少年がベンチに腰かけていた。命はその少年に近づくと大きな池が現れた。少年はベンチに座りながら池を眺めていたようだった。

 その少年の見た目で判断した年齢は小学校低学年か入学前、それほど幼く見えた。命は恐る恐るしゃがみ込んで目線を合わせて話しかけた。

「ねえ、君。ここはどこ?」

「……」

 少年は何も話をしない。ただ黙って池を見ている。命もその池をじっと見るも特に生き物はいない。池に手を入れようと伸ばすもコツンと地面と接触した。池は見えているだけどそこには無い。その事実を知って命は違和感を感じてここが夢だと理解する。

「また、あの女が夢見せてるのか」

 ため息をついてこれからどうしようかと考えていると、

「おーい! お待たせ!」

 すると若い女性の声が聞こえた。声の方を振り向くとそこには和服に身を包んだ少年と同じ年程の少女が立っていた。命は意味が無いと思いつつまた質問した。しかしまるで見えていない、ここにいない扱いをされる。

 命は諦めてその場に胡坐をかいて二人の会話を見ながら時間を潰す。

「はー、追いかけられる夢は怖くて嫌だったけど、この夢は暇過ぎて辛いな」

 そうボヤいても返事はない。その二人はベンチに座りながらペチャクチャと話をしている。

「はぁ、つまらん」

 そう呟いた時、周りに高い塀や歴史が長そうな二階建ての和風建築が現れる。そして間髪入れずに入り口であろう大きな門が黒い何かによって破壊され、大量の黒い靄に包まれた”何か”がゾロゾロと二人に近づく。そして人に近い形をした靄は少年に襲い掛かるも少女が庇い後ろへ大きく吹き飛ばされた。

 命は急いで少女の元に近寄る。右わき腹からの出血。その傷口は酷く大きな穴が開いてあった。命の喉元まで胃の内容物が持ち上げられる。夢だとしてもリアルすぎる。しかし命はそれを逆に飲み込み、少女の傷口を手で圧迫して止血をしようとするも、手が通り抜け地面に当たる。

「んだよ。何であの女はこんな悪趣味な夢……見せるんだよ!」

 目の前で弱っていく少女。何もできない自分。心が痛む。そしてその少女は瞳を閉じて、動かなくなった。初めて目の前で人が死ぬ。命はその場でしゃがみ込んで涙を流す。すると、

「華凛(カリン)!」

 和服を着た高齢の男性が少女に近寄った。そしてその老人は

「逃げるんだ! 命君!」

 確かにそう呼んだ。命(めい)と。

「え?」

 命は後ろを振り向き先程の少年を見る。するとその少年の背中には濃く大きな黒い靄が現れていた。

「アイツら全員……殺して」

 そう誰かに命令した。次の瞬間、門から現れた侵入者達は大きな靄に一匹ずつ消されていた。

「起きて。命!」

 目を見開く。呼吸数が上がり、嫌な汗をかいて背中がびっしょりと濡れていた。そこには哲太が心配そうな顔で命の顔を覗き込んでいた。

「悪夢を見たのかい?」

 その質問に首を縦に振る。声が出なかった。

「どんな」

「広いお屋敷みたいな場所で子供二人が黒い靄に襲われて――」

「ゆっくりでいい」

 呼吸を正して続けた、

「女の子はお腹に大きい傷を負っていて、もう一人の男の子は途中で来た爺さんが――」

 夢だ。全部愛が仕組んだ悪い夢。そう思ってた。だけど少年が靄を潰す命令を出した時、命は思った。

 自分は”小学校前の記憶”が全て分からない。あれが嘘だとは否定できない。小学校であの親友三人と仲良くなった事は覚えている。だがそれ以前、小学校入学式以前が抜け落ちている。その考えがぐるぐると回り続ける。

「お爺さんがどうしたんだい?」

 哲太の声に反射で答える。その声はか細く弱々しい声だった。

「命くん。そう言ったんだ」

「悪い夢を見たんだ。それは嘘だ」

 哲太は命をギュッと抱き寄せる。

「違う。俺はあの少年ぐらいの時の記憶がない。否定できないんだ」

「大丈夫。安心して。少し錯乱しているだけだ」

 命はそれから数十分哲太の腕の中で過ごした。だいぶ落ち着きを取り戻せた所で

「シャワー浴びてくる」

 そう言って風呂場に向かった。しかし考えても考えても答えには辿り着かず結局、今回の夢は胸の内に閉まっておくことにした。何よりも命は哲太を困らせたくなかった。

「さっぱりしたかい?」

「ああ。多少はマシになった」

 そう言って扇風機の前に居座り髪を乾かす。哲太は命の背中を見て話し始める。

「私も今、君と彼女を分離させる方法を探っている」

「一つだけ……聞いても良いですか?」

 小さな声で命は聞いた。

「俺はあと何日以内で心が壊れますか? 心が壊れて植物状態になっても穢レを浴び続けると死にますか?」

「……どうして、そんな質問をするんだい?」

「夢の中で死を見て。俺ももうすぐそこまで迫っているって気持ちになったんだ」

 少女の死を目にして自分もいつか死ぬ。それがたまらなく怖かった。

「それは最悪の場合だ。だから――」

「お願いします。それでも知らずに苦しむのは嫌なんです」

「いいかい。あくまでも予想だ確定事項ではない。…………壊れるまで長くてあと5日。短くてあと3日。もう一つの質問に対しての答えは”死ぬ”」

「……」

 命は何も言わずただ無言で髪を乾かしていた。

「俺が助かる方法は、愛が出ていくのを除いて何個ありますか」

「安全なのは出ていくのを待つこと。危険なのは君が穢レ人になる事だ。すまないその二つしかないんだ」

「……今日は一人にしてもらって良いですか」

「ああ」

 哲太が家を出ていき砂利を踏む音が聞こえなくなるまで命は黙って髪を乾かし、完全に音が消えた時点で瞳から涙がこぼれた。

「ふざけんな。何で俺が…………こんな目に遭わなきゃいけねぇんだよ」

 静かに怒りと悲しみを吐き出す。この姿を哲太に見せると心配される。その一心で命は涙をこらえた。

「死にたくねぇよ……」

 か細いその一言は扇風機の風に流され消えていった。あと三日後にはこの世界にいないかもしれない。最悪の場合だと何度言い聞かせても心は静まらない。

「何でこうなったんだろう」


 現在、時刻21時。命は真っ暗な道を歩いていた。もうまる一日何も食べていなかった為、空腹は感じないが何か腹にいれないといけない、そう思い立ってタクシーも使わず歩いていた。

「ははっ。歩くとクソ遠いな」

 自暴自棄そのものだった。遠いと分かっていながらも時間を無駄にする暇が無いと分かっていてもそうするしかなかった。そうしたかった。無茶苦茶だと頭では理解していても。

 胸や胃が痛い。強いストレスが掛かっている証拠だ。心臓の鼓動もテンポが段々上がってくる。

「やあ、穢レ人」

 後ろから聞き覚えのある声が聞こえる。その声の主は適だった。命は振り向きはせず、歩く足だけ止めた。

「何しに来た」

「何しにって、そんなバカみたいな穢レの量を出していたら誰でも来るでしょ。凄いよ今の君。気づかないの? 例えるならこの前会った家の何倍も広い範囲を奈落へ堕とせるくらいの量」

「それは俺じゃない。俺は人間だ」

 そう言って命は歩きだす。一人になりたかった。それに穢レ人と揉め事は避けたかった。しかし適は命の背中を蹴り飛ばし、命は転んでしまう。

「せっかく話しているのに構ってよ。あ、あと禍津様に聞いたけど君の体には穢レ人が入っているんでしょ? 面白い体してるね」

「面白い?」

「怒んないでよ」

 命は奥歯を噛みしめて立ち上がる。

「お前は何で地獄から蘇った」

「ボク? ボクはね。人間の汚さが嫌で蘇った」

「今まで何人殺した」

「さあね。でも結構殺したよ」

 髪の毛をいじりながら適は言った。殺す事を何とも思っていない様子で。

「おっと、ちょっと撤退」

 何かを感じたのか適はそう言うとまたその場から消えた。

 そして上から何かが落ちてくる。落ちてきた物体は命へと急接近し、右脚を後ろから蹴り上げられ体制が崩れる。流れる様に服の首元を掴まれ強い力で地面に押し付けられる。

 月を隠していた雲が風に流れ、謎の襲撃者の顔が照らされる。そこにいたのは鮮やかな赤い髪に黒い瞳。長い髪を後ろで一束にしていた。その姿はまるで愛に似ていた。

「愛?」

 一言ポロッと漏れる。

「愛だと?」

「そっくりだ」

 女は何も言わず長い棒状の何かを女は命の首に当てた。そのひんやりした肌触り。顔を動かさず視線だけをそれに向けた。

「刀?」

 長く美しい刀だった。しかしその刀は命の首筋へ押し込まれる。皮膚が切れ、血が溢れ始める。それでも押し込む力は変わらない。しかし命は落ち着いていた。段々痛みが強くなってくる。逃げようと思わなかった。もはや生に対する執着は無かった。遅いか早いの違い。訳の分からない女に人知れず殺されるなら今ここで誰かに殺された方が良い。

 命はその女の顔を見つめていた。その女の目は命を殺すと伝わる程殺意を放っている。だが命の顔は変わらなかった。

「怖くないのか?」

「全然。もういいんだ。どうせ植物状態になったらもう戻らない。いっそ殺してくれ。俺を殺した後、死んだってある人に伝えて欲しい」

「なぜ我(ワレ)がそんな事をしなければならん」

 首から流れた血が水溜りの様になる。命は「一生のお願いだ」と苦笑いで話を続けた。

「最後まで親身になってくれた人だから、どうしても伝えて欲しいんだ。俺の中にいる穢レ人を出す方法を探してくれている。伝えないとずっと探してくれそうだし」

 脳内に哲太との短いが優しくしてもらった記憶が蘇る。笑う顔を思い出し命は涙を流した。

「それは無理だ」

「わかった」

 命は全身の力を抜いた。もうこれで全てが終わる。そう思った。首に当てられた鋭い刃にまた力が込められた。


 綺麗な川辺だった。命は気が付いたらそこに座っていた。何も思わない。ここが所謂、三途の川なのだろう。そう思っていた。

「隣、座っても良いかしら」

 命は何も言わず首を縦に振る。横目で座った人物を見るとそれは愛だった。しかしもはや怒りも何も感じない。ただ無心で川を見ていた。

「初めまして、命。ずっと会いたかった」

「俺に付きまとって殺して満足か?」

 川を見ながら嫌味を愛に吐き捨てた。

「アナタの体を強くする為には死の淵まで行くのが手っ取り早くてね」

 その言葉を聞いた瞬間、ガソリンが引火した様に怒りが命の体を支配した。命は立ち上がり愛を押し倒して首に手を掛ける。そしてその手に力を籠めるも愛は苦しい表情一つもせずニコニコと笑っていた。

「誰が! どこの誰が! いつテメェに強くしてくれなんて! 言った!」

 感情が高ぶる。今までの怒り、殺意、そして悲しみ、恐れ。いろんな感情が混ざり、グチャグチャになった。愛に怒っても生き返るわけではない。それでも怒りは収まらず愛に暴言を吐き続ける。

「殺してやる。お前だけは俺の手で殺してやる」

「良いわよ。アナタに殺されるなら私は嬉しい」

 その返答が更に命を煽る。首を絞めていた手を放して辺りで使えるモノを探す。大きな石で撲殺か川に頭を沈めて窒息かの二つを考えていると、

「殺せないよ。愛は」

 そこには見覚えの無い高校の制服を着た少女が立っていた。

「お前は誰だ」

「私は安倍大花(アベノオオハル)。そこにいる愛に”殺された”。私は命に取り込まれてそれをアナタが取り込んだからこうやって話が出来てる」

 殺されたと聞いて自分と同じぐらいの若い人間を殺したのかと怒りがまた湧いた。

「なら、お前の仇も取ってやるよ」

 動き出す命の肩を触って落ち着かせる。命は振り払って歩き出す。

「今ここにいる愛はコピー品」

 その言葉に足を止める。コピー品を殺したところで本体にはダメージなど1ミリもない。何か知っている大花に命は、

「じゃあ本物は?」

 そう聞いた。その時の命の顔は”殺す”と書いてあるようだった。大花はその顔を見ても顔色、表情を一つも変えなかった。

「多分、今戦ってる」

「誰と?」

 間髪入れず問いかける。

「あの刀を持った女性と」

 そう聞いて愛の言葉を思い出す。

「死の淵まで行く…………」


 刀が命の首を切り落とす寸前、命の体が穢レに包まれる。それを察知して女は距離を取った。刀を構える先、命の肉体は変化していた。筋肉が付き少し日焼けした男性らしい命の腕は細くなり美しい雪の様な肌の色に変わる。髪も黒から暗い赤に染まり背中まで伸びた。一瞬にして女性の肉体、愛の肉体へと変化した。

「驚いた。まさか貴様がいるとはな」

「久しぶりね。千福(チフク)」

 愛は女と顔見知りのようで知り合いの様に千福と名前を呼んだ。

「貴様の様な外道が我の名を呼ぶな」

「お姉ちゃんになんて酷い事言うの?」

 千福はそう吐き捨て刀を強く握る。愛が残念な顔をして右手を前に出した。一触即発。どちらかが動けば始まる。故に動かない。両者相手の実力を知っている、動くためのキッカケを待っていた。

 名の分からない鳥が鳴いた。

 その瞬間、先に動いたのは千福だった。右足で飛び低い姿勢で左足を踏みしめ勢いを殺す。刀の間合いまで高速で近づき首を狙い振り始める。愛はそれを知っていたかのように間合いの更に”内側”深くまで潜り込み、右手で千福に触ろうと手を伸ばす。危険を察知し千福は踏みしめた左足で後ろに飛んで下がりながら刀を斜め下へ横に振る。速度は千福の方が見るからに上だった。回避の一振りは確かに愛の顔に当たるはずだった。

 激しい金属音が鳴り、千福の手に衝撃が走る。武器を持たない愛と刀を持つ千福で金属音がなる訳が無い。愛を見ると、その手には大きな黒い穢レを固めて創った大鎌が握られていた。

「流石だな。愛」

「ええ、お姉ちゃんも千福が強くてうれしいわ」

 また睨み合う。禍々しい黒いオーラを放つ愛の大鎌と真逆の赤く神々しい太刀。闇と光がもう一度ぶつかる。

「ストップ。もうやめるんだ」

 第三者の介入。両者足を止めて、距離を取った。そこに立っていたのは両手を上げる星野哲太だった。千福は顔見知りなのか握っていた太刀を手品の様に消した。しかし相変わらず大鎌を握る愛に哲太は話しかけた。

「愛、命の体を奪う為に侵入したのか?」

 愛は「せっかく楽しい戦いになると思ったのに」とため息交じりに呟きながら質問に答えた。

「そんな訳無いでしょう? 私の目的は私が命の体に入っても死なない様に肉体を改造する為よ?」

「じゃあ何で命の体で動いている」

「そんな怖い顔しないで。私の妹が殺そうとしたから庇っただけよ」

 妹と聞かされても哲太の顔はピクリとも動かない。むしろいつも笑っている顔ではなく真剣なまなざしで愛を見ていた。その目も笑ってはいない。

「あの男は我が殺した。そうだろう」

 千福はいまいち状況が理解できていないのかそのような質問をした。

「いいえ、三途の川で私のコピーと邪魔な子の三人で遊んでいると思うわ」

「なら、早く彼に体を返すんだ」

「無理よ。命に今返した所で私の穢レに耐えられなくて死ぬ。だからこの子を呼んだのよ」

「どういう意味だ」

 千福は哲太と同じ疑問を思う。

「血を分けて」

「無理だ。そもそもお前が体に入っているのに血を分ける訳が無いだろ」

 千福の顔は今以上に軽蔑を込めたモノに変わる。

「あの子は東岡節子の孫よ」

「っ!」

 千福は愛の言葉に目を見開いた。

「神様は、お願いされたら叶えないといけないんでしょ? 節子さんになんて言われたの?」

「………」

 答えない。少ししてから、

「分かった。だが血を与えたらお前は消えろ」

「いいえ。私は消えない。だって、消える事はお願いに無いでしょ?」

「この……」

 言葉から怒りが伝わる。

「じゃあ体を返すわ。じゃあね」

 愛の体から命の体へと切り替わる。崩れ落ちる様に倒れるが哲太はしっかりと抱きしめて地面に寝転ばせる。首の傷は綺麗に治っていた。しかしまだ体は穢レで溢れている。

「コイツの口を開けろ」

「本気で神の血を分けるつもりかい? 信仰者がいないから力が弱まっているのに神の血を渡すとなると中立界に存在できなくなる――」

「良いんだ。我は約束した。それを履行するだけだ」

 哲太の言葉を千福は遮った。

 本来神は中立界に存在する意味は無い。しかし穢レが中立界に蔓延しすぎると地獄が中立界を飲み込む。そうして中立界を飲み込んだ地獄は神域へと勢力を伸ばす。それを防ぐ為に神が中立界に存在し、穢レを浄化し人間を守る。

 神は中立界に存在、穢レを浄化する為に神力(シンリョク)という神秘的な力が必要になる。神力が消滅すると中立界に存在できず消えてしまう。しかし人の信仰心は神力に似ている。それは人が生み出す清く神秘的な力だったため、その力を多く集める為に神は様々な者を助け信仰者を増やした。つまり神と人は相互依存だ。どちらかが欠ければ互いに破滅する。

 千福は六年前に唯一の信仰者であった東岡節子を失ってから神としての職務を果たす事は無くなった。それでも今回、愛が溢れ出した大量の穢レに重い腰を上げるしか無かった。そして愛との戦闘。それで千福の神力はガッツリ減った。その上、命に神の血を与える。

 例えるなら自分も燃料が少なく動かない可能性があるのに他人に燃料を渡す。

 哲太は千福が消える事を危惧していた。しかし覚悟を決めた顔を見ると口を出す気は消えた。

「わかった」

 千福は刀で掌を切り、赤い血を命の口へ垂らした。その後、千福はその場から姿を消し、哲太は命を抱えて家まで帰った。

 

 命は三途の川らしき場所で二人の人物に出会った。一人は自分を苦しめた愛。そして愛に殺され取り込まれたという謎の少女、安倍大春。

 命は気掛かりだった言葉の意味を愛に問いただした。

「死の淵まで行くってどういう意味だ。何故それで俺の体が強くなる」

「簡単よ。死の淵まで行くと穢レに対しての耐性ができる。それは淵に行けば行くほど強くなる。そうすると私がアナタの体にいても体を穢レが蝕む事が無くなる」

 愛はニコニコと質問の答えを分かりやすく答えた。

「でも、俺の体には大量の穢レが蓄積されているんだろ。それはどうするつもりだ。穢レは負の感情を感じると産まれる。なら死の淵まで行って負の感情を出しまくった俺の体はどの道使えないんじゃ無いのか?」

「いいえ。大丈夫よ、私を信じて。それについても対策してある。神の血をアナタに飲ませた」

「神?」

「アナタを襲った女の事」

「神って――」

 いないと言いそうになったが神域という言葉を思い出す。それよりもこんな超常現象を体験していて今更嘘だとは思わえなかった。なので分からない所を質問する。

「神の血を飲ませてどうなるんだよ」

「神の血は穢レを少しづつ浄化できる。つまりアナタの体に蓄積される穢レを時間をかけて浄化して、これから万が一私が原因で生みだされ穢レも浄化できる」

「あの女が飲ませるとは思わないけどな」

「大丈夫。飲ませてくれるから」

 そう言うと段々命の視界が白くなっていく。キーンと耳鳴りが始まる。愛は何かを言っているのか口をパクパクとしているが何も聞こえなかった。何かを言ったのかと聞く前に命の視界が真っ白になった。

「私がいた事は言わないで。そして私を助けて……」

 大春が耳元で囁く声だけが聞こえた。

 命の精神が三途の川から肉体へと戻った。


「俺は、戻ったのか」

 目を覚ますと祖母の家の天井があった。そして誰かが布団を敷いてそこに寝かせてくれていた。枕元にスマホが置いてあったので時間を確認する。午後16時と表示されていた。昨日の夜中から今まで眠っていた。首元を触ると傷跡は無い。

 起き上がって洗面所に向かい鏡で顔を見る。そこにはいつもの自分の顔と”少し赤くなった髪”。

「ん?」

 洗面台の明かりを付けて確認する。赤い。元々の黒髪が少し赤みを帯びている。まるで、

「愛だ」

 愛の様な髪色に変化していた。試しに一本髪の毛を引っこ抜く。それをよく見ると根元から色がついていた。

「起きたかい」

「哲太さん」

 手にコンビニ弁当を持つ哲太が洗面所にいる命に話しかけた。命は赤くなった理由を聞いた。

「髪が、赤くなって」

「それについては後で話すよ。それよりお腹減ってるかい?」

「ああ、多分」

 正直な所、空腹感は無かった。丸二日食べていないが不思議と何も感じない。しかし厚意に甘えないのも良くないと思い何となく食べると答えた。

 哲太はキッチンにある電子レンジで弁当を温め、命はその間シャワーを浴びて綺麗な服に着替える。

「好みが分からなかったから私が好きな弁当にしたけどアレルギーとか大丈夫かい?」

 シャワーから出て着替えた辺りで扉越しに哲太が聞いた。命は「はい、大丈夫です」と答え、扉を開けた。リビングにある正方形のローテーブルを見るとおろし唐揚げ弁当が置かれていた。

「美味しそうな弁当ですね」

「君の好みに合って良かったよ」

 哲太は2リットルの麦茶とコップを持ってきて注いでくれる。

「食べなら話を聞いてほしい」

「はい」

 命は弁当の前に座って蓋を開け、「いただきます」と言ってから食べ始める。久しぶりの食事だった。体は素直なモノで精神的に疲弊し食事を取りたくないと思っていてもいざ食べると箸が止まらない。

「結論から言うね。君は死ぬ危険性は無いに等しくなった」

「神の血を飲んだからですよね」

「っ!?」

 哲太は驚いたのかほんの少しだけ表情が崩れた。

「俺が勝手に呼んでるだけですけど、三途の川で愛から聞きました」

「三途の川?」

 命は哲太に昨日、千福に殺された後の話を食べながら伝えた。その話を哲太は興味津々に聞いていた。しかし大春の事を話そうとした時、不意に彼女の声を思い出した。

 誰にも言わないで。

 その言葉を思い出し、大春に関する話は哲太に一切しなかった。

「なるほど三途の川ねぇ、初めて聞いたよ。えーと、話を戻すけど君は神の血を飲んだ。それで愛のせいで君の体に蓄積されていた穢レは綺麗に消滅した。そして君が死にかけた事で穢レに対する耐性がついて愛から受ける穢レは無害に近くなった」

 その後、哲太は「つまり自分は死なない」そう力強く言った。命は瞳から涙が零れた。

「よかった」

「あとは愛を追い出すだけだ。頑張ろう」

 希望が見えた。命は残りの白飯を書き込んで麦茶で豪快に飲み込んだ。そして立ち上がり哲太へ深々と頭を下げた。

「本当に、ありがとう」

「お礼は私じゃなくて血を分けてくれた神様に言うといい。この家の裏に祠があるのは知っているかい?」

「婆ちゃんが毎日拝みに行ってたとこなら知ってる」

「そこに彼女がいる」

「わかった。お礼行ってくるよ」

 そう言って命は家の裏にある小さな祠へ向かった。

 網戸を閉める音が聞こえた所で哲太はスマホを取り出す。そして電話を掛けた。画面には土御門幸明と書かれていた。3コールした所で幸明が電話に出た。

「もしもし、幸明。少し面倒な事になった」

「どうしたんだ?」

「命が神の血を飲んだ」

「本気で言ってんのか?」

 幸明は疑いを含んだ声が聞こえた。

「ああ。これで愛が命の体にいるせいで死ぬ事は無くなった」

「本気で外堀埋めに来てるな」

「愛は本気で命から離れないつもりだ。今回、愛は神を呼び出す為ワザと命が死ぬギリギリまでの量の穢レを垂れ流した」

「つまり、契約の破棄は失敗か」

「ああ。上手い事躱された。もう彼女は手段を選ばない。無理矢理にでも戦争に命を片足突っ込ませて契約をするつもりだ。だから私は残された期間で彼を穢レ術(ケガレジュツ)を教えて穢消師にさせる」

 哲太の脳内には最悪の未来図が描かれていた。

 命が穢レ人と穢消師との戦争に巻き込まれ苦しみ、息絶える。そんな未来にさせない為に抵抗する力を与える。昨日一睡もせずこの計画を考えていた。

 哲太の覚悟が伝わる声を聞いて哲太は

「俺は何をすればいい」

 と、聞いた。

「穢消師協会(エショウシキョウカイ)の連中から命を守れる人材を探して欲しい。お金は私が負担する」

「わかった。色々当たってみる」

「ありがとう。じゃあ」

 通話を終了した。

「穢レ術か……。教えるのは大春以来だな。彼を彼女の二の舞させる訳にはいかないんだ」

 哲太はそう強く言った。


 この祠に来たのはいつだろう。命は家の裏にある獣道を歩きながらそう思っていた。遠い昔の記憶に祖母と共にこの祠へ来た思い出がよみがえる。

「来たか」

 千福は命が来るのを知っていたかのように祠前にある原付程の大きさの石に腰を掛けて待っていた。

「こんにちは」

「何しに来た」

「お礼を言いに来たんだ。ありがとう」

 少し棘のある千福の話し方に命は話しづらさを多少感じたが、言いたい事を言って頭を深く下げた。

「別に礼などいらん。我はお前の祖母の願いを叶えただけだ」

「じゃあ、婆ちゃんの願いを叶えてくれてありがとう」

 また深々と頭を下げる命を見て千福は少し懐かしさを感じた。

「節子と顔は似ていないが雰囲気が良く似ている」

「そりゃあ、俺の婆ちゃんだからな」

「ああ」

「じゃあ俺はこれで」

 踵を返し帰ろうとした命を千福は止める。

「待て」

 振り返って千福の顔を見る。

「愛には気を付けろ。アイツはオマエが思っている以上に考えて行動をしている。挑発には乗るな。それだけだ」

「わかった」

「あと、首を切った件、申し訳なかった。穢レ人だと思いやってしまった」

「大丈夫だよ。傷口も塞がっているし」

 命は首を見せ何も無い事を強調した後、ニコリと笑って千福に別れの言葉を放った。その時千福から見た命の笑顔はどこか愛に似ていて心がざわついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る