第48話 思い出の中の聖女 過去の私

 出来上がった離乳食とミルクをトレイに乗せた私が養育室に戻った時、アニーとシンシアはノーマと一緒に遊んでおり、オフィリアはまだ戻ってきていなかった。


「オフィリアはまだ戻ってきていないのですね。」


「あぁ、そういえば診察だったっけ? まぁ生み月まであと2月くらいだろう? しっかり見てもらっているのかもしれないよ?」


 言われた言葉にいったんなるほどと納得し、それからあら? と首をかしげる。


「あと2か月?」


「あぁ、そうだけど?」


「お腹の中で10か月、ですよね?」


 確かそんな風に褥教育で習った事がある、と思っていると、カラカラと笑ったノーマはなるほどね、と頷いて教えてくれた。


「妊娠したと解ってからだと、大体200日前後だね。 」


「え?」


 ふふっと笑ったノーマは、まぁまぁまずは子供達にご飯を食べさせよう、といい、その言葉で離乳食を持っていたことを思い出した私は慌ててベビーチェアを用意し、アニーとシンシアを座らせた。


 一匙ずつ美味しそうに食べるシンシアと、1歳を超え、手でパンを掴んであむあむと頬張るアニーを見守りながら、ノーマは先ほどの話の続きを教えてくれた。


「院長先生たちが言うにはね、なんでも妊娠ってのは、最後にあった月の物の始まった日を0日目として、280日後に生まれるんだってさ。 で、悪阻や食欲がなくなるなんかの症状で、妊娠した可能性に気が付くのがそこから40~60日目で、ちゃんとした知識があるお医者様がご懐妊ですねっていうのが大体80~100日目くらいと見積もるだろう? あの子が来てそろそろ4か月だろう? そう考えるとざっと考えて120日くらいと今220日として残りは約60日って考えると……どうだい?」


「あぁ、あと2ヶ月くらいですね……。」


 指折り数えながら教えてくれるノーマの説明をなんとなく理解したような気になりながら最後に出た数字に納得した私は、あと2か月もしたらオフィリアもマーガレッタ嬢の様に赤ちゃんを産むことになるのか、とびっくりしてしまった。


「でもお腹、マーガレッタ様に比べて小さいですよね?」


 時折、マーガレッタ様がしていたようにお腹を蹴られて痛がっているオフィリアの姿を思い出すが、そのお腹は触らせてもらったあの時に比べ、随分と小さい気がする。


「あぁ、そう言われればそうだねぇ。 ただ彼女はもう少し経っていたし、これからぐんぐん大きくなる時期だからね。 まぁそれに、昔にいた聖女様のお腹もやっぱり小さかったから、存外聖女様ってのは、腹が大きくなりにくいのかもしれないねぇ。 ……あっ。」


 そう言ってから、しまった、という顔をしたノーマは、恐る恐る私の方を見た。


「……ミーシャ、今のは聞かなかったことにしておくれ。」


 何も言わず頷いた私に、ほ~っとため息をついたノーマ。


 院長先生が言った通り私に歳が近いマーナ以外は、皆、生きているころの聖女ハツネ様を知っているのだろう。 そしてまだ治りきらない傷のように、彼女の存在は残っているのかもしれない。 そうでなければ……。


 ちらりと見たノーマの顔色は悪く、今だ悔いが残っているのだと解るような、苦い顔をしている。


(……聞いているとか、どんな人でしたかとか、聞かない方がいいわね。)


 そう判断した私は、シンシアにご飯をあげながらノーマの方を見た。


「先ほどの話で言うと、早ければあと一か月ほどで生まれる可能性もある、という事ですよね?」


「そうだねぇ、出来ればあと40日ほどはしっかりお腹にいてほしいんだけどねぇ。 なんでも、呼吸をするための機能がしっかりと備わるのがそのくらいなんだそうだよ。」


「そうなのですね。」


 よくわからないが、産婆である彼女が言うのならそうなのだろう。 しかし随分と具体的な数字や知識が次々と出てくることを不思議に思った私は首をかしげた。


「あの、ノーマ。 ……宮廷のお医者様でも知らないようなお腹の中の赤ちゃんの知識がここには多いと思うのですが……どうしてここにはこのような知識があるのですか?」


 それには、とても何とも言えない難しい顔をしたノーマ。 う~ん、と何度か唸った後、ちらりと私を見た。


「これは、聖女様がくれた知識なんだよ。 その聖女様は『ジョサンシ』になるために勉強をしていたそうなんだよ。 自分もその前段階の学校に行っている途中だったらしいんだけどね、『ジッシュウ』とやらでお産の見学をしたりもしていたそうなんだ。 勉強家だったんだろうね、その時の知識をちゃんと書き留めて、私たち教会を手伝う産婆が何度も見直しできるようにしてくださったんだ。」


「そうでしたか。」


 それは、聖女ハツネ様の知識なのだろう。 アマーリア公爵令嬢(院長先生)と共に、孤児院を渡り、子供たちのため、子を待つ母のために働いていたという。 その功績は出産時や乳児の死亡率の低下や、適切な妊産婦の健康の維持のための支援、生まれた子供に対する支援など、母子に対する物がとても多いと聞いている。


 ただし、その知識は出自を隠したまま教会が所有・管理し、世界の母子に向けて教会を通じて発信されている。


(きっと、そういう希望だったのでしょうね。)


 今は亡き聖女様を思い、目を伏せた私の手に、ぺちっと小さな手が乗った。


「うー! あっ!」


「あ、ごめんなさいね、アニー!」


 手に持っていたパンがなくなり、おかわり! とでも言うように、私の手をぺちぺち叩くアニーに、小さいパンを渡すと、アニーはにっこり笑って受け取り、もぐもぐと食べ始めた。


「ほら、口に詰め込み過ぎないのよ。 ゆっくりもぐもぐして。」


「あ、シンシア! 手でのばさないの。」


 そんなアニーと私の横で、野菜と果物のペーストを手のひらでべちゃべちゃにして遊んでいるシンシアにノーマが慌てて濡れた手布を使って拭き取り始める。


「話しながらはやっぱり駄目ですね。」


 子供たちに話の腰を折られた私が、床に飛び散ったペーストを拭き取りながら言うと、ほんとだよ、と、困り顔のノーマが笑った。


「目を離すと何するかわからないからね。」


 笑いながら新しい手布でシンシアの顔を拭き取るノーマがため息をつく。


「本当だ。 いつも笑って怒って泣いて、動くようになったらちゃんと見てないとどっかに行っちまって。 気が付きゃ怪我してあたしらを真っ青にさせる。 静かだなぁと思っていると、卵を全部割ってたり、洗濯し終えた物を地面に放り出してたり。 可愛くって、愛おしくって、弱いのに、絶対にあたしら大人の言うとおりにはならない。 それが赤ちゃんってものだよ。」


 あたしの子供の話だよ、と、ウインクしながら笑ったノーマは、ひとまず片付け終わり、シンシアを抱き上げると、頬をすり合わせてから哺乳瓶をくわえさせた。


 これだ! とばかりにごくごくと喉を鳴らして満足げな顔でミルクを飲み始めたシンシアに、私の目の前にいたアニーも手を伸ばす。


「アニーもたべおわったかしら? じゃあ、ミルクにしましょうね。」


 アニーには、持ち手が2つついた、カップのような形の哺乳瓶を渡すと、コップで飲んでいるかの様に上手にごくごくとミルクを飲み始めた。










 子供たちの夕食も終わり、おむつ交換をし、寝間着に着替えさせた頃に来てくれた夜当番のダリアと変わると、私は手洗いうがいを終えて厨房へと向かった。


「誰もいない……?」


 うす暗い厨房で用意された食事を手に取り食堂に向かったが、そこにも誰もおらず、私は首をかしげて席についた。


(シスター・サリアもオフィリアもいない。 厨房に食事は残っていなかったし、先に食事を終えたのかしら?)


 だとしたらとても珍しいと思う。


 まだ夕食に遅い時間ではない。 どちらかと言えばいつもよりも少し早い時間。


(診察が長引いている……にしても、あまりにも長すぎるけれど……きっと、他の用事もあって、それで先に食べ終わったのね。)


 診察がある日はいつもシスター・サリアが付いているが、終わると二人で養育棟にやってきて、赤ちゃんのお世話をしたり、別の仕事を手伝っていて、夕方の食事は、シスター・サリアか自分、どちらかが夜勤めでなければ、大概3人で一緒に取る。


 ときには院長先生が一緒になる事もある。


 一人で食事をとるのが苦手と言ったオフィリアのために、誰かが一緒に食事をとるようになっていたのだ。


 彼女の気持ちが、今、自分が一人で食事をとってみてわかる。


(誰かと楽しくご飯を食べることに慣れてしまったからなのね。 こうして一人で食べる食事はとても味気ないわ。)


 パンをちぎって口に入れ。 スープを飲み。 サラダを食む。


 自分の食べる音以外音もない、薄暗い食堂での食事に、いろいろなことを考える。


(そういえば私も、一人でご飯を食べるのが苦手だったわ。 子供の頃から親は共働きで大抵一人だったし、大人になってからは人とかかわるのが嫌で、机で栄養補助食品ばかり食べてた。 家でもコンビニ食ばかりで……。 こちらではずっとアイザックが一緒にいてくれたし、忙しくないときは家族4人で一緒に食事をしていたから忘れていたわ。)


 こちらでは随分と私は恵まれていた。


 王宮での厳しい教育に、王太子の子守。 嫌なことも多かったけれど、それでも両親のお陰で同世代の人間よりも権力を持ち、財力を持ち、美貌を持ち、そんな自分に自信と誇りを持っていた。


 そんな恵まれた生活を、記憶が戻って混乱していたこともあったが、今までさんざん我慢して、ようやく相手の有責で逃げられたのに、再びは押し付けられたくない。 それだけの理由で、心配するであろう両親を待つことも手紙を残すこともなく、反対した弟アイザックにすべてを放り投げ、『逃げたい』ただその一心で修道院に飛び込んだ。


 最初は今までの生活との差と、家族に会えないことに寂しさを覚えたが、これも自分の決めたことと飲み込んだ。


(あの時私は、自分が一番正しい、最善だと思って行動したけれど、後の事も、他の人の気持ちも、何も考えていなかった。)


 手紙で知らされる限り、その行動は褒められこそすれ、咎められることはなかったけれど、こうして振り返ってみれば、もっと穏便な手段もあっただろう。 随分と身勝手だったと反省する。


 そんな風に思えるようになったのは、この2年の間でわずかにでも成長したからと考えていいだろうか……そう思った時、私はスープを掬う手を止めた。


(そうだわ……あと一年しかないんだわ……。)


 3年と定められた修道女見習いの期間も、残すところ後一年。


 両親も弟も、私がここから出る。 その日のために、帝国でしっかりと地盤を固め、貴族の令嬢として保障された生活を用意して両手を広げて待ってくれている。


 そうしてほしいと、私は弟へ、彼を通して両親へ、願い託してここに逃げ込んだ。


 逃げ込んだ後の後始末も、逃げ込んだ先で出したアイデアを商品化させ、行ったばかりの帝都で商会を立ち上げ商売を始めさせ、私がここを出た後に考えている子供たちへの慈善団体の活動資金と、オフィリアの出したアイデアから出来た商品の売り上げを彼女のために蓄えることも、全部弟に丸投げの状態でお願いし、思い通りに叶えてもらっている。


(人には厳しいことを言っているのに、私は甘えてばかりだったのね。)


 ここでの仕事は、辛いことも大変なことも本当に多い。 けれどそれは自分と自分の仕事の事だけで、放り投げてきた面倒くさいその他の事は、近況を知らされることで自分でやった気になっていた。


 本当は、考えることも手を出すこともなく済んでいるのに。


 逃げて、甘えて、我儘を言って。 逃げ切ったら、今度は私のために綺麗に整えられた場所に戻るだけ。


(ここから出る……。 そうしたら婚姻もしなければならないわよね。)


 すぐに婚姻をしろと言われることはないだろう。 父も母も、嫁になど行かなくてもいいと言うかもしれない。


 だが、そういうわけにはいかないだろう。 弟は公爵家の令嬢と婚約しているから小姑がいては邪魔だろうし、『一国の王太子に婚約破棄され国から逃げた新興貴族の傷物令嬢』とは言っても、現皇帝の妹を母に持つ身である。 うぬぼれているわけではないが、我が家にはそんな血統を求める者からの釣り書きが山のように届いている事だろう。


(外に……貴族の世界に、社交界に戻る……か。 )


 ふと、院長先生の言葉が浮かんだ。


『アリア修道院を継ぐ気はないかしら。』


(あの時はあまり深く考えていなかったけれど、私には荷が重い言葉だわ。)


 この2年で、ここでの仕事の大変さも、辛さも、喜びも知った。


 ここでの仕事はやりがいがある。 大変なことは多いけれど、喜びも多い。


 けれど院長先生の仕事はそれだけではない。


 新しく生まれる子の人生を、ここで子を産む母の持つ背景を精査し、見極め、裁量を判断しなければならない。


 それを背負うだけの器量が自分にあるかと問われれば……私は、あまりの重さに耐えられそうにない。


 貴族の令嬢として領地領民を。 王太子妃になる者として国民を。 修道院の院長として助けを求める母子を。


 建前で言うならば人の命を背負うという点でその責任は同じなのに、いや、数としては前者の方が断然に背負う数が多いのに、院長先生の言葉は、それらよりもひどく重く感じる。


(いいえ。 前者に対しては教育として受けていた時に、こんな風に真剣に考えたことがなかったのかもしれない。 どちらにせよ私は知らぬ間に、随分と傲慢な人間になっていたのね。)


 ため息が漏れた。


 マーガレッタ様に対して、オフィリアに対して。 あんなにも貴族とは何か、責任とは何かと語っておいて、いざ自分を振り返ってみれば、自分が一番、その本当の重さを解っていなかった。


(あと一年。 私は少しでも、助けてくれた人に報いることのできる人間になれるかしら。)


 冷めた食事を、後悔と反省の言葉と共に、一口ずつ、口に入れ、咀嚼し、飲み下しながら、私は考え続けた。

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