第49話 安静。

「お手洗いと入浴以外、ベッドで安静、ですか?」


「えぇ。」


 翌朝。


 厨房でシスター・サリアと顔を合わせた私は、朝食を用意しながら、困った顔をして頷いた彼女に尋ねる。


「診察で、何かあったんですか?」


「えぇ、少しね。」


 嫌な胸の高鳴りを感じて手を止めた私の手伝いをしてくれながら、シスター・サリアは心配げに眉をしかめる。


「今のところは大丈夫よ、すぐに何かがあると言うわけではないの。 ただね、かなりお腹が張っているようなの。 少し前からそう言っていてね、簡単に様子を見てくれたノーマからの助言もあって、昨日お医者様に来ていただいたのだけど、どうやら少しお産の兆候があるようなの。 このままでは早く生まれてきてしまうかもしれないわ。 けれど今生まれるのは、赤ちゃんにとって良くないから、少しでもお腹の中に居られるように、オフィリアは最低限の行動以外はベッドの上で過ごしてもらうことにしたのよ。」


 丁寧に教えてくれたシスター・サリアに、私は安堵の溜息をつきながら頷いた。


「昨夜、食堂に誰もいないので心配していたんです。 そんなことになっていたのですね……。」


「心配かけてごめんなさいね。 診察の時に先生から『セッパクソウザン』の兆候があるからと説明されたら泣いてしまってね。 彼女が落ち着くまで、しばらく一緒にいたのよ。」


「そうでしたか。」


「えぇ。 それでね、これから出産まで、オフィリアはベッドの上から動けないから、食事もおやつも前のようにお部屋に運ぶことになるの。 院長先生が帰って来られたら侍女を増やせるかお伺いを立ててみるけれど、少し忙しくなると思うわ。 子供たちがいま少ない時期だけど、こればかりは解らないし。 そういう事だから、今朝は私がオフィリアの部屋で食事をとります。 お昼はミーシャが行ってくれるかしら?」


「もちろんです。」


 頷いた私は、2人分の食事を持ち運びしやすいようトレイに用意し、シスターサリアに渡す。


 ありがとうと言って、厨房を出て行ったシスター・サリアを見送った私は自分の食事を持つと、昨夜と同様に食堂で一人、朝食をとった。


 一人での食事はやはり味気なかったけれど、それでも理由が分かったためか、昨夜の様に落ち込むことはなく、しかし急ぐように食事を終えると、養育棟に向かった。


「おはようございます。」


「おはよう、ミーシャ。」


 出迎えてくれたマーナとハンナ、ハンナに抱かれてにこにこ笑顔のシンシアと、まだすやすやと眠っているアニーに少しホッとしながら挨拶をした私は、夜のうちに出たたくさんの洗濯物を抱えると、洗濯をするために部屋を出た。







(『セッパクソウザン』かぁ。)


 じゃぶじゃぶと、桶にはったぬるま湯に固形石鹸を溶かし、洗濯板を使いながら肌着やおむつを洗いながら、そういえば職場の同期が同じことで入院していたことを思い出す。


 他の同僚に押しつけられ、代表としてお見舞いに行かされた私は、大きなお腹に点滴と機械をぶら下げて青い顔色をしていた、顔も思いだせない同僚の姿を思いだす。


 お見舞いのお花を見ながら、困ったように『お腹がカチカチに張って痛いのだ』と言った彼女は、その後無事に赤ちゃんを産んでいたが、こちらの世界にあの『お腹の張りを取る点滴』がないのだろうかと考えた。


「……うん、ない。 ないわ。 そもそも点滴自体見たこと無いもの。」


 泡のついたおむつをこすり合わせながら、う~ん、と考える。


 そもそも私には『お腹が張る』という意味がよくわからないから、余計に混乱する。


 自分も女であるけれど、女性の体とは本当に不思議なものだと思い、それから桶のお湯を新しいお湯に張り替えると、すすぎのために靴を脱いだ。


「あぁ! ほんとうに! 洗濯機が! 欲しいっ!」


 洗い終わった洗濯物をぬるま湯が入った桶の中に、スカートを捲し上げて足を突っ込んだ私は、1、2、1、2と、重く感じる足を動かして唸るように声をあげれば、何処からか笑い声が聞こえた。


「ん? 誰?」


 誰だろうとあたりを見回せば、寄宿棟の端っこの方の窓から、誰かがこちらにむかって手を振っていた。


「ミーシャ!」


 私の名を呼ぶはっきりとした声と共に、この世界では珍しい黒髪が光って見える。


「……え? オフィリア?」


 窓から見えるのは、安静にしていなきゃいけないはずのオフィリアの声と、ぶんぶん振られる白い手と、笑顔。


「ミーシャ、おはようっ! あ。 おはようございます。」


「お、おはようございます。」


 一瞬何が起きているのかわからず、何故か足を止めた後、丁寧に頭を下げてしまう。


(えぇと、何が起きているのかしら?)


 首をかしげてから頭をあげれば、窓の向こうで頭を下げるオフィリア。


 慌ててそちらに行こうと思ったが、足元にはお湯に揺れて私に踏まれているたくさんの洗濯物。


「ちょ、ちょっと待っていてくださいね。」


「うん。」


 頷いたオフィリアに手を振ると、そのまま少し慌てながら一心に足を動かし、手を動かしていつもよりも早く洗濯物を洗い終え、ぎゅうっと水気を切った洗濯物を、中庭いっぱいに干してから、窓辺でこちらを見ている彼女の傍に近寄った。


「お待たせしました。」


「ううん、お仕事中に声をかけてごめんなさい。」


 開放された窓越しに私が声をかけると、彼女は笑って首を振った。


 中を少し覗くと、ベッドが窓辺に動かされていて、ベッドに座ったまま、私に手を振っていたようである。


(よかった、ベッドの上にいたのだわ。)


 ほっとして胸をなでおろすと、私はオフィリアの顔を見る。


「お部屋、移動したんですね?」


 ここは以前、マーガレッタ嬢が出産まで使っていた部屋だと思い出してそういうと、うん、と彼女は頷いた。


「なんかね、『切迫早産』なんだって。 だからベッドの上で安静で、歩く距離が短い方がいいからって、トイレの前に部屋が動いたの。」


 泣いていたと聞いたが、顔色も良く、意外と落ち着いた表情でオフィリアは話してくれた。


「そうだったんですね。 先生とシスター・サリアが言うのなら、その方がいいんでしょう。」


「うん。 ソウちゃんの時にママも入院してたからわかってる。 ママもよくお腹が張るって言ってたし。 あの時は、へ~そうなんだぁって思ってたけど、自分がなったら、あぁ、これだってすぐわかったよ。 だから大人しくしてることにした。」


「そうでしたか。 ……あの、ところで。 お腹が張るとはどういう感じですか?」


 無神経なことを聞いてしまったかな? と思いつつそう聞くと、意外にもさらっと教えてくれた。


「そうだなぁ……お腹がね、上から触ってもカチカチになるの。 でね、お腹の中がぎゅ~って絞られる感じ。」


「……カチカチで、ぎゅ~、ですか?」


 言われている感覚がさっぱりわからず首をかしげてしまった私に、オフィリアは笑った。


「あはは。 ミーシャでもわからないことあるんだね。 うん、でもそうだよね。 解んないよね。 私もなってみるまでわからなかった。 あ、お昼ご飯一緒に食べてくれるんでしょう? その時に教えてあげる。」


「わかりました。 よろしくお願いします。」


 頷いた私に笑ったオフィリアは、私の後ろで風になびく洗濯物に目をやりながらつぶやく。


「洗濯物も、洗濯機がないと大変だよね。」


「え?」


(大変、私の声が聞こえてたかしら?)


 つい『洗濯機が欲しい!』と言ってしまったが、ここまで聞こえていただろうか? 何故知っているの? と聞かれてしまうだろうかと考えた私に、オフィリアは笑う。


「シュクジョノカガミ? だっけ? そうやってみんなが憧れてたミーシャが、お日様の下で必死な顔して洗濯物踏みつけてるからびっくりしちゃって。 見張りの人にあれは何してるのって聞いたら、こっちで一般的な洗濯の仕方だって言うから吃驚しちゃった。 あっちでは洗濯機に放り込んで、洗剤入れてボタン押したら勝手に洗濯してくれてたのになって。 何なら乾燥までできてた!」


「それはすごく便利な機械ですね。 わたしも是非、欲しいです。」


「でしょ。」


 聞こえていたわけではなかったんだと言う安堵と、たくさん洗濯をして汗をかいてくたくただった私は、大きく頷くと、あれはどうやって作るんだろうなぁ、そもそも電気がないでしょ? じゃあ手動? ……は、やっぱり大変だよねとぶつぶつ口に出しながら首をひねるオフィリア。


 そんな姿を微笑ましく見ていた私は、ひとつ、鐘がなったのを耳にして、さらに首をひねっているオフィリアを見た。


「もうこんな時間。 私は赤ちゃんたちのお昼ご飯の準備に行ってきますね。 昼食をもって後で伺います。」


「うん。 待ってるね。 お仕事頑張って。」


 ひらひらと手を振るオフィリアに手を振った私は、置いていた洗濯籠を抱えると渡り廊下を回って養育棟の方へと足を速めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る