第47話 愛された記憶、愛した記憶

「う~ん……珍しいこともあるものよね?」


「どうしたんですか?」


 唸っているハンナに対し、首を傾げて訊ねた私に、先に食事を終えて食器を片付けていた彼女はそれがね、と教えてくれる。


「院長先生の事なんだけどね。 さっきシスター・サリアにお話しされているのを聞いたんだけど、なんでも今日は王都までお出かけされるそうなんだよ。 しかも、お帰りは明日になるらしいの。」


「え? そうなんですか? それは確かに珍しいですね。」


 内容に驚いた私の言葉に、ハンナはそうだろう? と頷いた。


 院長先生が外出されること、これは実はよくある事だ。


 しかしその外出先が王都であり、泊りがけ、というのは、私がこの修道院に来て初めての事だ。


(もしかして、御実家にでも帰られるのかしら……?)


 院長先生の御実家であるトルスガルフェ侯爵邸は、王宮を中心に広がる街並みの、南側に広がる貴族街の中でも王宮にほど近い場所に居を構えていたはずである。 今ではその理由もわかるが、前侯爵様が社交嫌いなことで有名で、私が社交界に顔を出していた中でお会いしたことがあるのは一年に一度。 それも前侯爵が爵位をご子息に譲られた後の事である。


(……もしかして、どなたか体調が悪いとかかしら……? それは心配だわ。)


 考え込んでしまった私とは逆に、気になっていたことを誰かに話してすっきりしたであろうハンナは、手際よく後片付けを済ますと私を見た。


「やっぱりミーシャも気になるかい? でも、早く食事をとらないとそろそろ時間ではない?」


「あ、そうでした!」


 ハンナに言われて、時計を見た私は、慌てて食事を再開した。


(う~ん、やっぱり気になる。)


 食事を食べ進めながらも、ついいろいろなことを考えてしまう。


(私がここに来て二年になったところだわ。 そろそろ王都では建国記念の夜会が開かれるのよね。 しかも今年は新王太子殿下の発表とお披露目が同時に行われると、先日届いたアイザックからの手紙に書いてあった。 だとすると、院長先生はもしかしてそれに招待されている……? いいえ、修道女となった院長先生が夜会のような場所に出席なさるはずがないわ。 ではなぜ王都に……。)


 少ない情報を並べてみても、答えはでない。


(ただのお買い物、というわけでもないわよね。 日用品の買い付けはシスター・サリアの役目だもの……。)


 先程から王都、王都と言っているが、アリア修道院は一応、ドルディット国の王都と呼ばれる区域にある。


 だがしかしそれはあくまでも地図上の事で、王宮のそびえる中心地まではかなりの距離がある。 そのため、私たちが王都と呼ぶのは正しくは『王都の中心部』という意味だ。


 ここには王都のように華やかさも賑やかさも届かない。 ただそうはいっても王都は王都。 ご近所付き合いというものは存在していて、院長先生は隣に建つ騎士団や、近隣の教会の責任者たちが集まる集いには出かけるし、引き取られた子の家に訪問に行ったり、逆に王都からのお客様なども、聖堂の方には来たりする。


 私やオフィリアのような修道女見習いの間の3年間は、『教会に身を捧げる者として、里心が付かないように』という事で外界との接触を禁止され、教会敷地外に出ることはないが、3年の修業期間が明けたとき、そのまま修道女となるか、多額の献金を寄付して還俗すれば、外に出ることも、外界と接触することも許されるようになる。


 そういった意味で言えば、シスター・サリアは先ほどのとおり日用品の買い付けなどのため商会とやり取りしたり買い付けに出ているし、ダリアやノーマ、ハンナの様に外から修道院内に手伝いとして人が入ってくることもある。


 そう、アリア修道院が格段に警護が厳しいとはいっても、外界から完全に遮断されているわけではないのだ。


 とはいっても、やはり滅多にないことがあると、心がざわつく気がするもので……。


(何故かしら、なんだかまた一波乱の予感がするわ。)


 誰にも気付かれないよう小さくため息をついた私は、気持ちを切り替えるように目の前の食事を食べ終わった。







「あ、ミーシャ。」


「オフィリア。 どうかしましたか?」


 食事を食べ終え、後片付けも済ませた私は、外に干している洗濯物を取り込むために養護室の前を通り、庭の方へ向かっていた。 そんな私を待ち構えていたかのように声をかけてきたのはオフィリアだった。


 服のままでお腹のふくらみが解るようになってきた彼女は、養育室の中を指さした。


「あのね、この間言っていた肌着の試作品が出来たんだけど、後で見てもらえる?」


「え? 本当ですか?」


「うん。 うまくは出来なかったけど、形にはなってると思う。」


「わかりました。 じゃあ、外のお洗濯物を取り込んできたら、行きますね。」


「わかった、ここで待ってるね。 丁度みんなお昼寝してるから、洗濯物たたむの、手伝うよ。」


「ありがとうございます、じゃあ、すぐ帰ってきますね。」


 いってらっしゃいと手を振ってくれたオフィリアに手を振り返した私は、洗濯用の大きな籠を抱えると、急いで庭に向かい、たくさん干してある洗濯物を急いで取り込み、それを抱えたままオフィリアの待つ養育室に戻った。


 養育室に戻れば、事前に聞いていた通りすやすやと天使の寝顔でお昼寝しているアニーとシンシアがいて、大きな音を立てないようにしながら真ん中に広げられたベビーマットの上に洗濯物をおいた。


「たたむのはやるから、ミーシャはこれを見てくれる? 結構頑張ったんだよ。」


 たたまれた試作品の入った籠を私に手渡し、自分は籠から出され山盛りになったほかほかと温かい洗濯物をたたみ始めたオフィリア。


 それでは、と私は彼女が作ったと言う試作品を手に取り膝の上に広げ、その出来の良さについ、声を上げてしまった。


「これは……すごいですね。」


「でしょ? もし着てるところが見たいならお昼寝が終わった後で……それ、シンシアちゃんに合わせて作ってみたんだ。 あ、あんまり細かいところは見ないでね。 ミシンがないから手縫いなんだけど、やっぱり難しいね、綺麗に縫えてないところがあるの。」


 そう言われてよく見れば、手に取った試作品は、確かに本職の裁縫士と比べれば拙いと言わざるを得ないだろうが、それでも縫い目も整っており、ボタンもボタンホールもしっかりしていて、かなり機能的な乳幼児用の衣類だ。


「本当に素晴らしい……オフィリアから話を聞いた時にもすごいと思いましたが、実物を見たらさらに凄さが解りました。 これはいいですね。」


「そう? 嬉しい。」


 これらの肌着の試作品は、先日、沐浴を終えたアニーとシンシアに肌着を着せる手伝いをしてくれたオフィリアが、現在使用している衣類の形では、足をばたつかせたときに裾が捲れてお腹が出てしまうし、おむつ交換の時も手間が多くて不便だ。 向こうではもっといい肌着があった、と言い出し、気になった私は、着替えを終えた2人に湯上りの水分補給を飲ませながら、詳しく教えて欲しいと聞いた時に出てきたものだ。


 現在使用している乳幼児の肌着は、前世の日本で言うところの『着物』のようなもので、長方形を繋げましたと言った形のものだ。 また、その上に切る衣類は男女差なく、大人が着る物を小さくしたような、背中で開けるドレスのようなものが多い。


 しかしオフィリアが紙に書いて教えてくれたものは、腕はW、足元はMの形になる、赤ちゃんの四肢とふっくらした体幹に合わせて、全体的にゆとりある造りではあるものの、手首は細目に、足元ははだけたりしないように股の部分をボタンで留めることの出来る『コンビ肌着』と言われる物だった。


 それだけでも吃驚したのだが、彼女の話はそれで終わらなかった。


 おむつの交換がしやすくなるよう、股のところにボタンをつけ、手足の部分の長さをうんと短くし、涼しく着られるロンパースやボディスーツと言われる肌着、肌着の上に着るコンビ服、プレオールやカバーオールと言われるものや、歩くときにおむつでもったりしたお尻でもすっきりと見える機能的なモンキーパンツに、寒い夜に肩やお腹を冷やさないように着用して寝るベスト型の毛布等、話を聞きつけてやってきたシスター・サリアたちが見ても、これは欲しいと思わせるものが大変多かったのだ。


(流石、現役で弟さんの育児を率先して手伝っていただけあるわ。 この経験の記憶は子供と触れ合う事のなかった私にはない最高の知識……。 ひとまず商品化のためにアイザックに知らせましょう!)


 そう思った私は、皆に褒められて物凄く照れているオフィリアに、参考にしたいからそれらを形に出来るかと聞いた。 すると彼女は『弟のためにぬいぐるみ作ったりしてたし、家庭科は得意だから余り布さえあればつくってみようか?』と嬉しそう答えた。


 それを聞いたシスター・サリアやダリアが穴あきになったシーツで良ければ、余りボタンで良ければと材料を出してくれ、お腹を気遣いながらも出来上がったのが、今目の前にあるこの試作品だ。


「コンビ下着もカバーオールも着る毛布もいいと思います。 オフィリア。 これ、完璧です!」


「そう? ふふ、完璧令嬢のミーシャにそんなに褒められると、あたし、照れちゃうわ。」


 頬を真っ赤に染めて笑いながら、照れ隠しの様にてきぱきとタオルや肌着をたたむオフィリアはふと手を止めると、『そうそう、それからね』と、ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。


「オフィリア。 これは?」


「それはね、夜寝る前にパパとママ、それからソウちゃんの事思い出した時にね、そういえばこういうので遊んだな、って思いだしたものをメモした物なの。 ほら、あの積み木やベビーサークル、ミーシャのお家の商会? っていうので作ってるんでしょ? それでね、それならこういうのも作れるかなって思って。」


「そうなんですか?」


 折りたたまれた紙を開いてみれば、5枚の紙に詰め込むように、動物の絵のピースのパズル、太めのワイヤーをジェットコースターの様にいろいろな形に変え木の玉を通したおもちゃ、リボン結びやボタンを自分で出来るように練習するための可愛らしい布絵本、可愛い動物の人と同じ服の着替えやお布団を用意したぬいぐるみ。 そして屋内の大型玩具として、歩行器やミニハンモック、滑り台付きジャングルジムなど、たくさん書いてある。


 そんな可愛らしく描かれている絵と、たくさんの作成のポイントが書き込まれた文字。 そのところどころに丸くインクが滲んでいる場所があるのは、きっと彼女の涙の痕だろう。


「……可愛いおもちゃですね。 ぜんぶ、思い出の品なんですか?」


「うん。」


 潤んだ目をごまかすように、目の前の洗濯物の山をてきぱきと片付けながらオフィリアは笑顔で教えてくれた。


「ソウちゃんと一緒に遊ぼうと思って、パパと私で用意したおもちゃを思い出したから。 その着せ替えぬいぐるみはね、いやいやする時期に、『この子も一緒にやるんだよっ、一緒に頑張ろうっ!』 て使ったりもできるんだ。 それと、この世界って物語の絵本はあるけど、いないいないばぁとかみたいな、知育の絵本がないよね? 紙芝居とか、そういうのもあったら読み聞かせが楽しいし、欲しいなぁ。 それから私、ソウちゃんの誕生日にベビーリングっていうの? ちっちゃい赤ちゃんの指にはめる、お誕生石のお守りの指輪プレゼントしたの思い出して。 そういうの、こっちにある?」


 5枚目の下の方に書かれたネックレスを指さしてそう言ったマミに、私は首をかしげる。


「赤ちゃんの指のサイズ、ですか? そんな小さな指輪、大きくなったらどうするんですか?」


「そしたらペンダントトップにするんだよ。 お守りだから。 あ、みる?」


 襟元からごそごそと手を入れたオフィリアの行動を吃驚して見ていると、あ、これこれ、と、何やら丁寧に出してきた。


 首元からのぞく細い細い鎖に揺れる小さな小さな指輪には、とても小さいけれど、光を弾いてキラキラと光るエメラルドが付いていた。


「これはね、わたしが生まれた時、パパとママが用意してくれたんだって。 ほら、ここにM.I.ってイニシャルと誕生日が入ってるでしょ? 高校生になったとき、もうお姉ちゃんだからなくさず大事にできるよねって、ネックレスにして渡してくれたの。 それ以来、肌身離さずず~っとつけてるんだ。 ……おかげで、こっちに持ってこれてたみたい。」


 すこし目じりを赤く染めながら、鼻声で『ほら、ここだよ』と指さしたところを目を凝らしてみれば、確かにリングの部分に小さなアルファベットと数字が彫り込まれていた。


「素敵ですね。」


「うん、一番の宝物なの。」


 誇らしく微笑む彼女に、私は頷いた。


 それは、彼女が両親にとても愛されていた証でもあり、こちらに来てから心の支えになっていたのだろう。


(……うん、これだわ。)


 その指輪を大事そうに服の中にしまったオフィリアの手を握った私は、ググっと迫った。


「オフィリア、ここまでのお話も全部含め、公爵家の商会につなげて商品にしてもいいかしら?」


「え……? う、うん。 それはいいけど……。」


 目をまん丸くして刻々と何度も頷いたオフィリアに、私はにっこりと微笑んだところで、養育室の扉が開く音がした。


「まぁ、ミーシャ、オフィリア。 手をつないで一体何をしているの?」


 中に入って来たシスター・サリアは、部屋の真ん中で手と手を取って見つめ合っていた私たちを、目をまん丸くして見ていたが、いえいえ、何でもないです、とお互い手を放し笑ったところでそう? と不思議気な顔をし、それからまぁいいわ、と言ってオフィリアの方を見た。


「オフィリア、赤ちゃんの診察の時間ですよ。 お部屋で先生が待たれていますから、行きましょう。」


「あ、忘れてました。 じゃあミーシャ、後でね。」


 あ、と言った顔をしてお腹を支えながら立ち上がり、手を振ってシスター・サリアと一緒に養育室を出て行ったオフィリアにわたしも手を振りながら、彼女の書いた紙を大切にポケットに入れると私は残った洗濯物をたたみ始めた。

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