第43話 生き直すための、けじめ。

 その後。


 溜まっていたものをすべて流し出すように大泣きし、落ち着いた聖女マミと共に院長先生を訪ねた私は、彼女がどうしてここに来ることになったのか、そして、修道院の外での彼女の立ち位置がどのような状況であるかを聞いた。


 それは、当事者である聖女マミはもちろん、様々な状況にあったり見て来た私もやや驚きを隠せない状況であった。


 国王陛下指示の下、王妃殿下、第一王子殿下や宰相、神殿主体で行われた、懐妊した彼女の幽閉というのは全てそう見えるように仕立てられた物であり、第一王子殿下に乱暴された聖女マミの身柄をいち早く保護していたのはエルフィナ様であった。


 私との婚約破棄後、廃嫡され、西の王子宮(という名の、王家が住まう後宮の外に配置された幽閉宮)へ移された時点で第一王子殿下はすでに、側近候補であった取り巻きたちから引き離され(彼らも各々各家で処罰されているらしい)第一王子殿下の専属であった王宮の侍女侍従たちも辞職。 他部署へ配置しようとしても辞退してしまうと言った状況だったそうだ。


 その為、募集枠を身分を平民にまで広く開げ、集められたわけであるが、北の王子宮が後宮外であること、平民出身であることから、その身柄をしっかりと調べることもなく雇い入れられたそうだ。


 事情は確かに分かる。 しかし万が一のためと第一王女が調べ上げれば、すぐに背後にいる貴族が透けて見えた。 そのため、万が一に備え忍び込ませた王女の侍女が、第一王子殿下に出された食事を調べると、媚薬に避妊薬、堕胎薬のみならず、致死量にぎりぎり満たない毒草などが、もはや誰がいつどこでいれたかわからないほど入れられていた。


 彼の行動は逐一監視され、各々の雇い主に流される。 届く前に握りつぶそうにも手が足りないほどだ。


 そして聖女にまで暴力をふるった。


 このままでは駄目だ。 そう思った第一王女はもう一度両親に掛け合うことを決めた。 兄の事をどう思っているのか、この先どうするつもりなのか。 王太子、王子としては生きていけなくとも、ちゃんと目標を与え、真っ当な人間になるよう両親として向き合うべきではないのかと。


 しかし、それを願い出ることはなかった。


 自分の事しか愛せない国王と、自分を飾る宝飾品を愛する以外はすべて王の言いなりである王妃。 二人が私室で『こうなる事を解っていて、あえて第一王子を幽閉した。 自分たちがわざわざ手を汚さずとも、知らぬうちに誰かが離宮の掃除をやってくれるだろう。 そうなったら場合には時期を見計らって病死と公表しよう』と酒の肴に話しているのを聞いた幼い第二王女が、姉である第一王女と兄である第二王子と話し合っているその部屋へ、真っ青な顔で飛び込んで来たからだ。


 同時に、離宮に置いていた使用人が、第一王子が聖女に対して激しい暴行を働いたため保護したと知らせが来た。


 青ざめ、泣きながら聞いた話を必死に話す妹の話と使用人の話。それを聞いた二人は幼い妹姫を抱きしめ、目を合わせ、強く頷き合った。


 それまではこんな人たちでも親であり、兄であるからと思い、生意気だと殴られ、罵られながらも、王家として立て直しを図るべく対話を願い続けていた第一王女エルフィナと第二王子シャルルは、この瞬間、両親と兄を本当の意味で見限った。


 この腐りきった国王夫妻と第一王子、そしてそれらに群がる醜悪なもの一切を切り捨てなければ、ドルディット王国は生きながらえる道は絶対にないのだと、あの日から一年半かけて関係を築き上げた貴族達に助けを求め、動いた。


 機会を待った。


 そして、その機会は訪れた。


 第二王子シャルルの立太子が議会で決定し、奇しくも聖女が懐妊したと発覚した。


 まずは『聖女』をひとまず安全な場所へ逃がすこと。


 そして、国王夫妻と第一王子をその座から引きずり下ろし、捕らえること。


 決心した第一王女エルフィナと第二王子シャルルは、味方となる貴族たちにそう伝えた。


 これについては、協力を得ていた貴族たちの中にも今回の騒動の発端となった聖女も同罪として捕らえるべきだと強く訴える者も多かった。


 確かにその通りではある。 しかしこれまで隠し続けていた神殿と王家、そして異世界の人間である聖女が実際はどうやって連れてこられ、どのような役割を担い、扱われて来たのかをによって知らされた後は、彼らは納得は出来ないながら、その心情の哀れさを理解・沈黙し、彼女を離宮から救出する事に手を貸してくれた。


 離宮から救出されて以降、王女宮の最奥で治療・保護されていた聖女を秘密裏に宮殿から連れ出し(寝ているところをシーツでぐるぐる巻きにし、搬入業者の持ち運びする果物の木箱に入れて外に出した)とある貴族の離れにいったん預けたうえで、夜の闇に紛れて修道院へ連れて行った。 しかし、途中で目の覚めたマミは、目を覚ました場所が王宮でなく馬車の中であり、しかも騎士に囲まれていたため、意味も解らぬまま暴れたため、力ずくという形での修道院への入所となったのだ。


 あの時、護衛騎士がわざと目立つ王宮騎士の格好をしていたのは、深夜に走る馬車の動きを察した者達に、容易に手出しをされず、またもし他者に尋問された場合には不敬だとはねつける事が出来るようにするためだったそうだ。


 ここまでの話を、過度な恐怖や不安はお腹に赤ちゃんがいる彼女に負担になるため、攻撃性の高い直接的な表現はさけ、さらにオブラートに包んで、解りやすく噛み砕いて説明された聖女マミは、そこでようやく自分の現在の状況が自身と胎の子の身柄まで狙われている状況であったことを理解し、真っ青になって震えていた。


 しかし私は、エルフィナ殿下、シャルル殿下が関わっているとはいえ、なぜこの聖女マミの預け先としてここが選択され、引き受けることになったのか。 貴族たちが聖女も罰するべきと言われた時、彼らを諭したとされるの説明がなかったことが気になっていた。


(もしかしたら、エルフィナ殿下の味方になってくれたと言う貴族の中に、院長先生の生家である例の侯爵家がいたとかかしら……? 王家を潰す一手を、今だ院長先生は生家を通じて集めていらっしゃるという事なの?)


「聖女マミ様がここに来た経緯はここまでです。」


 きっと、真実と嘘が見分けのつかないように入り混じっているであろうこの話。


 真実をあぶりだすために様々な思案を巡らせようと考えたが、すべての説明が終わったと院長先生が言い切ったため、これ以上詮索するのはやめることにした。


 納得いかない部分を飲み込んだわたしとは裏腹に、情報量の多さに追い付けず呆然としている聖女マミをしっかりと見つめた院長先生は、穏やかでありながらしっかりとした口調で問いかけた。


「聖女マミ様。 今まで王家と神殿のあなたに対する対応や、現在の状況を考えれば、不安でしかたないでしょう。 ですが貴方様に今できることは、神から授かった命が無事生まれるまで心穏やかに暮らす事です。 考えることはたくさんあるでしょうが、今は心穏やかに……私たちが貴女に求めることはただそれだけです。 ただし、ここまでの話を聞いて不安もあるでしょうから、いまついている侍女と護衛は、このまま彼女を守るために駐在させましょう。 ……その上で、お伺いしますね。」


 青ざめた顔のまま、やや首を傾げた聖女マミに、院長先生は優しく問いかけた。


「聖女マミ様。 貴女はこの先、どう生きたいですか?」


 と。


 その言葉に、彼女は酷く動揺した顔をした。


 それから、口をパクパクさせたり、目を彷徨わせたり、わたしや、院長先生を縋るような目で見たりした後、私たちからは答えのヒントが貰えないのだと理解し、ふぅ、ふぅっと1つ、2つ深呼吸をして、震える声を絞り出した。


「わ、解りません……。」


 顔を上げた聖女マミは、院長先生を見た。


「どうしたいか、どう生きたいかっていわれても……私も赤ちゃんも狙われてて危ないって言われて、怖くって何も浮かばないし、どうしたいかなんて解んない。 もし大丈夫だったとしても、あたし、この世界のこと全然知らないし、お腹に赤ちゃんもいるし、生きていくのには、お金も、住むところも、お仕事だっているんでしょ? それ全部持ってない私には……やっぱり、どうしていいかわかんない……。 どうしたらいいの? あたし、元の世界に戻れないんでしょ? この世界で生きていくしかないんでしょ? じゃあ、私はどうやって生きて行けばいいの? わかんない、教えてよ……。」


 そこまで言って、両手で顔を覆って泣き始めた聖女マミに、院長先生頷いた。


「えぇ、それでいいんですよ。」


 その言葉に顔を上げた聖女マミに、院長先生は微笑んだ。


「貴方が戸惑うのも、解らないのも、全部当たり前です。 でも、みんながみんな手を差し出して助けてくれるわけではありません。 それは、貴方が何に困っているか、何がわからないかわからないからです。 助けてほしい、教えてほしい。 自分で考えて、それでもわからないときは何がわからないかを言い、助けを求めなさい。 そうすれば、私たちは貴方が欲しい手助けをしてあげる事が出来ます。」


 涙で濡れた聖女マミの手を、そっと両手で包んだ院長先生は、ひとつ、頷いた。


「貴方がここでどうやって生きていくか、なにがより良い方法なのか決められるその時まで。 ここで生活をしながら、この世界で生きていくに足りるよう様々な事を学び……もちろん、貴方のお腹にいる赤ちゃんの事もしっかり守ります。 そして、みんなで考えていきましょう。」


「……はい、はい。」


 ボロボロと鳴きながら、何度も頷いた聖女マミは少し落ち着いた時、『一つ、お願いが』と切りだした。


「こっちに来てからずっと、皆が私の事、聖女様、聖女マミ様って呼んでたけど……あたしの名前、ちゃんとした名前。 糸沢真美。 でもあたし、もう、聖女様って呼ばれたくないの。 本当に、しんどくって、苦しかったの。 何にもできない名ばかりの聖女だって、本当に苦しかったの。 だから、ここで暮らしてる間はそんな風に呼んでほしくないの。 それと、今までしたことが悪い事だって、人にも迷惑かけて、自分の事も粗末にして……それは駄目な事だったってわかったから、気持ち的にしっかりけじめつけたいんだけど、どうしたらいい、ですか?」


 そんな彼女のお願いに対し、院長先生が『それならば』と示した提案。 それにマミは大きく頷いて了承し、私はその準備を手伝った。





「よかったのですか? こんなに綺麗な黒髪だったのに。」


「いいの。 あたし、向こうでこんなに伸ばしたこと無かったもん。 逆にさっぱりしたよ。」


 ニコニコと笑った彼女が受けいれた提案は、私がここに入った時と同じように、修道女見習いとなるべく長い髪を切り落とす『断髪式』をおこなうことだった。


 異世界から連れてこられて以来、聖女にふさわしくある様に伸ばしましょうと言われ、整える程度にしか鋏を入れることのなかった背中の半分まで覆う長さになっていた黒髪は、院長先生の手によって肩より少し上の長さまで切り落とされた。


 そして、修道女見習いとして「オフィリア」という名前を貰い、現在使用しているあの部屋を出て、寄宿棟の私の隣に居を移し、以前ローリエこと、マーガレッタ嬢がそうしていたように、体に負担のかからない程度の修道院での軽作業をしながら、院長先生からこの世界の事を学ぶことになった。


 元来早起きは苦手だったそうだが、妊娠してからは殊更それが加速した、という彼女は、私たちの様に日の出とともに起きることは出来ないものの、朝食の時間までには起きて自分で身支度をし、私たちと食堂で一日3回の食事とおやつをとるようになった。


 その際には、『……音を立てない……啜らない……』と院長先生から習った事を口の中で繰り返し、丁寧に食事をとりお茶を飲み、お裁縫や調理の手伝いも今後役に立つから、と率先して行っている。


 調理器具がガスでなく薪であり、包丁ではなくナイフである事を差し引けば、家事が苦手な私よりもよほど上手く、みんな感心していた。


 そうして暮らし始めて2週間。 彼女が修道院で働く皆ともすっかり打ち解けた頃に、青白かった頬はふっくらと健康な色合いに戻り、幼さの覗く柔らかな笑顔が増えた。


 今日も厨房仕事の手伝いとと院長先生からの勉強を終えると、所用で席を外したシスター・サリアの代わりに養育室で赤ちゃんをあやしている。


「すっかり落ち着いたわね。 最初の頃が嘘みたいだわ。 あれが、本当のあの子だったのね。」


「そう、ですね。」


 穏やかに笑い、アニーやシンシア、ダリルを、いないいないばぁ! とあやしている聖女マミ――オフィリアに、ノーマは暖かな視線を送り、私は素直によかった、と思った。

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