第44話 【閑話】待ち望んだ旅立ちの春

 私が修道院に入って2回目の春の訪れの気配が僅かに感じられるようになった頃。


 珍しく前日の鉛色の冬の雲が嘘だったかのように、今日は雲ひとつなく晴れていた。


 隣にある騎士団の雰囲気が物騒さをにおわせる中でも、アリア修道院の中は、いつも通りに穏やかな一日が繰り返されている。


 毎日変わらない日常。


 唯一変わるものと言えば、目を話す暇もないくらいどんどん成長していく子供たちと、日に日に大きくなるオフィリアのお腹だけだ。


 ただし、今日は違う。


 朝早くにシスター・サリアが院長先生から預かって来た大きな箱のある方を見る。


 その意味を聞いた私は、今日という日が、とても特別な日になるだろうと感じた。


「もうお昼前ね。 そろそろ服を用意しておかなきゃいけないわ。 皺があったらちゃんと伸ばしておかなければならないし……。」


 養育室の隅、赤ちゃんたちの洋服をしまっている棚の一番上に置かれている、この修道院には不釣り合いな上質な箱。 持ち上げればとても軽いその箱の中から、長い時間をかけ、丹精込めて作られたと思われる小さな礼服を取り出した。


 ひっかけないように、汚さないように、箱と、並べて置いた箱の蓋の上でそれを綺麗に広げ、しわを伸ばすように丁寧に手を滑らせる。


 滑らかで優しい手触りに、寂しさと、嬉しさが入り混じる。


 そんな複雑な思いをかみしめていた時だった。


「やだ! なにこれちっちゃい、かわいい! セレモニードレス?」


 そんな私の横に現われ、はしゃいだように声を上げたオフィリアに私は微笑む。


「セレモニードレスとは違うけれど、きっとそれに近い大切な服であることに変わりはないわ。」


「すごい素敵!」


 マナーが身につき始めても、相変わらず表情豊かなオフィリアにも見やすいように広げると、彼女は感激したような声を上げた。


 さらりとした上質な絹の布地に、襟元と裾に鈴蘭を図案化した刺繍が施され、貝殻から造られた小さなボタンが留められた赤ちゃん用の洗礼服は、とある夫人が一から仕立て上げたというその服は、この日のために、ひと針ひと針心を込め、丁寧に作ったものだと知っているため、私の頬もつい緩んでしまう。


「でも、これが特別な服なのは見てわかるんだけど、なんでミーシャはそんなにニヤニヤしてるの?」


 頬が緩んでしまっている自覚はあったため、両手で頬を隠してから、私は照れ隠しするようにオフィリアを見た。


「ニヤニヤなどしていませんよ。 それより、オフィリア。 また、言葉遣いが乱れています。」


 そういえば、彼女ははっとした顔で口元を手で押さえてから、背筋を伸ばし、きゅっと口を真横に結んだ。


「そうでした。 えぇと、申し訳ございません?」


 こて、っと首をかしげてそう言った彼女に、私は小さく噴き出した。


「何故疑問形で答えているのですか?」


「これであってるか、わからないから……。」


 そう言ってきゅっと口を真一文字にし、難しい顔をするオフィリアに、私はつい、笑ってしまった。


「大丈夫、合っていますよ。」


「ほんと? よかった。」


「そこは、よかったです、よ。」


「……よかったです。」


 褒められた直後に訂正されたオフィリアは、再びきゅっと口を真横に結ぶ。


 その仕草が幼子のようで可愛くて、私はつい、笑ってしまった。


「もうっ、そんなに笑わなくても。 でも、これ、子供の服ですよね? 出かけたりもしないのに、何のためにあるんですか? しかも一着だけ?」


 不思議そうにその上質な服を眺めているオフィリアに、私は微笑んだ。


「オフィリアは朝が弱いから、院長先生からお話を聞いていなかったと思うのだけど、実は今朝、お預かりした物なの。 今日、ここから出て行く子がいるらしいんです。 それで、その子のために、その子のお母様となる方が作ったお洋服だそうです。」


「え!? そんな急に? 誰が出て行っちゃうんですか? やだ、寂しくなっちゃう!」


 目をまん丸くし、悲しそうな顔をしたオフィリアの方を優しく触れて、私は笑う。


「確かに寂しくなるけれど、でも、この子達に家族が出来るという事だから、喜んであげましょう。


「……確かにそうかもしれないけど……。 行っちゃうのは、誰?」


「……それはね。」


 ふふっと笑った私は、すやすやとベビーベッドで眠る3人の赤ちゃんの一人を見た。







「さぁ、出来上がり。 よく似合っているわ。」


「本当、良く似合ってる、素敵。」


 他の2人がお昼寝をしている中、シスター・サリアとノーマの手によって綺麗なお洋服を着せつけられ、窮屈そうに顔をしかめていたその子は、幸せになるんだよ、と、皆に抱きしめられている。


 元の世界にいる弟を思いだしているのだろうか。 目に一杯涙を浮かべ、幸せを何度も祈りながら、ぎゅうぎゅうと抱っこしていたオフィリアの腕からやって来たダリルを、私もゆっくりと抱きしめた。


「あう?」


 皆に抱きしめられて嫌になったのか、お洋服が窮屈なのか、それとも大人たちの雰囲気が違う事が気になるのか。


 ペリドッド・グリーンの澄んだ瞳を真ん丸にして私の顔を見たダリルは、ぺちぺちを私の頬を叩いた。


 そんな様子も愛おしく、私はそっと頬を合わせた。


「ダリル。 貴方が生まれる瞬間に立ち会えて、私はとても幸せだったわ。 だからどうかうんと幸せになってね。 絶対によ。」


 わかっているのかわかっていないのか、それは私にはわからないけれど、それでも伝えずにはいられない。


「いっぱい食べて、寝て、勉強をして、いっぱい幸せになるのよ。」


(大丈夫よ。 あなたの将来に、火の粉を飛ばすようなものはもうどこにもいないもの。)


 ぎゅうっと抱きしめれば、擽ったのか笑い声をあげた彼から体を話すと、『もう一回だけ!』と、再びオフィリアが抱っこした。


「ダリル。 いっぱい幸せになってね。 新しいパパとママに、いっぱい抱っこしてもらってね。」


 お腹に負担を掛けないようにノーマに手伝ってもらいながら、ダリルを抱っこしてほっぺにキスをしたオフィリアの手を離れたダリルは、院長先生の腕の中に納まって、にこっと笑った。


「みんなとはここでお別れよ。 ダリル、小さな貴方が、どうか幸せになりますようにと、皆が祈っていますからね。」


 シスター・サリアが最後に祈りを終えると、院長先生に抱っこされ、にこにこ顔でお気に入りのガラガラを握って出て行ったダリルを、皆が涙をこらえながら笑顔で見送った。


 ぱたん。


「うえぇぇぇぇ~ん。」


 扉が閉まった途端、へたり込むようにその場に座り込み、大泣きし始めたオフィリアの背中を、皆が良く堪えたねと撫でる。


 私もオフィリアの背中を撫でながら、自分の頬を伝う涙を拭った。


「さみしいよぉ、ダリル君、本当に幸せになれるのかなぁ……。」


 涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、誰に問うわけでもなくそう言ったオフィリアに、シスター・サリアは彼女の顔を綺麗に拭いながら微笑んだ。


「大丈夫よ。 きっと、誰よりも幸せにしてくれるご両親のもとに引き取られたのですから。」


「そうなんですか?」


 真っ赤な顔をしてそう聞くオフィリアに、シスター・サリアは頷く。


「今、聖堂の面会室では、ダリルをぜひ家族に引き取りたいと心から望み、院長先生や教会で養育を統括しておられる神父様、それからご親戚の皆様と何度も話し合って、その上で親になる事を許されたご夫妻が、彼と会うのを待っているんです。」


 それにはちょっと首をかしげるオフィリアに、わたしは、目が覚めてしまったらしいシンシアを抱っこしながら説明する。


「オフィリア。 孤児院から子供を引き取るのには、まず教会の許可がいるのですよ。 教会が両親となりたいと申し出た人を十分に調べ……そうですね、例えば、領地での評判やその資産、領地の経営状態や商売をしている家であればその経営状況や売買しているもの、取引相手や金銭の流れなどですかね。 養子にと言って引き取って奴隷として売ってしまったり、使用人のような扱いをする人もいるそうなので、しっかり人となりを調べたうえで、教会が許可をするんですよ。」


「それでもし、調べた後にそんなことになったらどうなるの?」


 それに答えたのは、シスター・サリアだ。


「教会の経典にのっとり、子を引き取った親や兄弟はもちろん、親族9親等にさかのぼって、教会から破門される決まりになっています。」


「え? でも、ゆっても宗教でしょ? 破門されるくらいじゃ痛くもなんともないんじゃないの?」


 首をかしげるオフィリアに、シスター・サリアはにこやかに微笑む。


「オフィリアの話を聞く限りですが、オフィリアの住んでいた国では宗教で地位や立場などが変わると言った事もなく、宗教の自由が許されていたようですね。 ですが、こちらの世界では、この世界を創造された唯一の神の忠実なる僕であり、神に身を捧げ信仰し、神の代弁者たる聖王猊下と教会があり、これは国家レベルで力を持っています。 世界中の人が信仰していますからね。 その教会からの破門は、人としての全ての信頼を失うという事です。 自国での商売の取引や一般的な交流、貴族であれば社交界への出入りはもちろん、国に住みにくくなり他国へ引っ越そうにも、国境を超える事すら難しくなるのですよ。」


「……へぇ……難しくってあんまよくわからないけど、教会ってすごいんだね。」


「そうですね。 だからこそ、教会から送り出す子の身の安全が守られるのですよ。」


 シスター・サリアの話を聞き、納得いったように頷いたオフィリアを見ながら、私は涙をぬぐい、聖堂のある方に視線をやった。


(大丈夫。)


 私は、建物に遮られ、ここからは決して見えるはずのない聖堂の面会室を思う。


 小さな小さなダリルが面会室に現れるのを待っているのは、王都から遠い辺境に居を構え、武に優れ、さらに領地の特産品で始めた商売が王都でも軌道に乗り陞爵も噂される子爵家の若夫婦である。


 子を引き取りたいと申し出があった際、その話し合いの場に、記録係として記録用の個室からのぞき見た事があった。


 面会室のソファに並びあって座る子爵家の若夫婦は、終始穏やかに、けれど強く子を引き取りたいと願った。


 夫妻を包む雰囲気はとても穏やかで、決してどちらかが遠慮したり引け目を持っているような雰囲気はなく、互いに思い、労わり、寄り添って人生を進むと決め、何度も話し合ったうえで、そこにダリルを受け入れることを決めたと、しっかりとした決意を院長先生に語った。


 それを聞いた時、この夫妻の元でならば、ダリルはきっと幸せになれると安堵した自分がいた。


「あうぅ~。」


 手を伸ばし、私の髪を掴んで笑うシンシアに、私も笑い返す。


「アニーにも、シンシアにも、きっと良いお父様とお母様が来てくれるわ。」


 心からそう願いながら、私はシンシアを抱きしめてから、おやつの準備をするべく、泣き止んだオフィリアに声をかけ、シスター・サリアにシンシアを預けて養育室をでた。


 視線の先には、聖堂へと続く廊下。


 院長先生の腕から伸ばされる大きく成長した小さな手を、彼女は何を思いながら受け止めただろうか。


 私は背筋を伸ばすと、しっかりとそちらに向かって頭を下げた。


「末永く、皆様の幸せをお祈りしております。」


 顔を上げて、その先を見る。


 苦難の末に手を取り合い、夫妻となった2人が身を寄せ歩んできた冬の終わり。


 満開の花の様な笑顔のダリルを、ようやく抱きしめることのできた子爵夫人の笑顔を思い浮かべ、私は微笑んだ。


「マーガレッタ様。 どうぞご家族で、末永くお幸せに。」

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