第39話 時の流れによる変化

「……ねぇ、あんた、ここに来てない間は何してんの?」


「え? 私、ですか?」


「ここにはその喋んない侍女以外、他に誰もいないじゃん。」


 最初に枕を投げつけられてから、2週間。


 院長先生にお願いし、毎日1日3食の配膳下膳と洗濯物の回収のために聖女マミの部屋へ行き、仕事を行った。


 毎日毎回、私に向かって枕を投げ飛ばし、シーツを破き、罵倒していた彼女だったが、慌ても怯えもせず、淡々と仕事をする私に文句を言うのに飽きたのか、それとも一人、大声を上げて暴れるのが馬鹿らしいと思ったのかはわからない。 が、今日は私が部屋に食事を持って現れても声を荒げることはなく、食器を下げに来た時も黙ったまま、じっと私を見つめていた。


 そうして今日、洗濯物の入った籠を侍女から受け取っていたところで、ベッドにうつぶせになって上体を起こしたまま足をぶらぶらさせて私を眺めていた彼女は、つまらなさそうに問いかけて来たのだ。


「でも一人ではありません。 それに私にはミーシャという名前があります。」


「なにそれ、説教臭い。 まぁいいや、じゃあミーシャ? は、何してんの?」


 くるくるとつやの無くなった黒髪の毛先を指先でくるくる巻きながら口先を尖らせて問うてくる彼女のしぐさは酷く幼く見える。


(……これが彼女のあちらでの本当の姿……かしら? こちらの同年代に比べてやはり幼い感じね。)


 目を疑うような文明が発達した世界で穏やかに暮らしていた彼女と、貴族階級に生まれその責任を生まれながらに背負ったこの世界の私。 そもそもの常識はもちろん、背負うものも、発達に応じて受ける教育そのものも違うのだから、冷静に考えればこれもしょうがないと思えば腹も立たない。


「ここに来ていない間、ですか? そうですね……。」


 私は侍女から受け取った洗濯物の籠を両腕に抱え、少し考えて答える。


「朝起きたらまず、聖堂の掃除をします。 それから食事をいただいて、こちらに来てから、ここで割り振られているその日の仕事をしつつ、養育棟で赤ちゃんのお世話や洗濯掃除、厨房のお手伝いをしています。」


「赤ちゃん?」


 きょとん、とした聖女マミは体を少し起こして私を見た。


「赤ちゃんってなに? こんなところに赤ちゃんがいるの? なんで?」


(あら、関心をもつのはそちらなのね?)


 不思議に思いながら、それには私は穏やかに微笑んだ。


「聖女様。 院長先生から、この修道院のお務めについてお聞きにはなりませんでしたか?」


 その問いには、彼女はツンッと口を尖らせる。


「何か言ってたかもしれないけど、覚えてない。 あのおばさん、偉そうに小難しい事ばっかり長い話ばっかして、説教臭くて嫌いだもん。」


「なるほど。」


 お世話になっているのにその言い方はどうなのかしらと思いつつ、すこし考えた私は、腕の中の洗濯物を見て、それからマミを見た。


「私は洗濯などの仕事がありますし、院長先生の許可をいただかなければいけませんのですぐにとはいきませんが、よろしければ修道院の中を見て回りますか? ずっとそうして部屋にこもっているのも退屈でしょう?」


「えっ!?」


 そう言うと、聖女マミは鳶色の目を見開き、まん丸にしたまま飛び起きるようにベッドに座ると、私を見た。


「い……いいの?」


 頷いた私は、あぁ、でも、と付けくわえる。


「私の一存では決められませんので、院長先生の許可が出ればになりますが。 勿論見学中に暴れたり、人に危害を加えたり、脱走しようとしないと約束できるならですが……どうされますか?」


 人を襲ったり暴れるな、なんて、かなり酷いことを言っているという自覚はある。 けれど、事前に言っておかなければならないことのため、隠すことなく彼女に伝えた。 すると彼女は意外にも「いいよ」と素直にそれを受け入れた。


「どうせその騎士と侍女も一緒なんでしょ? ならそんなことできるわけないし。 約束する。」


 彼女のいう事は確かにそうである。 だが、本人が意識してそうするのと、周りが押さえるのとではかなり労力も違う。 彼女が納得してくれたなら、こちらも他の人に許可を取りやすい。


「わかりました。 約束していただけるようなので、仕事を終わらせて、院長先生の許可が取れたらまた来ます。 それでいいですか?」


「わかったわ。 まってる。」


 頷く聖女マミに軽く頭を下げた私は、そのまま部屋を出た。






 院長先生からの許可は、護衛騎士と侍女を連れたうえで、鍵の開かない部分――寄宿棟・養育棟・中庭であれば良いですよ、と条件はあったものの、あっけにとられるほど簡単に出た。


 最近の彼女の様子を聞いていたこともあったのだろうが、私が許可を取りに来たのも大きかったようだ。


 他の人には院長先生が話をしてくれると言ってくれたため、私は彼女を迎えに部屋に行った。


「あの日は暗くてわかんなかったけど、こんな感じだったんだ。 何にもないんだね」


「修道院ですから。」


 あの日以来、初めて部屋の外に出た聖女マミは、少し頬を紅潮させ、物珍しいと言うようにきょろきょろと寄宿棟の廊下を見回しながら、私の後ろを歩いている。


「ここは寄宿棟です。 修道女、修道女見習いはここで寝泊まりしています。 いまは私とシスター・サリアだけですが。」


 ふ~ん、と私の後ろをついて歩く聖女マミ。


「ってことは、あんたの部屋もあるの?」


「ありますよ。 見てみますか?」


「見る。」


「わかりました。 ここです、どうぞ。」


 養育棟に行くためには、私の部屋は必ず通るし、そんなに長い廊下ではない。 すぐに私の部屋の前についたので、私はポケットから鍵を取り出すと、扉を開けて中を見せた。


「え? なにこの部屋、せっま! 物少なっ!」


 中を覗き込んだマミが、びっくりしたように声を上げる。


「そうですね、狭いです。 でも、見た通り、最低限必要なベッドも洗面所も机もあります。 夜寝るときしかここに居ませんので、これでちょうどいいくらいですよ。」


 扉の前で立つ私の前をすり抜けて中に入った聖女マミは、部屋の真ん中でぐるっと中を見回して、私の顔を見た。


「宝石は? ドレスは?」


 そんな突拍子もない問いに、私は笑う。


「ありませんよ。 お茶会も夜会もない、仕事をするだけのここでの暮らしですから、必要ありません。 なので何一つそのようなものはここにはありません。 ここにあるのは、いま身に着けているものと同じ衣類が3枚と、下着の着替え、それから筆記用具に便箋と封筒、後は本くらいでしょうか。」


 そう言うと『信じられない』と言った顔をして、彼女は私を見ている。


「あんたって、とんでもなく身分の高い、いいところのお嬢様だったはずよね? そんなのでいいの?」


「特に不自由はしていませんよ。 確かに最初はびっくりしました。 ですが住んでみれば快適です。 さて、もういいですか?」


「……うん。」


 神妙な顔で頷いた彼女に頷いた私は、部屋の扉を閉めて鍵をかけると、養育棟の方に足を向けた。


「寄宿棟を出ると、中庭に出る道と、養育棟に入る道になります。 どっちに先に行きますか?」


「中庭がいい。 久しぶりに外の空気を吸いたい。」


「いいですよ、行きましょう。」


 養育棟に入る前に中庭に向かった。





「あー! 久しぶりの外だ!生き返る!!」


 手入れされた芝生が美しい広い中庭の入り口に差し掛かった時、マミは走り出しそうな勢いで私の横をすり抜けると、駆けだすように庭の真ん中に向かって行ってしまった。


 そんな彼女を取り押さえようと一歩踏み込んだ侍女と騎士を、私は制した。


「大丈夫です、この先は袋小路ですから。」


 その言葉に、侍女と騎士は頷いて下がってくれた。


 現在私たちが立っているのは、中庭、育児棟、養育棟、聖堂への十字路となった渡り廊下で、彼女が走っていった中庭は、左手には養育棟、右手には育児棟、そして正面には強固で背の高い塀がある。


 外に出る方法は聖堂の方へ行くしかないわけだが、聖堂へは背の高い鉄の柵、そして頑丈な錠前の付けられた扉があり、その鍵は院長先生が持っている。 毎朝聖堂の掃除をしている私も、そのたびに鍵を借りにいっている。


 自由に飛び立つことのできない大きな鳥籠の様な修道院のこの造りが、しかし、様々な事情でここに訪れる者や子供を外敵から守ってくれているのだ。


 走って行った彼女の後を追って中庭に出る。


 なかなかに広い中庭の、良くみんなの休息場所となる大きく枝葉を広げたオークの他には、低木と、小さな花壇があり、先ほど私が干し終えた洗濯物が風になびいている。 そんな中庭の真ん中あたりで、聖女マミは空を仰ぐように両手を広げ大きく深呼吸すると、照り付ける太陽に眩しそうに目を細めながらあたりを見回し、追いついた私に言った。


「そうだとは思ってたけど、高い塀があって、どこからも出れないんだね。 逃走防止ってわけ?」


 それには首を振る。


「もちろんそう言う目的もあるでしょうが、一番の目的はここにいる皆の命を守るためだそうです。」


「守る?」


 解せないのか、眉間に皺を軽く寄せて首を傾げたマミに、私は聞いた話ですが、と話す。


「ここにはそれぞれ、様々な事情を抱えた女性や赤ちゃんが生活しています。 ですから、それを大切に守るために外部から入れなくしてあるのです。」


「へぇ、そうなんだ。 あ、ブランコ!」


 ふぅん、とやや不満げに呟いたマミは、オークの一番太い枝からぶら下がっているブランコを見つけた。


「懐かしい! ブランコなんてあるんだ! やだ、ちっちゃ! 座れないじゃん。」


 枝からをぶら下げる綱を握って、彼女は大きな声を上げた。


「それは、赤ちゃん用なので。」


 平均的身長である彼女の脛の半分よりも下のあたりにある背もたれのついた椅子の部分は、安全上の問題からお座りできる赤ちゃんが一人座れる大きさにしてあるのだ。


 なので、彼女は座れないのだが、それが不満のようだ。


「それにしたって小さすぎない?  向こうの公園のブランコは、私でも普通に座れたんだけど。 学校が終わって放課後にさ、ハンバーガー屋とか、タピオカとかクレープ屋とか行くんだけど、イートインスペースがない店だったり、あっても座る席がないときには近所の公園に行くの。 皆で雑誌やスマホ見ながらしゃべんのね。 ベンチでもいいんだけど、たまにさ、ちっちゃい子がいないときは、皆でかわりばんこにブランコに乗って、死ぬほどこぐと、滅茶苦茶高くなんの。 止めるの下手だとコケたりするんだけど楽しくってさ。 そういうの、こっちではしないの?」


 あぁ、前世では確かに私もそんなことしていたなと思いつつ、この世界で生まれて生きている者として、彼女の問いに頷く。


「そうですね。 遊ぶこと自体あまりやりません。 放課後にみんなでカフェに行くことはありましたが、そのように外で物を買って公園で食べたり、遊具で遊んだりすることもありませんね。」


「え? まじで? 楽しいのに?」


「貴族の子息令嬢としては、マナー違反だからです。」


「うわ、出た、マナー。」


 とたん、顔をしかめて口を尖らせたマミに、侍女と騎士はやや眉間に皺を刻んでいる。 いい年をした令嬢が、学校帰りに屋台で買い食いをしたり、公園で遊んだりを楽しいと言うとは……というところなのではなのだろうか。


 そんな彼女たちの視線に気が付いたのか、マミはやだやだ、と大袈裟に顔をしかめて首を振る。


「こっちの人はすぐ、マナーとか礼儀とかいろんなこと言うよね。 で、それなに? なんで駄目なの? って聞くと、聖女様はそんな当たり前のことも知らないんですか? っていちいち大袈裟に吃驚しながら、これくらい知ってて当たり前なのに、はしたない、みっともない、って言うんだよね。 もう、すごい嫌い。 そんなの知らないって言ってるのに、やれっていう方が間違ってるって思うんだけど、そう言うとまた怒んのね。 信じられない。」


 そう言ってから、彼女は私の方を見る。


「あんたもさ、学園に入って私がジャスにくっついてたら、良く言ってたじゃん? 婚約者がいる男とは適切な距離を取らなきゃいけないとか、目上の人間に目下の人間から声をかけるの良くない、許可されてないのに愛称で呼ぶの良くないとか。」


「そういえばそのようなこともありましたね。」


 彼女が学園に入学してきて、まだ婚約者だったジャスティ元王太子殿下と殊更距離が近かった時のことだ。


 あの頃は私もまだ記憶を取り戻しておらず、彼の婚約者として、いずれ王太子妃になる者としての自尊心と矜持があったため、目に余る彼女の行動や言動を見咎めては、注意していたことを思い出す。


「音を立てて飲んじゃだめとか、大きな口を開けて食べるの良くないとか。 大股で歩いたりするの良くないとか。 後なんだっけ。 べたべた人に触らないだっけ?」


「えぇ。 そうでしたね」


 明らかに他人、しかも婚約者もいる男性との距離が異常に近かったため、淑女として間違いであると注意していたことを思い出す。


「もうさ、なんで皆、そんなにうるさいわけ?」


「そうですね、それが貴族の常識、だからでしょうか。」


「常識ぃ? そんな常識がまかり通ってるわけ? あたしが通ってた学校、先生たちもみんな仲良しだったし、男友達もいっぱいいたし、お昼(ごはん)とか普通にシェアしたりしてたよ? それ全部、こっちだとマナー違反って事?」


「えぇ。 もしよろしければ、少しお話ししてもよろしいですか?」


 僅かにでも聞く耳を持っている今ならば、話をするのにちょうどかもしれないと思った私は、静かに彼女の反応を見ながら話し始めた。

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